1、作品の概要
2020年4月刊行。
新聞で連載されていた作品を単行本化した。
2、あらすじ
第2次世界大戦時に、敵味方問わずに多大な影響を与えた「熱狂」と呼ばれる伝説のトランペット・・・。
偶然その楽器を手に入れてしまったジャーナリストの山峰は、謎の組織のBに追われることになる。
彼は、山峰に「一週間後君が生きている確率は4%だ」と告げる。
山峰は、事故で死んだヴェトナム人の恋人・アインとの間にかわした約束を守るために彼女と自分のルーツ・歴史を調べて小説にしようと奮闘する。
それは、彼のルーツである長崎の地、日本においてのキリスト教とその弾圧、第2次世界大戦の凄惨な記憶と核爆弾、そしてトランペットの奏者「鈴木」の悲しい戦争の記憶を辿っていくものになった。
Bに鈴木のトランペットの楽譜を、日本のカルト教集団「Qの光輪」から1ヶ月以内に手に入れるように言われた山峰。
様々な人間の思惑が混じり合い、それぞれの物語が交錯する。
山峰は生き延びることができるのか?
3、この作品に対する思い入れ
『教団X』の時のように、自分の中にある物語を構成する要素を全てぶつけてきた。
集大成的な作品だと思いました。
初期作品のような主人公の心の闇や生きにくさ、存在の危うさ。
『掏摸』や、『悪と仮面のルール』のように、Bという得体の知れない「悪」との対峙と、スリリングな駆け引きや逃亡。
『教団X』のように幾人もの登場人物の人生が混じり合って関係していく様。
アインとのラブストーリー。
在日外国人の問題や、政治的な要素。
そして、初めて描かれた歴史と信仰、長崎という土地、音楽について。
これらが渾然一体となってオーケストラのように奏でられる壮大な物語、現時点での中村文則の集大成になっていたと思います。
複雑に絡まりあった物語で、1度読み終えてからようやく全体像が見えた気がしています。
間を置かずに、もう一度読み返してもっとこの物語が持つ世界観に深く浸っていたい。
そう思わせるような素晴らしい作品だったと思います。
4、感想・書評(致命的、徹底的なネタバレあります)
①山峰の内面
『逃亡者』は山峰の一人称もしくは、長崎のキリシタンを語った3人称、トランペット奏者・鈴木の一人称で描かれています。
近作では、様々な人間の視点で描かれる作品が多かったですが、今作では歴史の回顧以外は山峰の一人称で描かれています。
あっ、最後にNが出てきますが(笑)
今回の主人公・山峰も今までの作品と違わず何かしら心の闇、生きにくさを抱えています。
うまく、溶け込んでやり過ごすように生きていても、観察眼の鋭い人間が見るとその異常さに気付きます。
ーあなたには緊張感がない。自分が置かれてる状況のわりに、奇妙にも明るい部分がある。・・・これは危ないです。わかりますが?人は何かの領域に入って、フワフワとした明るさの果てに破滅することがある。
自分では自覚なく薄笑いを浮かべたりして、置かれている状況に対して自らを省みる力、生きる力に欠けているように思います。
中村文則の小説の主人公によく出てくるタイプで、幼い頃に父親との別離、母親に捨てられて一時施設で暮らすという体験をしています。
この体験が後に女性への過剰とも思えるリスペクトや、性の発達の速さに影響を与えていたのではないかと自らを振り返っています。
また、『何もかも憂鬱な夜に』の主人公のように子供の頃から自分の中に大人の女性を殺害している情景や、海辺で動かなくなった女性を抱えている情景が浮かんできています。
10歳の子供が体験できるはずがないこのようなイメージは彼の脳裏にくり返し浮かびます。
もしかしたら、歪んでいる自分の未来への不安。
起こりうるかもしれない悲劇を先取りして自分のイメージの中に投影していたのかもしれません。
しかし、「あの人」=母の亡くなった妹の夫に預けられて、自分のルーツ、歴史、土地との繋がりの話を聞いて山峰は少しずつ落ち着いて行きます。
父、母という存在から見捨てられても、繋がりは血縁だけではなくて歴史や土地そのものとも繋がっている・・・。
そのことを「あの人」から教えられて、自分の歪んだリビドーもろとも肯定された。
