ヒロの本棚

本、映画、音楽、サッカーなどについて

村上春樹について語ります~その参~

村上春樹について語るの続きです。

前回も書きましたが、時系列順に作品を追って紹介していく試みは色々な発見がありますね!!

時代背景とか、同時期に出した短編集なんかとの関連も興味深かったです。 

 

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ねじまき鳥クロニクル

 

国境の南、太陽の西』を発表してから2年ほど経ってから春樹の代表作のひとつの『ねじまき鳥クロニクル』の第一部、第二部が発表されました。

この作品は、春樹自身がこの時期よく言ってたように「デタッチメントからコミットメント」への萌芽がみられる作品となりました。

 

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 
ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

 

 

今までの春樹は、初期三部作、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のような社会との関わりのない部分で独自の物語を描いてきました。しかし、『ノルウェイの森』の大ヒットで一気に作家としての知名度が高まり、『ダンス・ダンス・ダンス』で今までの集大成のような物語を描いて、今度は社会とコミットメントする必要性を感じたのではなないでしょうか?

 

この作品では、突然第2次世界大戦末期のノモンハンでのソ連軍との戦争の話が出てきたり、残虐な拷問や、処刑の話が出てきます。今まで、現実に起こった戦争を物語に組み込んだのは初めてで、面食らったのを覚えています。

 

しかし、物語自体は今まで以上に個性的な登場人物が主人公の岡田享と関わりながら隠喩に満ちた複雑な展開をしていきます。

不吉な予兆があり、隠喩があり、ついに妻の久美子が主人公の前から消えてしまいます。

 

現実世界でも、非現実的な世界でも巨大な力をワタヤ・ノボルが「悪」として描かれて対決が描かれています。以降、『海辺のカフカ』や、『1Q84』でも「悪」が描かれますが、これだけはっきりとした「悪」を描いたのは『ねじまき鳥クロニクル』が最初だったと思います。

 

1、2部の発表から1年以上経ってから完結編の3部が発表されました。

 

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

 

 『みみずくは黄昏に飛びたつ』で春樹は「最初考えていたラストシーンでは、主人公は溺死するはずだった」らしいです。そんなラスト嫌すぎる。。考え直してくれて良かった。。

 

 

 

アンダーグラウンド』『約束された場所でーアンダーグラウンド2ー』

 

短編集『レキシントンの幽霊』を刊行後、春樹は突如地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集である『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者へのインタビュー集である『約束された場所でーアンダーグラウンド2ー』が刊行されました。

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 
約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

 

 

これまでもエッセイや、紀行文みたいなのも書いていて幅広い文筆活動はしていましたが、社会事件を取り扱ったシリアスなノンフィクションを発表したのは初めてで驚きをもって迎えられました。

 

ねじまき鳥からのコミットメントの動きはこの2冊で頂点に達し、時間をかけて消化されて『1Q84』に活かされました。

 

 

 

スプートニクの恋人

 

村上 春樹がいうところの「短めの長編」の一つで、春樹はこの「短めの長編」で文体に変化をつけたり、1人称を3人称に変えてみたり、様々な事件を試みて次の「長めの長編」に繋げているみたいです。

 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
 

 自身が言っていることですが、この「短めの長編」は不人気なことが多いようですね。

僕は、『スプートニクの恋人』はわりと好きです。

ちょっと奇妙な恋愛の話ではありますが、あちら側とこちら側行き来して消えてしまった大事な人を取り戻しに行く話はオーソドックスな村上春樹の物語だと思います。

 

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。

 

とても、印象的で好きな序文です。

 

今日はここまでで、続きは四に続きます。

【音楽】坂本 龍一『Music For Yohji Yamamoto Collection 1995』~雨音と溶け合うピアノの音色~

音楽を聴く時に、今の自分の気分にベストの音は何なのか悩んで、何回もCDを入れ替えたり、何を聴くのか考え込んでしまうことがあります。

なんか、バカみたいですが、今の自分が求めている音、気分にしっかりあう音楽があるはずなのに見つからないというのがとても歯がゆいのです。

 

季節、時間、天候によっても合う音楽が違ってくると思います。

まぁ、単純に夏のこと歌ってる曲を夏に聴くとか、この曲は夜っぽいとか朝っぽいとかそんな感じです。

DJをやってるせい(最近は、たまーにしかやってませんが)もあるかもしれませんが、そういう音楽のチョイスの仕方をするのがなんとなく好きなのです。

完全に自己満足の世界ですっ(^_^;)

