1、作品の概要
『ユーチューバー』は、村上龍の長編小説。
2023年3月29日に幻冬舎より刊行された。
4編からなり、表題作の『ユーチューバー』は書下ろしで、あとの3編は文芸誌に掲載された。
169ページ。
有名な作家・矢崎健介は、ホテルで「世界一モテない男」と知り合い、ユーチューブの撮影をすることになるが・・・。
2、あらすじ
①ユーチューバー
ホテルで作家の矢崎健介と知り合いになった「世界一モテない男」は、仕事を退職したあとユーチューバーをしていた。
話の弾みから彼のプロデュースでユーチューブに出演することになった矢崎は、これまでの女性遍歴を赤裸々にカメラの前で話し始める。
女性遍歴を振り返りながら、彼の創作の原点、自由な生き方に「世界一モテない男」とスタッフのイチカワは深く惹きこまれていく。
②ホテル・サブスクリプション
「世界一モテない男」は、ホテルのプールで知り合った矢崎にどうしても「ホテル・サブスクリプション」について話したいと切望していた。
偶然、エレベーターで矢崎と出会った彼は、矢崎の部屋で一緒に酒を飲みながら様々な話をするが・・・。
「わたし」は金融関係の仕事をしていて、矢崎と長く付き合っていた。
ある日、ホテルで矢崎からディスカバリーチャンネルの動物の話を聞くきながら、彼女は死者の写真を見た時に感じる奇妙な気分について考えていた。
④ユーチューブ
矢崎は彼女が寝静まったあとに独りでユーチューブを観ながら時間の流れに思いを馳せる。
ユーチューブは過去に繋がっている。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
図書館でたまたま見つけて借りました。
黄色い装丁がインパクトありすぎで見つけやすかったです。
半年ぐらい前の新刊なのに、予約なしで借りられてラッキーでした。
正直、あらすじ読んでも、これ面白いのか?って内容なのですがなぜか惹きこまれてしまうしまうのは村上龍独特の魅力のような気がします。
4、感想
作中の架空の作家・矢崎健介はどう考えても村上龍自身にしか思えないですし、作中での赤裸々な女性遍歴も彼自身の話なのかと邪推してしまいます。
そう受け取っている人は、作家に騙されているんです。ぼくは「騙す」ことに関してはほとんど天才的ですので、わからないのかもしれません。赤裸々に語っているように見えても、それは作家の技術です。本当のことも含まれていますが、どこが本当か、わからないはずです。ただし、嘘99%のシークエンスでも、本当のことが1%ほど含まれていたりします。
東洋経済のインタビューで村上龍はこう語っていますが、デザイナーの女性の話や、福生でのスミコの話はだいぶリアリティがありますね。
創作の源がデザイナーの女性と別れた喪失感からで、ずっとその喪失感を抱えながら生きてきたというのも全てではないにせよ、創作のキッカケになった出来事ではあったかもしれないですね。
しかし、なんだか村上春樹みたいな話だし、村上龍の小説で(どこまでが真実かわからないにせよ)とある女性と別れた喪失感が創作の原点みたいな話が出てくるとは・・・。
これまでも自分をモデルにした登場人物を描いたことはありましたが、これだけ自分の内面に触れるような内容を扱ったことはないように思います。
それが、フィクションだったとしても。
自己の内面や歴史に言及した『MISSING』にやはり触れざるを得ませんし、別の形でよりトリッキーで行った自己開示が『ユーチューバー』だったように思います。
『MISSING』は本当に村上龍の作品の中では本当に異色で、彼の内面や歴史をさらけ出すような作品でした。
自身のプライベートについてはあまり開示しないタイプの作家だったので、『MISSING』の内容はとても衝撃的でしたね。
村上春樹が『街とその不確かな壁』で自身の内面と、その喪失を赤裸々に物語として描いたのをいやがおうにも思い起こさせられました。
『ユーチューバー』の表題作『ユーチューバー』で村上龍が行っていたのは、『MISSING』で描き切れなかった自己開示のようにも感じたのですが、こんな稚拙な感想をもし彼が目にしたら「作家に騙されてるんです」と一笑に付すのでしょうか?
