1、作品の概要
1986年に刊行された村上春樹の短編集。
装丁は佐々木マキが手がけた。
「文學界」「月刊カドカワ」「新潮」など様々な雑誌で連載された作品が収録されている。
2、あらすじ
新婚の二人をある夜に襲った強烈な空腹。
それは、便宜的に満たされるべきではない特殊な飢餓で、「僕」にかつてつパン屋を襲撃したことを想起させた。
パン屋を襲撃した際に受けた呪いのような重大な間違い。
それを振り払うために妻は再びパン屋を襲うことを提案する。
②象の消滅
ある日、町の象舎から象が消えた。
飼育員と共に忽然と姿を消した象に、様々な憶測が飛び交う。
「僕」は会社のキャンペーンのためのパーティーで「彼女」と出会い象についての話をする。
「僕」は象の消滅について重要な目撃者であった。
③ファミリーアフェア
妹に婚約者ができてから、「僕」と妹の間に諍いが増えた。
「僕」のいささか放埒な女性関係にも口を挟まれるようになり、妹の婚約者・渡辺昇 を疎ましく思うようになっていた。
渡辺昇の両親に挨拶に行って以来、彼と会うことを避けていた「僕」だったが、ある日曜日に妹と3人で食事をすることになってしまう・・・。
④双子と沈んだ大陸
『1973年のピンボール』のその後の話。
「僕」は 雑誌の中に見慣れない服と髪型をした双子の写真を見つける。
双子の姿に強く心を揺り動かされる「僕」だったが、強い喪失感を抱きながら彼女らのことを考えることをやめようとするが・・・。
⑤ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界
全盛期のローマ帝国のよう平和な日曜日は崩壊し、受話器からは1881年のインディアン蜂起のような激しい風音が聴こえる。
映画で観たヒットラーのポーランド侵入現実と混じり合い、再び強風吹く日曜日に戻る。
日記を書きながら、様々な事象が白昼夢のように浮かび上がる。
⑥ねじまき鳥と火曜日の女たち
「とにかく10分だけ時間を欲しいの。そうすればお互いもっとわかりあえると思うわ」
妻と2人暮らしで無職の僕にある日怪しげな女から電話がかかってくる。
猫を探しに家の路地裏を探索するうちに、一風変わった足の悪い少女と知り合う。
いなくなった猫のワタナベノボル、世界のネジを巻き続けるねじまき鳥、不可思議な妻の言動。
少しずつ平穏な日常は変容し始めていた。
3、この作品に対する思い入れ
後に村上春樹の代表作のひとつとなる傑作長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の基となった『ねじまき鳥と火曜日の女たち』や、『1973年のピンボール』の後日談の『双子と沈んだ大陸』が収録されていることで印象的な短編集です。
1985年の夏頃から冬頃にかけて様々な雑誌に掲載された6つの作品を短編集として刊行しています。
特に共通のテーマがあるわけではないと思いますが、様々な切り口で展開される短編はどれも雰囲気が違っていてある種の実験的な試みを感じます。
4、感想・書評
まずタイトルが衝撃的ですよね(笑)
パン屋を襲撃するだけでも驚きですが、再襲撃とは。
タイトルだけで既に村上ワールド全開な感じです。
長編では絶対に書かないコミカルなSFタッチの作品で、短編ならではのポップな展開が楽しめます。
以前は、リアリズムの作品が好きだったのでこの手の話はニガテでしたが、今ではクスクス笑いながら楽しめるようになりました。
ある日の深夜に、突然訪れた夫婦2人の底なしの空腹と、失敗に終わった「僕」の過去のパン屋の襲撃を 結びつけてパン屋を再び襲うことを促す妻。
彼女は、パン屋襲撃の失敗を「呪い」と捉えていて、夫婦になったことで「僕」の呪いを自分自身も受けていると考えます。
荒唐無稽な発想を真剣に実行し始める妻。
何故か、散弾銃やスキーマスクも当たり前のように出てきて、襲撃も手馴れている妻(笑)
何というか結婚に対する村上春樹の一種のテーゼのようにも感じます。
別々に生きてきた二人が一緒になるわけですから、相手の呪いを自分のモノとして受けたり、交際時には知らなかった相手の意外な一面(手馴れた手つきでナンバープレートにガムテープを貼りつけたり)を知ってしまったりとか。
新たに家族になることでお互いが与え合う影響の大きさについて語られているようにも思います。
たぶん。
②象の消滅
ミステリータッチの作品。
引き続き『象の消滅』なんてとても興を惹かれるタイトルです。
象なんて消滅しませんよ、アアタ。
「僕」は消滅する前の象の姿を目撃しています。
そして、遠方から象が縮んでいく姿を見たように感じています。
しかし、薄闇の中で見たあまりに突拍子もない出来事で、自分の見たものに確信が持てない。
しかし、そこには何か奇妙な力の作用なものが存在していて、象と飼育員を消滅させてしまった・・・。
『スプートニクの恋人』のミュウに起こった奇妙な出来事、『アフターダーク』の浅井エリに夜の間に襲っている怪異。
象の消滅のプロセスを目撃した「僕」は、それらの現実と夢想の狭間で起こった現象と同じようなフィーリングを経験しています。
人生の中に突如現れる奇妙なエアポケットのような瞬間。
現実の中にひと握りの幻想が立ち上がり、侵蝕していく。
そのような村上春樹作品のミステリーの源流のひとつのような作品ではないかと感じました。
③ファミリーアフェア
スライ&ザ・ファミリー・ストーンっていう昔からのファンクバンドがいて、「ファミリー・アフェア」という曲を歌っていますが、タイトルはその曲からつけたんですかね?