 

本を読む時も季節を意識することがあります。例えば村上春樹だと『ノルウェイの森』は春のイメージで、『風の歌を聴け』は夏、『1973年のピンボール』は秋で、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は冬に読み返すことが多いです。

 

あとは、ワインも、夏は白ワインとスパークリングが飲みたくなるし、秋は軽めの赤ワインで、冬はフルボディの重めの赤ワインが飲みたくなります。

 

 

前置きが長くなりましたが、今日は教授の最高傑作とも言われている坂本 龍『Music For Yohji Yamamoto Collection 1995』の紹介をしたいと思います。

 

Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 THE SHOW vol.7

Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 THE SHOW vol.7

 

 


Ryuichi Sakamoto - Music for Yohji Yamamoto (1995)

 

ヨウジ・ヤマモトのコレクションで使われた音楽らしいのですが、アンビエント+ピアノが果てしなく美しいです。

大学生の時に友達に教えてもらったのですが、以降ずっと好きな1枚です。

収録曲は「BRIDGE」1曲のみで、1曲が35分あります。

 

序盤、静かな立ち上がりでピアノと電子音が入り混じったアンビエントっぽい展開。

不協和音が多く不穏な感じがします。

7分頃からはピアノの音のみで繊細で美しい旋律が流れます。

同じメロディーの繰り返しですが、雨が降り注いでくるイメージがあります。

 

アンビエントっぽいパートと、ピアノの旋律のパートを繰り返しながら徐々に抑制から解き放たれるようにピアノの音色が力強く響いていきます。

 

ラスト付近の音の奔流とも言うべきピアノの音色が降り注いできます。

個人的には、雨の夜にピッタリの曲で、リビングで読書しながら聴いたりしてます(^-^)

オススメです♪

 

【映画】マチネの終わりに

平野 啓一郎『マチネの終わりに』が映画化しました。

原作が好きで前から観たかったのですが、今日ようやく観に行ってきました。

 

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

 

 

去年、映画化の一報が飛び込んできた時に、福山 雅治と、石田 ゆり子が主演と聞いて心の中で、めっちゃガッツポーズしました!!

 

イメージ通りじゃァァァァァァァァ!!!!!!!!!

 

センシティブな感覚と気遣いを併せ持つ薪野と、芯の強さと優しさを併せ持つ洋子はそそれぞれ福山 雅治と石田 ゆり子にぴったりハマると思いました。

 

予告編は夏頃から流れ始めていて、『天気の子』『人間失格』を観に行った時にも『マチネの終わりに』の予告編が流れていて、短い映像で号泣してしまうという「マチネショック」とも言うべき謎の涙腺崩壊がありました。

 

いや、最近の映画の予告編はよくできてますね。今日は、岩井俊二監督の『LAST LETTER』の予告編でちょい泣きしました。

この映画も観に行きたいですね(^O^)

 


映画『「ラストレター」』予告【2020年1月17日(金)公開】

 

 

☆映画のあらすじ☆

 

世界的なクラシックギターの奏者・薪野と、フランスRFP通信のジャーナリスとして活躍する洋子が薪野のコンサートの後のに知り合いメールやスカイプで交流しながらお互いに惹かれあるようになります。

 

しかし、洋子には婚約者がいました。2度目にフランスで会った時に薪野は洋子に対して想いを告げます。

「もし、洋子さんが世界のどこかで死んだら、僕も死ぬよ」

今度、口説き文句で使ってみよう。

洋子は、薪野への返事をスペインでのコンサートの後に伝えることを約束します。

 

スペインでのコンサートで途中で演奏できなくなってしまうトラブルに見舞われる薪野。以後、ギターを演奏家として弾くことができなくなってしまいます。

失意の薪野は、洋子のアパートを訪ねて、洋子の同僚のジャリーラを料理とギター演奏で励まし3人で楽しい時間を過ごします。ジャリーラが寝静まった後に、洋子から想いを告げられ、日本で会うことを約束します。

 

お互いに深く愛し合い、このまま結ばれるように思えましたが、日本でアクシデントと、マネージャーの三谷の行動で二人は決定的にすれ違ってしまいます。

 

2人はこのまま会うこともなくすれ違っていくのか?

薪野は再び演奏できるようになるのか?

気になる結末は劇場で!!

 

以上、世界のヒロでしたw

 

 

☆映画の感想☆

 

このあとは、ネタバレもありですよ!!

