1、作品の概要
『すいかの匂い』は江國香織の連作短編集。
1998年に新潮社より刊行された。
11編からなる。
書き下ろし。
夏にまつわる11人の少女の思い出を描いた。
2、あらすじ
①すいかの匂い
9歳の夏、叔母の家に預けられた私。
ホームシックにかかって家に帰ろうと逃げ出したが道に迷ってしまい、奇妙な一夜を過ごす。
②蕗子さん
母が始めた下宿先に住んでいた蕗子さん。
よくいじめられていた小学生の私は、意地悪な男子に落とし穴に落とされてしまう。
蕗子さんはいじめっこたちに復讐を企てるが・・・。
③水の輪
クマゼミの鳴き声が苦手な私は、7歳の頃の記憶を反芻する。
高校生ぐらいの一風変わった男子・やまだたろう。
彼は私が雨の日にかたつむりを虐殺している秘密を知っていた。
④海辺の町
海辺の町に住んでいたおはじき好きの11歳の私。
一番好きだった場所、パン工場で出会ったおばさん。
彼女は、私が出会ったおばさんたちとは少し違っていた。
⑤弟
母も、叔母も、祖母も夏に死んだ。
小学生の頃に弟と火葬ごっこをしていた私。
20年後、やはり夏に死んだ弟の葬式であの頃の思い出が甦る。
⑥あげは蝶
毎年夏になると華族さんだった曾祖母の家を訪ねる私。
新幹線の中で太腿にあげは蝶のシールを貼った女性と出会うが・・・。
⑦焼却炉
私は学校も周囲の人間も嫌いで、よく保健室でサボっている小学生だった。
影絵の公演で来た大学生の「すずきじんた」に惹かれる私。
彼女が最後に彼に会ったあとに焼却炉に捨てたものとは?
⑧ジャミパン
母子家庭で育った私。
母は夜の仕事をしていて、それほど美人でもないけどよくモテた。
父親がいなくても、真一叔父がいたから寂しくはなかったが、あるとき叔父の結婚の話が持ち上がって・・・。
⑨薔薇のアーチ
東京に住んでいて小学校でいじめられていた私は、夏休みに祖父母の家に行き毎日のように海で泳いでいた。
ある時、歳が近い女の子と出会い一緒に遊ぶようになった私だったが、学校生活が楽しいものであるような嘘をついてしまっていた。
⑩はるかちゃん
小学2年生の夏休み、私はマイペースな女の子・はるかちゃんと仲良くなった。
はるかちゃんは団地に住んでいて、妹と弟の面倒をみながら過ごしていた。
人さらいにさらわれる願望を持っていたはるかちゃんだったが・・・。
⑪影
9歳の時に出会ったMはいつも私の危機に現れて助けてくれる大人びた影のような女らしさをもつ女の子だった。
大人になってからも不定期に連絡を取り合い、あっていた私とM。
離婚をすることになったことを告げても、彼女だけは驚かなかった。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
だいぶ前に読んだ作品で、内容も綺麗さっぱり忘れていましたが、ツィッターで読了ツイートされているのを再読してみたくなりました。
11編の短い短編ですが、奥行がある作品たちでなんだかメランコリックな気分になりました。
4、感想・書評(ネタバレあり)
11編の物語は全て夏に起こった出来事が描かれていて、主人公は小学生の少女たち。
いじめられていたり、周囲から浮いていたりしていて、あまり現実的に満ち足りているとは言えない彼女ら。
彼女たちは、そんなぼんやりとした冴えない日常の中で印象的な出会いをして、忘れがたいどこか甘酸っぱいような思い出ができます。
夏は1年の中で一番好きな季節。
夏に産まれたからかもしれません。
Born in the summer time.
夏のなにが好きかっていうと、海水浴とか、夏祭りとか、花火とかもそうなんですけど、そんな陽なイベントの隙間にふっと顕れるメランコリックな瞬間です。
林の木陰で聞く永遠みたいな蝉の声。
川の水のヒヤリとした感じ。
お盆の灯篭流し。
昼下がりの畳の匂い。
夏の夜の闇の濃さ。
腐敗と死の香り。
空の青さと、入道雲の白さと立体感。
晩夏の表現し難く、取り返しのつかないような悲しみ。
そんな夏にまつわるメランコリックな瞬間が、江國香織の繊細な感性で表現されていたように感じました。
①すいかの匂い
江國香織の短編では珍しい怪奇譚のような話。
「きっともう会えないから」
みのるくんのこの言葉になぜかドキリとさせられました。
②蕗子さん
逃げ出したインコが共同体を作って生活しているという話は、何かから逃げ出した(あるいは逃げ出そうとしている)蕗子さん自身のことだったのでしょうか?
