1、作品の概要
『ボーはおそれている』(原題:BEAU IS AFRAID)は、アメリカのホラーコメディ映画。
2023年4月21日にアメリカで公開され、2024年2月16日に日本で公開された。
上映時間は179分。
監督・脚本・製作は『ミッドサマー』『へレディタリー/継承』などのアリ・アスター監督。
主演は『ジョーカー』『ナポレオン』のホアキン・フェニックス。
配給会社はA24。
2024年8月2日よりレンタル開始。
中年男性のボーが母親の怪死を機に里帰りの奇妙な旅に出る。
2、あらすじ
ボー・ワッサーマン(ホアキン・フェニックス)は精神的に不安定な中年男で、精神科の診療を受けながら一人暮らしをしていた。
帰省の予定で飛行機のチケットも予約していたが、隣人とのトラブルで夜も寝られずに寝過ごしてしまい、部屋の鍵とスーツケースも盗まれてしまう。
外出した隙にホームレスに部屋も占拠されてしまい、翌朝帰宅すると部屋の前に死体があり、母に電話すると配達員が出て、シャンデリアに潰されて死亡した母親のことを告げられる。
落ち着こうと風呂に入ると、風呂場には不審な男はいるわで踏んだり蹴ったりなボーは、全裸のままで助けを求めるが車に轢かれて、シリアルキラーに全身をメッタ刺しにされてしまう。
轢かれた車を運転していたグレース(エイミー・ライアン)と、その夫で外科医のロジャー(ネイサン・レイン)は傷付いたボーを看病し、故郷へと車で送ることを約束するが・・・。
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
アリ・アスター監督×ホアキン・フェニックス×A24。
この組み合わせで、絶対に観たい!!って思いました。
あらすじとか見ても絶対に一筋縄ではいかないクセのある映画だろうと思っていましたが、創造の斜め上をいくカオスっぷりでした(笑)
4、感想(ネタバレあり)
いや、もう冒頭からアリエン・ロッベン(オランダの元サッカー選手)もビックリなぐらいにアリエン場面が連発でコレって現実なのってとこからでした。
100%現実ってことはないですが、夢幻、妄想、深層心理などが占める成分が高そうでした。
下手すると100%ボーの脳内で起きた出来事なんじゃ?って思わせられるほど。
まあ、でもこういう現実と夢想の境目がよくわからないぶっとんだ作品が好きだったりします。
僕も夢見がちな中年なので。
ボーは、不安に捉われやすいピュアな中年男性。
そして、だいぶポンコツです。
序盤のドタバタはもうコメディすぎて、全裸で往来を走り出す場面とか、いやなんでそうなるねん(笑)って感じでした。
ただ、冒頭のボー誕生の場面の様子や、後の自宅のポスターの場面を見るに何らかの発達障害を持っていたことが想起させられます。
物語は4部で構成されていて、3時間長いなぁとか思っていましたが、わりとそれぞれのエピソードのインパクトの大きさと急展開で長さを感じずに一気に観られました。
あまり深く考えないほうが楽しめると思います(笑)
それだけ、だいぶ支離滅裂な考えられないような展開の連続ですので。
4部の展開の狭間に、必ずボーの意識消失が挟まれるのもなにか意味深ですね・・・。
もしかしたら、『インターステラー』みたいによりボーの精神の深い領域へと潜っていく表現なのかなぁ。
知らんけど。
物語の核は「母親の支配」で、死、性の拒絶などがキーワードとして描かれています。
いや、もうやたら簡単に人が死にますね。
昭和のトレンディドラマばりに、サクサクと。
そんなんで死ぬか?って思いますが。
初恋の彼女エレインとセックスしただけで、彼女はなぜかそのまま死んでしまいます
これはボーの心が父親の死に捉われ続けていることの顕れなのでしょうか?
父の不在もボーの精神に重大な影響を与えています。
そして、性の拒絶。
これは母親のモナが性を拒絶していて、ボーに対しても性的な目覚めをして欲しくないという欲求があることを示唆しているように思います。
いつまでも、清らかな童貞でいてほしい。
エレインとセックスして、彼女が死んでしまうのも、天井裏の父親が男性器の形をした化け物だったのもモナが性行為に対して強い軽蔑を抱いていたからなのではないでしょうか?
父親も、その父親も初めてセックスして腹上死したというでまかせを言ったのも、ボーに呪いを与えて、セックスすることをためらうように仕向けたからなのだと思います。
モナにとって、男女間の愛やセックスは唾棄すべきもので、しかし子供は授かりたかったというところでしょうか?
そう考えると、エレインがモナ・ワッサーマンの会社に入社して、あの時間に一人だけ訪れたのも偶然とは考えにくくなります。
モナによって仕組まれていたと考えるのが妥当でしょう。
エレインは、モナがボーに仕向けた踏み絵のような存在。
禁を破ってしまったボーは、モナにとってもはや不要の存在であったのかもしれません。
ボーの診療をしていたフリール医師もモナにコントロールされていて、グレースとロジャーの家にいた時の行動もすべて盗撮されていた。
グレースから78番と言われて、観た映像には過去のみならず、未来までもが映し出されていました。
実家のモナのアートに写っている写真の中にロジャーらの写真があったことの意味は・・・。
もしも、これが100%現実だったとしたら。
どう考えても荒唐無稽なこの話が全て現実であることが有り得るのなら、それは富豪であるモナがたくさんの人を雇ってボーの行動を徹頭徹尾コントロールしていたことになります。
いや、恐ろしい・・・。
水の底に沈んでしまうラストも含めて、結局母親の支配から抜け出せなかった哀れなボーの人生が表現されていた映画だと思います。
ボーが一番おそれていたもの。
それは、母親のモナであったことは間違いないでしょう。
5、終わりに
いろいろと考察の余地がある映画だったかと思いますし、ポンコツなホアキン・フェニックスがわりと微笑ましくもありました。
それだけにモナの支配と独善に背筋がひやり。
アリ・アスター監督、強烈な生理的嫌悪を覚えさせるような独特の表現に平伏いたしました。
やはり、アリ・アスター監督とA24の作品からはこれからも目が離せませんね!!
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