薪野のギターの場面から始まりますが、そう言えば福山ってミュージシャンだしでギター上手いし、そういう意味でも薪野役にピッタリだなと納得(今更w)

観客もうっとりと薪野の演奏に聞き惚れますが、周囲の熱狂に反して薪野はステージ上で孤独と違和感を感じてました。

演奏終了後に、虚脱と失望に襲われる薪野でしたが、洋子と会って会話をすることで生気を取り戻します。

彼女は、するどい感性で薪野がステージ上で感じていた感覚の一部を感じ取っていました。

感受性豊かで、知性的な女性は魅力的ですね。

アラフォーになると、外見も大事ですが、感性・知性・品性などの人間性もしっかり見ながら恋愛するようになると思います。

 

演奏会の後の短い会話でもお互いの考え方、知性に徐々に惹かれ合います。

この世代の恋愛って、外見以上にお互いの内面や、人生観などに惹かれるのではないかと思います。

薪野は、洋子の祖母が、陽子自身が子供の頃に楽しく遊んでいたテーブルのような形の石に祖母が頭をぶつけてそれが原因で亡くなってしまったと聞いて、「未来が過去を変える」と洋子の想いを汲むように話します。

ここが、『マチネの終わりに』の良いところだと思うのですが、大人のラブストーリーらしくお互いの思想、人生観、生活歴を尊重し合う繊細な心理描写に溢れています。

 

この時、洋子が40歳で、薪野が38歳ですがこの年齢設定が絶妙でお互いを尊重しながら想い合えるようなラブストーリーの土台になっていると思います。

40代って、微妙な年齢で完成に近づいていく年齢だけど、心の奥底には誰かと分かり合いたい、気持ちを通じ合わせたいって思っている年代だと思います。

20~30代のような真っ直ぐに進める力強さ(良くも悪くも)もないけど、50代のような落ち着きもなく実は揺れ動いてる年代なのではないかと思います。

 

洋子の連絡先を聞いて連絡を取り合う薪野でしたが、フランスで起こったテロ(原作ではイラクですが)で一時連絡が途絶えます。

久しぶりにスカイプ?で会話する薪野と洋子。テロでの出来事から怯える洋子を薪野は冗談も言いながら勇気づけます。

そして、パリで陽子と食事をする約束をするのですが、レストランに向かう洋子(石田 ゆり子)の幸せそうな表情と言ったら!!

先にレストラン(カフェ?)の席に着いていて、窓の向こうに笑顔で手を振る洋子を見た時の薪野のドキドキ具合はヤバかったと思います♪

食事シーンも細かい表情の移り変わりや、薪野の想いの伝え方など素敵なシーンが多かったです。

 レストランで想いを伝える薪野と、揺れる洋子。

でも、この時にどうするかは洋子の中で決まっていたのだと思います。

 

スペインでのコンサートの後に、ジャリーラも交えて洋子のアパートで楽しい時間を過ごしお互いの気持ちを確かめて、日本で再び会うことを約束します。洋子は、婚約者と別れて薪野と一緒になることを決めていました。

口づけをしてお互いに気持ちの高まりは感じますが、そのまま先には進まず。

何というか、この辺のSEXへの考え方というか、距離感というか無理にプラトニックは貫かないけど、しかるべき時が来るまでは時間を置くというか・・・。

原作でもそのあたりは感じましたが、一気に燃え上がって何もかも燃え尽きて破壊するのではなく、燠火のようにずっと熱を持ち続けるような、深く長い時間燃え続ける恋愛感情を感じました。

 

そして、日本でのすれ違い、マネージャー三谷のエゴと過ち。

別れ。

とても、苦しいシーンだし、三谷に対して憎しみを抱いた人も多かったと思います。

ただ、今回映画を観て僕が思ったのは一度この二人には決定的な別れ、距離ができるべきだったのだと思いました。

原作を読んだ時にこのすれ違いのシーンは本当に陳腐で、三谷がウザくて胸が悪くなりました。

 

でも、です。

 

僕が考えるには、この物語の主題は愛は時間と距離と運命を超えられるか、だと思います。

神が2人を試した。

これまで、時間(人生の中で40歳近くで初めて巡り合って、短い時間しか会えなかった)、距離(しかもフランスと日本で遠く離れていた)を超えてきた2人に与えられた試練は重く2人は離れていきます。

 

三谷ぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃ。。。。

 

