ヒロの本棚

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【本】村上龍『MISSING 失われているもの』~幻想的な世界の中で、自己の深層心理へと潜っていく~

1、作品の概要

 

『MISSING 失われているもの』は、2020年3月に刊行された村上龍の長編小説。

村上龍が主催するメールマガジンJMM』にて2013年~2019年に連載され、『新潮』2020年1月号に掲載された。

幻想小説のようでありながら、私小説的な内容でもあり、自身の母のことなどについて語られる内容となっている。

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2、あらすじ

 

失われているものが何かを確かめるために女優の真理子と再会した「わたし」は、時空がねじ曲がったような奇妙な世界に紛れ込んでしまう。

タクシーに乗ってホテルに戻ることで正常な世界に戻ることができたが、不可解なで出来事が続き、「わたし」の意識は混迷を続けていた。

事実と食い違い捻じ曲がった記憶、現実と夢想の境目を確かめるために再び真理子に会った「わたし」は意識することがないままに移動し続け、やがて奇妙な空間に紛れ込んでしまう。

そこで目にしたのは若かりし頃の母の写真と、懐かしい母の声だった・・・。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

村上龍5年ぶりの長編小説は、彼の作品の中でこれまでなかったような異色作で、私小説的な内容でした。

幻想的なSF小説っぽい内容かと思っていましたが、意表をつかれましたね。

難解で謎の多い内容ではありますが、とても興味深い作品でした。

 

 

 

4、感想・書評

 

イマジネーションの迸りを感じるような幻想的な物語の導入。

突然、猫がしゃべりだすなんてまるで村上春樹みたいな展開ですね。

自意識を鏡のようにリフレクトする存在である猫ですが、真理子、母の声、若い診療内科医なども自身の無意識の分身として、気づきを与える存在のようにも描かれているように思います。

 

現実が形を変えて融解していき、記憶が変質していく、鍵を握っているはずの女性・真理子は実在しているかすら怪しくなっていき、「わたし」の認識とは違う現実を語り始める。

あるはずのない駅から出ている電車に乗って、過去に向かう。

そこにはとうの昔に閉店したはずの『シェルブール』が存在している。

いや、もう僕的にめちゃくちゃ好きな感じのミステリアスな展開です。

 

壊れているのは世界なのか?自分なのか?再び真理子に出会った「わたし」は、眼の裏側に三本の光の束をみて、より現実と夢想は入り混じりイメージの世界のような幻想的な場所に迷い込んでいきます。

異なった世界に連れて行く道先案内人が真理子という女性で、何だかこの辺も村上春樹っぽかったですね。

 

そして、これまでの村上龍の作品でほとんど登場しなかった母親が(声だけ)出てきて、彼女との思い出や、問答を軸にして物語は進行していきます。

しかし、母は実際には遠く離れた地元長崎の施設に入所していて、聞こえてくる声も「わたし」自らの記憶が母の声に変換されて聞こえてくるもののように推察されます。

自分の記憶にないような内容も母の声で聞こえたりしてきて、その空間での問答が何なのかは謎のままであったと思いますが、結局真理子や、猫、若い心療内科医、母の声も全て、自己の深層心理や潜在意識の顕れで、自己の内面と向き合うような極めて私小説的な内容であるのが『MISSING 失われているもの』であると思いました。

 

村上龍私小説的な内容を鋭敏な感性と卓越した想像力で描いたのがデビュー作にして芥川賞受賞作の『限りなく透明に近いブルー』ですが、それから40年以上の時を経て描いた私小説は、自らの潜在意識の中核を物語という舞台装置を利用してあぶり出すような小説でした。

シャーマンが自然霊と交信し、降霊するように自らの隠された領域の奥底から何かを呼び出し他の何かに憑依させてからその言葉を顕にする

僕がこの作品に抱いたイメージはそういった宗教のイニシエーションのようなものでした。

 

しかし、そういった内容を村上龍が狙って書いたのとかというとそうではなくて、幻想的な小説を書くつもりで筆を進めたところ、期せずして私小説的な内容がメインで母親が大きく絡んだ物語になったようです。

「幼いころ、迷子になった時に偶然母親にばったり会ったような、そんな感じでした」ともあとがきで自身が振り返っていましたが、もしかして老境に差し掛かった(今年で70歳)村上龍が自らの人生を顧みつつ、どこか強い不安を覚え、欠落を強く意識するようになったのかもしれません。

この作品の「わたし」のように。

 

老境に差し掛かった時に、自らの人生を、何かの触媒を用いながら振り返るやり方は、川端康成眠れる美女』にも通ずるものがあったように思いました。

江口老人が眠れる少女たちの肉体とみずみずしい生命力の向こうに見ていたのは自らの人生の記憶の残滓でした。

それらが万華鏡のように美しく無限に散らばり、記憶と、一夜の夢幻と、少女たちの健やかな夢と重なって妙なるものを描き出す。

それは同時に過ぎ去ったものを2度と手にすることはできないという激しい喪失感と悔恨でもありました。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

村上龍川端康成が感じていたような老境の寂しさや喪失感、そして幻想と狂気が迸る「魔界」への扉に手をかけたのでしょうか?

