1、作品の概要
『きりぎりす』は、太宰治の短編小説。
表題作『きりぎりす』ほか『燈籠』『千代女』など全14編を集めて新潮文庫が短編小説集として刊行した。
昭和12年~17年にわたって書かれた作品群で、太宰治の中期の作品にあたる。
のちに『斜陽』『ヴィヨンの妻』『女生徒』などの傑作を生み出す著者が得意とする女性の告白体を『燈籠』で初めて用いた。
2、あらすじ
①燈籠
下駄屋の一人娘・さき子は、恋焦がれた男性のために盗みを働く。
警察に捕まり、取り調べの際に彼女が放った言葉は驚くべきものだった。
②姥捨
嘉七とかず枝の夫婦は、彼女の不貞が原因で心中を企てる。
東京を離れて縁のある水上の温泉宿に辿り着くが・・・。
③黄金風景
作家の「私」は子供の頃にいじめていた女中のお慶と20年後に再会する。
「私」が見た美しい家族の風景とは。
④畜犬談
過剰に犬を畏れる男の滑稽談。
彼は、犬を畏れながらも成り行きから野良犬を拾いポチと名付けて飼い始める。
⑤おしゃれ童子
「瀟洒、典雅」をモットーに、おしゃれに励んでいた少年。
しかし、成長するにつれて過剰に珍妙になっていく。
⑥皮膚と心
28歳の女性である「私」はある日吹出物ができてから塞ぎ込みめそめそと泣いていた。
そんな彼女を夫が皮膚科に連れて行くが・・・。
⑦鷗
5年前の狂乱から世間から白痴扱いされている自らの窮状と、戦地で国のために命を張っている兵隊への尊敬の念。
太宰は自らを「おしの鷗」と喩え、戦地から送られてくる小説を発表する手助けをする。
⑧善蔵を思う
故郷の新聞社から津軽出身の芸術家として、会合に招待を受けた作家のDだったが、泥酔の末に失態を犯してしまう。
意気消沈するDだったが、騙されて買わされたと思っていた薔薇が良いものであったことを知り、幸福を感じるのだった。
⑨きりぎりす
「おわかれ致します・・・」5年連れ添った妻が夫に対して投げかけた言葉。
かつて清貧の中、清らかな芸術家であった「あなた」は、世間に持て囃されるようになり、変わってしまった。
⑩佐渡
「私には天国より地獄のほうが気にかかる」とぞっとするような淋しさを求めて佐渡行きの船に乗り込んだ「私」。
古い落ち着きのある宿へ泊り、料亭の料理に閉口し、宿で布団に横になりながらやっと求めていた孤立感を味わうのだった。
⑪千代女
12歳の時に書いた綴り方を、叔父が投書したことがキッカケで「春日町」という綴り方が雑誌に載って一躍時の人になった少女。
しかし、当の本人は文筆に興味はなく、綴り方をキッカケに家族に亀裂が入り始める。
⑫風の便り
38歳の作家・木戸一郎は、彼より15歳年上の憧れの作家・井原退蔵に手紙を書き交友が始まる。
往復書簡の中でお互いの芸術観、人生観をぶつけ合う2人はやがて相見えることになる。
⑬水仙
『忠直卿行状記』をなぞらえるように草田惣兵衛の妻・静子は、通った先の絵画教室でおだてられて自らを絵画の天才と錯覚していく。
芸術家として生きるべく家出した静子だったが・・・。
⑭日の出前
高名な画家・鶴見仙之助の家庭で起こった長男・勝治の殺人疑惑。
手の付けられない悪童であった勝治の死後、妹・節子の口から出た衝撃的な言葉とは・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
何年振りかの再読で改めて太宰治の作品の素晴らしさを感じました。
特に女性の告白体で書かれた『燈籠』『きりぎりす』『皮膚と心』『千代女』らの作品。
中期の作品群の充実ぶりを感じさせる短編小説集でした
4、感想
①燈籠
はじめて女性の告白体で書かれた作品。
太宰治の小説の冒頭の書き出し方が好きなのですが、『燈籠』も序文からいきなり「どうした?話聞くよ?」って感じの展開です。
言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。
これはこの時期の太宰治自身の心情を顕した言葉でもあるのでしょうか?
