1、作品の概要
小川洋子、8作目の中編。
1994年10月に刊行された。
表題の『薬指の標本』と『六角形の小部屋』の2編の中編が収録されている。
『薬指の標本』は2005年にフランスで映画化された。
2、あらすじ
『薬指の標本』
工場でサイダーを作る仕事をしていた「わたし」は、左手の薬指の先を機械に挟まれて失ってしまい、標本室で働くようになった。そこは様々な品物が持ち込まれて瓶詰めの標本にされる不思議な場所だった。
「わたし」は標本室の主の弟子丸氏に靴をプレゼントをされて、恋人のような奇妙な関係になっていくが・・・。
『六角形の小部屋』
スポーツクラブで偶然出会ったミドリさんのあとを追いかけて、奇妙な六角形の小部屋にたどり着いた「わたし」は、部屋の管理人のミドリさん、ユズルさん親子と交流しながら、次第に「カタリコベヤ」に魅せられて足繁く通うようになっていく。
婚約していた美知男を何故憎むようになってしまったのか・・・。「わたし」は辿たどしく、自らの想いを語り始める。
3、この作品に対する思い入れ
小川洋子さんの小説はツィッター、ブログなどでみなさんオススメになっていて、とても気になっていました。
そんな折、ツィッターでやり取りさせて頂いた方からこの本を紹介させていただいて読んでみました。
両作品とも不思議な手触りがある作品で、その世界観に魅了されました。
どう表現したらよいのだろう?
綺麗な和音が鳴っている中に、一音だけずれて不協和音を奏でているいるみたいな音が混じっているみたいな、静謐さのなかに潜んでいる不穏さのようなものを感じました。
indochine - les silences de juliette
4、感想・書評
『薬指の標本』
奇妙にふわふわと現実から乖離した不思議な世界観を持った作品だと思いました。
村上 春樹の『風の歌を聴け』みたいに日本のどこかの街の物語と思えないような、「生活」や「現実」から離れた感覚。
文庫本で80ページほどの短い作品なのですが、濃密に形作られた世界観に引き込まれました。
「わたし」は、左手の薬指を失ったことでそれまで勤めていた清涼飲料水の工場でサイダーを作る仕事を辞めて、偶然張り紙を見つけた標本室の仕事に就くことになります。
「標本室」というのがまた奇妙ですね。
オーナーの弟子丸氏も謎が多いですし、標本技術室の中にも誰も立ち入れません。
そもそも、広告も出していないのに標本を必要とする人々が自然とやってくるというのも不可思議です。
標本にすることによって、人々は何を得るのでしょうか?
封じ込めること、分離すること、完結させることが、ここの標本の意義だからです。繰り返し思い出し、懐かしむための品物を持ってくる人はいないです
例えば、大切な想い出、忘れられない素敵な記憶などではなくて、どこにもいけないやるせない想い。自分の心から切り離して昇華させたい心の靄みたいなものを標本にして、先に進んでいくのでしょうか?
火事で家族を失った少女は家の焼け跡に生えていたキノコを標本室に持ってきました。
家族を失った悲しみや、混乱を分離させて封じ込めたかったのでしょう。
標本室とはそのような場所で、標本にする作業は全て弟子丸氏が一人で行い、標本技術室には誰も立ち入ることはできません。
そんな弟子丸氏と「わたし」はひそやかな恋に落ちます。
恋という言葉を使っていいのか?恋愛のときめきや、引力みたいなものはなく、ひそやかで決められた儀式のように2人は浴場で時間を過ごすようになり、従順な「わたし」は弟子丸氏にされるがままに自らを捧げていきます。
「わたし」標本室で働き出して1年目に弟子丸氏から靴をプレゼントされます。
それは、「わたし」の足にとてもピッタリな素敵な黒いか皮靴でしたが、弟子丸氏は毎日その靴を履いてきて、自分が見ていない時もその靴だけを履き続けるように要求し、それまで「わたし」が履いていたビニール靴を床に叩きつけてしまいます。
一連の動作に荒々しさはないのですが、むしろ冷静に狂っていて支配的な感じで寒気がします。
それ以降、「わたし」と弟子丸氏は浴場で逢瀬を重ねますが、弟子丸氏はどこか偏執的でそこには歪んだ愛情を感じます。
あまりにも長い時間動けなかったので、わたしは彼の中で、標本にされてしまったような気分だった。
「わたし」の服を全部脱がせて靴だけは残して・・・と、エロティックになるべき場面もまるで実験をする科学者のように淡々としています。
谷崎潤一郎の作品なら情感たっぷりに官能的に描かれるのでしょうが、フェティシズムを感じさせながらも性的なものを感じません。
とても不思議な感覚でした。
「わたし」の靴は特殊な靴で、標本室に来た靴磨きのおじさんからあまりにも靴と足がぴったりすぎで、靴が足を侵し始めていると忠告をされます。
おじさんは、靴を履き続けると足をなくす事になるとも言います。
2度目に「わたし」が歩道橋の下で靴磨きのおじさんに出会った時に「今、この靴を脱がないと靴から逃げられなくなる」と忠告されますが、「自由になりたくないんです。この靴をはいたままま、標本室で、彼に封じ込められていたいんです」と答えます。
それは恋愛というには温かみに欠けた関係かもしれませんが、縛り付けて不自由に閉じ込められていたいという常軌を逸した感情が「わたし」を支配しています。
作中では、弟子丸氏の異常性がクローズアップされていますが、「わたし」も空虚で存在が希薄な人間です。弟子丸氏はそういった空っぽで従順な人間を求めていたのかもしれませんし、そういったお互いの歪さが引き寄せあったのかもしれません。
「わたし、今まで一度も恋人なんて呼べる人と付き合ったことがないから、よく分からないのです。ただ、彼とはどうしても離れられない、そういう気持ちと情況は確かにあるんです。そばにいたいなんて、なまやさしいことじゃなく、もっと根本的で、徹底的な意味において、彼に絡めとられているんです」
恋じゃないかもしれないけど、存在を根本から絡め取られている。
何もかも彼に委ねて。
耽美的で甘い表現のはずですが、どことなく湿度に欠けて甘やかさに欠けているように感じました。
「本当に標本室に戻ってしまうのかい?」
「ええ」
「そうかい。じゃあ、もう会えないな。元気でな」
この会話の場面、ぞくりときました。
靴を脱がずに標本室に戻るということは外の世界を歩き回る自由を放棄することだったでしょう。
そうして、「わたし」は自分の薬指を標本にするべく標本技術室のドアをノックします。
今までいた女の子はどこにいってしまっていたのでしょうか?
あのやけどを標本にしにきた女の子は?
みんな標本技術室の中で消えていったのでしょうか?
きっと「わたし」は今まで胸躍るような瞬間や、心が熱くなる瞬間とは無縁で、茫漠とながれるように生きてきたのではなかったのでしょうか?
そして弟子丸氏と出会い、彼の執着と狂気に絡め取られ、がんじがらめに縛り付けられてある種の歪んだ 愛情に囚われることを自ら望んだのでしょう。
きっと、今までの事務の女の子と同じように。
5、終わりに
2篇とも、とても不思議な手触りの作品でした。
特に『薬指の標本』の耽美で偏執的な弟子丸氏の愛情と、「わたし」の空虚さが心に残りました。
まるで春の夜みたいな生暖かいけど、少し冷たくて、蠱惑的な作品だと思いました。
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