この経験が山峰を大きく変えて、薄暗い闇から救い出したのだと思います。
しかし、アインを失ったあとは深い悲しみから自暴自棄になってしまっているようにも見えます。
②Bという「悪」、スリリングな逃亡劇
今作でも「悪」の存在が描かれていて、冒頭でBが登場し、山峰の逃亡劇が始まります。
『掏摸』や『悪と仮面のルール』でも描かれている「悪」の存在。
今作のBも不可解で大きな歪みを持ち圧倒的な力を持った存在として描かれています。
ただ、暴力を振るったり、殺したりするのに飽いて、他人の人生をおもちゃのように扱う歪な存在。
彼は、五十嵐にもそうしたように山峰にも3つの選択肢を提示します。
①(死ぬこと)拷問をされて生まれてきたことを拒否したくなるほどの苦痛を与えられて殺されるか、②(呪い)自由にされるが、幸福になった瞬間に殺されるか、③(生まれ変わり)自分が最も忌むべき存在に強制的に生まれ変わらせられるか。
人の運命を弄びそれでいてそのことにも飽いているような限りない闇を湛えた災害や、不運そのもののような人間。
生殺与奪さえも理不尽で、B自身にすら自分の行動原理が分かっていないように思えます。
まさに「不条理」そのもののような存在。
それは、彼が語るグリム童話(彼自身の創作)にも現れています。
「あるところに2人の兄弟が住んでいて、2人とも嵐に巻き込まれて死んだ」みたいななんのオチもない不条理な話です。
これは、Bが山峰に語った「公正世界仮説(人々が世界が公正で安全であって欲しいと願う心理、習性)」から、Bの存在の定義が窺えるような気がします。
人々は世界は公正で幸福にも不幸にも何らかの理由や因果があって欲しいと願う。
グリム童話や昔話にはいいことをすると良い結果が生まれて、悪いことをすると悪い結果が生まれます。
心が綺麗で努力する人間は必ず成功して、性根が悪いずるい人間は破滅します。
しかし、本当に世界はそのように公正にできているのでしょうか?
残念ながらそうではなくて、世界は本質的に不平等で不条理で理不尽さに満ちています。
ちなみに僕は子供にもそうやって教育しています。
世界は不平等で、不条理だと。
酷い父親ですね(笑)
でも、そこで諦めたら人生終了(タイムアップ)だから諦めるなと言っています。
安西先生ばりに。
Bは、そういった公正世界を願い、時には理不尽な物語にバイアスをかけて自分たちの都合のいい物語に改変していく人々に対してのカウンターのような存在のような気がします。
だから、Bがもたらす死や暴力にはなんの理由もなく不条理な存在であり続けています。
確かに「かかわらない方がいい存在」で全く得体がしれません。
このBに山峰は翻弄され続けますが、冒頭から状況もわからず逃げ続ける山峰の逃亡劇はとてもスリリングです。
時系列を変えて、突如逃亡劇が始まる演出が臨場感あって良かったですね。
③アインという光、『遮光』のように繰り返さされる喪失
山峰が出会ったかけがえのない存在。
アインという女性は、山峰にとっての光であり、彼女と彼女の物語を通して「世界との和解」を果たすはずでしたが・・・。
彼女は永遠に失われてしまいます。
『遮光』を 彷彿とさせますね。
ソーニャをなくしたラスコリーニコフ。
彼を赦し、受け入れるはずだった存在は失われてしまいます。
しかし、『遮光』と違ったのはアインが残した物語を完成させるという希望が残っていたことでした。
山峰とアインの歴史的繋がり・ルーツ、鈴木のトランペットの物語を完成させることで山峰の心に再び光が灯り、世界との和解を果たせたのではないでしょうか?
『遮光』のように狂気の結実(いや、その展開も好きなんですが)ではなく、歴史を背景とした繋がりを再確認することで山峰は立ち直ることができたように思います。
それにしても、アインはとても可愛らしいですね。
いじらしいというか、生きて結ばれていて欲しかったですね。
アインの日記の記述とかもう泣けるし・・・。
可愛すぎてもう。
中村文則の願望なのかな(笑)
だとしたら、わかるわ~!!って伝えたいですね。
同い年だし、シンパシー感じる部分は多いですね。
僕もあんなふうな恋愛がしてみたいですね☆←オイ!!