事実かもしれない、創作だとしても虚飾が施されているかもしれない。
そもそも物語という形を取っているのだからその形態はどこまでも自由。
JAROに訴えられることもない。
村上龍がその真実を語ることは一生ないだろうし、どこまでが真実がわかりませんが、これまでになくパーソナルななにかを表現したがっているように感じます。
老境に差し掛かった村上龍。
もう純粋な作家とは言えないのかもしれないし、(彼があまりに多才で飽きやすく多くのことに興味があるため)彼自身が意図していることではないかもしれないけど、彼が書く物語が確実に自己開示に近づいているのは興味深い。
イメージとしては、キリスト教における懺悔に近い気がする。
なんだろう。
ちょっと違う気がするけど、何か過去の記憶に関しての拘泥、を感じる。
歳を経ることは。
過去に強く捉われることと同意なのかもしれない。
最近、そう強く感じる。
僕自身が、意識が過去に向いていること。(まだorもう46歳)
過去の記憶と生き続ける方々へのケアを仕事していること。
その2点がよりそう感じさせるのかもしれないが。
彼はある種の赦しを本能的に請いているのだろうか?
神よ、憐れみたまえ。
miserere mei、DEUS.
なにか教会での『MISSING』と『ユーチューバー』は教会での懺悔に近いような気がしました。
神父に己の罪をひっそりと打ち明けるような・・・。
そんな秘密の開示がなされていて、どこかに救いと赦しを求めているような気配を感じたような気がしました。
「自由 希望 そして セックス」
が、この本の帯に書かれていた言葉で。
うん、なんか村上龍っぽいやんって思いつつ、やっぱこんなテーマをエッセイで語るのはアレやし、いろいろ個人情報とかアレやし、物語として小説としてこの物語が描かれたのかなと思います。
ヤンチャだった村上龍がここまで枯れたのかと思わせられる内容。
長く生きれば生きるほど、記憶と思いは雪のように心に積み重なり、痛みと喪失を伴う記憶ほど強く心にしなだれかかるのかもしれない。
降り積もった雪を静かに振るう木の枝のしなり。
この小説を一言で表現するならそうなるのかもしれません。
このまま堆積していく思いに、なにかに耐えられない。
せめて形を変えたとしても表現して昇華したい。
老境を迎えた作家が感じる共通の想いなのではないでしょうか?
ただ、『ホテル・サブクリプション』『ディスカバリー』『ユーチューブ』ではそんな要素は感じられなかったので、書き進めるうちにそんな構想を思いついたのだと思います。
この小説を長編小説と称するよりは、連作短編小説に近い気もしますが、まあ形態はどうでも良いですよね。
新しい物好きな彼らしく、最近耳にするようになった言葉を駆使する彼の小説。
ちょっと鼻につく時もありますがなんだかんだ読んでしまうのは、彼が表現したいと切実に願っている「イメージ」とそこに辿り着こうとする、真摯な姿勢に共感を覚えるからでしょうか?
5、終わりに
悪友。
僕にとっての村上龍は、そんな言葉が似つかわしい存在である。
村上龍さんにとって突然こんなこと言われたら、いやお前なんで知らねえわとか、うっせえわとか言われそうですが、だいぶ愛情も籠った上での言葉なのでご容赦頂きたい。
村上龍の作品を読み始めて27年。
全ては読んでいないし、いまいちだなと思った作品も多いのだけれど、好きな作家というか人間だし、彼の動向をずっと追ってきていた。
村上龍は、とても興味がいろんなところに散らばっていて純粋な作家だとは言えないけれど、とても優れたクリエイターだし彼が関わるコンテンツは常に金になる。
金になる、ということはクリエーターとして大事なことだし、村上龍はどのようなコンテンツでも必ずビジネスとして成立させてきたような気がする。
彼は。
エンターテイナーだ。
作家という枠で収まらない。
もちろんユーチューバーというわけでもない。
古い戦友みたいに勝手に思って勝手に好きな作家である村上龍に僕が贈れる勲章は「エンターテイナー」ということになると思う。
常に想像の枠を破って活動して、なおかつ彼のフォロワーを楽しませる。
自由に生きて欲しい。
これからも。
ずっと。
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