1、作品の概要
2019年に公開されたアメリカの映画。
バットマンの敵役「ジョーカー」ことアーサー・フレックがいかにしてジョーカーになったのかを描いた作品。
作中にバットマンは出てこず、アーサーの暗い内面と殺人、ゴッサムシティの富裕層と貧困層の衝突が描かれた。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスはこの作品で主演男優賞を受賞、他に作曲賞を受賞し、全部門でノミネートされた。
2、あらすじ
善良で心優しいアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は認知症の母親のペニーを介護しながら、ピエロの仕事をしていた。アーサーは人を笑わせることが好きで、コメディアンになる夢を抱き、マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の番組で脚光を浴びることを夢見てた。
ピエロの仕事中、少年に暴行されたことで同僚のランドルに銃を借りるが、病院を慰問中に銃を落とし、解雇され、ランドルにも裏切られる。
ピエロの格好で乗った地下鉄で、持病の笑いが止まらなくなる精神的な病気のせいで酔っ払った会社員3人に暴行を受けるが、カッとなり撃ち殺してしまう。
この事件がきっかけで、貧困層と富裕層の対立が浮き彫りに、ピエロ姿殺人鬼は貧困層のヒーローとして崇められる。アーサーは意気揚々と、マレーのコメディアンショーに出演。途中で笑いが止まらなくなってしまうが、なんとか最後まで演じきった。しかし、警察の捜査の手が伸び、尋問されたペニーはショックで倒れて入院してしまう。
ペニーの手紙と、精神病院のカルテから、過去に市長のトーマス・ウェインと母親が恋仲にあったことを知るが、実の父親ではなくアーサーの精神的な病の原因を知る。
マレーの番組のスタッフから番組出演のオファーを受けて出演するが、アーサーを笑いものにする内容だった。
コメディアンになる夢、母親との愛情、父親への憧憬・・・。
そんなアーサーの心の中にある温かいものは砕け散り、彼の心は悪に支配され始める。
『ジョーカー』心優しき男がなぜ悪のカリスマへ変貌したのか!? 衝撃の予告編解禁
3、この作品に対する思い入れ
以前から、とても気になっていた作品で、観て思った以上のアーサーが持つ心の闇と狂気に虜になりました。
kenさんのブログでも絶賛されていてレンタルが始まったら観ようと思っていました。
そんなに同じ映画を繰り返し観るタイプではないのですが、『JOKER』はすぐにでも、もう一度観たいと思いました。
一昨日観終わったのですが、ずっとジョーカーのことばかり考えてしまいます。
4、感想・書評(ネタバレあり)
全編とにかく陰鬱な映画です。
アーサーは優しく善良な男ですが、精神的な病気を抱えて母親との2人の暮らしも困窮しています。
オープニングからピエロの仕事中に子供たちからリンチされて仕事に使ってた看板も壊されてしまいます。
とことん惨めです。
この時の音楽の使い方が良いですね。
重厚なクラシックのような弦楽器の曲で、何というかアーサーの惨めさがとても引き立つ演出です。
全編を通じて、音楽の使い方とても上手な映画だなと感じました。
画面のトーンも暗く、晴天の下、笑い合うような場面もないです。
アーサーはトラブルからピエロの職も失い、市の補助金で受けていたカウンセリングまで打ち切られてしまいます。
誇りとしていた仕事も打ち切られて、市からの支援も打ち切られて・・・。
精神的な病を抱えながらも、なんとか働いてその日を生き抜き、温かでささやかな希望を抱いていたアーサーですが、そんな希望も真綿で首を締められるように一つ一つ丁寧に打ち砕かれて、黒く塗りつぶされていきます。
仕事をクビになった後の暴力的なシーンが描写されていますが、元々こういう感情のコントロールができなくなるような素養を持った人間だったのでしょう。
哄笑したあとに、突然真顔になるシーン等、本当に寒気がします。
そして、電車の中での凶行。
地下鉄ホームのカメラにはピエロが証券マンの男を撃ち殺す場面がはっきりと映し出されていました。
電車で発泡。
なんか中村文則の『銃』を思い出しました。
元々貧富の差が問題になっていたゴッサムシティですが、アーサーのこの事件で殺人ピエロが一躍貧困層のヒーローとして描かれ、貧困層と富裕層の対立が徐々に激しさを増していきます。
そして、アーサーは罪への悔恨よりヒーローとして祭り上げられる暗い喜びのほうに浸るようになります。
この辺りのメンタリティが常軌を逸していて、自己陶酔的というか、自己正当化して、自分を陥れる存在を憎むような歪んだ自己愛を感じます。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスもインタビューで「アーサーはナルシスティックな男で、同情も共感もできない」みたいなことを言っていました。
同じアパートのシングルマザーの女性ソフィーと偶然エレベーターで知り合い、その次の日に彼女を尾行しますが見破られます。
しかし、何故か彼女と付きあうようになり・・・。
んん、自分を尾行するようなストーカーで無職の男と付き合うか??
