1、作品の概要
2021年5月7日に刊行された中村文則の長編小説。
朝日新聞に2019年10月1日から2020年7月31日まで連載された。
占い師、ディーラーと2つの顔を持つ主人公が、カードに運命を翻弄されていく。
2、あらすじ
実の父を知らず、母親から虐待されていた主人公は、児童養護施設で育ち職員の山倉の影響を受けて手品師を目指す。
オカルトにのめり込み、悪魔のブエルを呼び出した彼は、やがてタロットを使った占い師と、夜はカジノのイカサマディーラーとして生きるようになる。
ある組織からの依頼で、不可思議で巨大な力を持つ男・佐藤と関わることになるが、彼の運命は激しく変遷していく・・・。
タロットカードとトランプの2つのカード、神と悪魔、生と死。
運命に抗おうともがく人々の物語。
3、この作品に対する思い入れ
そんなに熱心な読書家とは言えない僕が、発売日に必ず買って読みたいと思える作家の一人が、中村文則です。
朝日新聞に連載されていたことで近々刊行になることは知っていて、以前から楽しみにしていました。
前作の『逃亡者』がとてつもない傑作で、尚且つ土地や歴史のもつルーツと個人の歴史をリンクさせるようなスケールの大きな作品だったので、もしかしたらギャップで肩すかしを食らうかもしれないとか思っていましたが、全くの杞憂に終わりました。
本当にこの作家は凄い。
どこまで行くのだろう。
4、感想・書評
①主人公の生い立ちと世界
中村文則の小説でくり返し使われるテーマですが、 『カード師』の主人公も家庭の愛情に恵まれず、児童養護施設で成長します。
母親はいるのですが、父親はどこの誰かもわからずに虐待されて・・・という痛ましい状況で、家のドアを開けた時に母親とよその男が性交している場面を目撃してしまったことでドアを開けることに恐怖を覚えるようになってしまいます。
ドアを開けた先に自分を傷つけるものが待っているのかもしれない。
初めて施設に来た時に入口のドアを開ける時にも、そんなトラウマから彼は躊躇してしまいます。
ドアを開けるという行為は、今いる場所から新しい世界を繋げることで、ドアを開けるたびに新たな出会いがあったり、自分を傷つけるような災禍が待ち構えていたりします。
カードをめくる行為と同じように作中でドアは象徴的に描かれています。
また『ディオニュソスの会』に入会して無数の男女が性交する姿を眺めることで、性的に放埒な母親の行為を正当化しようとします。
世の中の他の男女もこんなに乱れているのだから、自分の母親がああいった振る舞いをするのも至極当たり前のことなのだ・・・。
そう自分の意識に刷り込んでいくようにも見えました。
複数の男女の性行為をじっと眺めているなんて、あまりノーマルだとは思えませんね(^^;;
歪んだリビドー。
通りすがりの女性や、施設にいる年上の女性を穴に落としていく妄想に苛まされていたのも母親との関係の構築がうまくいかず、女性という存在をどこか空恐ろしい理解できないもとして捉えていたのかもしれません。
彼の妄想の中で突き落とされる女性は顔が消えて、女性そのもののようになっていたのですから・・・。
落とす時、奇妙だったのは、彼女達の顔がなくなっていくことだった。背中を押すときのイメージが後ろ姿であるのが原因かもしれない。穴の中に入った後も彼女たちは個性をなくしたままで、なんというか、女性という象徴的な存在になるのだった。
家庭の愛に恵まれずに育った主人公を導いていく「メンター」の存在。
中村文則の多くの作品で登場する「メンター」に当たるのは、主人公にカードの存在を教えた施設の職員の山倉になるのでしょう。
ともすれば殻に閉じこもり、何か得体の知れない欲望に押し流されそうになる彼でしたが、山倉から教えてもらったカードで世界との接し方を学んでいきます。
それはとても歪な形だったのかもしれませんが、きっとそのようにしか世界に触れることができなかったのでしょう。
ブエルに山倉を遠くに追いやって欲しいと願い、偶然とは言えその願いが果たされます。
主人公が山倉という存在から離れたいと願ったのは、いつか自分自身の歪みや暗部が取り返しのつかない事件を起こして、失望されるのが怖かったのでしょう。
山倉と主人公が交わす最期の会話の場面がとても好きです。
悲劇や狂気に彩られたこの作品の中での数少ない希望。
山倉は主人公にとってもメンターであり、同志のような存在でもあったのだと思います。
山倉自身も酷い家庭環境に育っていて、主人公に対してもシンパシーのようなものを抱いていたのではないでしょうか?