歴史的名盤「暴動」に入っている名曲です
Family Affair - Sly & Family Stone (UK#15 USA#01) 1972
wikiにこの小説を転機に『ノルウェイの森』の緑を書けるようになったと書いてました。
いや、この小説に緑っぽいテイストがあったかどうかは不明ですが確かにリアリズムで描かれた短編で、やみくろも出てこないし、象も消滅しません。
女性とお酒にだらしなく奔放で変わり者の兄の「僕」と、しっかりものの妹。
お互いを尊重しながら平和に同居生活を送っていた兄妹2人の関係は、妹の婚約者・渡辺昇の登場によって変化していきます。
「僕」は今いち渡辺昇とウマが合わず、彼のジョークのセンスや、服装のセンスに違和感を感じています。
しかし、結婚に反対するわけでもなく「僕」なりのシニカルなやり方で少しずつ婚約者の存在を受け入れていっているように思えます。
特にオチがある作品ではありませんが、妹との緩やかな心の交流と親密さ。
そこに入り込んできた渡部昇という存在によって関係性が変化していく微妙な変化、「Ffamilly Affair(家族の出来事)」を描いた作品だと思います。
一人っ子の村上春樹が「兄妹」について書いた数少ない作品のように思います。
④双子と沈んだ大陸
『1973年のピンボール』ぼ「僕」のその後の話で、翻訳事務所で働いていることを考えると『羊をめぐる冒険』の前の話だと思います。
双子のピンナップを雑誌で見つけた「僕」は、心を激しく揺り動かされてますが、結局もう一度双子を手に入れたとしても彼女らはいつか去っていってしまうことを理解し、深い諦念と喪失感に苛まされます。
この世の中の出会いは一期一会だし、ある時期に深く関わって心を許しあった人達もすれ違ってやがて過去の存在になっていく。
諸行無常(すべては移り変わるもの)、一切皆苦(人生は思い通りにならない)など仏教的な静かな諦観を感じます。
このような仏教的な考えが村上春樹の作品の根底に流れる喪失感や哀しみのベースになっているように思えますね。
この短編集の後に87年に刊行された長編『ノルウェイの森』でも強い喪失感を人生への問いかけが物語の中に散りばめられています。
「僕」は深く混乱し、どこに行けばいいのか、誰を抱けばいいのかわからずにどこまでも歩き続けます。
そして、11月の雨が降る夜に名前も知らないコールガールを抱きながら嫌な夢ー双子が作業中のビルにいて、作業員が双子に気づかずに閉じ込めてしまうーの話をする。
傘すら持っていない僕はそんな深い陰鬱の中で、双子は初めから失われていていたことに気付きます。
それはある種の死生観(死は生の内側に内包されている)のようであり、双子と出会った時から別れるまで「僕」は双子をずっと失い続けていたことになります。
行き場のない哀しみを抱えた作品だと思いました。
⑤ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界
10ページ未満の短い短編。
ある晴れた強風の日曜日に、目隠しをつけてセックスをするのが好きなガールフレンドから電話があって、一緒に牡蠣鍋を食べた。
というある日の出来事を、日記を書きながらまるで白昼夢を見たようなイメージを交えながら描いています。
得も言われぬあっさりとした読後感ですが、こういう短編も好きです。
⑥ねじまき鳥と火曜日の女たち
『ねじまき鳥クロニクル』の基となった短編。
『ノルウェイの森』の『螢』や、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の『壁』のように初期の長編の中には、短編を基にして広げていったものが存在します。
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』は、短編の中に少しずつ不協和音がならされ日常が変容していくような物語の導入が描かれています。
平穏だった夫婦2人だけの生活。
波風一つ立たない森の奥の泉に小石が投げ込まれて、波紋が水面を波立たせていく。
猫の消滅はその予兆であり、妻はこの時に平穏な結婚生活の象徴としての猫の消滅に心を乱していたのでしょうか?
『ねじまき鳥クロニクル』を読んだあとでこの短編を読んでいるので、どうしてもその後の展開を想像して読んでしまいます(笑)
村上春樹はこの短編を発表して、『ねじまき鳥クロニクル』を刊行するまで実に9年の時を費やしています。
その9年の間は『ノルウェイの森』の爆発的ヒットと騒乱。
ヨーロッパへの移住、アメリカでの客員教授としての生活、意欲的な海外進出。
『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南、太陽の西』『TVピープル』の刊行。
などなど、彼にとって濃い9年間だったと思います。
その濃い9年間で短編だったこの作品が、歴史的事実を初めて用いた3冊にも渡る壮大な長編物語に繋がっていったと思うとなんだか感慨深い気がします。
泣き続ける妻と鳴り続ける電話。
なかなかに陰鬱なラストですね(笑)
5、終わりに
最近の村上春樹の短編集は、短編集ごとに掲載雑誌を「文學界」「新潮」「文藝春秋」など媒体を変えつつ、1ヶ月ごとに短編を連載して1篇を書き下ろしとして収録することが多いようです。
短編も同一つのテーマを基にカラーを統一して書いているように思います。
しかし、この短編集は掲載誌はバラバラで特にテーマ、文章の長さなどにはこだわらずに自由に書いているように思います。
SF色が強い作品や、シリアスなものまで同時期に書いたものをごった煮状態でまとめた感じが荒削りな感じがして面白いです。
各作品に出てくる「渡辺昇」は村上春樹のエッセイなどを手がけていた安西水丸さんの本名だとのこと。
この短編集まで ほとんど人名が出てきませんでしたが、『ノルウェイの森』のワタナベトオル、『ねじまき鳥クロニクル』のワタヤノボルと登場人物に名前がつくようになりました。
これも、村上作品のデタッチメントからコミットメントの流れの一つだったのかもしれませんね。