ヒロの本棚

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村上龍『限りなく透明に近いブルー』

1、作品の概要

 1976年に刊行された村上龍のデビュー作。

群像新人文学賞芥川賞受賞。

村上龍が脚本で映画かもしている。

限りなく透明に近いブルー』になる前のタイトルは『○○○○○にバターを』あまりに卑猥なので伏字。

 

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

2、あらすじ

 米軍基地近くの福生に住む19歳のリュウは、クスリ、酒、女と放埒の日々を送っていた。

快楽の限りを尽くしていても、リュウの頭は覚め切っていて、何かをじっと待つように狂乱の日々を眺めていた。

黒人達と基地内のハウスでのパーティーでは、ハシシ、ヘロインが振舞われ狂乱のパーティーが繰り広げられ、人間の尊厳さえもバターのように融解していきそうな日々。

グリーンアイズに「いつか君にも黒い鳥が見えるさ」と言われて、黒い鳥を待ち続けるリュウ

狂乱と快楽と暴力の果てにどこにたどり着くのか?

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 この小説を初めて読んだのは1996年の12月24日です。

もう23年前になります。

なぜはっきり覚えているかというと、予備校時代に寮の部屋で、なんで俺はクリスマスイブにこんなドラッグやりまくってる本を読んでいるのだろうかと虚しくなったからです。

でも、繊細な感性が描き出した鮮烈で過激な情景が19歳の僕の心をしっかりと掴みました。

それ以来、村上龍の作品が好きで、いろいろ読みました。

あの頃は、村上と言えば、春樹より龍だったですね。

同じ頃、『ノルウェイの森』を読んでハマりましたが。

再読して、この頃の龍の鋭い感性と詩的な描写には驚かされました。

 

 

4、感想・書評

 まず、ストーリーが云々の小説じゃなくて、放埒の日々を一人称で淡々と語る主人公「リュウ」の冷めた目線と描写が印象的です。

悦楽に飲まれながらも、まるでデッサンをとってるかのように透徹とした意識で、周りの人間の喜怒哀楽と、生命力の放出を淡々と描いていきます。

 

ドラッグ、セックス、酒と快楽の限りを貪り続ける日々ですが、リュウは何かを待ち続けているように見えます。

誰もいない暗い部屋で、両親の帰宅を待ち続ける子供のように孤独で切り離されているようにみえます。

 

締めつけられるような痛みが時々心臓を刺す。顳かみで脹れた血管が思い出すようにヒクヒクと震える。目を閉じるとものすごいスピードで生暖かい渦の中に引き込まれるような恐怖を感じる。からだ中をヌルヌルと愛撫されていて、ハンバーグに乗せられたチーズみたいに溶けていくようだ。試験管の中の水と油塊のように、体の中で冷え切っている部分と熱を持っていたところが分離して動き回っている。 

 

ヘロインを打って、キマっている場面もとても詩的な表現で描いています。

このように全編を通して描写が詩的で美しいです。

 

ヨシヤマは長い髪を手で払いながら顎鬚についた水滴を震わせてモコに話しかけている。モコは僕の方を見て舌を出したりウインクしたりする。おいリュウ、久し振りやな、何かオミヤゲないんか?ハシシかなんかないんか?ヨシヤマがこちらを振り向いて笑いながら聞く。

 

ラリッてたり混沌としたシーンは会話の「」が消えて、主体も客体も入り混じってぐちゃぐちゃになっていきます。キャンバスに原色の絵の具をぶちまけながら絵を描いている感じがします。

村上龍は、こういった種類の混沌のイメージを正しく描くには、こういった文体・手法が適切だと本能的に感じ取ったのでしょう。

ちなみに、この書評を書くのはシラフじゃない方が良いような気がしたので僕もビールで酩酊しながら書いてます(笑)

計算とか、論理ではなく鮮烈な感性と芸術性に満ちた文章だと思います。

 

黒人との「パーティー」のシーンはとても衝撃的で快楽の果てに人間性の檻が崩壊し、理性が溶解していくような凄まじい光景が描かれています。

そこでリュウも滅茶苦茶されながらも、彼の感情表現はほぼなく一人称での淡々とした描写が続いていく様が逆に不穏です。

 

