1、作品の概要
1908年に東京朝日新聞に連載された。
夢にまつわる10編のショートショートで、夏目漱石には珍しく、ファンタジーな作品。
『三四郎』と同時期に執筆された。
2、あらすじ
第一夜
死ぬ間際の女性に「百年待っていて下さい」と言われる。女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。やがて・・・。
第二夜
「侍なのに無を悟れていない」と和尚に馬鹿にされた自分は、悟りを開いて和尚を斬るか、悟りを開けず切腹するかの二択を自らに課し、悟りを開くため無についてひたすら考える。
第三夜
田圃道を子供をおぶって歩いている。子供は目クラである。あぜ道を行くうち、子供は周囲の状況を次々と当て始め、恐ろしくなった自分は子供を放り出して逃げることを考える。道はいつしか山道へと入り、やがて一本の杉の木の前に辿りついた。
第四夜 禅問答のような会話をしながら酒を飲んでいる爺さんが一人。取り出した手ぬぐいを蛇に変えると言う。やがて、爺さんは「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と言いながら川の中に入っていく。
第五夜
太古の昔、戦に敗れた自分は、死を選択する。最後に恋人に会いたいがため、大将は鶏が鳴くまで処刑を待ってくれる。恋人の女は馬を駆って陣を目指す。
第六夜
運慶が仁王像を彫っている。その姿を見物していた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞く。自分でもやっていようと木を持って帰るが・・・。
第七夜
とにかく舟に乗っているのだが、乗っている理由がまったく分からない。不安になり水夫に話を聞くが、要領を得ない。ホールでピアノを弾く女性を見ているうち、むなしくなった自分は海に身を投げることを思いつく。
第八夜
床屋に入り、鏡の前に座っていると、鏡の中を様々な人物が通り過ぎてゆく。
第九夜
母は幼い子を連れ、夫の無事を祈って百度参りに出かける。子供を拝殿に残し、お参りを続ける母。
第十夜
庄太郎は水菓子屋で会った女に崖に連れて行かれ「ここから飛び降りろ」と言われる。拒否した庄太郎に、何万という豚が襲いかかる。
3、この作品に対する思い入れ
大学時代に読みました。
20歳の時、北海道を旅した時にこの本を繰り返し読みました。
意味はよくわからないけど、インスピレーションにみちた作品だと思いました。
幻想的で、夜のざらりとした感覚。
すごく印象的で、好きな作品です。
4、感想・書評
10篇それぞれに夢幻の世界を語り、泡のように消えていく。
夜のざらりとした感触。
めくるめくイメージの世界です。
夏目漱石の作品の中でとても幻想的で実験的な作品だと思います。
アコギで弾き語りをしていた人が、急にテクノやりだしたぐらいのインパクトはあったのでは??
ゆずが急にパフューム的になってみたいな??
一番好きなのは第一夜ですね。
とてもリリカルでファンタジー。
素敵MAXですね!!
「百年私の墓のそばに座って待っていてください。きっと逢いに来ますから」
第三夜は怪談のように薄気味悪い話ですね。
薄暗い山道が目に浮かぶようです。
第五夜は太古の昔の話で、処刑される私に会うために女が馬で駆けるが、あまのじゃくに騙されて命を落とす。
唐突にあまのじゃく!?
まぁ、夢の話ですしねぇ(^_^;)
最後の一文がまた不思議な印象を受けます。
ひづめの跡はいまだに岩の上に残っている。鶏のなく真似をしたものは天探女(あまのじゃく)である。
このひづめの痕の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵である。
第七夜は、わけもわからずに大型客船に乗っていたが、心細くなり海に身を投げる話です。
夜の船から見る海はとても暗くてあてがなく、ここから落ちることを想像するとぞっとします。
いくら叫んでも誰も助けてはくれず暗い海をさまよう・・・。
最後の一文が淡々としていて怖いです。
無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波のほうへ静かに落ちていった。
5、終わりに
とても短くつかみどころのない話ばかりですが、妙に印象に残る話が多いです。
夢を題材にしているので、なんの脈絡もなく不条理な世界に放り込まれる感じが、何とも頼りなく不可思議でクセになる作品です。
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