「成功するって出たよ。凄くいい運勢だった。絶対上手くいくよ」
山倉の目に不意に涙が浮かんだ。僕の頭の上に手を置き、そのまま抱き締めた。彼はこのような身体的接触に躊躇するタイプだと感じていたので、僕は驚いた。別の職員から、山倉は子供の頃、とても酷い環境にいたと聞いた。
「僕が好きな日本の諺がある。ちょっと滑稽な言葉だけど」
山倉は僕の目を見た。
「トンビが鷹を生む」
(中略)
「だから気にするな。君は”自由”だ」
たとえ恵まれない環境で、親からの愛情を受けられなくても、可能性は広がっているし自由に生きることができる。
きっと、大丈夫。
ダメな親(トンビ)だって、素晴らしい人間(鷹)を生むことがあるんじゃないか?
そして、山倉から彼に受け継がれたバトンは最終章で受け継がれたように思います。
主人公もあの少女にとってのメンターのような存在になっていったのでなはいかと想像します。
②悪魔のブエルとオカルト。あるいは犯罪心理学について。
今作は本当にたくさんのエッセンスが散りばめられていて、ちょっとやりすぎじゃないの!?とも思えるのですが、そのすべてが人間と運命の関係に全て結びついていく感じがゾクゾクしました。
近作では、『教団X』で脳科学、宗教、『R帝国』ではディストピア、戦争、政治、『逃亡者』で歴史と土地と個人の繋がりについてそれぞれ違ったテーマがありました。
中村文則は、物語の作り方や登場人物はそれなりに定型がある作家だとは思いますが、テーマは毎回違っていて楽しませてくれます。
『カード師』でも、運命、賭博、占い、神と悪魔、宗教、オカルトなどのテーマが複雑に絡み合っています。
悪魔を呼び出す描写や、錬金術、占いなどのオカルティックな要素も妖しくて良いし、中村作品で今までなかった要素だと思います。
主人公は魔法陣で悪魔ブエルを呼び出し、彼の内面にブエルが棲みつくようになりますが・・・。
ブエルの存在。
読みながら、少し困惑してしまいました。
悪魔が実在する?
彼らが人間の内面にすみついて影響を与えるとも?
神戸の猟奇殺人事件の酒鬼薔薇聖斗が生み出した「バモイドオキ神」のような自我を投影したような存在だったのでしょうか?
?マークがたくさん飛び交うところですが、悪魔のブエルは主人公の内面にとても大きな影響を与えてます。
それはひとつに呪いであり・・・。
この作品のキーとなる存在だったのだと思います。
余談かもしれませんが、僕は40代のオッサンですがオカルト大好き人間であり、物語に悪魔だとか、神話だとか出てくるとテンション上がります(笑)
子供の頃にファミコンでやったカルト的RPG『女神転生』(正確にはうちはゲーム厳禁で友達の家で見てただけですが)の影響で悪魔とか北欧神話とか好きになりました。
ゲームの内容は神と悪魔を味方にしながら敵の神と悪魔たちと戦うという内容でした。
僕はこのゲームで神話に興味を持ち、小学校の図書館で北欧神話とギリシャ神話を読みました。
思えば、小学生の頃が一番本の虫で、片っ端から読んでた気がします。
小学校の時にクラスの友人に「何読んでるの?」って聞かれて「北欧神話だよ!!」って答えるヒロ少年(笑)
『カード師』のオカルト展開は僕的にどストライクでした。
ちなみに当時は、孔雀王に憧れて九字を切ったりもしていました(笑)
まぁ、そうやって小学生の頃にオカルト的なことに熱を上げる時期もあるのかもしれませんね。
スプーン曲げに、コックリさん、学校の七不思議・・・。
でも、そういったオカルトにのめりこむ時期は短くてあっという間に忘れ去られていきます。
ブエルが主人公の前から姿を消して意識の奥深くに身を潜めたのもそのようなりゆきからかもしれません。
ブエルは、バモイドオキ神のように彼に指令を与えます。
女性たちを深い穴に突き落とすこと、山倉を殺すこと、学校のクラスメイトのKを痛めつけること。
人間が通常持っている理性。
それを超えたところに犯罪行為があるのかもしれませんが、通常は倫理というブレーキがあってその犯罪行為を成すことができません。
それでもその何かを、倫理を超えて罪を犯したいと人が願うときに、神や悪魔の力が必要なのかもしれません。
もちろん精神的な架空の存在として。
何か超常的な存在からの指令で倫理を人の道を踏み外していく、人間を超えていく人の皮をかぶったまま獣になっていく。
そうやって猟奇的な犯罪は生まれていくのでしょうか?