この後2人は会うこともなく、薪野は三谷と結婚し子どもを授かり、洋子もリチャードと結婚して子供を産みました。

 

 

しかし、洋子とリチャードの結婚生活はほどなく破綻しました。

原因はリチャードの浮気でした。

リチャードに詰め寄る洋子に浴びせられた言葉は過去の薪野との関係をなじる言葉でした。

そうして2人は離婚しました。

洋子はその頃、薪野の復活コンサートのために渡米していた三谷から、2人がすれ違った真実について知らされます。

水をぶっかけるかとも思いましたが自制し、三谷と別れたあとに号泣する洋子。

過去に通わなかった想いがお互いの気持ち以外に阻害したものがあったとしたら?

 

薪野にも同じように三谷からメールが届き、真実を知って動揺する薪野。

水道の水をひねって水を汲もうとしますが、封印していた想いが強すぎて嗚咽しながら涙を流し続けます。

 

それから数ヶ月の時が流れて、薪野はNYでの復活コンサートに出かけます。

三谷は、薪野に対して「あなたの好きにしてください」と言って送り出します。

女子は「あざとい」と言うかもしれませんが、三谷は薪野に判断を委ねます。

 

三谷の行動によって時間と距離に加えて、「運命」の乖離を与えられた2人。

成功に終わったコンサートの最後、マチネの終わりに2人にとって特別な曲「幸福の硬貨」を洋子だけにわかるメッセージを添えて演奏します。

未来は過去を変える、と劇中何度も記されたメッセージを。

 

コンサートの後、2人が自然と惹かれあうように再び出会って、お互いの時間と距離と運命を超えて走り寄るシーンで終わります。

目が合ってから、お互いの姿を認めて、惹かれてもどかしくて求め合う。

こんな複雑で想いに満ちたシーンを表現した2人は素晴らしい役者だと思います。

 

改めて、この作品で伝えたかったことは、想いは時間を、距離を、運命を超えられるか、だと思います。

薪野と洋子は、時間を超えました。

それは、今まで人生の半分と言っていい時間を出会わずに過ごしたある意味での「空白」を。

 

距離を超えました。

日本とフランス。何万キロも超えてお互いを求め合って。

 

運命を超えました。

三谷の行動や、師匠が倒れたことなどによって起きたすれ違いを。

 

それは、真実の愛は全てを超える、ということなのではないでしょうか。

 

マチネの終わりの後にお互いの存在を確かめあった2人はもう2度と離れることはないのだと思います。

 

 

最後に、冒頭のシーンで走ってる洋子が足を止めて、平らな石を見つめて微笑むシーン。

ラスト近くに薪野の復活コンサートを観に行く途中のシーンだと思うのですが、ウキウキ感が全開ですね(笑)

そして、子供の頃にままごとをしていた自身の実家にある平らな石が、祖母を殺してしまったという「過去」を今ここで幸福な思い出(薪野に再び愛する人に会いに行ける)という「未来」で塗り替えることができたという象徴的なシーンだったのではないかと思います。

 

いやー、とてもいい映画でした!!

原作も久々に読み返してみたいと思います♪

劇中に流れる音楽もとても良くて、サントラも欲しくなりました☆

 

 

映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック

映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック

 

 

中村 文則『遮光』ー世界からはじかれた存在の物語ー

中村 文則の第2作『遮光』の書評です。

この小説を簡単に言ってしまうと。

 

暗い。

とにかく暗い。

そして、狂ってる。

以上。

 

みたいな小説です(笑)

いや、大好きなんですけどね♪

 

 

遮光 (新潮文庫)

遮光 (新潮文庫)

 

 

 

あらすじ&使用上の注意

 

もし、読書好きの女子とカフェデートなんかして好きな本の話になったとします。

相手の女の子が江國香織さんとか、恩田陸さんとか、小川糸さんとか好きで、彼女が好きな本でひとしきり盛り上がったあとにあなたが好きな本を聞かれたとます。

「○○くんは、どんな本が好きなの?」

「えっ、俺?そうだなぁ。中村文則とか好きだよ」

「あっ、なんか聞いたことあるよ。確か芥川賞とか獲った人だよね?なんかオススメの本とかある?」

「うーん、そうだなぁ・・・。『遮光』とか好きだよ・・・」

「へー、どんな本なの?」

「えっとね。虚言癖がある青年が主人公でね。とにかく自分の自覚がなく特にメリットもない嘘をついて、本当のことと区別がつかなくなるような病的な嘘つきが主人公なんだ。この主人公が子供の時に両親を事故か何かで亡くしてしまって、裕福な人に養子として引き取られるんだけど、両親の爪や髪の毛を大事に箱にしまっておくちょっと歪んだ性癖を持った子供になっちゃうんだよね」

