こんばんは☆
今日は、中村 文則のデビュー作『銃』についての書評を書こうと思います。
『銃』は2002年に発表された中村 文則のデビュー作で、彼はこの作品で新潮新人賞を受賞し、華々しくデビューしました。
一人暮らしの大学生西川が、たまたま河原で銃を拾って持ち帰ってしまい、徐々に銃の美しさに魅せられていき狂気に飲み込まれていくというストーリーで、主人公・西川の心理、内面の変化を描く作風は、どことなく古風な感じの文体と相まって純文学的な印象があります。
”昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない。これ程美しく、手に持ちやすいものを、私は他に知らない”
とても印象的な序文です。
銃を手にした時から、その魔力に西川が魅了され始めていたのがわかります。
銃の存在は、表向きはどこにでもいる軽い大学生だった彼を変えていきます。
抱えていた暗い内面が銃の持つ美と狂気に呼応するように増幅し、彼を飲み込んでいく様が克明に描写されています。
不幸な生い立ちもあり、元々どこか投げやりで感情に乏しい西川でしたが徐々に周りと壁を作って、自分と銃だけの世界に閉じこもるようになります。
初めは、自室で銃を磨いて眺めるだけでしたが、身につけて外出するようになり次第に銃を撃つことを考えるようになります。
山の中の誰もいないところで銃を撃つつもりでしたが、夜の公園で死にかけた猫を見かけて衝動的に発泡してしまいます。
ラストシーンにもつながる場面だと思うのですが、人が大きな過ちや、罪を犯す時は普段どれだけ冷静で賢くても何かに魅入られたかのように衝動的に破滅へむかってしまうのではないでしょうか?
無意識的に破滅へ向かってしまう、自己破壊本能とでも言うべき不条理な精神。
大学で犯罪心理学を学んで、犯罪者の心理に強い興味を持った中村 文則ならではの心理描写だと思います。
結果的に街中で生き物に対して発泡するという愚行から刑事に銃を所有している疑いをかけられるようになってしまいます。
刑事から不吉な予言のように「次は・・・人間を撃ちたいと思っているんでしょう?」と言われてしまいます。
↑このセリフは文庫本の帯に書かれています♪
刑事の来訪以降、西川は精神的に恐慌をきたし周囲との関係を断ち切っていきます。
ヨシカワユウコとの喫茶店での会話の後に携帯電話を投げ捨てるシーンは象徴的で、外部との関係を完全に絶って、銃と自分だけの世界に埋没していきます。
ヨシカワユウコは西川にとってのソーニャにはなれませんでした。
人間を撃つか、もしくは銃を手放して抜け殻のような人生を送るか?
なぜ、人間を撃って殺してはいけないのか?
西川は葛藤の末、自分の子どもを虐待しているマンションの隣人の女を撃つことに決めました。
銃の存在は、西川にとって空っぽだった器を満たす温かいスープのようなもので、銃を撃ち、銃の存在を近しい場所にいることは彼にとって魂の燃焼、自己実現にまで昇華されていました。
周到に計画を立てて、あとは引き金を引けば確実に隣人の女を撃ち殺せる状況にまで持ち込みましたが、西川は銃を無意識的に放り投げてしまい隣人の女を撃てませんでした。
彼を止めたのは、論理を超えた人間の持つ根源的な倫理観や道徳観だったのかもしれません。
人を殺してはいけないということは理屈を超えたものがあるのかもしれません。
西川は泣きじゃくり、銃を手放さなければいけないことを強く感じます。
そして、西川にポジティブな変化が訪れ、しっかりと地に足をつけて自分の存在を噛み締めながら以前より真剣に生きるようになります。
銃を拾ったことで狂気に飲み込まれて自分の存在を損ないそうになりながらも既のところで思いとどまり前向きに生きるようになった、などとありきたりなハッピーエンドが浮かんできます。
しかし西川は銃を捨てることを決めて、そのために乗っていた電車の中で衝動的に男を撃ち殺してしまいます。
些細な言い争いからの衝動的な発泡。
隣の女を撃つときは。あれほどの葛藤をしていたのに。
人を殺す時、罪を犯す時というのは、覚悟もなしに一線を超えてしまうものなのかもしれません。
”私は、「これは違う」と呟いていた。そして「これは、なしだ」と繰り返した。私にわかったのは、『私は撃たなくてもよかったのだ』ということだけだった”
特に殺したいほど憎い相手でもないし、どちらでもよかった。
しかも、銃を捨てに行く途上で起こった出来事で、今までの葛藤や変化はなんだったのかということになる。
作者はカミュにも影響を受けたとのことだが、正に不条理だと思う。
ただ、人生において決定的な出来事や決断、罪を犯す瞬間は何かに導かれるように刹那的に行われるものなのかもしれないと思います。
人の理性や、叡智、倫理を超えた行動。
それは、運命というべき不条理なのかもしれない。
最後にチェーホフのこの言葉がこの作品の全てだと思います。
西川が最初に銃を手にした時から、この悲劇の結末は決まっていたのだと思います。
「もし、第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第2幕にはそれが発砲されるべきである。そうでないなら、そこに置いてはいけない。」