ヒロの本棚

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【本】『迷宮』中村文則~泥濘の中に堕ちて、一緒に絡まり合いながら生きていく~

1、作品の概要

 

2012年に刊行された中村文則の長編小説。

『新潮』2012年1月号に掲載された。

特異な迷宮事件に引き込まれていく男と、事件の唯一の生存者である美しい女性との危うげな繋がりを描いた。

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2、あらすじ

 

過去に母親から捨てられて、中学生まで自分の中にRという架空の友人を創造し、精神的なトラブルを抱えていた新見。

法律事務所に就職した彼は、かつて自身が強く惹かれた迷宮入りの一家惨殺事件「日置事件」で生き残った紗奈江と男女の関係になり、再び事件にのめり込んでいく。

紗奈江と以前関係を持っていた行方不明の男の捜索を探偵の男に依頼されて、彼に身柄を引き渡した新見。

同じように事件にのめり込み、その狂気に取り込まれていった者たち。

周囲の危うさを抱えた存在達と呼応するように、新見も泥濘に入り込んでいく。

果たして事件の真相とは?

そして、新見に近づいた紗奈江の真意とは?

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

初めてミステリーと純文学の融合に挑戦した作品であり、作家10周年の年に刊行された中村文則本人の言うところの「起点となった作品」であると思います。

実験的な作品でもあり、初めて読んだ時は戸惑いも感じましたが個人的には「あっ、これもありじゃね?」って思いました。

元々、僕は純文学原理主義者的な一面もある偏狭かつ大して熱心でもない読書家でしたが、『迷宮』と巡り合って作家の変化を受け入れることで大幅に読書の幅が広がっていった、僕にとっても起点となった作品でした。

中村文則の初期好きという方は『迷宮』は読んで楽しい作品ではないと思いますし、ある種踏み絵のような作品でもあるかと思います(笑)

でも別に好きに楽しめばいいと思うので、僕は初期だけ好きな方の気持ちもわかりますし、中村文則の新作を追い続けている方たち(もちろん僕も含みます)もわかります。

要するに、とんこつラーメン一筋でやっていたラーメン屋の新メニューのつけ麺を受け入れられるか否かの問題なのでしょう。

えっ、全然要してない?

ちょっと何言ってるかわからない?

 

 

 

4、感想・書評

①『迷宮』という作品の位置づけ

純文学的要素が色濃く、閉鎖的な『銃』『遮光』『土の中の子供』『悪意の手記』『何もかも憂鬱な夜に』『最後の命』『世界の果て』などの初期作品。

そこから悪と運命を描いて、物語のスケールを大きく広げた『掏摸』『悪と仮面のルール』『王国』の悪三部作。(悪三部作はヒロが命名。誰だ!!ダサいネーミングとか言ってる奴は!!)

さらに変化して、よりミステリー要素を色濃くしたのが『迷宮』だったかと思います。

 

中村文則もあとがきで言っているようにミステリー路線の超傑作『去年の冬、君と別れ』や、集大成とも言える『教団X』に繋がる起点となるような作品だった今作。

中村文則の魅力のひとつとして、作品毎に新たなテーマを持ち常に変化と進化を繰り返していることだと思うのですが、『迷宮』では特に大きな勇気を持って作品をミステリー寄りに変化させてきていると思います。

それはただ自分の作品を多く売りたいという欲求ではなく、ストーリーより人間の内面に光を当てた暗い作品になりがちな「純文学」を書いている現代の作家として、「純文学」そのものを現代にアップデートしようとした。

そういう想いだったのではないでしょうか?

