1、作品の概要
『いつも彼らはどこかに』は小川洋子の短編小説集。
8編の物語からなる。
2013年5月31日に新潮社より単行本が刊行され、2015年12月23日に新潮文庫より文庫版が刊行された。
文庫版は256ページ。
文庫版の解説が江國香織。
世界の片隅で生きる動物たち、忘れさられた小さな生き物たちと人々のささやかな繋がりを描いた。

2、あらすじ
①帯同馬
スーパーの試食品を売る仕事をしている「彼女」は、精神的なものからモノレール以外の乗り物に乗れなくなってしまい、その沿線で仕事をしていた。
いつも試食品をつまみに来る小母さんと、ひょんなことから個人的に仲良くなった彼女。
小母さんの愛人の墓参りに誘われた「彼女」は、ディープインパクトの帯同馬として海を渡ったピカレスクコートのことを思い起こす。
②ビーバーの小枝
作家の「私」は彼女の作品を翻訳してくれていた翻訳家の死を知り、彼の家を訪れる。
空港まで迎えに来てくれた翻訳家の息子・Jに案内されて、彼の妻・Kとともに歓待される「私」は、翻訳家から贈られたビーバーの美しい頭蓋骨を思い起こしていた。
③ハモニカ兎
代々、朝食のみを提供する食堂を営んできた男の一家。
村の広場にあるハモニカ兎の日めくりカレンダーをめくるのも、朝が早い彼の役目だった。
ある時、村でオリンピックの一競技が開催されることが決まり、男はオリンピック開催までの日にちをカウントダウンをするカレンダーをめくる役目を負うが・・・。
④目隠しされた小鷺
移動修理屋「アルル」の老人は、時おり地元の画家・Sのさびれた美術館へと足を運んでいた。
その美術館で受付のアルバイトをしていた「私」は、徐々にアルルの老人と懇意になるが、とある事件が起こる・・・。
⑤愛犬ベネディクト
不登校の妹は、盲腸で入院する時に、愛犬・ベネディクトの世話を兄である僕に散歩や餌のことなど仔細に依頼した。
ベネディクトは、鉄製の犬の飾りで妹は本物の犬のように可愛がっていた。
部屋に籠る彼女は、不均衡で壮大なドールハウスを作り、3人の映画スターに恋焦がれる。
そして、ある日ベネディクトは・・・。
⑥チーター準備中
息子・hを手放してから17年が経ったが、動物園の売店の仕事でどうにか暮らしている「私」。
仕事帰りにアイスクリーム屋に寄るしか楽しみがない彼女は、CHEETAH(チーター)の名前に隠された発音されない「h」に惹かれ、チーター檻に足繫く通うようになる。
チーターの飼育係の青年とも仲良くなるが・・・。
⑦断食蝸牛
小麦の製粉に使われていて、今では観光客用の展示物となった風車。
断食施療院にいる「私」は、風車守のもとに足繁く通い、彼の蝸牛を見せてもらえるほどに親密になっていた。
ある日、施療院の下働きの女が彼のもとを訪れて・・・。
⑧竜の子幼稚園
ひょうたん形の身代わりガラスを首から下げて旅をする女性。
彼女は、旅をすることが叶わない誰かに代わって、身代わりガラスの中のものたちと旅をしていた。
竜の子幼稚園で不幸な死を遂げた幼い弟。
彼のことを思っていた彼女は・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
Xのフォロワーさんと最近やりとりしたのですが、だんだんと流行りの作家さんなどの作品を読めなくなっているという話。
思えば僕も最近特定の作家の作品しか読めなくなってきていました。
あの作家のこの作品なんかの感想を書いたら、もっとアクセス増えるんだろうなぁとか思いながら、結局自分の好きな作家をぐるぐる回って読んでしまっています。
それでも、まだまだ読んでいない作品も多いので良いかとも思うのですが。
比較的最近読み始めた作家が、中上健司と古井由吉なのでもうなんかアレです。
しかし、特定の好きな作家の作品を読み続けるということは、彼女らにある一定の信頼感があるということ。
自分が望む世界へと彼女らが紡ぐ物語は連れて行ってくれるはず。
たぶん。
村上春樹が作家は信用商売とか言っていたように思いますが、その通りかもしれませんね。
もちろん、僕みたいな読み方を肯定しているわけではなくて、好きに読書すればいいと思いますし、僕もできれば話題のミステリとか読んでSNSで皆と盛り上がりたいわけですよ。
でも、なんだかそうできなくて十数人の作家の作品を延々と読んでいる。
それでも、1人の作家の作品群を読んで、時系列的に考えていくことは何かしら得ることがありますし、『ヒロの本棚』の読書スタイルなのだと思います。
頑固に昔ながらの煎餅を焼いている潰れかけの老舗みたいな感じですが、まあこんなふうにしかできないんでしょうね。
