1、作品の概要
1944年に刊行された。
文庫本で177ページ。
小山書店の依頼を受け執筆された紀行文風小説。
生まれ故郷の金木町をはじめ、自身が津軽を旅するさまを描いた。
中期の傑作のひとつ。
2、あらすじ
津島修二は紀行文の依頼のために、故郷の金木町をはじめ津軽半島を3週間かけて旅をした。
旧友のT君、N君と旧交を温めながら蟹田、三厨と旅をし故郷の金木町に到る。
逃げ出したはずの実家で親族と交流する津島修二。
そして、旅の最後は彼を育てた乳母・たけに会いに深浦へと向かう。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
このあいだ新潮社から出ている太宰治の短編集『きりぎりす』を読んで、自分の中で第2次太宰ブームが来ています。
太宰治といえば『斜陽』『人間失格』などの自堕落なデカダンスのイメージがありますが、中期の作品は繊細な描写で味わい深いものが多く、小気味良く生き生きとした文体と、ユーモアもあって市井の暗いイメージとはまた違った姿を感じました。
『ヴィヨンの妻』『女性徒』『パンドラの匣』などもとても爽やかで希望に満ちた作品で、太宰の精神面の充実を感じさせられます。
今回『津軽』を再読したのは自分の中で印象の薄い作品であったことと、情死に薬物依存、自殺未遂、借金など過去に多くの問題を抱えていたため実家と郷里から足が遠のいていた太宰が、どのような想いで帰郷したのかに興味を惹かれたからです。
旅の様子とともに、旧交を温めるさまや、実家の津島家との交流、育ての親と言っても過言ではないたけとの再会はとても印象深いものでした。
果たして、衣錦還郷はなったのか?
それとやはり太宰治という人はどうしようもなく吞兵衛なのだなと改めて感じさせられました(笑)
その一点のみにおいては、僕も後れを取るところではございません。
4、感想(ネタバレあり)
①紀行文としての津軽の峻厳たる自然と歴史、津軽人としての矜持
東北って愛媛からは遠く、あまり馴染みがない地域です。
北海道は何度か旅行で行ったことはありますが、青森はおろか仙台などの東北の他の県も訪れたことがありません。
そんな僕も『津軽』を読んでふつふつと津軽へ旅してみたい気持ちが起きました。
青森で駅を下り、蟹田では蟹を食べたいけどアレルギーなので酒だけ飲み、外ヶ浜を自慢の健脚で三厩まで至る、竜飛岬の眺め、太宰の生家の金木町を訪れ、岩木山に登り、深浦へと至る。
太宰が辿った道程を僕も追いかけてみたくなります。
太宰自身も、自らの思い出や、松尾芭蕉が辿った道程を思いながら旅をしたのでしょう。
自作の『思い出』『おしゃれ童子』の引用がされてそのと土地土地での過去の思い出が語られます。
穏やかな内海である瀬戸内海沿岸に住んでいる僕にとって津軽の海は峻厳として、荒涼とした曇り空の暗く恐ろしいものに思えます。
本州の最北端から見る海の風景はどんなものなのか。
以前、北海道の最北端の稚内より礼文島へと渡ったことがありますが、どこか荒涼とした風景が地の果てに来たようで印象的でしたが、それに近いものなのでしょうか?
紀行文的私小説では『佐渡』でも、新潟での講演のついでに佐渡島へ渡った様子を短編小説にしています。
『佐渡』では寂寥感を求めて島へと旅をするという内容で、どこか後ろ向きでやけっぱちのようで、佐渡島に住んでいる人に失礼なのではとハラハラするような内容でした。
佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。
「私」には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。いまはまだ地獄の方角ばかりが気にかかる。けれども「私」は船室の隅に死んだ振りして寝ころんで、つくづく後悔していた。
夜半、ふと眼がさめ、「私」はどぶんどぶんという波の音を聞きながら「死ぬほど淋しいところ」の酷烈な孤独感をやっと捕えた。自分の醜さを、捨てずに育てて行くよりほかはないと思った。
いや、地獄って失礼な(笑)
一転、津軽は郷里でもあり、書店からの依頼であらかじめ準備をして会いたい人たちにも手紙を書いてい
ます。
文章も生き生きとしていて、ユーモアもあり充実感と帰郷した喜びに満ち溢れています。
同じ紀行文風私小説でも、まさに天国と地獄ぐらいの差がありますね。
津軽に生まれた人間として、自らのルーツを確認し、この地で生まれた芸術家として郷里を代表して引っ張っていきたい。
そんな覚悟が感じられるました。
文化的に未開の地とみなされ、北の蛮夷の誹りを受ける現状を不服として、自らが旗手となるような気概も垣間見えるようでした。
生れ落ちるとすぐに凶作にたたかれ、雨露をすすって育った私たちの祖先の血が、いまの私たちに伝わってないわけは無い。春風駘蕩の美徳もうらやましいものに違いないが、私はやはり祖先のかなしい血に、出来るだけ見事な花を咲かせるように努力する他には仕方がないようだ。
