1、作品の概要
村上春樹の第3作目の長編作品です。
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』の「僕」と「鼠」の物語。
初めて書いた文庫本で上下巻になる「長い長編作品」で、それまでジャズバーを経営しながら小説を書いていましたが、店を人に譲り専業作家として本腰を入れて書いた意欲作です。
野間文芸新人賞を受賞しています。
この長い長編を書いたことで、新人が描く中編小説という芥川賞の候補から外れ、後に村上春樹が世界的な作家として評価されたため、「芥川賞最大の取りこぼし」と揶揄されたようです。
2、あらすじ
1978年、あと数ヶ月で30歳になる「僕」は、妻と離婚し、ぼんやりと時をすごしていた。
妻と別れた後に「僕」はとても素敵な耳の女性と仕事を通じて知り合い、付き合うようになる。
ある日、会社の共同経営者から呼びだされ、羊の写真を使った広告で右翼の大物で広告業界で力を持った人物との間にこの広告のことでトラブルが起こっていることを知らされる。
羊の写真は、鼠が手紙とともに送りつけてきたもので「僕」にできれば何かの形で世の中に公表して欲しいと頼まれていたものだった。
その人物の屋敷に呼び出された「僕」は秘書の男とのやり取りから、背中に星を背負った特殊な羊を探すことになる。
素敵な耳と、不思議な能力を持つガールフレンドの助けを借りて東京から北海道に舞台を移し、「僕」の20代最後の羊をめぐる冒険が始まる。
先生、秘書の男、宗教的な運転手、いるかホテル、羊博士、羊男。
奇妙な空間、奇妙な人物との出会いを重ねながら「僕」は鼠の足取りを追い、導かれるように「ある場所」に辿り着く。
そこで「僕」を待っていたものは?「僕」は鼠に再会して、羊を見つけ出すことができるのか?
3、この作品に対する思い入れ
『ノルウェイの森』を読んで、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を読んで、『羊をめぐる冒険』を読みました。
それまで、リアリズムの作品が好きで純文学を好んでいたので、ファンタジー要素がある作品は避けていたのですが、この作品を読んで村上春樹の物語の世界にどっぷりハマっていったように思います。
20代前半頃初読しましたが、主人公が年上の時期に読んだ時と、主人公と同じぐらいの歳に読んだ時と、主人公よりだいぶ年上になって読んだ現在とでは作品の印象が変わったように思います。
僕は現在42歳で、29歳というと13年前になります。
改めて数字に置き換えてみるとずいぶん遠くまで来たんだなと感じますし、「僕」の言動に若さ・尖った印象を受けます。
僕もオッサンになったんですねぇ(笑)
好きな作家の作品って、ある意味で人生のマイルストーンのような存在なのかもしれませんね。
4、感想・書評(ネタバレあります!!)
①「僕」の離婚・素敵な耳を持つガールフレンド
物語は『1973年のピンボール』の5年後、1978年に始まります。
「僕」はあと、数ヶ月で30歳になる年齢です。
節目の年ですね。
20代は進学して、就職して、一人暮らしが始まったりと、誰しもが激動の時代だと思います。
気がづくと30代が目前で、今まで嵐のように起こった色々なことを振り返ってみるそんな時期なんだと思います。
若さだけで突っ走った20代から、少し落ち着いてくる30代。
29歳という年齢はひとつのキーワードになっているのではないかと思います。
青春時代に対してひとつのピリオドを打ち、円熟に向かう。
人生におけるそんな時期にする「冒険」の物語なのだと思います。
冒頭に大学生時代のガールフレンド(?)だった、「誰とでも寝ちゃう女の子」の話が描かれて、その葬式に出るとことから始まるのも、20代の青春の思い出とその終わりを描写しているのかな、と思います。
前作の事務の女の子と4年前に結婚した 「僕」でしたが、妻が「僕」の友人と浮気をしてしまい離婚することになります。
「本当のことを言えば、あなたと別れたくないわ」としばらくあとで彼女は言った。
「じゃあわかれなきゃいいさ」と僕は言った。
「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」
彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、彼女の言いたいことはわかるような気がした。
