1、作品の概要
2019年に刊行された小川洋子の最新の長編小説。
書き下ろし。
2、あらすじ
「私」は元幼稚園だった建物に1人で住んでいる。
幼稚園の講堂には、子どもを亡くした親たちが想い出を納めた『小箱』が置いてあり親たちは子供達と触れ合うために幼稚園の講堂にやってくる。
この世界では、子供たちは次々と死に絶え、もう生まれてくることはない。
産院は爆弾で爆破された。
「私」は喋る声が片っ端から歌になるバリトンさんに、彼の恋人の手紙の翻訳を依頼されていた。
恋人の手紙はある日から極端に小さな文字になってしまい読み取れなくなっていた。
園庭を歩きながら、解読した手紙をバリトンさんに読み聞かせながら「私」は次第にバリトンさんに想いを寄せるようになっていくが・・・。
3、この作品に対する思い入れ
僕が読んだ小川洋子の2作目の作品になります。
ツィッターでおすすめをされて『薬指の標本』を読んでみたのですが、非常に独特な世界観。
耽美的とも言える狂気を湛えためくるめく偏執的な愛の物語に魅せられました。
一見、普通の物語のように思えるのですが、現実より半音だけずれていて不協和音を奏でているような・・・。
そんな小川洋子の作品の世界観に魅せられて『小箱』も読んでみましたが、この物語に引き込まれました。
4、感想・書評
①独特な世界観、現実から半音ズレた世界
『小箱』の世界観もとても独特で現実から少しずれいていて、閉塞して完結しているような世界のように感じられます。
読み勧めていて、村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わりの世界観に似たものを感じました。
一つの街で完結されていて、人々は何かしらの深い欠損を抱えながらも、とても平坦な感情を抱えながらある種満ち足りたような表情で生きているというアンビバレンツ。
一人一人の音楽会や、講堂の小箱への執着・・・。
過ぎ去ってしまった何かに、心を砕いて捧げるような祈りと儀式。
とても真剣に厳かに一心に今は亡き存在に自らを捧げ続けるような行為は美しく清らかなようであります。
しかし、薄ら寒い救いようのない狂気も感じさせます。
②濃い死の影とゆるやかな狂気を纏う人々
作中にはとても濃い死の影が絶え間なく漂っています。
はっきりとは語られていませんが、おそらくこの世界にいた子供たちはすべて死に絶えてしまい、何らかの理由で新たな命が産まれなくなってしまったのでしょう。
子どもを亡くした親達は子供達の体の一部を楽器に変えて自分にしか聴こえない音を演奏したり、幼稚園の小箱に想い出の品を入れて子供達を想います。
それだけでは飽き足らず、子供達が存命なら達したであろう年齢に合わせて箱に入れるものを変えたり、子供達が生き続けられなかった物語の先を創造しようとします。
そこで強調されるのは悲哀よりむしろゆるやかで静かな狂気です。
何かを壊してしまうような感情、愛情ではないけど徐々に浸透して人々の精神を蝕んで壊してしまうような遅効性のウィルスのようにゆるやかに毒に侵されていくようなイメージがあります。
そして、自分達もこの完結した世界でゆっくりと死に絶えていく・・・。
そんな予感に満ちているように想います。
③「私」、バリトンさん、とその恋人の不可思議なトライアングル
バリトンさんと、病院に入院している恋人との文通。
小さくなりすぎてしまった恋人の文字を解読してバリトンさんに朗読する「私」ですが、恋人のバリトンさんへの愛情が偏執的でとても奇妙です。
字がどんどん小さくなって相手に読めないぐらいの大きさになるというのも異常ですが、恋人がバリトンさんに送ってきたセーターが自分の指紋を模したセーターで、自分もバリトンさんの指紋を模したセーターを着ているというのもお互いがお互いの存在を束縛し合うような執拗さを感じさせます。
そして、手紙の内容もはっきりとは書かれていませんが、どことなくエロティックな内容で翻訳している「私」も2人の愛の世界に囚われて、バリトンさんに想いを寄せるようになっていきます。
バリトンさんの恋人も「私」の存在を意識して、病んで死にいく自分の代わりにバリトンさんの横に誰かがいてくれるように託したようにも思います。
5、終わりに
美しい文章で淡々と語られる世界が少しずつ歪んでていて狂気を湛えている。
そんな、小川洋子の物語に引き込まれました。
読んでいる間にずっと不協和音がピアノで鳴っているような・・・。
そんな物語のように感じました。
死を想いながら、過去と共に生きる世界の人々の物語だと思います。