1、作品の概要
中村文則の7作目の単行本にして、初めての短編集。
5作の短編からなる。
『世界の果て』は5編からなる、連作短編になっている。
2、あらすじ
1、月の下の子供
親に捨てられて、施設で育った「僕」は幽霊の存在を感じながら育つ。
異常な性欲を感じながら女性と交わるが、彼の存在の偏りに彼女たちは離れていってしまう。
火に異常な執着をみせて美しい火が何かを焼き尽くしていく姿を夢想する。
不動産の仕事に就いた「僕」は、異常な家族が焼け死んだ曰くつきの物件に巡り合う。
彼らが残した暗い情念の虜になり、さらに精神の均衡を失っていく。
2、ゴミ屋敷
妻を亡くした男が突然眠り続けて昏睡状態になってしまう。
弟はヘルパーを雇い男を家に連れて帰る。
男はある日突然目を覚ますが、ゴミを集め始めて奇怪なオブジェを作り始める。
それは、周辺の住民が危険を感じるほど高く不安定に積み上がっていく。
3、戦争日和
動物の交配の仕事をしていた「僕」は黒い服の男から身体の一部が足りない人骨が出た部屋を借りる。
「僕」は脳に電気を流す機械を購入し、幽霊と似て非なる白い粉と邂逅する。
4、夜のざわめき
「僕」は夜の散歩の途中に自分の後ろをつけている存在に気づき、偶然会った知人の女性から誘われて巨大な居酒屋へ足を向ける。
そこは巨大な迷路のような空間で、人々はハメを外して享楽に身を任せていた。
知人の女性とはぐれた「僕」は顔立ちの幼い女に案内されて居酒屋の店内を歩く。
「僕」は自分のドッペルケンガーのような存在を見てから後をつけられるようになった話をして、女は幼少の頃の不幸な出来事を語り合う。
5、世界の果て
(1)「犬を捨てる」
自分の部屋で死んでしまった犬を捨てるために夜の街を彷徨う「僕」。
隣人、死んでしまった子供を埋めている奇妙な夫婦とすれ違い、犬を埋める場所を探し続ける。
民家に侵入し、警察に通報されて職質を受けてしまう。
「僕」は逃げ出し、あてもなくどこかに向かう。
(2)「無用の人」
一枚も世に出たことはないが、絵を描くことに溺れている男。
金が底を尽きかけていたが、働く気もおきず夜を彷徨う。
林の中でホームレスの男と知り合い住処と金を譲り受ける。
しかし、その林は公園建設のために造成されることになっていた。
「私」は失意の中、巨大な黒い亀裂を見る。
(3)「高みの世界」
引きこもりの高校生の「ぼく」は、「カミ」の内なる声にしたがって包丁を手に入れる。
偶然見かけた20代の女性の後をつけ、彼女の部屋を盗み見て激しく欲情する。
学校や親にも激しい怒りを感じ、部屋に閉じこもり「カミ」からの声を待ち続けるが・・・。
7月2日、すべてを終わらせるために「ぼく」は包丁を携えて外に出る。
(4)「失踪」
3人の男がある旅館に泊まり、その後失踪した事件。
その事件の真相に迫る仕事を依頼されたフリーライターの「私」。
○○樹海の近くのその旅館に泊まった私は女の妖怪の話を聞かされる。
女将と金銭を介して寝た私は、野良犬の導きで森の奥底へと入る。
「私」の正体とは?
(5)「犬を握る」
ある種の流れに気持ちよさに消えてしまいそうになる。
けれど、僕はここにいたい。
僕の歪み(犬)と共に。
3、この作品に対する思い入れ
中村文則の作品を何作か続けて読んで、ハマりかけていた時に図書館で借りて読みまし
た。
救いようがなくどこまでも閉じられた世界観。
仄暗い闇の中をどこまでも歩き続けるような、そんな昏い夢を見続けているような物語に深く引き込まれました。
まるで、漱石の夢十夜のようなそんな不可思議で、尚且つ深い闇を湛えた作品だと思いました。
4、感想・書評
1、月の下の子供
『土の中の子供』に呼応する作品として描かれた短編。
中村文則も後書きで言ってますが、この作品というか、この短編集自体が初期作品の闇を更に凝縮しているかのようにずっと暗いトーンで描かれています。
夜のシーンと、雨のシーンが多いこと。
単純かもしれませんがそういった部分からも明けない闇の深さが窺えます。
この短編の「僕」は『遮光』の主人公にも似ていて虚言癖がありどこか自分の感情を隠しながら生きているようなところがあります。
性欲が強く、女性を自分の「モノ」にしようと道化を演じながらも、実はそれほど真剣味も感じられない。
薄気味の悪さ、嘘を見抜かれて女性たちとの関係は長く続きません。
中村作品に多く見られますが、この主人公も両親から見捨てられて施設で育っています。
その時に自分は消え去るべきだったのに、生き残ってしまった。
命を消し去るべき役割を持った者、「幽霊」が役割を怠ったという認識が根底に強く残っています。
育児にとって、自己肯定感の醸成が幼児期において最重要課題で、死ぬべきだったのに死ねなかったという存在として世界に放り出された僕は、どのようにして自我を構築していくべきだったのでしょうか?