そんなわけで、どんなわけで。
好きな作家の1人の小川洋子の短編小説集『いつも彼らはどこかに』を読みました。
Xのフォロワーさんが好きな小説と言って下さっていたので、なにかそっと背中を押されているような安心感を覚えつつ読み進めました。
4、感想(ネタバレあり)
『いつも彼らはどこかに』というタイトルの短編小説集ですが、8編の短編小説のなかにこのようなタイトルの作品はありません。
短編小説集のほとんどが、その中の象徴的な1編のタイトルを短編小説集全体のタイトルにしますが、稀に収録されている短編小説のタイトルとは違うタイトルが短編小説集につけられることがあります。
『いつも彼らはどこかに』の彼らは、動物や虫たち、あるいはそれらの残骸であったり、模倣物であったりします。
かれら。
彼ら、という言葉が脳内をぐるぐるとリフレインしながら読み進めました。
そこには、動物園で雄々しく君臨するライオンも、家庭で可愛がられる愛猫も、男の子が満面の笑みで自慢するクワガタもいません。
この世界の片隅でひっそりと生きるものたちの物語が綴られています。
動物だけではありません。
彼女、彼らと触れ合う人々の生もまた、どこか限定されていてひっそりと消えていく線香花火のような儚さを感じさせられます。
その一瞬の邂逅。
全く劇的でもない、ありふれた日々の中でのささやかな交錯。
そんな小さな声で語られる物語に、僕は毎回どうしようもなく惹きつけられてしまうのです。
①帯同馬
デモンストレーションガールなんて言葉があったのをはじめて知りましたが、そういや試食をすすめてくる女性がスーパーにいたっけ。
主人公の「彼女」はそんなデモンストレーションガールとして、スーパーで働いていましたが、そこに何度も試食を食べに来る小母さんと個人的に仲良くなるという筋も面白いですね。
小母さんの話はほとんどホラ話だったのでしょうが、彼女と一緒に愛人の墓参りに行くことになった時に自身の境遇をディープインパクトの帯同馬としてフランスへと旅立ったピカレスクコートを重ね合わせるところが面白いですね。
主役はあくまでディープインパクトで、彼を慰めるためだけに帯同するピカレスクコートは、誰にもその存在を認められることなく、ただただひっそりと役目を果たすために海外へと向かいます。
移動することに恐怖を覚えて、行き止まりがわかっているモノレールにしか乗れなくなったしまった彼女は、小母さんが待ち合わせに来ないことを願います。
結局、小母さんは来ずに何もなかったかのように日常が再開する。
もし小母さんが来てたら、彼女は遠くまで行くことができたのでしょうか?
②ビーバーの小枝
結局会うことができなかった作家と翻訳家。
翻訳家からの手紙の追伸でいつもイキイキと振舞っていた息子のJに案内されて亡くなった翻訳家の家を訪れる作家。
森と池。
そこで小枝を齧り、自らの労働に勤しむビーバー。
そのビーバーの小枝を集めて翻訳の仕事をしていた翻訳家。
1人で机に向かって物語を紡ぐとき、ビーバーの頭骨の傍らに小枝を置いて、もう会うことはないだろう人たち、森の片隅で労働に勤しむビーバーたちを思い浮かべるラストがとても情感豊かで良かったです。
目に見えない繋がり、離れていてもそれぞれの場所で、それぞれの仕事をしているというかすかな連帯感のようなもの。
ほのかに胸が温かくなるようでした。
③ハモニカ兎
村のシンボルでありながら、薬になると言われていた黒い胃石のために撃ち殺されて絶滅してしまったハモニカ兎。
しかも、実は薬効がなかったことがあとでわかったのだから全く救いがないですね。
オリンピックが開催され、競技のひとつが村で新設されるスタジアムで行われるとのことで盛り上がる村の人々。
広場に置かれたハモニカ兎の日めくりカレンダーは0を指しますが村人たちが待ち望んだ開会式の飛行機は通らず、彼らの怒りはハモニカ兎に向かいます。
いやいや、誰かが日にちだか時間を間違えてるんでしょ?って感じですがハモニカ兎は罵倒されて、群衆に踏みつけられます。
いや、酷い。
食堂の男がハモニカを探し続ける姿もなんだか痛ましいものでした。
④目隠しされた小鷺
「アルルの女」をかけながら移動修理屋を営んでいる老人と、地元の画家Sの作品を展示しているうらぶれた美術館の受付の女性という、またなんとも小川洋子的なけったいな組み合わせです。
Sの裸婦の絵を集中して観るためにやがて受付の女性から目隠しをプレゼントされて、目隠しをしたまま彼女に導かれて裸婦の絵まで歩いてく老人。
うん、絵的に不気味すぎますね(笑)
裸婦のモデルの女性となにか因縁があるのでしょうか?
