1、作品の概要
『ピアノレッスン』は1993年に公開されたフランス・ニュージーランド・オーストラリアによる合作映画。
上映時間は121分。
監督・脚本はジェーン・カンピオン。
主演のホリー・ハンター。
音楽をマイケル・ナイマンが担当し、サウンドトラックが世界で300万枚以上売り上げて話題になった。
第66回アカデミー賞で作品賞をはじめ8部門にノミネートし、脚本賞、主演女優賞(ホリー・ハンター)、助演女優賞(アンナ・パキン)を受賞した。
2、あらすじ
19世紀半ば、エイダ(ホリー・ハンター)は娘のフローラ(アンナ・パキン)と一緒に、スコットランドからニュージーランドのスチュアート(サム・ニール)のもとへと嫁ぐことになった。
話すことができないエイダにとって、ピアノは自らの意思表示をする大切なものだったが、運搬が困難で浜辺に置き去りにされてしまう。
スチュアートとの結婚生活、周囲の環境にうまく馴染めないエイダは原住民の男・ベインズを伴ってフローラと一緒に浜辺までピアノを弾きに来ていた。
ベインズはスチュアートに土地とピアノを交換して、エイダにレッスンをお願いしたいと交渉し了承されるが、エイダは夫に対して強い不満を覚える。
ベインズは「黒鍵の数だけレッスンをしてくれたらピアノは返す」とエイダに約束するが、彼は演奏中の彼女の身体に触れるようになる。
ベインズを拒絶していたエイダだったが、次第に彼の純粋さに惹かれ始める・・・。
3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ
最初に『ピアノ・レッスン』を観たのは20年以上前で、たぶん大学生の時だったように思います。
友だちに薦められて観たのですが、美しい音楽と官能的な愛、ラストシーンの海中のピアノがとても印象的でした。
当時、サントラをMD(懐かしい!!)にダビングしてもらって繰り返し聴いていたのを思い出しました。
今回、友人と『ピアノ・レッスン』の話をしていて、久々に観てみましたが以前観たときより深く映画の世界に引き込まれました。
4、感想(ネタバレあり)
①美しい音楽と海辺の風景
今回久しぶりに『ピアノ・レッスン』を観て、まず序盤の海辺のピアノのシーンの美しさに心を奪われました。
撮影された浜辺は世界の終わりを思わせるような荒々しい風景。
北野武監督が撮っているようなブルーは微塵もなく、暗灰色の海と吹き付ける強い風、荒れ狂う波しぶき、重苦しく垂れ篭める暗雲が映し出される荒涼としたものでした。
スコセッシ監督の『沈黙』で描かれていた荒々しい海を思い出しましたね。
ニュージーランドがこんな感じの気候なのか、それとも未開の地に降り立つエイダの心のうちを描写しているのか、とにかく心がざわつくような光景の中、マイケル・ナイマンの美しく物悲しいピアノのメロディーが流れてソー・ビューティフル。
浜辺に置き去りにしたピアノが、嵐の中風雨にさらされるシーンなどまるで1枚の絵画のようで、どこか非現実的なものを感じさせられました。
エイダがピアノの弾きながら、フローラが側転しているシーンとかも印象的で、解き放たれたように生き生きとピアノを弾き続けるエイダに見惚れるベインズの姿がのちの伏線にもなっています。
ピアノと空と海の構図がとても美しいシーンや、青みがかった色彩で撮られたシーンなど美しく絵になるシーンが多く、音楽も相まって映画の世界に没入しました。
②官能的な愛
ベインズにピアノを教えることになったエイダですが、彼にピアノを習う気はなく目的は彼女に触れることでした。
黒鍵の数だけレッスンをしてくれたらピアノを返すことを条件にエイダに触れるベインズは、ドスケベで卑怯者ですね。
僕はドスケベだけど正々堂々したスケベなのでベインズの行動は不快に思いました。
スケベの風上にもおけません。
ただ、ピアノと官能的なシーンがとても耽美的で、レッスン中の情事というところが背徳感があって秀逸でした。
谷崎潤一郎を彷彿とさせるような、とか言うと安直かもしれませんが、淫靡で隠微なエロスがこの映画の魅力のひとつのようにも思います。
そして以前観たときはベインズは野蛮でエロいただのゲス野郎で、エイダはなぜ彼に身を任せて愛するようになったのかが理解できませんでしたが、今回観ていて粗暴さの中に彼の純粋さや素朴さを感じました。
ピアノをエサにエイダの肉体に触れていたことに対して自己嫌悪に陥って、ピアノを返すなど不器用な部分も垣間見せて、そんなところにエイダも惹かれていったのでしょうか。
スチュアートは妻としてエイダを迎えて、「こうあるべき」というようなイメージを彼女に押し付けようともしていたように思いますが、対してベインズはありのままのエイダを愛そうとした。
もしかしたらそんな2人の男の愛し方の違いもあったのかもしれませんね。
③エイダの声と意思
言葉を話せない、というか子供の頃から話さないと決めたエイダですが、自分の声や意志が弱いのではなくて、むしろ心のうちでは燃え盛るような強い気持ちが渦巻いていました。
自らの気持ちを表出するためのピアノへのこだわりからもそのことが窺えますし、周りに決して迎合しないような意志の強さ、気高さを感じる女性だと思います。
スチュアートにベインズと恋愛関係にあることがバレて家に閉じ込められますが、一度動き出したエイダの強い気持ちは止められず、凄惨な悲劇を招いてしまいます。
スチュアートが聞いた(ように感じた)エイダの言葉「自分の強い意志が怖い」みたいなことを言っていたと思ったのですが、その彼女の意志の力が数奇な運命を呼び寄せたのではないでしょうか?
ラストシーンの船の上からピアノを捨てるシーン。
自分の魂ともいうべきピアノを捨てたエイダ。
ロープに(おそらくわざと)足を取られて、ピアノと一緒に深い海の底へ沈んでいくその刹那、彼女を生に回帰させたものは何だったのでしょうか?
監督のジェーン・カンピオンは自分の母親が何度も自殺未遂をしていて、母親に「そんなに死にたいなら手伝う」と伝えると「やっぱり生きたい」と思い直した経験からエイダが死の直前に生きることを選ぶラストが描かれたようです。
ただ、自分の魂とも言えるピアノが眠る海の底で、エイダの魂の半分は一緒に眠っているのかもしれないと思いました。
5、終わりに
以前、読書の再読に関しての意味について、名作は自らの成長や変化に寄り添ってくれるもので、繰り返し読み返すことで意味合いが変わってくるということを書きました。
今回、『ピアノ・レッスン』を2回目に観て、いい映画にも時を経てまた新しい意味や魅力を感じることがあるのだなと改めて思いました。
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