1、作品の概要
『レディ・バード』は、2017年に公開されたアメリカの映画。
監督、脚本はグレタ・ガーウィク、主演はシアーシャ・ローナン。
アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、助演女優賞の5部門にノミネートされた。
ゴールデングローブ賞では、作品賞、主演女優賞をミュージカル・コメディ部門で受賞し、助演女優賞、脚本賞でノミネートされた。
高校生の少女が、母親や友人と衝突しながらも成長していく様を描いた青春映画。
2、あらすじ
自らをレディ・バードと名乗る少女(シアーシャ・ローナン)は、進学のことで母親と揉めて走行中の車から飛び降りなど、鬱屈した想いを抱えていた。
家は裕福ではなく、父親は職を失い、兄は大学を出たあともアルバイト生活、看護師の母親の収入が頼りなのも、レディ・バードを憂鬱にさせていた。
親友のジュリーと一緒に、高校のミュージカルに出演することになった彼女は、主役をつとめるダニーに惹かれ、付き合うようになるが、彼がパーティーの時に男性とキスをしていることを目撃し、別れてしまう。
ミュージカルの稽古をサボるようになり、奔放な友人ジェンナと仲良くなり、知り合ったカイルとセックスをする。
プロムにカイルらと行く予定だったが、疎遠となっていたジュリーのことが気にかかったレディ・バードはジュリーをプロムに誘い出した。
大学はカリフォルニア大学に決まっていたレディ・バードだったが都会の大学に進学する夢をあきらめきれないでいた。
そして、彼女が取った行動が母親との間に軋轢を生んでしまう・・・。
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
公開当時、なんか面白そうだから観てみたいなって思っていた映画だったのですが、この前アマゾンプライムビデオで見つけてウォッチリストに入れておきました。
ちょっと映画を観たい気分なんだけど、あまり長くて重いのは観たくないなぁ・・・って感じで選んだのが『レディ・バード』でした。
気分に合わせて、観たい映画、番組を選べるってめっちゃ便利ですね~。
揺れ動く青春時代の繊細な感情を鮮やかに描き出したよい映画でした♪
4、感想
冒頭から母親の運転する車のドアを開けて、車から飛び降りるレディ・バード。
いやぁ、ブッ飛んでますね(笑)
行動力があって破天荒な感じがします。
でも、良い子はマネしちゃダメだよ!!なシーンでした。
結局、右腕を骨折しますがギプスに「Fuck mum」と書き込んじゃう。
どんだけ(笑)
田舎町のサクラメントじゃなくて都会のNYにあこがれがあって、家族の現状にも満足していない。
「線路向こうはスラム」とか言っていて貧富の差もあるのでしょうか、富裕層にもあこがれがあるようでした。
思春期って、自分の家族を恥ずかしいと思っちゃったり、隣の芝生が青かったりで難しい時期ですよね。
反骨精神旺盛なレディバード。
友人関係、恋人との関係でもめっちゃ色々あります。
個人的にはレディ・バードとジュリーの親友関係がとってもしっくりきていて好きなのですが、奔放で大人びたジェンナに惹かれて彼女のほうと仲良くなってしまい、ジュリーと距離ができてしまうところとか切なかったですね。
でも、最後には彼女との友情が復活して、一緒にプロム(高校の卒業ダンスパーティー的なやつ?)に行けたのはヒロ氏もにっこりな展開でした。
やっぱりマスタベーションの話をできるのが本当の親友なのだと思います。
はじめてできた彼氏のボニーが実はゲイで、他の男とチュッチュしてるのを目撃しちゃうとか衝撃的ですね。
こんな失恋の仕方ってなかなかないわ~(^_^;)
でも、ボニーにはボニーの苦悩があり、自らのジェンダーを家族にも打ち明けられない苦しみを抱えていました。
そんな彼に後には寄り添えるようになったレディ・バード。
子供から大人になることって、他人の心情に寄り添うことができるか否かがひとつ大きなポイントのように思います。
自分の感情や価値観だけを相手に一方的に押し付けているうちは子供なのだと思いますし、自我をコントロールして、相手の心に寄り添えるようになることで、大人になっていくのではないかと僕は思います。
ボニーとの恋はほろ苦いものになりましたが、彼の苦悩を受け入れ慰めることができた彼女は少しずつ大人になっていったのだと思います。
そして、やはり物語の一番大きな軸は、母と娘の物語であったのだと思います。
お互いに深く愛し合いながらも時には反目し、衝突する母娘。
強情で意志が強いふたりは似たもの同士なのかもしれません。
母親として娘のことを思うからこそ干渉するし、レディ・バードとしてはそれに対して思うところがあるし、自分がどう羽ばたいていきたいのかに対しても母親と違った意見を持っている。
大学受験のことでわだかまりができてしまったけれど、やっぱり家族。
お互いに物理的な距離ができてしまったけど、愛情は伝わっていてお互いを思いやる心は距離を超えて届いているのだと感じました。
家族や境遇に対しての不満を象徴するように、自ら「レディ・バード」と名乗っていた彼女が、最後はクリスティンと自分の名前を名乗ったのは象徴的で、自分のルーツを受け入れて地に足をつけて生きていくというこれからを暗示していたように思います。
少し大人になって、故郷の地から遠く離れて羽ばたきはじめた彼女には、「レディ・バード」の名前はもう必要なかったのかもしれません。
5、終わりに
『レディ・バード』の物語はグレタ・ガーウィクの体験そのものではないけど、彼女の過去の経験からインスパイアされて描かれた物語であるようですね。
母娘の葛藤や、友人関係や、性についての描写は女性らしい繊細さで描かれいたように思いました。
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