って違和感を感じましたが、彼女と一緒に食事したり、母親のペニーが倒れた時に見舞いに来てくれたのは全部妄想でした。
ひぃぃぃいぃぃ。。
コワイ。。
ラスト付近でそのことが明らかになりますが、もう現実と妄想の境界が曖昧になっていきます。
コメディアンになるためにマレーの番組にも出演しますが、笑いものにされてしまいます。
コメディアンになって人を笑わせることを夢として生きてきたけど、その夢も打ち砕かれ、憧れのマレーからも奇人扱いされてしまう・・・。
母親も認知症で、市長のトーマス・ウェインが本当の父親だと言いますが、定かではありません。
しかし、精神病院のカルテを調べる(盗む)ことで、ペニーが過去に同居相手の男のアーサーへの暴行を止めなかったせいで、アーサーが精神病を患ってしまったことを知ります。
最愛の母親の愛情もまがい物だとしったアーサー。
母親への愛情、コメディアンへの夢、父親への憧憬・・・。
アーサーをかろうじてこの世界につなぎとめていた温かい夢や希望といったポジティブな感情がひとつひとつ死んでいき、アーサーは身勝手な凶行へと走ります。
「僕の人生は悲劇ではなく喜劇だったのだ」
そして、髪を緑に染め上げ、ピエロのメイクをしてアーサーは悪のカリスマ「ジョーカー」へと変貌していきます。
しがらみを断ち、全ての倫理と道徳を捨て悪へと走ったアーサーがジョーカーとして階段でダンスするシーン。
何かしら清々しくもあり、解放感を感じされるシーンですね。
悪として、ジョーカーとして生まれ変わった自分を高らかに宣言しているように感じます。
ラストシーンは解釈が分かれるところではありますね。
結局、最初から全てがアーサーの妄想だったのか?
それでは、ジョーカーとは?
んんー、とても暗く狂気に満ちた作品ですが、印象的な場面が多く、ホアキン・フェニックスの 迫真の演技の魅力も合わさってすごく惹きつけられます。
どこまでが現実で、どこまでが妄想なのか?
アーサーの狂気は現実を侵蝕していき、やがてその境界までぼやけていくようなそんな映画であったように思います。
5、終わりに
バットマンは観たことがなかったのですが、関係なく楽しめる作品でした。
ただのバットマンの悪役「ジョーカー」のスピンオフ的な物語を超えて、人間の狂気と妄想を描いた妖しい魅力を湛えたすばらしい作品になったと思います。
貧困、失業、精神疾患、親の介護。
日本でも40代以上の引きこもり男性が増え、母親と2人暮らしでまともな仕事に就いていたい人も増えてきています。
現代の日本においてもそのまま当てはまりそうな普遍的なテーマが散見されていたように思います。
確かにアーサーは自己愛に満ちたナルシスティックな人間でもあったから自らを害するものを排除しようとする考え方「悪」に染まったのかもしれませんが、環境次第で誰でも悪に染まる可能性があるという考え方もこの映画のテーマであったように思います。
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