ヒロの本棚

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【本】小川洋子『約束された移動』

1、作品の概要

 

『約束された移動』は小川洋子の短編小説集。

2019年に刊行された。

全6編で、211ページ。

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2、あらすじ

①約束された移動(文藝2019年秋季号掲載)

客室係の「私」は、美しい顔を持つ男性俳優Bがロイヤルスイートに宿泊後の部屋の清掃を担当することになった。

そして、本棚から1冊の本が消えていることに気づく。

Bと「私」の密やかな秘密が始まる。

 

②ダイアナとバーバラ(文藝2019年夏季号掲載)

病院の受付係のバーバラは、「わかります、わかりますよ」が口癖で他人の話を聞いて安心させるのが上手な老女。

休日は、ダイアナ妃の洋服をまねて服を作り、その服を着て外出するのが

唯一の楽しみだった。

離れて暮らす孫娘と一緒に、今日もお気に入りのドレスを着てショッピングモールへと出かけるが・・・。

 

③元迷子係の黒目(2019年冬季号)

「私」の家の隣に住む「ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹」は、いつも気難しそうにタバコをくゆらせていた。

家族が留守中に、熱帯魚の世話を頼んだことがキッカケで「末の妹」と交流するようになった「私」に彼女はデパートの迷子係として働いてきたときのことを話してくれた。

ある日「私」は父親が大切に育てていた熱帯魚を全滅させてしまい・・・。

 

④寄生(文藝2009年秋季号)

彼女にプロポーズをしようとしていた「僕」は、待ち合わせのレストランに向かう途中、老女にしっかりと右腕にしがみつかれてしまう。

どうにも離れてくれない老女を連れて、交番に駆け込むが・・・。

 

⑤黒子羊はどこへ(『どうぶつたちの贈り物』PHP 2016年1月)

託児所「子羊の園」は、園長である寡婦の女性が難破船から流れ着いた2匹の羊を連れて帰り、黒い子羊が産まれたことから誕生した。

子供たちに慕われていた園長は、かつての園児のJがくれたイヤリングを宝物に、彼の歌をこっそり聴きにナイトクラブ(の隣の路地)へと通っていた。

 

⑥巨人の接待(文藝春秋2009年12月号)

日本を訪れた「巨人」と呼ばれる世界的な作家。

彼は、バルカン半島の小国に住み、その国の地域語でしか話さず、物語も地域語で書かれていた。

そんな「巨人」の通訳を任された「私」は、変わり者と称される「巨人」と次第に心を通わせる。

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

そろそろ歯医者で検診とホワイトニングをお願いしなきゃとか、車の点検やオイル交換をしなきゃとか、みたいな頻度で小川洋子の物語を「摂取」しなきゃ、と思って図書館で借りました。

特殊な栄養素が、特定の食材でしか摂取できないように、僕の精神的な栄養素の中にも小川洋子の物語でしか摂取できないものがあるように思います。

そんなわけで、図書館で未読の『約束された移動』(とてもいいタイトルだ)を見つけた時に、反射的に手がのびるのを止めることはできませんでした。

 

医者「あなたの精神は偏っています。○○が不足しているようです」

ヒロ氏「そうですか。どうやって補えばいいのでしょうか?サプリメントなどありますかね?」

医者「いえ、そんな必要はありません。定期的に小川洋子の物語を摂取してください。随分よくなるはずです」

ヒロ氏「どれくらいの頻度で接種すれば良いのでしょうか?」

医者「それはあなたの心が教えてくれます。小川洋子を読みたいと思った時にあなたの精神の特定の部分が渇いて欲しているのです」

みたいな場面を妄想してしまいましたが、そんなイメージで彼女の物語を欲してしまいます。

 

 

 

4、感想(ネタバレあり)

①約束された移動

いやぁ、いいですねぇ。

フェチフェチしてて。

Bの髪の毛を収集するところとか偏執狂っぽくて最高です。

表題作だけあって、6編の短編の中で最も小川洋子らしさが出ている作品のように思えます。

「約束された移動」っていう言葉もなんだか良いですね。

 

だいぶストーカー案件かもしれませんが、Bとの密やかな、そして一方的な秘密。

いつだって秘密は甘美で、全く興味がなかったBに、全てを注ぐほどの魅力を賦与するほどのものだったのでしょう。

 

華やかな表舞台に立っているBの暗部。

秘密は暗ければ暗いほど、共有するのが甘美になる。

不義の貫通による快楽もこの類だろう。

 

ましてやその暗部が、1冊の本という明確な形を取っていたのなら。

Bの懊悩、絶望、悲しみ。

そんな暗い感情の襞にひとつひとつ口づけて指を這わすように、客室係の「私」はBの闇の残滓を

貪りつくしたのでしょう。

 