正常と異常。
有罪と無罪。
それは本当に紙一重でひとつの細い線の向こう側とこちら側なのかもしれません。
第2章での幼少期の描写ではそういったギリギリのやりとりが描かれいます。
もう少しで、取り返しのつかないほど大きな犯罪を犯していても、誰かを決定的に損なってしまっていてもおかしくなかった。
ブエルが実在したかどうかは別としても、ブエルの存在を呼び寄せたのは彼の不安定に動く心であったわけで。
少年時代から、ギリギリのところを切り抜けて生きていたことが窺えます。
ブエルは、主人公に呪文で痛めつけられたことを根に持っていてたくさんの呪いをかけます。
でも、それは自己がかけた呪いでもあって・・・。
やはりブエルは潜在意識だったのでしょうか?
踏まなければ、私はもっと君を狂わせることになる。できないならもう容赦はしない。君は完全に私の下に入り支配されることになる。君は君を失う。もう君の将来など意味もない。
潜在意識とすると成人になってから主人公の夢に現れるブエルの存在は説明がつかない部分があります。
これまで、正しい方向に導くメンターが描かれることが多かったですが、ブエルは負の方向に導くカウンターとしての存在として描かれたのでしょうか?
③賭博を描いた物語、占い師とディーラー
この作品は『賭博者』のようにギャンブルに人生を翻弄されていく人々が描かれています。
僕は『賭博者』読んだことないけど、村上春樹『ノルウェイの森』で永沢さんが「可能性があるのにそれを避けて通ることは難しい」みたいなことを言って引用していました。
この時の可能性とはは、女の子をナンパすることでしたが(笑)
『カード師』でも似た言葉が出てきます。
「言いたいことはわかるよ。でもあのカードを無視する人生を・・・、目の前にあのカードが来て、あそこで降りるような人生を選んで・・・、何が面白い?」
そうかもしれない。あれは抗えない。
賭博の魅力の本質を言い当てたような言葉のように思えます。
そこに可能性があるのに避けるような人生の何が面白いのか?
クラブRの賭博の場面は本当にスリリングで胸がドキドキしました。
ほんの数時間で大金持ちか、破滅か。
コインの表と裏のように運命が残酷なほどに明確なコントラストを描き出していきます。
賭博の魔力。
そういったものに魅せられた人々が集まってくる魔窟のような場所。
主人公は自分の命が消え去るかどうかの瀬戸際もカードを用いてなんとかギリギリで切り抜けます。
山倉からカードマジックを教えられて以来、カードの力で世界と相対して乗り切ってきたのでした。
現実がこんな風であるのなら、受け入れられないのなら、嘘で現実を変える。
イカサマ、ブラフ・・・。
ただの真っ当なカードゲームじゃない。
この世界の、人生の縮図みたいに勝つためにはどんな手だって使って生き抜いてみせる。
最終的にイカサマで生き抜いた主人公。
『掏摸』で主人公が盗みをする場面を思い出しました。
特殊な技能を持った主人公が特異な悪に見出されて、命をかけてミッションに挑む・・・。
物語の構図にも共通点があるように思います。
④「悪」として描かれる佐藤
『カード師』は、物語の構図として、『掏摸』によく似た作品だと思います。
生い立ちが不幸な主人公が、生き抜くために特殊なスキルを身につけてそれを生業としている。
そのスキルに目をつけた「悪」を為す人物との邂逅で、命を賭けた困難なミッションに挑んでいく・・・。
『掏摸』の木崎、『逃亡者』のBのような「悪」としての存在。
他人の運命を圧倒的な暴力で弄び、命を奪いながらそのことに対してさえも飽いているような・・・。
不条理の塊のような、まるで天災のような人間。
それぞれの物語の主人公は、「悪」の存在によって嵐の海の木の葉のように翻弄されます。
『カード師』の主人公も佐藤に運命を翻弄されて、挙句の果てに命さえもその手に握られてしまいます。
しかし、今までの歴代の「悪」としての存在より何かしら毒々しさは薄まっている気がします。
佐藤は主人公の精神にどこかしら壊れているところを感じていて、自分の抱える虚無感や狂気と似たものを感じていたのではないでしょうか?