「へ、へーそうなんだね。なんか、友達少なそうな人だね」

「いや、それが演じるのがとても上手で、病的な嘘つきであることないことを面白おかしく言うもんだから、うまく世間に溶け込んで友達も多いし、口がうまいから女の子にもそれなりにモテちゃったりするんだよね。でも、美紀っていう彼女ができて、最初は演技で彼女が喜ぶようなことを言ったり、したりしていたんだけどある出来事があって、彼女のことを本当に愛していることに気がつくんだ」

「あっ、そういう話好きだよ♡真実の愛が、歪んだ人の心を救うんだね」

「いや、ところが物語がスタートした時点で美紀は事故で死んじゃってて、主人公は美紀の遺体から小指を切断して、瓶に入れて持ち歩くんだよ。しかも、周りの友人には美紀は生きててアメリカに留学に行ったって嘘をつき続けてるんだよ。そして、ラストシーンには大きなカタストロフィが待っていて、ついに主人公は美紀の指を・・・」

「わ、私用事を思い出したから帰るね!!それじゃ、また!!(コイツやべー奴じゃん!?)」

 

↑ってなことになってしまうので要注意ですよ(笑)

 

 

 

「太陽(世界)」からはじかれる

 

僕は、正直この作品はそこまで好きではなかったのですが、今回ブログを書くにあたってざっくり読み返していたら、この小説の新たな魅力に気付いて好きになりました。

 

作者の文庫版のあとがきにもありましたが、この後の作品にも共通して流れているテーマ、「逸脱した存在になってしまった個人の生きにくさ」みたいなものの源流があるように思います。

 

この共通したテーマがあるからこそ、近作でミステリー色が強い作品が多くなったり、教団XやR帝国など宗教や国家の陰謀、悪との対峙などスケールが大きな作品になっても、中村文則の文学性は絶えず作品中に流れていたのではないかと思います。

 

あの時私は、太陽を睨めつけていた。太陽はちょうど水門の真上にあり、酷く明るく、私にその光を浴びせ続けていた。私はそれを、これ以上ないほど憎み、睨めつけていた。その美しい圧倒的な光は、私を惨めに感じさせた。この光が、今の私の現状を浮き彫りにし、ここにこういう子供がいると、世界に公表しているよな、そんな気がしたのだった。私はその光に照らし出されながら、自分を恥ずかしく思い、涙をこらえた。 

 

太陽から、暖かく光り輝く「世界」から決定的にはじかれている。

『遮光』というタイトルにもこのはじかれている側の想いが詰まっていると思います。

 

どうせ「世界(太陽)」からはじかれるなら、こちらからも光を遮ってやろう。

誰も自分の核に触れさせたくない。

深い闇を抱えて、安寧の中を生きたい。

 

昼の光に、夜の闇の深さがわかるもんか。

 

村上 春樹が『風の歌を聴け』で引用したニーチェの言葉です。

『銃』『遮光』では、最後にカタストロフィが描かれていますが、『掏摸』『悪と仮面のルール』あたりからはラストにひと握りの希望が描かれています。

中村文則は、太陽からはじかれた側の人間に光をあてて寄り添う作家なのだと思います。

 

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必然的な破滅と永遠の救済

 

この作品に救いはありません。

主人公は破滅することでしか、美紀とひとつになることができませんでした。

ラストのカタストロフィは偶然のものではなく、主人公が美紀が死んで彼女の指を手に入れてから定められていたように思います。

作者の中村文則も、文庫版のあとがきで次のように言ってます。

 

ラストがああいうふうになったのは、今読み返すと、必然だったと感じる。主人公があの瓶と共に完全な世界に入るには、人生からも、完全に離れなければならなかった。

 

今まで2回読んだ時は、ラストシーンの意味がわからず首をひねりましたが、こうなることでしか主人公の魂は救われることはなかった。

愛する人達を2度にわたって喪い、傷ついた彼の魂が癒されるためには「世界」と決別し、光を遮って、愛する人達の体の一部を自分の中に入れるしかなかったのです。

死んだ両親の髪や爪を子供の頃に持ち歩いていた主人公は漠然とこうすればずっと一緒にいられると思っていたのかもしれません。

作中では口に含んだの描写で終わっていますが、間違いなく主人公は美紀の指を食べたのだと思います。

 

