☆皆さんは好きな本を繰り返し読んだことがありますか?☆
読書家にも色んなタイプの人がいて、めっちゃ速読する人、ゆっくりマイペースに読む人、幅広いジャンルの本を読む人、気に入った作家や作品を繰り返した読む人。
など、いろんな読書の仕方があると思います。
ちなみに僕は、どちらかというと気に入った本を繰り返し読むタイプのヒューマンネイチャーなのかもしれません。
いや、なんで急に英語やねん。
読書家というにはおこがましい雑多な存在の僕ですが、昔は特に好きな作品が決まっていて何度も何度も読み返しまくっていたました。
村上春樹の作品なんかは本当に何度も繰り返し読んでいて、『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』なんかは5回以上読んでいると思います。
なぜ繰り返し同じ本を読むのか?
同じ本を繰り返し読むことの醍醐味は何なのか?
今日は、真面目にそんなことについて語ってみようと思います。
☆どんな本を再読する?☆
繰り返し読む本。
当たり前ですけど、面白くなかった本はくり返し読もうとは思わないですし、感動・感銘を受けた作品で、しかももう一度読んでみたいと思わせるような深みがあるようなものなのだと思います。
その上で、ストーリーがわかっていても繰り返し読みたいと思えるような「何か」がある本。
自分の成長や変化に寄り添ってくれる物語たち。
何度読んでも新しい発見があるような本は、時を経てまた再度手に取りたいと思うのでしょうし、名作とは自分の変化や時の流れにも寄り添ってくれて決して色あせないものなのだと思います。
19歳の時に読んだ太宰治の『人間失格』と、45歳の時に読んだ太宰治の『人間失格』が別の意味合いを帯びるように。
☆再読することの意義について☆
ワインを飲み終わったあとの余韻のことをアフターと言いますが、読書にもアフターがあります。
良書には良いアフターがあり、読み終わったあとにも現実の日常に溶け込んで、その景色を変えていくように思います。
ほんとうの読書は読み終わった瞬間に始まるみたいなことを芥川龍之介だか、太宰治だかが言っていたように思いますが、名言ですね。
その本に書かれていた物事の見方・考え方、印象的な言葉・文章、心を動かされるような物語・・・。
そんなひとつひとつが自分の人生と混じり合って血と肉となっていく。
そして、時を経て再びその本を手に取って読むことで、自分自身の成長や変化に伴ってその意味を形を変えていく。
それが再読の意味であり、何度も同じ本を繰り返し読むことの意義なのだと思います。
たとえば村上春樹『羊をめぐる冒険』の主人公は初読した時(僕が25歳ぐらい)には歳上でしたが、再読を重ねるうちに自分が主人公の年齢を超えていき、未来を想起させる物語が、過去を振り返る物語へと、ある意味で変容していきます。
初読した当時は20代が終っていく時のどこか頼りなく不安定な気持ちを実感として感じることはできませんでしたが、40代に再読した時は、昔に感じた懐かしい痛みと漠然とした不安を感じることができました。
単純な例かもしれませんが、このように年齢ひとつとっても1冊の本に感じるものは変化しいくものだと思いますし、その変化を感じながらその本を自分の人生のマイルストーンのように感じることも再読の深い意味だと思います。
若い頃にあまり響かなかった本も、時を経て手に取ると以前は感じ取れなかった多くのものを感じ取れるかもしれませんね!!