1、作品の概要
『お伽草紙』は太宰治の短編小説集。
1945年10月25日に筑摩書房より単行本が刊行され、1972年に新潮文庫版が刊行された。
新潮文庫版『お伽草紙』には、『盲人独笑』『清貧譚』『新釈諸国噺』『竹青』『お伽草紙』が収録されている。
新潮文庫版で399ページ。
誰もが知っている昔話を近代風にアレンジした『お伽草紙』をはじめ、過去の伝承や民話をもとにした短編小説群。

2、あらすじ
①盲人独笑
『葛原匂当日記』をもとに、盲人の一流芸術家の心情を語る。
②清貧譚
貧乏な1人暮らしをしながら、菊の花に目がない才之助。
道中で出会った陶本姉弟と同居することになり、弟の三郎の菊を育てる技術に舌を巻くのだった。
③新釈諸国噺
井原西鶴の作品を基に、再構築した12編の作品群。
④竹青
古代中国、魚容という貧書生は、両親とは死別し叔父から醜い妻をあてがわれて日々苦しい生活をしていた。
30歳になった折に、出世を志して受けた試験に落第し、失意の魚容は呉王廟で自らがカラスになり、美しい雌のカラス竹青と一緒に飛び回る体験をする。
⑤お伽草紙
『瘤取り』『浦島さん』『カチカチ山』『舌切雀』の4編の日本に伝わる昔話をアレンジした短編小説群。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『お伽草紙』は、近所の古本屋に売っていたので買ったのですが、正直古典的作品とかはちょっと苦手で読み切れるかちょっと心配でした。
400ページぐらいあって分厚いし、時間かかるかもって思っていましたが、意外とするするっと読めました。
太宰治の新潮文庫作品はコンプリート目指しているんで、避けては通れぬとおっかなびっくり読んでみましたが、面白かったです。
4、感想(ネタバレあり)
『お伽草紙』『新釈諸国噺』を中心に古典作品や、民話などを近代風、太宰治風に再解釈した物語群。
軸となるこの2作品は1944~1945年に書かれたもので、戦争末期の闇と破滅に包まれた日本の状況の中で生み出されました。
この時期、『津軽』『パンドラの匣』などの名作も相次いで書かれていて、解説などでも他の作家がほとんど創作活動ができなかった中で、太宰は旺盛な創作意欲を発揮し、ほとんど一人で気を吐き孤軍奮闘します。
初期の「死にたがりの太宰」はどこへやら。
ただ、戦争と国家の存亡の危機という圧倒的な暴力と破滅の前では、個人の絶望や懊悩はほとんど児戯に等しく、矮小なものであったように思えます。
空襲に怯えながら防空壕の中で物語を練り、郷里に疎開しながらも書き続けた太宰の心中はいかなるものだったのでしょうか?
古き善き物語の力を信じ、暗い時代に物語の光を解き放とうとしていたようにも感じました。
なにかこの時の気持ちのまま作品を書き続けていたら、もっとたくさんの優れた作品を生み出していたんじゃないかとも思いますが、戦後に「家庭破壊者」となり、心中という悲惨な末路を辿ったのが残念でなりません。
でも、精神の荒廃が『人間失格』『斜陽』のような傑作を生みだした原動力になったことも否めず、なにが彼の創作にとって良かったのかは容易には断定できないとは思いますがね。
『お伽草紙』は既存の物語を再構築したり、インスピレーションを得た作品群を収めています。
音楽の世界では、サンプリングや、リミックス、カバーなど自らのオリジナルではなくても先人たちの音楽をリスペクトしながら、再構築していくような試みがずっとなされていて、その中で進化を続けているように感じています。
小説の世界でも、もっとそういう試みがあってもいいのではないかなと思うのですが、未読ですが太宰治『女生徒』を本歌取りした九段理江『Schoolgirl』や、芥川龍之介へのオマージュと思われる金原ひとみ『ヤブノナカ』など、少しずつそのような取り組みも増えてきているように思います。
この2人の作家が音楽好きで、作品にも音楽の話題が出てくることが多いというのも興味深い点ですね。
『吾輩はパグである』『銀閣寺』とか、名作へのオマージュ作品なんか書いたらワンチャン話題を呼ぶかもしれないので、誰か書いてみてください(笑)
『盲人独笑』は正直よくわかりませんでした。
『葛原匂当日記』を一部抜き出したとのことですが、太宰が作家としてのエゴが出て手を加えてしまった、とあとがきで述懐しているのが印象深かったです。
『葛原匂当日記』の太宰mixとういうことですね。
『清貧譚』は、中国の怪奇小説集『聊斎志異』の一説に影響を受けて書いた短編小説です。
短いですが起承転結がはっきりとしていて、不思議なお話。
『新釈諸国噺』でもそうでしたが、やたら清貧を説いたり、貧しい境遇にいる人物が多く出てくるようですが、戦時中の困窮した生活が物語にも投影されているのでしょうか?