彼女の死は、在日外国人の問題とも重なり社会に大きな反響を生み、山峰の心にも大きな傷を残しました。
『GO』とか思い出しましたが、日本は未だ在日外国人に対して根強い差別意識を持っているように思いますし、それがアジアの人間なら尚更でしょう。
以前、金子達仁のサッカーのエッセイで「弱小国だった日本があっという間にアジアナンバーワンに上り詰めたのは、大東亜共栄圏などに見られる自分たちがアジアのナンバーワンだというある種の他国への蔑視が影響している」みたいな内容がありましたが、いまだに日本人の意識の中にはそういった考えが根強くあると思います。
テレビ朝日のワールドカップ予選で使われる「絶対に負けられない戦い」というフレーズは、アジアごときでは負けてられない、自分たちはアジアの盟主だというような傲慢が見え隠れするように思います。
ただ、スポーツでは時にそういった傲慢と言うべき勝者のメンタリティーがプラスに作用することも多く、日本の急成長に繋がったのだと思います。
アインとの恋は、悲しい結末とともに在日外国人の問題、ネトウヨ、パヨク、政治的なアイデンティティを絡めて書かれています。
正直、中村文則の最近の政治的発言には辟易していて、むしろもうちょっとデタッチメントな物語が読みたいのですが、この作品に関しては、政治的要素をうまく物語に絡めてきたなという印象もありました。
『R帝国』も最近の村上龍みたいだと思いました(笑)
いや、村上龍好きだし、自分の旬のテーマを盛り込むのは良いのですがね。
話が逸れましたが、アインとのラブストーリー。
そして、喪失。
それは、山峰の魂を損なうほど大きな衝撃でした。
④長崎とキリスト教。神の沈黙、あるいはよそ見
今までになかった中村文則の作品での要素。
信仰と、長崎という固有の場所が持つテーマ。
今までも、宗教はテーマとして出てきていましたが、これほど神についてくり返し考察され遠藤周作『沈黙』も作中にあげられて神の沈黙、あるいはよそ見について真摯に考えられた作品はなかったと思います。
そして、長崎という場所。
これほどまでにどこかの土地に固執した作品はありませんでしたが、今作では長崎という場所にとことんこだわっています。
それは、中村文則が長崎をルーツにもつということもあったのでしょうが、人が家族、血縁という繋がり以外にも、歴史やその土地で育ったというより大きな繋がりをルーツとして生きていくことができるということを表現したかったのではないかと思いました。
天草四郎の反乱や、キリシタンの弾圧まで長崎という場所で起こったキリスト教にまつわる歴史、そして物語。
それらは、山峰と、全く血縁のない母親の妹の夫である「あの人」との間を繋ぐ強い絆になります。
山峰が一時預けられていた施設と、あの人が生まれ育った施設は同じ施設で、その施設を作ったのは長崎の隠れキリシタンだった岩永マキが作った施設だった・・・。
歴史は連綿と繋がり、人と人とを結びつけていく。
寄ったあの人はそう言い、大浦天主堂が見える坂にしゃがみ込み、両手で地面を叩いた。
「いいか?お前の命は今、そういう大地の上にある。あらゆる者たちの苦難や優しさ、悲劇や美しさが堆積したこの大地の上にある。人間の歴史はそういった地層の堆積だ。何も長崎だけじゃない。世界中、どんな大地にもあらゆる歴史が堆積している。すべての物語はお前と無関係じゃない。極論すれば今のお前はその全てと繋がっている。だからいいか」
あの人の声が大きくなる。
「その命は引っさに使え。お前もその命でお前の物語を行け」
この場面が、この小説の核だと思います。
歴史が堆積した大地の上で繋がり続ける物語。
その上で生きる全ての人は、その歴史、大地の記憶に含まれている。
そういった連綿とした大きな流れの中で、また各々の物語を紡ぎ土地に帰り堆積していく・・・。
そういった無限とも思える繋がり。
そういった大きな流れの中にいて、血縁だけに囚われて小さなコンプレックスを抱きながら生きていくことへの矮小さ。
あの人もまたそうやって自らの孤独を乗り越えてきたのでしょう。
あの人は、山峰にとってメンターであったし、同士のような存在だったのだと思います。
⑤鈴木のトランペットと音楽
この小説は今までになく音楽について 言及している作品で、多くの人々が狂わされて奪い合っているのも「熱狂」と呼ばれるトランペットでした。
天才トランペット奏者鈴木の物語も音楽に溢れていて、最愛の女性「あなた」との出会いも音楽が、トランペットがきっかけのロマンチックなものでした。
音楽が好きなある男に見初められて、特別なトランペットを譲り受け、軍楽学校に入学し、天才的なピアニストのTと巡り合い、戦争が終わったら一緒にバンドを組むことを約束する。
あなたとも想いが通じて結婚を約束する・・・。
音楽と成功に満ちた鈴木の物語。
光が明るければ、闇は濃くなります。
そこから戦争体験を通じた物語の暗転はどこまでも暗いものでした。
漫画の『ベルセルク』の「蝕」を思い出しました。
それまで明るい青春時代を描きながら一気に暗転していく。
理性も愛も夢も、そして最後には人間としての尊厳も全て破壊していく圧倒的な「何か」
中村文則が、過去の戦争体験をこれほど克明に描き、物語のコアに持ってきたのは驚きでしたし、なんとなく村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』を書いて、ノモンハンの描写を長々と描いたのに驚きを感じたことを思い出しました。
村上春樹と中村文則は全く違う作家ですが、デタッチメント(関わりのなさ)から、コミットメント(かかわりあること)へ移行しているという点では共通しているのかもしれませんね。
中村文則の場合、政治色が強い発言も多いですが(^-^;
初期の内省的な作品世界から、純文学とミステリーの融合を試みた「掏摸」以降の作品、「教団X」のようにもっと幅広いテーマを扱った総合小説のような作品の延長線上にあったのがこの『逃亡者』であったのだと思います。
戦地で鈴木が吹き鳴らしたトランペットは日本軍の兵士のみならず現地の人間、ひいては敵軍のアメリカ人の心をも熱狂させていきます。
生と死の狭間で鳴り響き多くの人間を虜にする音楽。
その旋律と楽器には悪魔的な何かが宿っていきます。
戦地の極限の状況。
生と死の狭間のギリギリの状況で、鈴木の完成は冴え渡り、その音楽は周りの人間を魅了していきます。
しかし、その果てに待っていたのは狂気と無残な死でした。
狂気を湛えた悪魔の楽器と思っていたトランペットが実は鈴木自身の狂気に従わせられていた。
本当に狂っていたのは自分だった?