②旧友、実家の兄弟親類との関わり、たけとの再会
短編小説『善蔵を思う』で、故郷・津軽出身の芸術家たちの懇親会に招待されて、故郷への想いが語られていますが、結局だめな態度を取ってしまい失敗をしてしまうというエピソードが描かれています。
衣錦還郷ならず。
若かりし頃の放埓と数々の不義理、作家としてデビューするも文壇では異端の存在でスキャンダラスな存在。
胸を張って凱旋し、故郷に錦を飾るというわけにはいかなかったのでしょう。
勘当や絶縁はされていなかったと思いますが、実家にも出入りがしづらかったことでしょう。
太宰が津軽を旅したのは1944年5月12日~6月5日の3週間ですが、この時期は『富嶽百景』『女性徒』『走れメロス』などの素晴らしい作品を連発し、高い評価を得て、人気作家としての地保を固めた時期だと思います。
これまで足が向かなかった生まれ故郷に太宰を向かわせたのは、精神の安定と、作家としての自信も関係があったように思います。
今こそ故郷に衣錦還郷を成す時。
小山書店からの紀行文の依頼には、まさに天の時を得たような心持だったのでしょう。
自虐や失敗談は影を潜めて、『津軽』を良い作品にしよう、郷里の良さを多くの読者に伝えたいという想いが伝わってくるようです。
ちなみに僕は奇行文が得意なので、どこかの出版社から依頼が来るのを楽しみにしています。
旧友、親族との関りも過大な誇張もなくどこか落ち着いた感じで描写されています。
友人と旧交を温めるさまも微笑ましいですね。
N君はとくにめっちゃいいやつだし、僕も友達になれそうです。
酒好きなところも良いですね。
とにかく昼夜問わずどころか朝から飲んでいるのには笑いました。
ろくでなしめっ!!
なぜ、酒飲みなどという不面目な種族の男に生まれて来たか、と思った。
金木町の実家の敷居をまたぐにも大きな覚悟がいったことでしょう。
おそらくこの後には2度と実家を訪れることもなかったのではないでしょうか。
もっと劇的な感じで書かれるように想像していた帰郷はわりと淡々と、しかし親密な感じで描かれていました。
迷惑をかけまくった兄には頭が上がらない感じは伝わってきましたね(笑)
そして、最後は育ての親ともいうべき「たけ」との感動的な再会。
津島家の女中だった「たけ」は幼かった太宰を育てた母のような存在でした。
そんな彼女を訪ね探して会いに行くというのはなかなか劇的な展開(ただ再会の場面は創作も多々あるらしいですが)で、紀行文の終着がとても人情深い感じで良かったです。
『津軽』は土地を巡る旅でもありましたが、人を巡り旧交を温める旅でもあったのだなと改めて思いました。
③精神的な落ち着きがもたらす芳醇な芸術、破滅を予見させる昏い影
どこか文章にもおおらかさが漂い、余裕が感じられる『津軽』ですが、太宰のことをただの死にたがりデカダンス野郎だと認識している方にはぜひ一読して頂きたいです。
彼独特のユーモアも散りばめられていて、ところどころでクスリと笑えます。
人を笑わせるのが好きな、サービス精神旺盛なお調子者。
太宰のそんな一面が垣間見えると思います。
本編の書き出しもこんな感じで、自虐ネタっぽくてクスリと笑えます。
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
奥様とのやりとりでしょうか(笑)
続けてこんなことも言っています。
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」
「それは何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一番大事で」
なんてことない軽口のようですが、暗い予言のようでどきり、としました。
太宰が玉川上水で情死するのはこれから4年後。
太宰治三十八。
ロックスターは27歳で夭逝することが多くジンクスになっていますが、作家もこれぐらいの年齢が危ないのでしょうか。
でも、しかし現在では作家もロックスターもわりと折り目正しい生活を送っているようで、酒とクスリに溺れて自殺するロックスターや、作家もほとんどいなくなってきたように思います。
5、終わりに
Xでフォローさせていただいている方も太宰の痕跡を訪ねて津軽を旅されている方がいらっしゃいましたが、僕も『津軽』を読んで行きたくなってきました。
ただ、あまり休みを取れない身ですし、実現するのは老後かもしれませんが(;^ω^)
母が今度友人と青森へ旅するようで羨ましい限りです。
やはり太宰の作品は、肌に馴染むというかなんか好きです。
年を経て、より深く作品に共感できるようになった部分もあるし、また彼の他の作品も読んでみたいです。
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