「人間にもそういう場所があるといいのにね」
一心不乱に深い深い穴を掘り続けた蕗子さんはその行為の向こうに何を見出していたのでしょうか?
何かの儀式のようにも感じましたし、その穴の中に本当は埋めたいものがあったのかもしれないと思います。
③水の輪
現代だったら通報されそうな怪しい青年・やまだたろう。
私の勘違いもありましたが、にやにや笑いながら「死ね死ね死ね」言われたらビビリますよね(^_^;)
かたつむりを殺していた罪悪感もあったのでしょうか?
④海辺の町
11歳のひとなつの海辺の町での思い出。
壁に日々の入ったきなり色の建物と煙突、時間がとまったような、なにかがほんの少しずれた空間。そこは奇妙な、それていてとても安らかで居心地のいい場所だった。
このパン工場の裏庭の描写が好きですし、夏の陽射しから逃れてこんなふうなヒヤリとした安らかさを味わう時間というのが好ましく思えます。
そしておばさんとの緩やかな交流。
いろんなこと印象的なことがあってそれらの記憶は薄れていくのに、なぜかおばさんとのパン工場の裏庭の記憶だけは「いつまでもおなじあかるさで」そこにあるのは何故なのでしょう?
⑤弟
お盆があったりすることもありますが、夏ってなにか「死」のイメージが強くあります。
Die in the summer time.とか歌ってたのは誰でしたっけか?
この短編、なんだか一番好きかもですね。
江國香織らしいというか、彼女にしか作り出せない独特の世界観を感じます。
若くして亡くなってしまった弟ですが、彼らしく要領よくすいすいと煙がのぼっていくのをみて、私は「まっすぐに神様のところにたどり着くだろう」と感じて、そこに悲壮感はありません。
この一風かわったすこやかさ。
これが江國香織の物語の真骨頂だと思います。
そして、ラストの一文がとても印象的でした。
きっと、私もいつか夏に死ぬ
⑥あげは蝶
とても息苦しくて生きづらさを抱えている私。
母と娘の関係は特殊でどこか支配的になってしまうような傾向もあるように思います。
そんな憂鬱な日常を一変させるかもしれない奇跡のような一瞬。
でも一歩を踏み出せない。
そうだよね。
しょうがないよね。
でも私は深い悲しみと喪失感に包まれます。
そういった何か決定的な一瞬を切り取った物語だと思います。
私は胸がつぶれそうだった。絶望に、ふがいなさに、わけのわからない喪失感とかなしみに。
⑦焼却炉
淡い初恋的な展開かと思いきや。
最後にすずきじんたの手のひらをナイフで切りつけるところが非凡で良かったです。
相手とずっといられないなら、消えないような傷をつけてしまいたい。
そんなふうに願うのも愛のひとつの形なのでしょうか?
⑧ジャミパン
江國香織の物語でたびたび出てくる奔放な母親。
神様のボートの葉子みたいな。
母娘の生活にとって父親がわりの真一叔父。
そんな擬似家族のような関係の終わり。
⑨薔薇のアーチ
なにかちょっと苦しくなるような嘘。
ひと夏の出会いのその苦い記憶。
⑩はるかちゃん
この短編も好きなやつです。
はるかちゃんのちょっとミステリアスなキャラクターに惹かれますし、人さらいにさらわれてしまうことを願っていたのがなにか不穏な感じがして良いですね。
『あげは蝶』の私のように自分の現状に息苦しさを感じて、ここではないどこかに連れ出してくれることを願っていたのでしょうか?
夏休みでも幼い弟と妹の面倒をみなければいけない窮屈な境遇で、他の子のように自由に遊び回ることもできませんでした。
学校ではのろまで周囲から浮いていたけど、学校の外で会うはるかちゃんはどこか大人びた雰囲気で。
私とはるかちゃんの交流はひと夏だけでしたが、どこか心に残るものでした。
⑪影
Mって私に恋愛感情を抱いていたのでしょうし、ちょっとストーカーっぽくてアレなんですけど。
なんかゆるく繋がっている感じが良いなと思います。
「影のような女性らしさをもった」のがMに対する表現でしたが、まるで私の影のような存在でもあるという2重の意味がこめられているタイトルのようにも感じました。
5、終わりに
夏の夕暮れ。
なかなか暮れていかない夕暮れ。
狂ったみたいな太陽の熱は、アスファルトと強く熱してその放熱のあとがいつまでも大気を歪めている。
思い出したように深まっていく闇。
まだ熱を孕んだままに夜の帳がゆっくりと降りていく。
けど太陽の光が落ちても、その昏い夏の夜のほとりで放熱の残滓がくねくねと蠢いている。
なんかそんな手触りな短編小説でした。
やっぱり夏は好きですし、その強烈な陽光の陰にあるものの存在が僕の心を掻き立てます。