 

『迷宮』において純文学における文学としての芸術性と、ミステリー小説の展開の面白さ娯楽性が混在して独自の中村文学として光を放ち始めるような萌芽がみられるように僕には思えます。

それは読む人によっては稚拙で微かな光かもしれませんが・・・。

 

②新見の抱える生きにくさと闇

ミステリー色が強かろうが、弱かろうが、中村文則の作品だとはっきりとわかる登場人物の闇の濃さと、その混乱の深さ。

そういった彼、彼女らの泥濘に触れて僕はいつも生暖かい浴槽に浸っているような気分になるのです。

緩やかな連帯と共感。

 

僕が抱えている歪みなんてそれほどのことはないと思いますし、それなりに幸福を享受していると思っていますが。

それでも物語そのものが含有する歪みが僕の人生や精神に入り込んで問いかけてくるような気がします。

彼の作品はそのように一部の個人に強く訴えかけてくる作品で、誰もが抱えている人としての暗部に寄り添い慰撫されているような感覚に陥るのです。

 

『迷宮』の主人公の新見も歪みと陰鬱を抱えた人物で、母親から捨てられた経験からか、多くの猟奇殺人事件の犯人のように自分の心の中に異なる存在「R」を作り出し彼とだけ会話するような奇妙な人間に成長してしまっています。

震災の揺れと、公園で捨てられた時に取り残された風景とが重なりどちらも新見の中にダメージとして残っていて、なんとか仕事をしながら毎日を生きていますが何かを目指して前向きに生きていくような気力は乏しくて、かと言って何か大きな犯罪や自死をするエネルギーもなくとても空虚で危うく存在し続けている。

自分の人生と向き合う時間を少しでも減らさなければ、耐えられそうにない。自分の人生を、そうやってやり過ごさないといけない。

 

加藤の法律事務所での部下からの頼られ方や、加藤からの信頼のされ方を考えるとちょっと考えすぎな気もするし、もうちょっと自分に自身を持ってもいいような気もしますが・・・。

幼少期に母親から捨てられて突然公園で独りきりになり、まるで世界から冷酷に責め立てられるように感じたその「ダメージ」が新見の人間としての根幹を損なってしまったのかもしれません。

 

放り出されてしまった世界で独りで生きていく為に新見が作り出した架空の存在「R」は幼少期の彼が生き延びる上で大事な存在でした。

Rはどことなく『カード師』のブエルを思わせるような存在で、新見の成長と共に消えてしまった後も彼の中に存在して、夢の中で現れたりします。

宗教において時に神は行動の規範となる存在ですが、新見の中にいるRも彼の行動の規範(常に自分の行動を見られている)であり、価値観の物差しのようになっています。

幼少期に与えられるべき愛情、それによって培われるはずだった自己肯定感を醸成できなかった彼なりに生きていくためのアイデアだったのかもしれません。

 

③紗奈江と日置事件の闇

日置事件の遺児である紗奈江。

真相を胸の内に秘めて成長した彼女は意図的に新見に近づき恋人のような関係になります。

紗奈江は自身の兄のような歪みを持った新見に対して(他にも数名いましたが)学生時代から淡い感情を持っていましたが、探偵まで使って近付いたのはなぜだったのでしょうか?

兄への贖罪の為に罰して欲しかったのか、それとも離婚を経て自分と同じような歪みや陰鬱を抱えた新見のような男でないと一緒に生きていくのは難しいと感じたからだったのではないでしょうか?

「そう、そのまま、ずっと力を入れるの。・・・あなたは、愛されなかったのでしょう?小さい頃に、愛されなかったのでしょう?・・・たったそれだけのことなのに、こんなにも大変なことになる。・・・私も」

 

新見は日置事件の持つ深い闇と秘密、そして紗奈江との異常な関係性にのめり込んでいきます。

紗奈江は「あなたに殺されれば私の罪は消える」と新見に語りかけ、まるで誘うように自らの身体と命を彼の前に投げ出します。

新見はとても危うい一線を辿りながら、物語はカタストロフィの予感に満ちながら彼はギリギリのところで踏みとどまります。

これが初期の中村作品だったら目を覆うような後味の悪いバッドエンド(いやそっちも好きなのですが)が待っていたはずですが、そうならなかったのは何故なのでしょうか?