そういった貧しさを嘆いたりせず受け入れている登場人物も多いように感じますが、執筆当時の困難な状況を乗り越えていく太宰なりのメッセージだったようにも思います。
陶本姉弟が実は菊の精だったという展開もなんとも驚きの展開。
『新釈諸国噺』は12編の短編小説からなり、井原西鶴の作品をなるべく全国津々浦々にわたるようにして拾った作品群です。
太宰自身が前書きのような文章で、「古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為すべき業ではない」とか言って、原文2~3枚の作品を10倍以上の長さに太宰流にイマジネーションを駆使して膨らませたものだそうですね。
漫画で言うと、手塚治虫『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」を浦沢直樹がリメイクして『PLUTO』にしたら全8巻でめちゃくちゃ長くなったみたいな感じ?
太宰と言えば、芥川龍之介大好きなイメージがありますが、「わたしのさいかく」などとおちゃらけて言っているぐらいだからやはり古典文学にも通じていたのでしょうね。
まあ、芥川も『鼻』『芋粥』『地獄変』『杜子春』ら古典文学や中国の伝承っぽい話とかをたくさん書いていたので、その影響も多分にあうのでしょうが。
そういえば、『猿蟹合戦』も書いていましたね。
やっぱり、この辺りは芥川の影響が透けて見えるように思います。
12の物語をひとつひとつを拾うことは(めんどくさいから)致しませんが、物語の根底に共通して流れる通奏低音のような「もののあわれ」を感じました。
って、感覚的にもののあわれって言葉を使っていたので意味を調べてみました。
得意のWikipediaでなっ!!
もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である
驚くような奇妙な話や、数奇な運命、悲しき結末など、様々な形で情緒に訴えかけてくる物語群でしたが、しみじみとした情緒や、無常観的な哀愁がそこかしかに漂っていて、人間の感情により直接的に訴えかけてくるような形で描写されていました。
やたら出家したり、やたら自死したりとかするのは古典文学あるあるなのかなと思いましたが、武士道だったり情け深さは古くからの日本人の美徳で、現代ではなくしかけている日本人の精神の美だと思います。
『竹青』は、『清貧譚』と同様『聊斎志異』の一編を再構築した作品です。
『清貧譚』は江戸を舞台にしているのに対して、『竹青』は古代の中国の湖南が舞台となっています。
呉王廟(三国志の呉の甘寧じゃん!!)での神秘体験は仙人やら神様の領域の話で、やはり芥川龍之介の杜子春を彷彿とさせられますね。
最後に教訓があるのも同様。
主人公の魚容がカラスになって竹青と洞庭湖を飛び回る場面は、とても幻想的で爽快でした。
ラストで竹青と漢に行きますが、妻のことが忘れられなかったことで、神の試験を辛うじてパスした魚容。
いや、でもだいぶギリギリっつーか、竹青が無理くり助けた感じにもみえましたが。
彼女が魚容に放った言葉は印象的でした。
人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければならぬものです。
逃げんじゃねーよ、って感じっすか。
家に帰ったら、妻の顔がなんやかんやあって、美人の竹青になっていたっていう展開はご都合良すぎちゃうん?って感じでしたが、魚容が凡庸にその後も生きたというラストは、何者かになろうとする誰かに、そうなれなかったとしても日々を大事に凡庸に生きることの尊さを説いているようにも感じました。
『お伽草紙』は、『瘤取り』『浦島さん』『カチカチ山』『舌切雀』の4編の日本に伝わる昔話をDJ太宰が大胆にリミックスしてます。
文庫版の解説でもありましたが、『新釈諸国噺』では井原西鶴への遠慮、支持者からの攻撃を恐れてかわりとおとなしめだったDJ太宰。
『お伽草紙』では、だいぶ太宰節が炸裂しています。
まず前口上から面白い。
戦争で防空壕に逃げ込むという悲惨な体験の中に、物語を以って外に出たがる5歳の娘を引き付けることを試みるパパ太宰。
物語を語るという特異な能力を持っているという自負を語る。
そういえば、村上春樹も原初の物語が洞穴の中で語られていたとして、自分はその技術にも卓越していてうまく語っていたと思うみたいなことを言っていたことを思い出しました。
作家というのはそういうものかもしれませんが、『お伽草紙』において特に太宰は物語の力を信じ、何かを託しているように思いました。
『瘤取り』は、まさに芸は身を助く的な展開。
主人公の爺さんが酒好きっていうところに吞兵衛の太宰の好みが反映されているように思います。
家庭にイマイチ居場所がなく、妻はドライで、息子は聖人。
ちょっ、息子が聖人って(笑)
なかなか独創的な設定してますな~。
『瘤取りremix太宰』で描かれているのは、一種の不条理だと思います。
主人公の爺さんも、鬼も、瘤をつけられてしまう爺さんも何も悪いことをしていないのに何だか困ったことになってします。
そんなのってないよな、っていう不条理が描かれていました。
鬼が怖ろしいものとして描かれていないのも印象的でした。
『浦島さん』は、一番好きな作品です。
まず亀のキャラクターが毒舌キャラでアニメか漫画かっていうぐらいのキャッチーっぷり。
浦島を助けた亀が毒舌で、浦島をディスりながら竜宮城に連れて行くなんて誰が考えるんだyo!!