ストーンズの曲じゃないですが、まさに「Sympahy for Devil」ですね(笑)
佐藤がグラスの水を飲む。飲み干す。
「味気すらない。何もない。・・・そして私は前から、君が時々見せる表情が気になっていた。無表情とでも言うか、君が表情を作るときではなく、ふとした瞬間の表情。この世界を虚無的に眺める視線。君はもしかしたら私と同じように、たとえばあらゆる風景を味気ない図形のように見ることがあるのではないか、・・・そしてさっきの声だ。私が能力があるかと尋ねた時、自ら否定した声。無念さがあった。命が惜しいとは別の感情。・・・私はある意味、十年後の君かもしれない」
主人公が持っていたタロットカード。
発狂した物理学者が作ったカードが佐藤に結びついていく・・・。
運命の悪戯というか、神の見えざる手を感じてしまうような偶然。
最終章での佐藤の遺書の内容にトリハダがたちました。
物理学とこの世界の運命について。
宗教とオカルト。
英子氏。
運命と災害。
そして・・・、COVID19。
いや、詰め込みすぎなのかもしれないけど、僕は中村文則の物語終盤のこのたたみかけ方が好きですね~。
脳の快楽物質がドバドバ出まくってるような興奮と快楽を感じました。
物語でこれだけトベるんだから、僕にとってドラッグは必要ないなっていつも思います(笑)
⑤運命に抗うということ
この物語の核。
運命と人間との対峙。
それは、古来からの決して叶うことのない人間たちの儚い夢。
無謀な挑戦でもありました。
僕が実家で子供の頃に読んでいた「マンガ日本の歴史」では、卑弥呼の時代に鹿の骨の割れ方で吉兆を占うというような描写がありました。
そのような古来から人間は、先にある未来を知りたいと強く願い、様々な方法で占おうとしていたのです。
人生は選択の連続だし、未来が見通せたらどれだけ良いだろうと思う瞬間がたくさんあります。
たくさんの運命の分岐点があり選択を迫られたり、知らぬ間に生死を分かつような大きな運命の分かれ道があったりします。
多くの人々がこの物語でも運命の濁流に翻弄されて、タロットカードや占いのような一条の細い光にすがろうとしています。
しかし、佐藤の遺書のように天災や事故などによって大切な人々の命は奪われる。
あの時、あの場所にいなかったら。
わずかな選択でおびただしいほどの運命の分岐点が生まれて、世界を形作っていていきます。
何故なのか?
運命の悪戯で人生が変わっていく。
運命と聞くと僕はいつも宇宙に浮かぶ大きな円環を想起します。
運命も生命も、この世界にある様々なシステム全てが何かの円環であり、全ては循環しているようなそんなイメージにいつもとらわれています。
全ては繋がっている。
その繋がりの法則を読み取って、運命を変えたい。
そのような願いを持って、無謀な勇敢さを持ってドンキホーテのように運命の風車に向かって挑み続ける。
『カード師』はそうやってもがき続ける人々の物語であったのでしょう。
Iはように世界の真理を理解することで運命の仕組みを理解しようとしたのかもしれませんが、佐藤は自らが翻弄されて自分の近しい人たちを奪っていった運命に対して怒りの声を上げ続けます。
運命を受け入れて粛々と生きるのをよしとせず抵抗し続ける・・・。
それはもしかしたら「生き方」の問題だったのかもしれません。
「本当に次の天災を占いで知りたいというよりは、・・・彼らの死に抵抗している人間がいると何かに見せたいのでしょう?天災だから人間が亡くなるのは仕方ない、そう納得していない人間もいるのだと。誰かが彼らのために怒り続けなければならないと。だからそうやって、世界の仕組みに対峙しているのではないですか」
何に対して「彼らの死に抵抗している人間がいる」と見せたいのでしょうか?
この世界の運命や真理といったシステム、もしくはそのもののような神か・・・?
途方のない話ですが、決して受け入れたくはなかったのでしょう。
私が能力があるかと尋ねた時、自ら否定した声。無念さがあった。命が惜しいとは別の感情。
繰り返しになりますがこの部分。
主人公もまた運命に対して不条理、強い怒りを感じていて抗おうとしていたのでしょう。
だからこそ運命を、先の未来を見通すことができない自分に対して無念さを感じていたのじゃないでしょうか?