リュウは、リリーと2人の時だけは穏やかに自分の内面を吐露しているように思います。

でも、リリーもジャンキーなんですが。。

見事にどうしようもない人ばかりでてきますね(^_^;)

 

頭のおかしい黒人「グリーンアイズ」と会いリュウは次のように言われます。

いつか君にも黒い鳥が見えるさ、まだ見てないんだろう、君は、黒い鳥を見れるよ、そういう目をしている、俺と同じさ、そう言って僕の手を握った。 

 

 

狂人の戯言ですが、それからリュウは「黒い鳥」を待ち続けるようになります。

P101.鳥がとこかで鳴いているが姿は見えない。

P126.夕方だし鳥は姿が見えなかった。 

 もっとあったと思いますが、鳥を探す描写が増えていきます。

 

 

リュウはどんな精神状態だったのでしょうか?

リリーはドライブに行きながらこう言います。

 

リュウ、あなた変な人よ。かわいそうな人だわ。目を閉じても浮かんでくるいろんなことを見ようってしてるんじゃないの?上手く言えないけど本当に心からさ楽しんでたら、その最中に何かを探したり考えたりしないはずよ、違う?」

 

作中でリリーがリュウの心の一番近くにいて、理解していたのだと思います。

リュウもリリーには、心を許している部分があるのだと思います。

 

 

クスリを決めながら見ている景色の描写もとても美しく鮮やかです。

 

目を刺すネオンサインや身体を真っ二つに引き裂く対向車のヘッドライド、巨大なす長の叫び声そっくりの音で追い抜いていくトラック、突然立ちふさがる大木や誰も住んでいない道端の壊れた家、わけのわからない機械が並び煙突から炎を吹き上げる工場、溶鉱炉から流れ出る液体の鉄に見える曲がりくねった道路。 

 

青白い閃光が一瞬全てを透明にした。リリーのからだも僕のうでも基地も山々も空も透けて見えた。そして僕はそれら透明になった彼方に一本の曲線が走っているのを見つけた、これまで見たことのない曲線、白い起伏、優しいカーブを描いた白い起伏だった。

 

ただの夜のドライブの風景も村上龍の感性でここまで鮮烈な情景になります。

描かれている場面は、冷静に読めばジャンキーの乱痴気騒ぎなのですが、こういった詩的な描写がこの小説に万人の心に訴えかける強い何かを持たせています。

 

 

くだらないとわかっていても、何かをやり尽くすまで切り替えられない時があります。

リュウは、こういった日々に倦んでいながらも、周りの人間にはゆるやかな連帯を感じで日々を過ごしています。

でも、きっとこの人生のエアポケットとも言うべきこの時期から抜け出したいと願っています。

 

「俺はただなあ、今からっぽなんだよ、からっぽ。昔はいろいろあったんだけどさ、今、からっぽなんだ、何もできないだろ?かっぽなんだから、だから今はもうちょっと物事を見ておきたいんだ。いろいろ見ておきたいんだ」 

 

 

そして、ラストシーンでリュウは黒い鳥を見つけます。

幻影を見たのかどうかはわかりませんが、むしろ見たというより、鳥の存在を知覚します。

リュウの様子は、発狂にしか思えないのですが、高揚しながらエネルギーに満ちています。

 

これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。

血を緑に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。

限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。 

 

人生において、くだらないとわかっていても耽溺してやり尽くさないと通り過ぎらない時期があると思います。

リュウは、福生での狂乱の日々から黒い鳥の力を借りて抜け出して行ったのだと思います。

 

 

5、終わりに

現在、村上龍は単純な小説家とは言えないマルチな存在になって、近作は正直イマイチフィーリングが合わないのですが、『限りなく透明に近いブルー』を再読して、若かりし頃の村上龍の感性の鋭さに改めて感嘆しました。

この何年後かに『コインロッカーベイビーズ』を書き、時代の寵児となり、様々なクリエイターに深い影響を与えました。

AKIRA』がこの作品の影響をもとに作られたのは有名な話ですし、村上春樹もこの作品を読んで「羊をめぐる冒険」の執筆を思い立ったそうです。

 

そんな、村上龍のデビュー作はやはりインパクト大でしたね!!

また、著作を読み返してみたいです。

 

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