浦島太郎の兄弟構成とか、冒険心に乏しい長男とかディスられている感じもリアルでいいですね。
竜宮城の様子も何か既存のイメージとかけ離れていて、殺伐としているというか簡素というか・・・。
タイやヒラメが舞い踊って、御馳走が並んでいる感じではなくてビックリでした。
しかも、乙姫が超不思議ちゃん。
だいぶ想像の翼を広げてるねオサム・ダザイ!!
そして、誰もが思ったであろう玉手箱の謎。
これも不条理すぎてカミュもビックリですが、太宰がガチに考察して、パンドラの匣やら持ち出して大騒ぎ。
このあとに『パンドラの匣』ってタイトルで小説を書いたのも示唆的ですね。
中村文則の書評で28回ぐらい書いてますが、最後に残った一握の希望っていうの好きですよ、ワタシ。
年月は人間の救いである。
忘却は人間の救いである。
少々苦し紛れの感は否めませんが、太宰がひねり出した答え。
そもそも浦島が不幸になったのかどうかということを考察して、もしかしたら玉手箱は救済だったのではという解釈でした。
いや、そんな時間の流れが違う空間に説明なしに連れて行くのがそもそも不条理なんちゃうんってツッコミはありますが。
『カチカチ山』は、ちょっと現代でも実写化できるレベルのキャッチーさ。
ウサギが16歳のJKで、タヌキが37歳のデブのキモオタ。
タヌキがウサギに一方的に惚れて追い回すけど、ウサギは冷徹にタヌキを殺そうとしているっていう話に大胆リミックス。
換骨奪胎どころの騒ぎじゃねぇ。
しかし、この着眼点も太宰の娘の「タヌキさん、かわいそう」の言葉がヒントになったっていうのも面白い。
子供の感想って忖度なく、曇りなき眼で見定め決めていて純真ですね。
ここにも不条理があって、タヌキがそこまで悪いことをしたのかっていう話ですが、童話ではマイルドにしていますが、本当の話では婆さんを殺して味噌汁にして爺さんに食べさせるっていう残虐な行為をしているのがこのタヌキ。
まあまあ、サイコパスです。
しかし太宰版の『カチカチ山』ではちょっとかわいそうなタヌキ。
若く美しい女性の、ブ男への冷酷さがこれでもかと描かれています。
こわぁ~。
現代のマチアプなんかでも繰り広げられてそうな光景ですね。
惚れたが悪いか。
『舌切り雀』は、とても幻想的な要素もあってロマンチックな話でした。
『瘤取り』でもあったような夫婦関係と、実際の家庭生活が描かれていて、婆さんが嫉妬のあまり雀の舌をむしりとってしまう描写はいかにも残酷でした。
しかし、『瘤取り』『カチカチ山』といい、太宰はよっぽと女性の恐ろしさを感じるような場面に出くわしていたのでしょうか?
女性の人権団体とかに抗議文を送られそうな内容です。
強欲で嫉妬深い婆さんが、強欲ゆえに死んでしまい、欲のない爺さんが亡くなった婆さんの金で出世する。
ちょっと、アイロニーが効きすぎて辛辣な気もしますが、足るを知って欲張らない人間が福を招くという説話でした。
5、終わりに
古典とか、昔話的な話は苦手意識がありましたが、とても良かったです。
古き善き物語を再解釈、再構築する意味。
解説でもありましたが、現代の作家にももっとしてほしい試みですし、そういう物語を読んでみたい気がします。
僕も『吾輩はサンショウウオである』で、文学賞を虎視眈々と狙いたいと思います。
hiro0706chang.hatenablog.com
↓ブログランキング参加中!!良かったらクリックよろしくお願いします!!

にほんブログ村