昔のガールフレンド(?)の死、離婚。
冒頭から喪失感MAXです(^_^;)
それからも「僕」はたくさんの物を失っていきます。
親友、仕事、ガールフレンド・・・。
「僕」の中には、人を惹きつける何かがありますが、妻のようにみんな彼を通り過ぎていってしまいます。
妻と別れた1ヶ月後に、「ほっそりとした素敵な体と魔力的なほどに完璧な形をした一組の耳を持った」女性と仕事を通じて知り合い、恋人関係になります。(いや、別れたばっかではえーなー)
彼女はアルバイトの校正係であり、コールガールであり、耳のモデルでもありました。
彼女の耳は不思議な能力を持っていて、彼女の能力は「僕」を大いに助けることになります。
②「先生」とその秘書・羊のこと
鼠が手紙と同封した羊の写真を、「僕」が広告に使ったことで「先生」とその秘書の目に止まり、「僕」は共同経営者に呼び出されます。
「僕」「共同経営者」「事務の女の子(別れた妻)」の3人で仲良く翻訳事務所をやっていたころを懐かしく話され、彼から離婚のことを残念に思う旨を伝えられます。
彼は、あの頃から仕事内容が変化して時代が流れて状況が変わっていっていることに戸惑いを感じて、酒に溺れるようになっていっていました。
「僕」と事務の女の子が結婚して一緒にいることは、彼にとって過ぎ去った暖かい思い出のように思えていたのでしょう。
そいうやって物事が過ぎ去っていくことに対して、混乱しているようにみえます。
それから「僕」は運転手つきの車で「先生」の屋敷へ呼び出されて、黒いスーツを着た秘書の男と取引をし、1ヶ月以内に「背中に星を背負った特殊な羊」を捜す旅に出ることになります。
冒険の始まりです。
これ以降、リアリズムの物語に少しずつ非日常が入り込んできて少しずつ物語が変容していきます。
秘書の男ははっきとした「悪」とは描かれていませんが、ねじまき鳥以降描かれる「悪」の原型のように思える、「僕」と鼠の敵対者として描かれます。
『羊をめぐる冒険』は、これ以降の長編作品に共通する「悪との対峙」「歴史とのつながり」「何かを探す」「旅・移動」「主人公を助ける女性」「妻・彼女が突然去る」などのキーワードが散りばめられていますね。
いろんな要素を増やしながら、村上春樹の作品は進化を続けていますが、この作品でしっかりとした物語の骨格を確認することができます。
この男、現実的なようでもったいぶった口上で回りくどい話をしたりして、独特の歪みと明晰さを併せ持った人物ですね。
「僕」と秘書の男とのやり取りのシーンも面白いです。
③ねずみからの手紙
屋敷での場面の間に、鼠から届いた2通の手紙の回想が挟まれています。
事の発端はこの手紙に同封してあった羊の写真にあったわけですが、それ以外にも鼠が街を出る時にさよならが言えなかったジェイと鼠の彼女にお別れを告げて欲しいと頼まれます。
街に帰りますが、実家には寄らずにホテルに泊まり、家族についてはほとんど触れられません。
『海辺のカフカ」あたりまで不自然なぐらい主人公の家族について語られることがないですし、名前も出てこないのがちょっと不思議な感じですね。
帰郷のシーンではジェイとの再会が描かれて、店の移転、客層、店の雰囲気の変化が描かれています。
時代は流れて過ぎ去っていく・・・。
僕は、ジェイに言います。
「いや、そういう問題じゃないんだ。つまりね、生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供達が成長し、世代が交代する。それでどうなる?もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードの出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺される。それだけのことじゃないか」
かつて鼠と2人で眺めた海は埋め立てれて、投げ捨てた空き缶を警備員に咎められます。
10年前よりタフじゃなくなった自分を認識する「僕」。
これでもかと言わんばかりに時が流れて変化した物事が描写されます。
この頃の村上春樹の作品はまさにデタッチメントですね。
一億総中流、高度経済成長期、デジタル化(レコードからCDへ)いけいけドンドンで変化して成長を謳う時代の空気に、春樹自身も戸惑いを感じていたのではないでしょうか?