 

カニバリズム・永遠に一つになること・ソーニャを亡くしたラスコリーニコフ

 

このくだりを読んで、大学時代に現代国語の講義で、『ひかりごけ』についての講義を受けたことを思い出しました。

ひかりごけ』は未読ですが、難破船事故にあって遭難した乗組員が食料がなくなって死体を食べる話で、その乗組員達が生きて帰ってから裁判になるみたいな話だったと思います。

こんなエグい話をよく取り上げるなと思いましたね。

その先生は、かなりの変人でしたが授業はかなり面白かったです。

その授業の中でカニバニズムについて触れて、「セックスの最中に相手を噛みたくなるのは、相手を食べてひとつになりたいからだ」と言っていてなるほどなーと納得しました。

主人公が美紀の指と一体になろうとしたのもそのような人間の本能的な行動なのかもしれませんね。

 

私はこれから、美紀とずっと一緒にいることができた。他のどんなことも、もう私には関係なかった。私は、自分に訪れた圧倒的な無関心を、快く受け入れた。私の感情は、毛幹のことだけに開かれていた。美紀は私の全てだった。

 

もし、美紀が死ぬことがなく主人公と結ばれていたとしたら・・・。

美紀は主人公にとってのソーニャになり得たかもしれません。

この物語は人生を変えるはずの出会い、かけがえのない存在を失ってしまった人間の物語でもあったのでしょう。

 

 

村上 春樹『風の歌を聴け』

村上 春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の書評です。

 初夏がくると読み返したくなる大好きな作品の一つです。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 僕が『風の歌を聴け』を読んだのは確か大学1年生の時でした。

予備校時代に『ノルウェイの森』を読んで次に手にしたのが『風の歌を聴け』で『ノルウェイの森』ほどのインパクトは受けませんでしたが、独特の乾いたクールな世界観の虜になりました。

当時、横浜に住んでいましたが、なんとなく元町あたりの町並みをイメージしてました。

 

ストーリーがどうとか、テーマがどうとか言うより文章のリズム、会話のテンポの良さに惹きつけられた気がします。

 

「何故本ばかり読む?」

 僕は鯵の最後のひと切れをビールと一緒に飲み込んでから皿を片付け、傍に置いた読みかけの「感情教育」を手に取ってパラパラとページを繰った。

「フローベルがもう死んじまった人間だからさ」

「生きてる作家の本は読まない?」

「生きてる作家になんてなんの価値もないよ。」

「何故?」

「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな」

この会話のシーンもテンポが良くて、シニカルな感じがします。

こういうセリフ回しをさせる作家はあまりいないように思いますね。

 

鼠、ジェイ、左手の指が4本しかない女の子。

それぞれ何かを抱えた人達が主人公の「僕」と交わり、すれ違っていきます。

長い一生からしたらわずかの一瞬ですが、何かを共有し、少しだけ分かり合いながら離れていきます。

そしてお互いの距離は開いていき、会うこともなくなっていく・・・。

何というか独特の物悲しさが全編に漂っていて、手にしたものが全部自分の手をすり抜けてこぼれ落ちていくみたいなイメージを受けました。

 

風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』で登場する(後半の2作では死んでますが。。)「僕」の相棒的存在の「鼠」ですが、実は直接会って会話してるのは『風の歌を聴け』だけだったりします。

なんだか意外な気がしますね。

この2人の関係性も好きです。

僕の大学時代の親友と僕との関係性みたいだなと思って読んでました。

センシティブで思い込みが強い鼠は、大学時代の僕みたいな奴です。フィアットには乗ってなかったけど。

 

この本を読んだあと、読後にはいつも言いようのない喪失感にとらわれます。

村上春樹の作品(特に初期)全般に言えるかもしれませんが、気付かないうちに何かを失ってしまって2度と取り戻せないみたいな気持ちになることがあります。

 

あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。

僕たちはそんな風にして生きている。

 

そう、あらゆるものは通りすぎていきます。

どんなに愛し合って分かり合って許しあっても、たくさんの時間や思い出をを共有しても、どんなに情熱を注いで何かを成し遂げたとしても。

傍らにいた人は気がつくとどこかに離れていってしまう。

あとには、行き場のなくなった思いや感情が何かの傷跡のように生々しく残るだけかもしれません。

 

なぜこんなにも喪い続けて、すれ違い続けていくのか?