②ダイアナとバーバラ

①~③の作品は同時期に書かれていたこともあり、職業をテーマにしているというところで共通点があり、作品の空気も近しいところがあります。

病院の案内係をしているバーバラは、誰よりも相手の不安な気持ちをほぐすのが上手で完璧な傾聴(相手の話に深く丁寧に耳を傾け、共感的理解を示す)で職務を果たしています。

 

介護の世界でも、傾聴は基礎的かつ最も重要なコミュニケーション方法で、これを上手にできるかどうかで、ご利用者との信頼関係の構築に雲泥の差が出てきます。

手前味噌ですが、僕はこの傾聴にはだいぶ自信があるんですよ。

コツは、自分を自我を消すこと。

相手の話を聞くことに集中して、自分の主張を消して、なおかつ相手が好むタイミングで自分の感想や相槌を打つ。

簡単なようで奥深い技術だと思いますし、余談ですがこの「相手の話を聞く」ことこそカーネギー『人を動かす』の神髄だと思って実行し続けています。

聴くは、耳に心がついているのでそういうことでもあります。

 

バーバラは傾聴の達人で、でもだからこそ彼女の声は誰も聴いてくれなくて。

インターネットがあるならSNSで自我を解放して、バーバラの本棚みたいにブログを書いても良かったのかもしれませんが、彼女はダイアナのファッションを真似ることに心血を注ぎます。

それは、滑稽なことであったのでしょうが、彼女の精一杯の自己表現だったのでしょう。

読書家の孫娘は、バーバラの物語を読み取って、最後の「そうでしょう」に繋がったのだと思います。

随分と変わった形ですが、これもまた継承なのかもしれません。

 

③元迷子係の黒目

『黒子羊はどこへ』の物語とも共通しているように、自身は子供に恵まれなかったのに、子供に好かれる特殊技能を持った女性の物語。

通常の日本的な家庭ってほとんど描かれていないし、どことなくそのような家族の愛情から乖離した人たちが小川洋子の物語では描かれていますね。

透徹とした孤独。

 

末の妹もそんな孤独の中生きています。

そして、迷子係という特殊な職業にのみいきる特殊な技能。

なんだろう、そんなニッチな世界にしか発揮されずに、多くの人に認知されないまま錆びついていくような一瞬のきらめきを目にしていると胸の奥が軋んだ音を立てるように思います。

幼いころに大事にしていたおもちゃが壊れているさまをずっと眺めているような。

そんなどうしようもない切なさに心が浸されます。

 

読んでいる僕の心が迷子になってしまうような、さみしいけど素敵なささやかな短編。

 

大勢の子どもを帰るべき場所に返してきたのに、自分の子どもだけは戻ってこなかった元迷子係は、水槽で泳ぐ熱帯魚のように、今、小さな四角に守られている。

 

④寄生

なにか奇妙な話ですが、老女の寄生と、彼女との初デートで話していた寄生が重なり合うような話でした。

最後、間に合って良かったし、25年後の未来には2人が幸せに一緒にいられたのでOKでしょうか?

 

⑤黒子羊はどこへ

この話も良いなぁ。

あまりこれまでになかった話のようにも思えますが、なんだろうここでも透徹とした孤独、ひどく限定された人生に光が当てられています。

羊がきっかけで自らの天職ともいうべき保母の職について。

園児だったjのことが原因で命を落とすまで。

 

とても限定された生。

小川洋子の物語に出てくる人たちは限定された人生の中でとてもひっそりと生きて死んでいきます。

それは、日陰の道端に密やかに群生しているタンポポのようです。

 

そんなひっそりとした物語が。

なぜかとても。

僕の心を強く惹きつけます。

太陽が真上に近づくにつれ、黒色はより深みを帯びてくる。それに導かれて人々は、死者に相応しい場所を目指してどこまでも歩いてゆく。

 

⑥巨人の接待

 

「巨人」が未知の存在なのですが、段々と身近になっていくみたいな感じですが、通訳の彼女との交流が良いですね。

村上春樹も海外では案外こんな扱いなのかもしれないなぁ、とかニヤニヤしながら読みました。

 

そう。

いつもこんな感じ。

電撃的に理解し合うとかじゃなくて、密やかな共感。

一瞬のシンパシーと、別れ。

小川洋子的だなと思ったり。

 

バルカン半島の小国って、ユーゴスラビア紛争を彷彿とさせられたし、『密やかな結晶で』控えめにナチスドイツに対しての嫌悪を示した『アンネの日記』好きの小川洋子の世界に対してのささやかなメッセージを感じたように思います。

ホテルの部屋でいつしかリンドウはすっかり枯れ落ちている。

 

 

 

5、終わりに

 

派手さはないけど、スルメイカみたいな噛めば噛むほど味が出るような短編だったと思います。

これからも僕の精神の安定には欠かせない作家の1人が小川洋子で。

定期的な摂取をしたいと思います。

 

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