1、作品の概要
遠藤周作の沈黙が原作のマーティン・スコセッシ監督の映画。
2016年にアメリカで映画化した。
日本では2017年1月に公開。
出演は、アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー、日本からは窪塚洋介、イッセー・尾形、浅野忠信、小松奈々、加瀬亮などが出演している。
2、あらすじ
江戸時代初期、日本では禁教令(キリスト教禁止令)が発令され、キリシタンが弾圧されていた。
ボルトガルのイエスズ会の神父、ロドリゴ神父とガルペ神父は師であるフェレイラ神父が遠く日本の地で帰郷したと聞き布教のため日本に渡ることを決意する。
途中、マカオで出会ったキチジロー(窪塚洋介)の手引きで秘密裏に長崎のトモギ村を訪れ、彼らの貧しい生活に驚きながらも幕府の目を盗んで布教活動を始める。
キチジローは踏み絵により棄教し、棄教しなかった家族を殺された過去を持っていた。キチジローは2人の親父を故郷の五島列島に連れて行き、そこでも共に布教活動をする。
しかし、幕府にトモギ村での布教活動を見つかり、棄教しなかった3人の村人は殺されて、キチジローは再び棄教し生き残った。ガルペ神父は処刑されようとする村人達に駆け寄ろうとして殺され、ロドリゴ神父は囚われの身となる。
やがて踏み絵をし、棄教するようせまられるロドリゴ神父。彼は悩んだ末に・・・。
3、この作品に対する思い入れ
遠藤周作の原作を昔に読んで、強い共感と物語のもつ深みを感じました。
その『沈黙』を巨匠スコセッシ監督が映画化すると聞いて楽しみにしていました。
平日の昼間に一人で観に行ったのですが、年齢層が高いこと高いこと(笑)
シスターもいらっしゃっていました。
暗いトーンの映画でしたが、強く心に残る作品になりました。
原作 遠藤周作「沈黙」×監督マーティン・スコセッシ/映画『沈黙-サイレンス-』特報60秒
4、感想・書評
映画ならではだと思うのですが、貧しい農民たちの苦しみや、拷問の凄惨さが映像でとてもリアルに伝わってきました。
ロドリゴ、ガルペ両神父を迎え入れるモキチら村人たちの無垢で真摯な表情、弾圧され、苦しい生活を強いられてそれでもなおキリスト教の教えに縋る姿が印象的でした。
「なぜ弱い我々が苦しむのか?」という映画のキャッチコピーそのままに弱く貧しい村人たちが弾圧され、神の名を一心に叫びながらそれでもパライソに行けると信じて、惨たらしく殺される様をロドリゴは見せつけられ続けます。
信仰ゆえに殺されていく彼らの姿を見て、沈黙を続ける神にロドリゴの心は揺れて目の前の人々を救うために棄教するか、自らの信念を貫き通すか激しい葛藤に襲われながら苦悩するさまが描写されています。
物語が進むにつれて始めはあくまで外国から布教に来た神父といった風体のロドリゴですが、土にまみれ、雨に打たれてこの地の農民と同じように薄汚れて同化していきます。
よそ者として来ていたロドリゴが次第に日本という国の文化、風土に飲み込まれていく様を描写しているように感じました。
この時代の日本という国の文化、風俗は島国特有の独特で閉鎖的なもので、そのような国で布教活動を行うのはとても難しいことであったように感じます。
僕自身はクリスチャンではありませんが、大学がキリスト教のプロテンスタントの学校で入学式、卒業式もチャペルでやっていました。
また、コーラス部に入っていたのですが賛美歌やミサ曲などを歌うサークルで、顧問の先生も牧師で何かとキリスト教的な教え、考え方に触れる機会も多く、日曜日の朝に何度か教会に通ったりもしました。
僕は、無宗教ですが大学時代に聖書を読んで、その意味を考えたり、牧師さんの話を聞いたりしたことは僕にとって得難い経験になりました。
当時、コーラス部に所属していた友人がクリスチャン一家で、よく一緒にご飯食べたりしていましたが、遠藤周作の『沈黙』を読んだあとに神が沈黙を続けることに対してどう思うかという質問をしたことがあります。
これは、キリスト教にとってタブーとも言える危険な問いであると思いますし、少し意地悪な問いだったかもしれません。
彼は「神が目に見える何かを示さず沈黙し続けるたとしても、それでも信じ続ける心のうちに神が宿る」と言ったニュアンスのようなことを言いました。
いや、もっとハッとなることを言ったのだと思うのですが、なんせ20年前で記憶が朧げです(^_^;)
そして、ロドリゴが出した答えは何だったのか?