鈴木はジャングルの奥地で狂いながら死んでいきます。
⑥すべての物語は繋がっている
大きな風呂敷を何枚も広げ続けたような物語でしたが、コアとなっているのは人の人生=物語が繋がり合って、共鳴しながら続いていくことにあるのではないかと思いました。
長崎というキリシタンの歴史が生んだ施設で繋がりあった山峰とあの人。
その土地のキリシタンが追放されてたどり着いた土地で繋がり生まれたのがアイン。
僕は山峰とアインのラブストーリーが好きです。
歴史的背景が距離も時間も超えて2人を繋げたのです。
運命の恋だと思っても仕方がないようなドラマチックで壮大な邂逅です。
この作品では、「物語」という言葉がたくさん使われています。
人生を物語と解釈する、その真意とはどんなものでしょうか?
僕も常日頃、人生は物語だと思っています。
介護の仕事をしていて、ご利用者の人生にかかわる時に僕はその方の物語の最終章の登場人物の一人になっているのかもしれません。
何故、人生は物語になるのでしょうか?
それは、人間があくまで自我から逃れられず、自身を客観的にではなく主観的にしか見られないからだと思います。
自己を客観的に見る。
その言葉自体が既に矛盾を孕んでおり、人はあくまで自分のことを主観でしかみられないし、主観はどこまでも現実を侵食し、自己の人生を物語化していくのです。
でも、それが悪いことでしょうか?
自分が見てきたものを主観のフィルターを通して現実を改変して、物語化した現実を生きていく。
何も悪くないし、僕はそんな物語に寄り添っていくのが好きで介護の仕事をしているのかもしれません。
そして、あくまで個人的だった物語が繋がり合っていく。
歴史、信仰、土地を通して距離も時空も超えて無限に広がっていく・・・。
この世界で起こりうる、そんな奇跡のような邂逅。
『逃亡者』はきっとそんな光の粒子がきらめき合うような命の発光を捉えた、たくさんの物語なのだと思いました。
どれだけ世界が変わっても物語は生まれ続けて、繋がり合いながら堆積していくのでしょう。
5、終わりに
んん。
とりあえず、自分が感じたことはある程度吐き出せたような気がします。
『逃亡者』を読んだ時に、中村文則が現時点でできることを全てぶつけてきたと感じたこともあって、僕も自分ができることを全てぶつけるようなに書評を書いてみました。
何か決定的な思い違いや、拾えてない部分はありそうな気がしますが、ちょっとやりきった感じもあります。
中村文則は、僕にとって特別な作家の一人です。
同い年で、ユニークでフランクに見えて実はナイーブで薄暗い部分を抱えているとことか。
あと、エロいとことか。
シンパシーを感じます。
自分のことをエロいって言える男は信用できるんですよ(笑)
すかしてる奴は嫌いです。
友達になれません。
だから、中村文則とは友達になれるかもしれません。
って、何の話でしたっけ?
相変わらず、世界は欺瞞に満ちて。
政治は乱れて、人身も乱れています。
公正世界はおとぎ話で、世界は徹底的に不条理で、不平等です。
でも。
そんな世界でも生きていたいと思います。
別に高い意識を持って毎日充実していなくても。
日々の生活の中で仄かな光を見出して。
前に進まなくてもいい。
世界を呪ってもいいし、誰かを憎んでもいい。
生きていたいと思う。
もしも闇の中で迷って、混乱して、心が沈んでもこの物語は寄り添ってくれるし、中村文則は同じように寄る辺ないどこかの無明をさまよっているだと思う。
そういった意味において彼がいつも最後に記す一言は重く。
いつもいつも僕の心に響くのです。
とてもありきたりな言葉だけど。
それだけにかけがえのないメッセージです。
新型コロナウィルスの影響で世界はますます黄昏に向かっていっていますが、心には光を灯して生きていきたいです。
世界は時に残酷ですが、共に生きていきましょう。
どんなに小さくても世界に希望を。そう思っている。
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