老人がSの裸婦の絵にこだわる理由は明かされませんが、その余白と謎がとても味わい深く、この短編を奥行きがある作品にしています。
こういう余白を感じさせらえるような短編小説が好きですね。
⑤愛犬ベネディクト
珍しく家族の話ですが、両親が他界していて、祖父と暮らす兄妹。
普通の幸せな家族なんて描かず、死別、離別は当たり前、それが小川洋子クオリティです。
まあ、小川洋子作品でサザエさんとかみたいな平和な家庭を描かれても、ポカンとしてしまいますが。
不登校になってしまった妹ですが、なにやらけったいなドールハウスを作り、すべて縮尺はおかしくてちぐはぐ。
レオナルド・ディカプリオら3人の映画俳優に熱烈に憧れるものの、彼らが出演している映画は決して観ない。
果ては、祖父が買ってきたブロンズの犬の像を本物の犬として飼い始めて、エサもきちんと与えだす。
この犬が表題のベネディクトです。
いや、妹めっちゃ変わってるやろ!!
自分の世界に閉じこもりつつクレイジーな妹に優しく合わせる兄と、祖父。
ええ人らやな。
でも、犬のエサは食べちゃいけません。
ラストで、ベネディクトはなぜドールハウスの中にいたのでしょうか?
⑥チーター準備中
1人で暮らしている中年の女性。
動物園の売店の仕事で生計を立てているけど、仕事帰りにアイスクリームを食べるくらいしか楽しみはない。
彼女の意識のベクトルは過去に向けられていて、何らかの理由でhという名前の子供を手放してから17年経っている。
ぞっとするような寂しさ。
なんとなくhは息子のように思いますね。
名前はhiroかもしれませんね。
「手放した」という表現が想像を掻き立てられますが、父方に離婚して引き取られたのでしょうか?
ここにも大きな余白、空白。
Cheetah(チーター)の語尾に隠された発音されない「h」の文字。
こんなところに隠れてたのね、みたいにいじらしいというより、強い執着に背筋が寒くなるようです。
チーターの飼育係の青年との交流。
息子と彼を重ね合わせていたという考察は安直でしょうか?
しかし、彼はチーターではなく、別の動物の、hを隠し持たないアメリカバクの担当になってしまいます。
準備中の札がかかった動物がいない檻を見物するのが好きな彼女。
その理由は・・・。
しかし彼らはもういないのだった。私はいくらでも、いないものについて考えることができるのだった。
なにもいないから。
いないものについて、いくらでも考えることができる私。
いや、もうやめてください小川洋子さん。
この一文に心臓が凍りつきました。
⑦断食蝸牛
風車が舞台ということで、思いっきりヨーロッパな雰囲気の短編。
風車守の男がなんとなく、『ホテル・アイリス』の翻訳家の男のイメージに重なりました。
風にはためくスカートとか、どこか隠れたエロティシズムを感じたのは僕だけでしょうか?
風車守を巡る2人の女性の恋のさや当て的な3角関係の話でもあったかと思います。
断食施療院なる施設で暮らしている女性。
3度の食事がはぶかれて時間がゆっくり流れるとか、いや食べなきゃ死ぬでしょ(笑)
この施設にある落丁本を集めた落丁図書館も面白い。
落丁本を集めてどないすんねん?
読書を進めていて突然ページが途切れてしまう様を、風車の梯子から足を滑らすように、落丁の空白に墜落していくと表現する小川洋子の表現力・・・。
好きすぎます。(語彙)
ラストの崩壊。
呆然とする風車守の姿が印象的でした。
⑧竜の子幼稚園
他の作品でも思いましたが、小川洋子の作品において「子供の死」が繰り返し描かれます。
以前から不思議だったのですが、彼女が繰り返し「子供の死」を描く理由はなんなのだろうと思います。
自身のお子さんを亡くされたというのが一番うなずける理由ですが、なんとなくそうではないような気がしますし・・・。
ご兄弟や、仲のいい友達が若くして亡くなってしまったみたいな経験をしたのでしょうか?
それとも、グリム童話に影響を受けた小川洋子の物語の世界では子供の死はよくある話なのでしょうか?
マッチ売りの少女も最後は死んじゃいますしね・・・。
そんなわけで、この短編でも子供が5歳になる前に亡くなってしまっています。
竜の子幼稚園の滑り台の手すりにカバンが引っ掛かって窒息死してしまった主人公の弟。
だいぶ壮絶な事故死ですね。
身代わりガラスに依頼人の大切なものを入れて代わりに旅をするって面白い発想ですね。
とてもファンタジーな展開で弟と再会しますが、やたら水の描写が多かったりしましたし、あの世へと渡ったという隠喩でもあったのでしょうか?
5、終わりに
小川洋子作品は、定期的に読んでいて小説に関しては相当な数を読んだと思うのですが、まだまだ素晴らしい作品に出合うことができてうれしく思います。
『いつも彼らはどこかに』も、他の作品では見られなかったような動物たちのひそやかな姿を描きつつ、いつもの小川洋子的な世界観と狂気そして美しさが感じられて素晴らしい読書体験でした。
劇的な展開も身を切るような恋愛もこの本には描かれていませんが、この世界の片隅でひっそりと遠慮深くいきる「彼ら」の姿に胸を打たれました。
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