この作品を執筆した頃、村上春樹も「僕」と同じ年齢で、1人称の物語がリアリティーを持って描けたのではないでしょうか。
④東京→北海道・いるかホテル・羊博士との邂逅
最初は北海道に行く気がなく投げやりな態度の「僕」でしたが、ガールフレンドは北海道行きに乗り気で、彼女に背中を押すようにして「僕」は北海道に行くことを決意します。
北海道に着いてから上巻が終わり、下巻が始まります。
下巻は移動しながら羊と鼠の行方を追う謎解きの展開です。
それまでのリアリズムな展開から徐々にファンタジー要素が強くなってきます。
札幌まで飛行機で移動して、今夜泊まる宿を探しますが、ガールフレンドが直感的に「いるかホテル」を選びます。
この村上春樹のネーミングセンスは面白いですよね。「いるかホテル」に、猫の「いわし」(笑)
ほうぼう探しますが、実は最大の手がかりは「いるかホテル」の中にあり、オーナーの父親が通称・羊博士で、背中に星を背負った例の特殊な羊のことを知っていました。
この辺の点と線の繋がり方が絶妙で会話のテンポも早いのでぐいぐいと物語に引き込まれていきます。
また、羊博士のキャラも濃いですね(笑)
羊博士との会話で羊の持つ力の一端と、どこからやって来たのかが明らかになってきます。
羊は満州で羊博士の体の中に入り、日本に渡ってきたのでした。
羊博士のあとに「先生」の体内に入って政治・経済・情報の中枢を掌握したのでした。
「羊の求めているものは何ですか?」
「さっきも言ったように、残念ながら私には言葉でそれを表現することができない。羊の求めているのは羊的思念のの具現だとしかな」
「それは善的なものですか?」
「羊的思念にとってはもちろん善だ」
「あなたにとっては?」
「わからんよ」と老人は言った。「本当にわからんのだ。羊が去ったあとではどこまでが私でどこまでが羊の影なのか、それさえもわからないんだ」
「あなたがさっきおっしゃった打つべき手というのはどういうことなのですか?」
羊博士は首を振った。「私は君にそれを言うつもりはない」
羊とは一種の神とか悪魔などの存在に近い思念体なのでしょうか?
羊は、人間が持つ善悪の観念とはまた別の次元の観念を持った思念体なのでしょう。
羊が抜けると思念だけ残されますが、羊なしには思念を放出できない状態になり、地獄のような「羊抜け」の状態になるようです。
打つべき手とは、最後に鼠が取ったような手段のことだったのでしょう。
⑤物語の終着点・彼女の消滅・羊男の登場
2人は、羊博士に教えてもらった羊博士の牧場がある十二滝町を目指します。
札幌からさらに北へ。
ちなみに十二滝町のモデルは北海道の美深町みたいですね。
余談ですが、僕は大学時代に青春18切符で札幌から礼文島まで鈍行電車で旅をしたのですが、その時に美深町を通過していたみたいです(^-^)
このあたりは森が深くてめっちゃ何もないところでした。
十二滝町から牧場と別荘まで、緬羊管理人の車で移動する2人。
ついに物語の終着点の牧場と鼠の父親が所有する別荘にたどり着きます。
ガールフレンドに料理を作ってもらっている間に少し眠る「僕」でしたが、鍋の中にシチューを残してガールフレンドは忽然と姿を消してしまいます。
親しい人物がなんの連絡も、書置きもなく突然いなくなる。
村上春樹の小説で繰り返し出てくるシーンですね。
そして「僕」は取り乱して彼女を追いかけることもなく、彼女が去ったことを理解し、受け入れます。
別荘で生活しながら鼠を待つ「僕」でしたが、唐突に羊男がやってきます。
羊男!?
羊博士の次は羊男です(^_^;)
ガールフレンドは混乱していて、羊男が帰るように助言したとのことでした。
羊男は言います。
「そうだよ。あの女はここに来るべきじゃなかったんだ。あんたは自分のことしか考えてないんだよ」
僕はソファーに沈み込んだままウィスキーをなめた。
「でもま、それはいいさ。なんにしても終わっちまったんだものな」と羊男は言った。
「終わった?」
「あんたはあの女にはもう2度と会えないよ」
「僕が自分のことしか考えなかったから?」
「そうだよ。あんたが自分のことしか考えなかったからだよ。その報いだよ」
確かに別荘に入った時に彼女が頭痛を訴えたりして、不調を訴える描写もありました。
何か超常的な霊的な何かが、彼女の鋭敏な感覚に不快なものとしてキャッチされたのかもしれません。
⑥鼠との再会・物語が閉じる時
羊男とはどんな存在でしょうか?
