1、作品の概要
2012年に刊行された小川洋子の書き下ろし長編小説。
朝日新聞社より刊行。
2、あらすじ
小鳥の小父さんと呼ばれる男性が、自宅で鳥籠を抱いて亡くなっているのが見つかった。
彼には日本語を一切話さずポーポー語なる独自の言語を話す兄がいて、両親が早く亡くなったあとは2人で生活していた。
風変わりな兄の影響で小鳥を愛で、幼稚園の鳥小屋の世話をボランティアでしていた小鳥の小父さん。
彼の慎ましい人生に起こったいくつかの印象的な出来事の陰には、いつも小鳥の存在があった。
3、この作品を読んだきっかけ、思い入れ
小川洋子さんってとても不思議な作家で独特の「閉じた世界観」がクセになるというか。
定期的に読みたくなる作家の一人です。
『ことり』はツィッターでもおすすめしている方が多くてすごく気になっていました。
またしても彼女の独特の物語の世界に囚われている自分がいます。
4、感想・書評
小川洋子の作品は、様々な事件が起きてたくさんの人々と関わりつつ大きく物語が動いていく、なんてことはなくて限られた登場人物の中であまり変化がなく物語が進行していくことが多いです。
『ことり』でも主人公の小鳥の小父さんが活動的ではない人間であることもあって、ほぼ自宅の数百メートル内で完結する閉じられた物語です。
登場する人物も小鳥の小父さんと関わる数人の人々がメインでとても閉塞的な感じがします。
でも、そういった物語が好きか嫌いかと問われるともちろん大好きで、いや閉じてればいいってもんだもないんでしょうけど、閉じている分物語の密度がとても濃くてその「濃度」こそが小川洋子の真骨頂なのではないかと思います。
まだ4作しか読んでない読者が何を偉そうにって感じですが(笑)
余談ですが、村上春樹の『騎士団長殺し』も非常に閉じられた作品だと思っていて、大半は半径数百メートルで完結している物語だと思います。
そういった物語の閉鎖性が何をもたらすのか?
それは、物語の密度であり、登場人物の考え方や価値観などを文章で深く掘り下げていく精度であるのではないかと思います。
『ことり』でもお兄さんと小鳥の小父さんの感性や関係性などを深く描写していった結果この二人の主要人物がとてもリアリティを持って物語の中で浮き上がっています。
それは、お兄さんが亡くなった後でも、ことあるごとに小鳥の小父さんの行動を規制して規定していくと同じように、僕たち読者の目線や思考をも「お兄さんならこう考えるよね」とか、「お兄さんならきっとこう感じる」などの方向に誘導していきます。
これだけ登場人物の思考や行動に深く寄り添い、まるである種の呪いのように囚われ続ける物語があるでしょうか?
お兄さんがどのように行動して描写し続けて、弟である小鳥の小父さんがお兄さんに対してどのような気持ちで接していてるのか、どんな影響を受けたのかを物語の前半部分で描いています。
ある種の執拗さを感じるレベルで。
そして、お兄さんが死んでしまい小鳥の小父さんが一人になってしまった後も小鳥の小父さんはお兄さんの思考や振る舞いにずっと強く影響されて囚われ続けます。
まるでグリム童話で呪いをかけられて永遠に踊り続けるマリオネットのように。
小鳥の小父さんの人生には、ずっと小鳥の存在があって彼の人生の支えにもなっていますが、その小鳥に対してもお兄さんの存在が常にこびりついていてずっとイメージを規定し続けます。
それでも、図書館の司書に淡い恋をしたり、あおぞら薬局の店主と交流したり、幼稚園の鳥小屋を掃除することで園長先生や園児達とささやかな繋がりが芽生えたり。
小鳥の小父さんは、小鳥の小父さんなりに生きていきます。
そして、小鳥の小父さんらしく死んでいきます。
何かもっと違う人生があったんじゃないかと思いますし、小鳥の小父さんが出会った人々はすれ違っていき彼の人生から残らずこぼれ落ちていきます。
あっ、唯一ずっと一緒だったのはあおぞら薬局の店主ですが、彼女の存在は何か不思議な印象です。
小父さんの相似系というか・・・。
彼女はこの薬局という場所に縛り付けられているように思いまうす。
そして、またここにひとつの呪いがあるように思えます。
たくさんの人とすれ違って、想いが届かなくて、小鳥ではなくて子取りだと言われて通り名さえも汚されて。
何かいたたまれないようにも思えるのですが、小鳥の小父さんはずっと心の中にある確かな何かに従って行動しているように思えます。
それは、お兄さん過ごした日々とそれによって与えられた感性と考え方で。
別に他者にどう思われようと、深い意味ではそれほど傷ついてはいなかったのではないかと思います。
人生で大事だと思えるものは限られているし、それが手の内にあるならば何も恐れるものはありません。
他人の感覚や、意見など、関係ありません。
一体彼らに何がわかるというのでしょうか?
お兄さんと小鳥の小父さんは、両親を早くに亡くしたし、一般的にみてそれほど幸福な人生を送ったとは言えないと思います。
でも彼らの感性や思考、そして生きるということにどれだけ満ち足りていたのかという心の中の風景。
それを物語として目にした時に、僕達は彼らの人生を切り捨ててしまうことはできないはずです。
小鳥は、常に彼らの傍らにいて青空に澄み渡るような澄んだ声で鳴き続けていたのだと思います。
5、終わりに
ブログ書かなかったら、「なんかいい小説なんだよ!!」で終わってたかもしれませんが、自分なりにアウトプットしていくうちにこの物語の核のようなものに少しだけ触れられたような気がしました。
小川洋子の作品に触れていていつも浮かんでくる言葉が「呪い」だと言ったら彼女の作品のファンは怒るのでしょうか?(^_^;)
でもどの物語でも、ある種の支配や呪いが幅を効かせて登場人物の行動を規定して、結末へと導いていくような気がしています。
靴が踊り続けて最後は姿を消してしまうグリム童話の話みたいに。
誰も目が届かない最後に連れ去っていってしまうように思えます。
小鳥の小父さんもまた、お兄さんの呪いを背負って心臓が止まるまで踊り続けたのでしょうか?
僕は悲観的というか物語の暗い側面についついスポットを当ててしまうのですが、心温かなエピソードも多かったと思います。