ヒロの本棚

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【映画】是枝裕和監督『空気人形』~心をもつことは切ないことでした~

1、作品の概要

 

『空気人形』は2009年に上映された日本の映画。

監督は、『怪物』『万引き家族』などの是枝裕和監督。

原作は業田良家『ゴーダ哲学堂 空気人形』

主演は、『ベイビーブローカー』にも出演していたペ・ドゥナ

ARATA井浦新)、板尾創路、柄本祐、オダギリジョーらが出演している。

音楽は、world's end girlfriendが担当した。

心を持ってしまったラブドール・のぞみは、からっぽの人々と触れ合いながら心を持つことの切なさを理解していく。



 

2、あらすじ

 

秀雄(板尾創路)は彼女とも別れた寂しさを、ラブドール・のぞみとの生活で紛らわしていた。

ある日、唐突に心を持ってしまったのぞみは、人間のように変化し街に出る。

奇異な行動で周囲から避けられていたのぞみは、レンタルビデオショップ店員の純一に恋をして一緒に働くようになる。

純一に恋をしたことで徐々に心を持つことがどういうことか理解し、楽しく明るい面と、苦しく暗い面を味わう。

自分と同じように中身がからっぽな純一に恋焦がれながらも、秀雄の性欲処理の道具として存在するのぞみは葛藤を覚え始める。

街には純一以外にも空虚さを抱えた人間が存在し、のぞみは人々との触れ合いの中でより人間らしくなっていく。

そんなある日、ビデオ屋でのぞみの空気が抜けてしまい、純一に空気を吹き込まれるというアクシデントが起きてしまう・・・。


www.youtube.com

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

はてなブログのおてんば姫こと、ブロ友のnonoid:nonorikkaさんが、先日僕のブログを取り上げてくれて、その際に一緒に紹介されていたのが『空気人形』でした。

いつも、nonoさんのブログを参考に映画鑑賞をしたりもしているので、光栄です!!

ちなみに『ロストケア』と『BLUE GIANT』を観られたみたいですね!!

どっちもおススメですよ~。

nonorikka.hatenablog.com

 

それと『怪物』を観て以来、是枝裕和監督の作品にめっちゃ惹かれていまして、『誰も知らない』『ベイビーブローカー』なども観ていたので、『空気人形』も興味ありました。

主演のぺ・ドゥナは『ベイビーブローカー』にも出演していましたが、もう全然違う役過ぎてギャップにビックリしました。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

 

4、感想(ネタバレあり)

 

まず、この映画に関して僕が伝えるべきことは・・・。

R-15なんで、お子さんがいる場ではお控えくださいね~、ということです。

オッパイもポロンポロンしますし、ちょっと生々しい場面も多いです。

 

しかしながら、ラブドールという本来男性の性欲を満たすためだけの「モノ」に命が宿り、心を持つという展開はとてもリリカルでおとぎ話のようでした。

ちょっと残酷なラストも含めて、なんだか人魚姫とか、グリム童話を想起させられるような作品でしたし、数多くある人形などの「モノ」が心を持つというよくある話なのだと思います。

ただ、心を持ったのがラブドールだったというのが、この映画が攻めているところですし、心の在り方や、生命の尊さ、そして現代を生きる人間の抱える空虚さなどを表現していたと思います。

 

身体の中身が空気である「空気人形」であるのぞみと、人間として血も肉も持ち合わせていながら、精神的な意味では空虚さ、からっぽさを抱えながら生きている人間。

本当にからっぽなのはどちらなのでしょうか?

残酷なまでに現代社会の問題点をリアルに突き付けてくるこの感じ。

ああ、是枝裕和監督の作品やなぁ、と思いました。

 

彼の作品の前では誰も傍観者でいられないし、痛みを生の感覚として感じられるように映画というメディアを最大限に突き付けてくる。

この映画を観ながら彼にこのような作品を作らせる原動力はなんなのだろうかと考えました。

僕の考えですが、それはもしかしたら社会への怒りなのではないでしょうか?

現代社会の歪みで割を喰らっている存在。

社会の片隅で震えているような誰かの声なき叫びを、物語として、映像として、代弁しているかのように感じました。

 

是枝監督はこの作品を通して、心を持って生きることの生き難さ、それでも葛藤を抱えて歩いてく生命の尊さを伝えたかったのではないかと思います。

そのことを表現するには逆説的に、生命も心を持っていない存在を中核に据える必要があったのだろうし、掃きだめのような存在であるラブドールがこの物語の人魚姫に相応しかったのでしょう。

作品中で引用された、吉野 弘『生命は』の誌もそう考えると繋がってくるように思います。

 

それでは、最後に『空気人形』の中から一節、「生命は」の詩をご覧になりながら、おわかれいたしましょう〜。

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〜(´θ`)ノ(nonoさんのパクリw)

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

              吉野 弘「生命は」より


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5、終わりに

 

人間が生きていると感じられる瞬間はどんな時でしょうか?

最も生きていると感じられるのは、もしかしたら死を意識した瞬間なのかもしれない、と僕は考えます。

死を前にして初めて生を感じる。

生を実感する。

命を他の生物に脅かされることがほとんどなく、生き続けることが約束された存在。

この星で、食物連鎖の頂点に立ってしまったがゆえの、生きることへの希薄さ。

 

常に存命の危険に晒されながら束の間の生を永らえている、他の生物からしたら贅沢な悩みなのでしょうね。

しかし、永続的な生を約束された状況では生き続けることは当たり前のことで、心を持って日々を生きることもまた当然のこと。

かえってそこにジレンマを感じて生命を断つようなパラドックスも起きています。

生の実感を感じることなくからっぽに生きる現代社会の人間たちの前に現れた逆説的な存在。

本来、生命も心も持たないはずもモノ。

それが空気人形だったのであと思います。

 

のぞみの存在は、不思議と生命の尊さ、心を持つことのかけがえのなさを伝えてくれたように思えるのです。

hiro0706chang.hatenablog.com

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