龍はおそらく2度とこのような作品を書くことはできないと言ってはいましたが。

作中の幻想の中で老人が言った言葉にもそのような寂しさが表現されています。

「よくわかっていると思うが、わたしたちの感情の中で、寂しさだけが、本質的なものなのだ。喜びや悲しみや不安や恐怖は、予測できない未来に対処するために、長いときを経て、わたしたちの祖先が、そういった感情の回路を作り上げた。だが、寂しさだけは、そのずっと以前から、自然に存在していた。人生は、あるときから、確実に変化する。それまでに得てきたもの、ともに生きてきたものを、少しずつ、または一挙に、失うようになる。その変化は、決して逆行することがない」

 

プライベート、主に家族関係が謎に包まれている村上龍にしては意図していないにせよ、大きな自己開示であったように思えるこの作品。

もちろんフィクションであるので、ここに描かれていたことが全て真実ではないのですが、彼自身のパーソナリティに密接に関係するようなものであったと思います。

今作での村上龍の変化は、ほぼ同世代の村上春樹の『猫を棄てる』などこれまで触れられていなかった自らの父親との思い出や、関係性について触れられた文章を思い起こすものでした。

 

あまり家族関係に触れずに、父親と不仲というところにも共通点を感じますね。

全然タイプの違う作家ではありますが、やはり老境に差し掛かると自己開示や、自らの人生を振り返るような作品や文章が増えていくのでしょうか?

それが強い喪失感や悔恨を引き起こすようなものであったとしても。

春樹に関しては、『一人称単数』に収録されている『一人称単数』が魔界を感じさせられるような作品であり、部分的に『MISSING 失われているもの』に通ずるような要素があったように思います。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

しかし、単なる自己開示や老境の寂しさといった要素だけではなくて、『MISSING 失われているもの』で感じるのは潜在意識や、深層心理までも徹底的に掘り下げてエゴのさらに深みにあるブラックボックスを母親という触媒を用いてランダムに表現していく。

意図的な試みではなくて、自らの内面に深く潜るうちに物語が変質し始めて、村上龍自らが求めていた何かと呼応して新しい表現を生み出したのではないかと感じました。

それはもしかしたら、夜の海に素潜りして深く深く海の底へと進んでいくような危険な行為でもあったのかもしれません。

そして、開示された物語の中には多分に混沌とした要素が混じっていたのだと思いますが、僕にはその混沌もとても心地よいものに感じられ、文学的なものに感じられました。

 

小説、物語が文学的であるということ、それは文章を書くことで物語を芸術たらしめ、作者自身の魂の核を照射であるのだと思います。

芸術とはそれぞれの分野の技術を使って対象の向こう側にあるものを描くこと。

僕はそのように定義しているのですが、そういうヒロ的な独善的な観点からするとこの作品は文学的で、芸術的な作品であったのだと思います。

 

音楽でいえば、現代音楽や、静謐なエレクトロニカ。またはその融合のような。

映画でいえば、フランスのヌーヴェルヴァーグのような。

絵画でいえば、抽象画やシュルレアリスムのような。

そんな前衛芸術的な何かが『MISSING 失われているもの』に漂っていました。

 

「わたし」が迷い込んだ世界は何だったのでしょうか?真理子は?母親は?

どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが夢想だったのでしょうか?

そんな答えは提示されずに物語は終わっていきます。

現実とは何か、はっきりしない。はっきりしないものには意味がない。現実には、意味がないのだ。

現実には、意味がないのだ。

すごい末尾の言葉ですね。

 

 

 

5、終わりに

 

作者自身の予測を超えて広がっていくような、無意識の領域で書かれたような作品で、これまでの村上龍の作品の中でも特異な作品でした。

謎も多く、内的な世界の描写も多いので、賛否両論あるかと思いますが、僕はとても好きですね。

強烈なイメージと白昼夢をそのまま小説にしたような『海の向こうで戦争が始まる』とも通ずるところがあるように思いました。

 

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