ボブ・ディランの歌じゃないですが、答えは風の中でしょうか。

 いつもそんな想いに囚われながら本を閉じます。

 

原色の狂気【映画】ゴッホ最後の手紙


映画『ゴッホ ~最期の手紙~』日本版予告編

以前から、ダリとかシャガールが好きだったんですが、ここ最近以前にまして絵が好きになって美術館に足を運んだり、画集を眺めたりしてます

愛媛では、なかなか大規模な展覧会はないのですが、川端康成東山魁夷の展覧会とか川端の美に対する考え方を理解できてとても興味深かったです。

彼の小説の世界観と「美への意識」は密接に関係していると思いました。

 

話は逸れましたが、少し前に観た映画「ゴッホ最後の手紙」について。

世界的に有名な画家ゴッホですが、彼の死には謎が多く、その謎に迫る映画になっています。

 

ゴッホに興味を持ったのは、平野啓一郎『空白を満たしなさい』、中村文則『糸杉』(短編『A』収録)で彼の作品に惹きつけられたからでもありました。

 

 

空白を満たしなさい(下) (講談社文庫)

空白を満たしなさい(下) (講談社文庫)

 

 

 

A (河出文庫)

A (河出文庫)

 

 

 

ちなみにゴッホの作品の中では「糸杉」「星月夜」「ローヌ川の星月夜」「秋のポプラ並木」「種まく人」「花咲くアーモンドの木の枝」そして、「カラスのいる麦畑」がとても好きです。

中期から後期はうねるような独特の力強いタッチが特徴的ですね。

絵画から情念が迸るようです。

 

ゴッホ 最期の手紙 (字幕版)

ゴッホ 最期の手紙 (字幕版)

 

 

愛か、狂気か。

orじゃなくて、andかもしれませんね。

愛と狂気。

 

この映画の特徴は何といっても前編ゴッホの作品の世界をゴッホの筆致を真似描いて前編アニメーションのようにして作った作品だということです。

その油絵の数がなんと・・・、6万枚!!

参加した画家の数が125名!!

いやもうゴッホじゃなくて、この映画が、「愛か、狂気かですね(笑)」

 

ストーリーはゴッホの死後1年後、ゴッホの弟のテオ宛の手紙を託された郵便配達人(ゴッホの絵にもなってる髭の人)の息子アルマンがゴッホの死の謎をめぐる旅にでるという話です。

 

ストーリーとかより、とにかくゴッホの絵画の世界にぐんぐん引き込まれて、白昼夢を見ているような恐怖に近い没入感がありました。

あるべきではない世界を見ているというか・・・。

ゴッホの絵画の世界観にとらわれてそのまま戻れなくなってしまうような強烈な引力がありました。

この映画観た後、しばらく映画の場面がずっと頭の中をぐるぐる回っててヤバかったです(^_^;)

 

なんせ、ゴッホの名画たちがぐにぐにアニメーションのように動くんです!!

インパクトでか過ぎです。

 

有名なゴーギャンと喧嘩する場面などが、関係者の回想シーンのような形で流れていきます。

そして、アルマンはゴッホの最後の真相にたどり着く・・・。

 

続きは、劇場で!!

 

じゃなかったDVDで!!

村上 春樹について語ります~其の弐~

こんにちは☆

今日は休みで、掃除、洗濯等々家事を一通りしてからこのブログを書いてます。

ブログ始めて6日目ですが、改めて自分の文章力の無さを痛感しております(^_^;)

自分の文章には致命的に構成力が欠落しているように思います。

なんだか書いてるうちにワケがわからなくなってくる感じが。。

 

ツィッター、ブログで書評を書いている皆さんの文章力、作品に対しての深い洞察力には畏敬の念を抱きます。

自分がいかに直感的・表層的に読書していたかを思い知りました。

いや、まぁそれでもいいのかもしれませんがこういったブログを書いてると如実に現れますね(>_<)

 

 

さて、村上 春樹についての続きです。

前回、嵐の夜に燕の巣を取りに行くところまで・・・、ではなくて『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』まで書きました。

羊をめぐる冒険』のあとに『中国行きのスロウボート』、『カンガルー日和』、『蛍・納屋を焼く』の短編集も刊行されました。

 

 

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

 

 

 

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

 

 

 

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

 

 村上春樹の作家活動は、長い長編(上下巻のもの)、短めの長編(1冊のもの)、短編、エッセイ、紀行文・ノンフィクション、翻訳と幅広くいろんな仕事をすることで長い長編を書くエネルギーを蓄えて、そろそろというタイミングで長い長編を書くそうです。

 

最近は、ラジオ番組もやったりして話題になっていましたね。

長い長編を書くときには自分のタイミングがあるらしく、書き下ろしの仕事しか受けないとのことでした。

村上春樹の真骨頂といえば予想不能なストーリーで引き込んでいく長い長編作品だと思いますが、不思議でユーモアな話が多い短編も良いです!!

