ヒロの本棚

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【本】村上春樹『TVピープル』~資本主義社会とバブルへの密やかなるアンチテーゼ~

1、作品の概要

 

1990年に刊行された村上春樹の短編集。

TVピープル』(par AVION1989年6月号掲載)、『飛行機ーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったかー』(ユリイカ臨時増刊号1989年6月号掲載)、『我らの時代のフォークロアー高度資本主義前史』(SWITCH1989年6月号掲載)、『加納クレタ』(書き下ろし)、『ゾンビ』(書き下ろし)、『眠り』(文學界1989年11月号掲載)の6編からなる。

1990年アメリカ『ザ・ニューヨーカー』に『TVピープル』が掲載された。

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2、あらすじ

 

TVピープル

ある日曜日の夕方にTVピープルたちが僕の部屋にやってきて、TVを置いて帰っていった。

妻も、会社の人達もTVピープルの存在を黙殺し続ける。

ある時、彼等は僕の妻がもう2度と帰ってこないことを告げるが・・。

 

②飛行機ーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったかー

20歳の僕は7歳年上の家庭がある彼女と寝続けている。

彼女が言うには、彼が時々まるで詩を読んでいるかのような独り言を言っているというが、彼にはまるで自覚がないのだった。

 

③我らの時代のフォークロアー高度資本主義前史

高校生の時に頭も良く、感じもよく、リーダーシップもあるクリーンな男女のカップルがいた。

僕は、数十年後に彼にイタリアで再会し、彼と色々な話をする。

そして、僕は当時は知り得なかった彼の想いを知る。

 

④加納クレタ

加納クレタは、その性的魅力と引っ込み思案の性格と、併せ持った生来的な何かから男達に繰り返し暴力的に犯されていた。

マルタ島で水の声を聴く特異な能力を身につけた姉のマルタと一緒に暮らすクレタだったが・・・。

 

⑤ゾンビ

まるでゾンビ映画のように連鎖する悪夢。

 

⑥眠り

若い頃に一時的に不眠症のような症状に陥った彼女は、昼間はほとんど眠りながら生活しているような状態になっていたことがあった。

自然にそのような症状は改善されたが、十数年後結婚してから恐怖を伴う体験をして、彼女は夜も昼も一睡もしなくても必要ない身体になってしまった。

彼女は自らの不眠を通して、死と自らの人生を顧みるようになる。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

村上春樹の短編はとても奇妙で独特の世界観を持ったものが多いと思います。

TVピープル』に収められた6作品も例にもれず、それぞれが確固たる世界観を有しているように思います。

 

僕は、どちらかと言えば小説全般でも長編のほうが好きですし、村上春樹の作品にしても好きなのは長編で、それも2~3冊にわたる長い方の長編が好きだったりします。

ただ短編にしかない味わいもあり、長編では有り得ないような展開もあったりしてこれはこれで楽しく読んでいます。

バブル期の真っ只中に狂騒の日本を離れて作られた短編たちは、どこかシニカルでダークなテイストが感じられて良いですね。

 

 

 

4、感想・書評

 

TVピープル

短編集のタイトルにもなっている短編ですが、ある日突然TVピープルなる珍妙な人たち(ピープルというからには人なんですよね?)がやって来るという奇妙奇天烈なお話。

主人公は、TVも持ってなくて、会社ではエレベーターを使わずに階段で昇り降りするような前時代的な人間です。

村上春樹自身がそんな感じ(レコードを収集していたりとか)だし、彼が書く小説の主人公はそういう前時代的で、偏屈な人間が多いと思うのですがこの作品の「僕」も例に漏れずそんなキャラクターのようです。

(話は逸れますが、『海辺のカフカ』でカフカくんがRADIOHEAD『KIDA』をMDウォークマンで聴いていた時は、ちょっとした衝撃を受けました。今ではMDも過去の遺物ですが・・・)

 

TVピープルとは一体何者なんでしょうか?

僕には何となくマスメディアとか、資本主義経済のなんちゃらを象徴しているような存在のように思えました。

頼んでもないのに、自分たちの生活に入り込んできてその利便性だか、合理性だか、なんだかんだを押し付けていく。

そして、誰もその歪さ押し付けがましさに声を上げずにTVピープルたちの存在を黙殺してしまう。

あとに残されたのはピカピカ新品のSONYのテレビです。

 

そうやって人々の生活を侵蝕していく高度資本主義社会だか、TVピープルだか、SONYのTVだか。

過去の作品でも。

例えば『カンガルー日和』の『5月の海岸線』みたいに資本主義社会に侵蝕されていく世界と、ぶつけようのない怒りとやるせなさを描いていました。

だけど、今作ではアイロニカルでどこか諦めに満ちています。

 

そして、妻がある日突然帰ってこなくなる。

もうすぐ電話がかかってくる。

この短編もどこか『ねじまき鳥クロニクル』に繋がっているように思いました。

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②飛行機ーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったかー

そう言えば、村上春樹の作品でいわゆる不倫関係の男女が描かれることが多いと思います。

ただ、そこに後ろめたさや、不貞を犯していることへのスリルのようなものは一切なく、ただ出口のない2人の男女が描かれています。

村上春樹は、何というか限定されて行き場のない関係性を描きたくて繰り返し不倫関係の男女を描いているのではないでしょうか?