いつか、終わるべき自分の人生、ある意味死神としての役割を持った幽霊の現出を待ち続ける。
「死にたい」より過酷な「死ぬべき」という観念を持ちながらの生。
唯一彼の心を捉えている「美」は火でした。
火は平等に美しく燃やしてくれる。
醜い自分さえも。
しかし、彼は大事なものを燃やすことはしませんでした。
それはギリギリの選択だったけれど。
会社の同僚の女性の電話番号を眺めていたことからも、自分が大事に思える存在を燃やしてしまいたいという仄暗い欲求が、ロウソクの火のようにチラチラと燃え盛っていました。
死ぬつもりで橋の上から飛び込んだ川の水の底。
母親の胎内の羊水とは違って冷たい水の中で月を見上げて。
彼は生き直したのでしょう。
もう亡霊はみない。
這いずり回って、手にしたものは一握のほのかな希望だったのではないでしょうか?
2、ゴミ屋敷
中村文則自身も、こういうタイプの小説は初めて書いたとあとがきに記していますが、コメディータッチの作品。
この作品以降もこういったユーモラスに溢れた作品が登場しますね(笑)
長編ではなかなか書けませんが、中村文則のアナザーサイドが垣間見えて良いですね。
お笑いも好きとのことで、弟とヘルパーの若い女の子のやり取りとかクスリと笑えてしまいます。
バベルの塔のように瓦礫を積み上げる彼の鉄屑達は無残にも崩れていきます。
何かの代替行為だったのでしょうか?
天国にハシゴを掛けたかったと書いたらチープなんでしょうけど。
亡くした妻を取り戻しに黄泉比良坂に降りても、天に向かって塔を建てても、最期はカタストロフィが待っているのでしょう。
ウラー。
3、戦争日和
とてもシニカルな作品だと思います。
後に中村文則が政権批判を繰り広げるようになる萌芽を見たような気がしました。
本当に行き止まりのような「僕」の生に蠅がたかるようにブンブンとたかりつくように飛び回る黒い服の男と白い粉。
「僕」はもうすでに終わってしまっている人間で、絶望すら彼には生ぬるいのでしょう。
不吉で陰鬱な彼の部屋からも空は青く、戦争の予感に満ちています。
4、夜のざわめき
ひと夜の奇妙な物語で、読んでいる間中ずっとつげ義春の作品がオーバーラップしていました。
どの作品とは言えませんが夜のザラりとした夢幻の肌触りが似通っていました。
この作品を読んで思いましたが、中村文則もつげ義春の作品を読み込んでいたのかな?
物語の感触に相通ずるものを感じました。
初めて中村文則自身を連想される作家の「N」が登場する作品であり、自身が現実と幻想の狭間を行ったり来たりしながら描いた作品なのだろうと感じました。
夜の散歩とコーヒーと。
すっかりトレードマークですやん。
幻想的で奇怪な作品。
夢幻の狭間である居酒屋を通り抜ける話です。
そして、少女は「N」に暗い予言を残します。
押しても押さなくても、結局は同じです。
今からあなたが自分を破壊するみたいに、布団の上でわたしに何かをして破滅したとしても、このまま我慢したとしても、同じです。
・・・その時の音と、あなたがいつか書くかもしれない、複雑な遺書のような文章は、多分、同じものです。いずれにしろ、結局、出口は一つですから。
とても、暗示的な内容だと思います。
出口は一つ。
作品を通して、このような暗い呪いを自らに課さなければいけないなんて。
「意味がわからないよ。・・・本当に」
5、世界の果て
(1)「犬を捨てる」
不協和音を奏でるピアノの音みたいな不穏な物語。
主人公は言動が始終狂ってますし、すれ違う隣人(2の話の主人公)も、子供を埋めている夫婦もそろぞれの歪んだ狂気の物語を生きています。
死んだ犬は中村文則自身があとがきでも書いているように歪みの象徴であります。
突然降って湧いたように現れた犬の死体(自らの歪み・狂気・エゴイズム)を捨てようとするけれども、捨てる場所が見つからずに(捨て去ることができずに)夜を彷徨う。
明るい街の中では異形の形をした自分が姿を暴かれて、陽の光で灼かれてやがていなくなってしまう。
警官から逃げ出した先に何があるのでしょう?