 また、短編集で長編の実験をしていることも多く、短編の『蛍』が元になって『ノルウェイの森』を書いたりしているそうです。

 

回転木馬のデッドヒート』、『パン屋再襲撃』の刊行を経て、1987年にノルウェイの森が発表されます。リアリズムの文体にリアリズムの物語を乗せた村上春樹の最大のベストセラー作品になり累計1000万部を超えました。

羊男もやみくろも出てこない100%リアリズムで、彼の作品の中では異色だと思います。

 

 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 

 其の壱でも触れましたが、個人的に初めて読んだ村上春樹の作品で、思い入れがあります。喪失感を抱えながら、生と死の狭間を生きる主人公の心情が叙情的に描かれています。

単純に恋愛小説と呼ぶには入り組んだ物語ですが、学生闘争の時代を背景に直子と緑の2人の女性との関わりを通して主人公のワタナベが19歳という多感な時期を「くぐり抜けていく」物語だと思います。

村上春樹の作品でよく感じますが、物語を通して自己実現や成長を描くのではなく、「通り抜ける」ことで何かを失ったり、変化したり、何かを決定したりすることが描かれていると思います。

直子はキズキのいる「死の世界」を選び、ワタナベは直子とキズキのいる「死の世界」から緑がいる「生の世界」に戻ってくる。

なんとなく、伊弉諾と伊佐波の黄泉比良坂の話を思い出すのですが、この作品でも村上春樹の長編作品でよく描かれる「こちら側とあちら側」が描かれている思います。

 

ノルウェイの森が大ヒットして社会現象にまでなったらしいのですが、当時村上春樹はヨーロッパに住んでいて、狂乱に巻き込まれずに良かったみたいなことを言ってました(笑)

 

ノルウェイの森』からわずか1年で発表された次の長編が『ダンス・ダンス・ダンス』でした。

通常、長めの長編を発表した後はしばらく他の仕事に取り掛かるのですがこの時は短いスパンで長編を書いています。

 

 

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

 
ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

 

 

 

ノルウェイの森』から一変、初期3部作の「僕」のその後を描いた作品で、ファンタジー全開の王道な春樹作品だと思います。初期の集大成とも言うべき作品で、北海道、東京、ハワイと舞台を変えながら個性的な登場人物がゾロゾロ出てきます。

 

 「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない」

 

印象的なセリフが多い『ダンス・ダンス・ダンス』ですが、踊り続けなきゃいけないっていうこのセリフが特に印象に残りました。

 

様々な出会いがあり、「僕」は状況に流されるままに導かれるままに物語の核心に迫っていきます。

たくさんの人との別れがありましたが、最後は希望を感じさせるラストでした。 

 

 その後、短編集『TVピープル』を刊行し、1992年に『国境の南、太陽の西』を発表します。この作品もノルウェイの森と同じく100%リアリズムの作品で、この時期の春樹はファンタジー色の強い作品と、リアリズムの作品を交互に発表しています。

 

 

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

 

 子供の頃にずっと一緒にいて淡い恋心を抱いていた女の子と再会する話ですが、お互い大人になっていろんな経験もしていて、主人公は結婚もしていてみたいな話でした。

春樹自身も言っていましたが、1冊で終わる長編はあまりインパクトがない作品が多いですし、読者にも評判はイマイチのようですね。

良い作品ですが、物語の深い深い奥底まで読者を誘い込んでいくような魅力は残念ながら乏しいようです。

(あっ、でもスプートニク、田崎つくるとかも好きですが)

まぁ、他の長い長編がぶっ飛びすぎてるんだと思いますがねw

 

とりあえず其の弐は以上で続きます。

時系列順に作品を追っていく作業も発見があって楽しいですね。

なかなか短編作品には触れきれず歯がゆいですが(^_^;)

春樹の作品もそのうち個別に書評を書きたいです。