 

この作品でも、物語の全ては閉じられた平日の昼間のマンションの一室で展開していきます。

激しい愛情やら何かがあるわけでもなく、ただただ限定された関係性。

不思議で奇妙な独り言の話。

どこにも行けない、行き止まりのような関係。

 

そうして、最後に彼は未来からこの日々を思い返しています。

彼は思う。そう、その頃、僕はまるで詩を読むようにひとりごとを言っていたのだ。

 

③我らの時代のフォークロアー高度資本主義前史

フォークロアって何かわからなかったので調べてみましたが、「風習」や「伝承」みたいな意味のみたいですね。

ここでいう「風習」とは結婚まで処女でいるとかいう昔のそういった価値観のことを言い表しているのでしょう。

まぁ、当然そんな処女性への尊重みたいなものは現代ではほぼ残ってないし、こだわる人もほとんどいないとは思うのですが。

 

村上春樹の短編でよくあるスタイルなのですが、知人から打ち明けられた少し奇妙で印象的な話を短編にしているもので、聞き手である主人公も村上春樹本人のように思える書き方をしているので、本当にあった話なのかな?と思っています。

ミス・クリーンの考え方はいささか偏っていて、いびつなフォークロアにがんじがらめにされているように思えますし、それだけに「結婚したらあなたとセックスしてもいいけど、今はできないしあなたは結婚相手になり得ない」という考えかたはとても奇妙ですし、空恐ろしいようにも感じます。

ミスタークリーンの彼は、まるで『ダンス・ダンス・ダンス』の五反田君みたいですね。

もしかしたら、この彼がモデルになったのかなとも思いました。

 

④加納クレタ

ねじまき鳥クロニクル』の加納マルタ、クレタ姉妹。

ちょっとマルタのキャラと言葉遣いがだいぶ違和感ありますね(笑)

暴力的に犯されたり、喉を切り裂いて殺したりと、これまでになく暴力的でダークな短編だと思います。

 

⑤ゾンビ

醒めない悪夢のようなショートショート

目が覚めても、終わらない。

続いていく。

 

⑥眠り

ある日突然眠れなくなるという不可思議な現象におそわれる女性の話。

開業歯科医で家庭を大事にする夫と、息子との3人暮らしで何不自由なく暮らしていて幸せであるはずの「私」だったが、不眠になったことをきっかけに今まで感じていたことさえ歪んで変化していく。

今まで生きていた現実は、自分が愛していたものは何だったのかと自問するほど、彼女の不眠は人生を拡大させて、彼女に自分が自分であるための時間を与え続ける。

 

同時にそのように何か特別で異常な状態を享受していることで近い将来何かの代償を払わせられることを彼女は予感している。

不穏なラストはそのようにして何か超越的な存在が、彼女に与えた何かを取り返しに来たのだろうか?

 

 

 

5、終わりに

 

村上春樹は、いつもマイペースで自分の世界観を表現し続けている作家だとは思いますが、作品にその時代時代の空気を敏感に反映させている作家でもあるのだと僕は思っています。

1986年~1991年に日本で起こった空前の好景気であるバブル。

泡のように弾けてしまいましたが、日本全体が熱病に浮かされたように急速に資本主義社会へと取り込まれていき、モノ・カネに惑わされていた時期。

1990年に刊行されたこの『TVピープル』がとびきりシニカルでアイロニーに満ちた作品になったのは、そのようなマッチョな時代に対するアンチテーゼだったのかもしれません。

村上春樹は、社会に対して「さぁ、物語の中で批判するぞ!!」みたいな感じにわかりやすく何かをするタイプ(中村文則『R帝国』村上龍5分後の世界』『半島を出よ』とかの感じ)ではないですが、自分が個人的に肌感覚で感じていることを物語に織り込んでいっているように感じます。

 

このあと、1992年に『国境の南、太陽の西』を刊行して、1994~1995年に『ねじまき鳥クロニクル』を刊行したころがデタッチメントの極みで、オウム真理教地下鉄サリン事件が起こってそれに関するルポ『アンダーグラウンド』が上梓されてからは村上春樹の社会との関わり方が変化を見せ始めたように思います。

いわゆるデタッチメントから、コミットメントへの変化というやつです。

TVピープル』はもしかしたら村上春樹が一番社会を遠ざけようとしていた時期なのではないかと思います。

それだけの不穏さと、閉塞感が作品に漂っているように僕には思えました。

 

 

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