「彼女が望んでいるんです。僕に望んでいることがあるんです。初めてですよ。子供の頃からずっといらないと思われてきた僕が、誰かに何かを望まれるなんて。役に立つなんて。彼女の首は・・・」

 

新見は人生に希望も持てずに歪みと陰鬱さを抱えながら、生きることへの欲望の希薄さエネルギーの欠如を感じながらも、それでも生きていくことを選びます。

同じような歪みと底知れない罪を抱えた紗奈江と共に。

彼女も本当は自分と同じ後暗い罪を、闇を、一緒に抱えて生きていってくれるパートナーを探していたのではないでしょうか?

一緒に幸福を享受して、光射す輝く世界で生きていく。

そんな未来を選ぶことができない2人は一緒に絡まりながら泥濘に沈み込んでいくような生き方を選んだのでしょう。

歪に絡み合った双樹のように。

彼女が僕を見ていた。死のうとする彼女の身体の上にいる、そんな彼女だからこそ求めようとした僕を。彼女は笑みを浮かべていた。僕の恥部の全部を見ることができたというように。あなたもとうとう、私と同じ領域まで堕ちてきたというように。犯罪を見られた僕と、過去に犯罪を犯した彼女の視線が合う。僕達はずっとお互いを見続けている。

 

幸福ではないかもしれない。

空虚で退屈な時間の堆積のようなそんな人生かもしれない。

それでも何かに縋り付くように、どうしようもなく日々を生き延びていく。

物語は最後にそんな2人のデュエットに帰結していったように思います。

破滅的なラストにならなかった理由は、東日本大震災を通して、深い悲しみと痛みと「ダメージ」を抱えたこの国の人達に対して、最後に光を灯すような希望を提示したかった。

中村文則のそんな願いがこの物語に篭められているように僕には思えました。

 

この作品で初めてあとがきで例のセリフが登場します。

共に生きましょう。

 

 

 

5、終わりに

 

短い作品ですが、だいぶ色んな要素が詰め込まれていて、実験的な要素もありますが作品に篭めた中村文則の想いや願いがしっかり伝わってきました。

話はめちゃくちゃ飛びますが、バンド漫画『BECK』で千葉が「俺は、俺と、俺みたいな奴らを肯定する!!」って作中で言っててめちゃくちゃシビれたことがありましたが、中村文則の作品にもそれに近いメッセージが篭められているように思います。

新見は中村文則の分身的要素を持った存在で、彼の歪みに共感しているどこか生きにくさを抱えた人々も「俺と、俺みたいな奴ら」な気がします。

外から見たら、ちょっとだけセンシティブで優しくて変わった人間だけど、内面ではもう少し深刻な歪みと陰鬱さが支配している・・・。

そういう奇妙に歪んだ人達に物語を通して触れていると、何かぬるま湯にいつまでも揺蕩っているような、実家の自分の部屋でいつまでも布団にくるまっているような。

謎の安心感があります。

 

あと、「探偵の男」って『悪と仮面のルール』に出てきていた彼と同一人物なのですかね?

彼のキャラクター、プロとして厳密に仕事をしていながら実務性の中に時々人間味を感じる部分を垣間見せるところがとても好きなので、もしそうなら嬉しいですね。

 

やたら「デュエット」って言葉が出ていますが、独りじゃなくて「2人」でいること、たとえ歪でも一緒に手を取り合って生きていくこと。

何かそんな想いが篭められているような気がしました。

架空の存在のRとデュエットしていた新見は、紗奈江とデュエットするようになります。

寄り添って生きること、退屈さや停滞を共有すること。

物語のラストからそういった中村文則のメッセージが篭められているように思いました。

もし思い出して彼女がおかしくなったとしても、僕は側にいるだろう。1人で悩むのは、きっと寂しいだろうから。僕達は最高のデュエットだから。

 

 

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