そして、佐藤は主人公のそういった精神に共感を覚えて彼を生かしたのかもしれません。
主人公の持っていた「運命に対しての怒り」とは、家庭に恵まれずに愛情を知らずに育ってしまい、歪んだ世界に、悪に自分の人生を翻弄されることに対しての理不尽さ・・・。
こんな世界、運命は到底受け入れられることなんてできない。
その想いが、「現実がこんな風であるのなら、受け入れられないのなら、嘘で現実を変える」という言葉に変わったのでしょう。
主人公が未来を切り開く力を与えられたカード。
その力を使って現実を変革して生き抜いていく。
そういった覚悟と気概を感じる言葉でした。
そんな主人公の半身とも言える存在が英子氏だったのかもしれません。
彼女もまた凄惨な環境で育ち、同じ環境で育った姉の意志を汲んで彼女自身がたどった運命とは違った現実を、終わってしまった物語の続きを描こうとした・・・。
到底受け入れられない現実、終わってしまった物語を嘘で変える。
英子氏と主人公はとてもよく似ていて、魂の深い部分で繋がれるような存在だったのかもしれません。
でも、彼女はドアの向こうに行ってしまう。
「半分以上がなくなる」
主人公の半身は失われてしまったでしょう。
ブエルの呪いは二人を引き裂いたのでしょうか?
うん。もう今後一切、君の人生には山倉のような人間は現れないと。・・・女性も含めてね。
僕は茫然とブエルを見た
ブエルはもしかしたらこの世界の真理のようなものに繋がる存在だったのかもしれません。
そこには神も悪魔もなくて・・・。
人々の意識の中に、共通の一なる何かに繋がるような存在。
エピローグを読んでそんなふうにも思いました。
ブエルは主人公にとって山倉のような導いてくれる存在も、心の糧となるような英子氏のような女性も現れない、と呪いをかけました。
それでも、今度は主人公が誰かにとってのメンターに、山倉のようになれることはできるかもしれない。
また違った形で世界と、人間と繋がって新しいドアを力強く開けることができるかもしれない。
自分が育った施設の前で出会った少女とのやり取り。
施設で生活する彼女が地震の夢をみて、耐震に不安がある施設を工事したいという訴え。
天災や運命に対して備える、抗うこと。
かつての自分と同じ境遇にある彼女に、主人公は希望を提示します。
そして、世界は瞬きをする間に変化して、人間は運命に抗うことができることを示唆したのではないでしょうか?
「3つ数えよう3、2」
カードが〈ハートA〉に変わる。少女が短く声を上げた。
〈クラブ8〉と〈ハートA〉の背を貼り合わせてあるのだが、少女からは見えない。僕はひっくり返しただけだ。
「この世界ではこんなことが起こる」
少女はまだ驚いたままカードを見ていた。
「だから大丈夫。もうすぐあの建物は頑丈なものに変わる」
「本当?」
「君の手品は現実になる」
『掏摸』での子供とのやり取りを思い出しました。
山倉というメンターに施設で出会って、世界を生き抜く術を与えられてジョーカーになった主人公が、今度は同じ施設の女の子に現実を手品で変えてしまう術を教える・・・。
中村文則の物語で提示される一握の希望。
パンドラの匣から最後に出てきた希望。
主人公から希望を与えられた少女は、これからどんなドアを開けて、運命に抗っていくのでしょうか?
5、終わりに
いや、もうすごく濃密な物語でした。。
何かとても色々なものが詰め込まれていて、最期の点と線が繋がっていく感じが半端なくて魅了されました。
いや、もうただただ『カード師』の物語に魅了されました。
物語としてもよくできているのですが、この世界と運命の謎、真理。
とか言うと、何かの新興宗教みたいですが(笑)
そういった「深淵」に触れるような物語でした。
印象深い言葉が多すぎて、おそらく書評を書いたブログの中で一番引用が多かったように思いますね(笑)
改めて中村文則のセリフまわしの上手さ、言葉の深さを感じました。
運命の、この世界の不条理。
生まれながらにして背負う荷物の重さの違い、辿る運命の残酷さ。
受け入れるか・・・?
それとも・・・、抗うか?
今日もこの世界のどこかで、運命というカードはシャッフルされる。