彼が鏡にも写ってないことを考えても、ただの羊の着ぐるみを着た男ではなく、羊と人間の意識が融合した妖精だか、妖怪のような存在のようです。
羊男は鼠のことも、背中に星がある羊のことも知らないと言いますが、あからさまに怪しいですね(笑)
奇妙な存在ですが、善良でどことなくかわいい存在ですね。
鼠の意識が羊男に乗り移っていることに感づいた「僕」はついに鼠と再会します。
しかし、鼠は羊の隙をみて首をつり、体内にいた羊ごと自らの命も絶っていたのでした。
昔のガールフレンドは事故死し、妻は友人と浮気し離婚、ガールフレンドはさよならも言わずに去っていき、探していた親友は自殺していた・・・。
「僕」は、20代の最後に本当に何もかも失ってしまいます。
ただ、鼠と背中合わせで話すシーンは好きです。
鼠は霊的な存在なので明かりはつけられませんが、姿の見えない鼠と昔のようにビールを飲んで昔のように語り合う。
2人の独特の会話のリズムがいかにも久しぶりに再会した親友と、昔話をしている感じで良いです。
「なんだか昔みたいだな」
「きっと我々はお互いに暇をもてあましている時にしか正直に話し合えないのさ」と僕は言った。
「どうもそうらしいね」
鼠は微笑んだ。漆黒の闇の中で背中合わせになっていても彼の微笑みはわかる。ちょっとした空気の流れと雰囲気だけで、いろんなことがわかる。かつて我々は友だちだったのだ。もう思い出せないほど昔の話だ。
「でも暇つぶしの友達が本当の友だちだって誰かが言ってたな」と鼠は言った。
「君が言ったんだろう?」
「相変わらず勘がいいね。そのとおりだよ」
お互いの懐かしい会話のリズム。
しっくりくる親友は人生で何人も出会えないし、多感な10代後半~20代前半にできる親友は特別だと思います。
ドラマのようにベタベタと熱い友情なんかではなくて、一緒にいて心地よい存在。
「僕」と鼠は離れていても、お互いにそんな存在だったのだと思います。
自死を選んだのは、羊を葬り去るためでしたが、鼠は自分の存在の弱さにずっと苛まされていました。
街を出たのも、その弱さをこれ以上さらしたくなかったとのことで、30歳になる前にこの世を去る選択をしたのも必然のように思えてきます。
『ダンス・ダンス・ダンス』『ノルウェイの森』でもそうでしたが、今作でも冒頭の昔のガールフレンドの死、鼠の死が描かれています。
時限爆弾で秘書の男も葬り去り、物語は終わります。
物語としてはすっきりとしたラストですが、「僕」が失ったものはいささか多すぎたようです。
エピローグのラストで一人で涙を流します。
僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された50メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。二時間泣いてからやっと立ち上がることができた。どこに行けばいいのかわからなかったけど、とにかく僕は立ち上がり、ズボンについた細かい砂を払った。
寂しいラストですが、「僕」は立ち上がり歩き始めます。
20代の最後にたくさんのものを失ったけどそれでも前を向いて生き続ける。
そんなラストだったのかなと思います。
5、終わりに
『羊をめぐる冒険』は、何度も読み返した大好きな作品ですが、42歳になって20代が終わって30歳になった時のことを改めて思い出しながら読みました。
僕も、「僕」ほどではないけど失ったものがありますし、会えなくなった大学時代の親友もいます。
僕が鼠で、彼が「僕」みたいな感じでした。
お互いに連絡をマメに取るタイプではないし、遠く離れてしまっているのでおそらくもう会うことはないと思います。
その親友のことを思い出しながらこの物語を読み、文章を打ちました。
また、会えるといいな。
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