(2)「無用の人」
(1)の主人公が犬を捨てに行くときにすれ違う隣人が(2)の主人公です。
「私」は絵を描くことに固執しながらも、一枚も世に送り出すことができません。
それでいて、日銭を稼ぐこと拒否して誰とも交わらずに厭世的になっています。
そして、絵を描きながら狂っていくことをよしとして、むしろそんな運命を望んでいるようにも思えます。
ホームレスの男との出会いは、彼に新しい住居と生活を与えます。
そこには平安ともいうべき心の安寧がありましたが、「私」の新たな居場所を奪う公園建設工事の看板を見つけ、彼の平安は奪われてしまいます。
ゴッホの自殺の予兆とも言われる「カラスのいる麦畑」ですが、まるでその光景のよう黒いカラスが飛び交うのを見て、自分の死を予見します。
そのカラスが5つの方向へ飛んでいくのを直線のように思い、この世の真理とも言うべき「黒い亀裂」のように思えてくる。
現実と幻覚が混じり合って何かを超越していくような光景が立ち現れる。
「私」はそこに何かしら啓示のようなものを見たのでしょう。
最後の場面で彼は様々な色を混ぜ合わせながら自らの混乱と狂気の中にまっすぐに降りていきます。
やがて、行き止まりにたどり着くまで彼は歩みを止めることはないのでしょう。
(3)「高みの世界」
『銃』+酒鬼薔薇聖斗のような作品でしょうか。
『銃』の主人公が川原で銃を拾ったように、ぼくは内なる声である「カミ」に導かれて包丁を買います。
しかし、導いてくれていたはずの「カミ」の声に見放されて引きこもりの彼は道を見失ってしまいます。
自分を馬鹿にして阻害する学校と社会も、口うるさく鬱陶しい母親も、すべて振り切って「高みの世界」に行きたい。
そのための手段が殺人であり、「カミ」の導きで違う世界に行けるはずだった。
けれども、「カミ」から見放されて「ぼく」はけじめをつけるように、一方的に愛欲を募らせていた女性に突然愛を告白し(路上で「セックスしたい」と言う)拒絶され、母親も振り切って何もかもなくして凶行に及びます。
現実感も、覚悟もないまま目に付いた民家の男を包丁で刺します。
『銃』のラストを彷彿とさせます。
残虐な猟奇殺人を行う時の心理は案外このようなぼんやりとした無自覚な状態なのかもしれません。
しかし、彼はしくじります。
刺した相手も一命を取り留め、精神病院に入れられてゆるやかに終わっていきます。
自分の自我の核のようなものを無くして、抜け殻のように生きる。
世界の果てのような場所というか、何もない空虚な荒野の場所に彼の精神は行き着いてしまったのでしょう。
(4)「失踪」
サスペンス調の話ですが、樹海に妖怪に売春に自殺。
短い文章の中に、たっぷりと闇が詰め込まれていますね(笑)
腹ペコな高校生のお弁当ぐらい詰め込まれています。
(3)のぼくが恋焦がれる女性とかつて同棲していた「私」。
事情があり顔を変えて逃げていますが、ついに行き止まりに突き当たってしまいます。
何というか救いがない作品ですね。
(5)「犬を握る」
(1)の続き。
救いのない話が多いですが、最後に少しだけ希望が提示されているように思います。
『土の中の子供』『悪意の手記』でも共通のテーマだと思いますが、どうしようもない存在で、神様から見放されていても、どれだけ闇の中を彷徨っていたとしても存在し続けていたいと思う。
前向きじゃなくてもいい。
混乱して、心に闇を抱えていても。
ただ、生きる。
悪霊が飛び出した後のパンドラの匣に。
仄かな希望を見たように思いました。
5、終わりに
んー、暗い(笑)
改めて読み直してみて暗いですねぇ。
なんだろう、作者自身の何かを投影したような陰鬱さですね。
中村文則の作品史上、最も暗い作品かもしれませんね(笑)
でもこういった純文学的要素を持った薄暗さ。
実家に帰って、昔のままの自分の部屋に電気もつけずに膝を抱えてうずくまるような。
そんな、心地よい闇を感じます。
万物には陰影があるし、光と闇、朝と昼、そして夜があります。
暗闇もまた私たちの心と身体に必要なのでしょう。
なんか落ち着きます(笑)