作中では1人の男性(水野さん)に恋焦がれたさき子が、彼のために先走って盗みを働いて捕まってしまい、孤立した姿が描かれています。
世間に後ろ指をさされて、愛する人も去って行ってしまってどん底の状態ですが、最後に電球を取り換えて幸福を感じる。
侘しくいじらしくも、美しい一家の姿にかすかな希望が描かれているように思いました。
②姥捨
不貞を犯した妻と心中を試みるが失敗に終わるという、太宰自身の経験を基にした作品ですが、死を前にしてどこか旅行気分だったり、妻に強い愛情を感じたりと、未練が感じられます。
思い出の温泉宿まで行って、山中で睡眠薬を二人並んで飲んで自死するというのも太宰らしい気障なやりかたのように思えますし、心中を試みて妻だけ生き残らせるというのも自身の言うように通俗的な復讐小説のようであり、自己陶酔、ヒロイズムを感じます。
ちょっと調べてみましたが、ほとんどすべて本当にあったことみたいですね(;^ω^)
そして短い作品の中で繰り返し押し寄せる波のような激しい愛憎。
妻を赦したいが赦せない。
激しい葛藤。
結局、2人で生き残ってしまいそのまま別れる結末に。
『姥捨て』というタイトルも辛辣です。
③黄金風景
心が洗われるような美しい短編。
過去の事件から決別して、再婚、引っ越しし新たな生活を始めようと再起を志していた時期の作品らしく、かつていじめた女中の幸せなさまを見かけ、自分のことを称賛する声を聞く。
かつていじめていたことも伏せ、「親切な方だった」と言う。
清々しいまでの負け。
しかし、その負けを通して、目の前の美しい親子3人の姿に太宰は希望を見い出す。
負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも光を与える。
④畜犬談
出ました滑稽譚。
太宰の自虐を交えたユーモアが好きです。
太宰治と言えば、『人間失格』『斜陽』が有名で暗いイメージがありますが、一方で笑える作品も多いのですよ。
ちなみに僕の雑記ブログで笑えるネタを書くときは、太宰のこういう感じの笑える短編をちょっと意識して書いてます。
ファンの方が読むと、怒るかもしれませんが(;^ω^)
『畜犬談』はその名の通り犬についての話ですが、畜生の「畜」の字を付けているところに犬への強い侮蔑と憎しみを感じますね(笑)
そうやって犬を忌み嫌いながらも、畏れ敬うばかりに犬のご機嫌を取って愛想笑いなどして、挙句の果てに捨て犬を飼い始めてしまう始末。
いや、なんでやねん。
皮膚病を患った飼い犬のポチを捨てようとする妻に対して逆にかばうような態度を取り、毒殺しようとしながらも失敗に終わる。
いや、もう情が移ってるやん(笑)
曖昧な態度に優しさと人間特有の弱さ気まぐれさを感じさせられます。
犬の心理を計りかねて、ただ行き当たりばったり、無闇矢鱈にご機嫌をとっているうちに、ここに意外の現象が現われた。私は、犬に好かれてしまったのである。尾を振ってぞろぞろ後ろについて来る。私は、地団駄踏んだ。実に皮肉である。
これがリズミカルでキレキレの文章で語られるのだからたまらない。
太宰もノリノリで書いているのが窺えるような気がします。
或いは酒の1杯でも飲んでいたのかもしれない。
僕が酔っぱらいながらアホな雑記を書いているように(笑)
ファンの方に刺されたらいけないので、このへんでやめておきましょう。
⑤おしゃれ童子
これも、滑稽譚でしょうか。
誰しも経験がある、オシャレの失敗、黒歴史。
それを文豪がガチで書くとこうなった的な。
そこに盛りグセある太宰が大げさに膨らまして書くので余計に印象的な作品に仕上がっています。
タイトルもインパクトあって好きです。
『おしゃれ童子』
秀逸です。
⑥皮膚と心
こちらも女性の第一人称の作品。
吹出物ができた女性の心理の揺れ動くさまを巧みに描いています。
特に皮膚科に行って待っている間の動揺。
急に夫の前妻に嫉妬してかと思えば、ボヴァリイ夫人を読みだしその苦しい生涯に思いを馳せます。
そして、なんだか堕落したような気分に陥り、夫にこう言います。
「あのね、明日は、どうなったっていい、と思い込んだとき女の、一ばん女らしさが出ていると、そう思わない?」
このやたらな気分の移り変わり。
皮膚病がもたらした心の不安定さでしょうか。
しかし、薬ですぐに治って泣いたカラスがもう笑う。
土砂降りのあとの快晴のようなそんな結末でした。
⑦鷗
『鷗』は1940年の作品であり、病弱のため戦地に赴くことができなかった太宰が、戦地の兵隊たちのことを思い、愛国について問いかけるような作品です。
1940年というと日中戦争で日本軍が中国に攻め入っていた時期で、逃れようもなく太平洋戦争に突入していく、日本にとって暗い時代でありました。
その中で豊潤な実りを見せていたのは、太宰治の文学でした。
戦地に行けなかった自分を卑下しながらも、兵士が送ってきた小説を手直しをし、慰問袋を送る。
この時期の太宰は生活、精神も安定しており、芸術と愛国を朗々と語っています。
暗い露地でヴァイオリンを演奏し続ける老爺の辻音楽師が自分である、と自己卑下して語りながらも、辻音楽師として生きていく決意と覚悟のほどが感じられるように思いました。
最後の文章が秀逸です。
やはり私は辻音楽師だ。ぶざまでも私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。汽車の行方は、志士にまかせよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。おしの鷗は、沖をさまよい、そう思いつつ、けれども無言で、さまよいつづける。
⑧善蔵を思う
津軽出身の芸術家として衣錦還郷を飾る。
自殺未遂に心中、薬物中毒。
実家からも縁を切られた太宰にとって、地元の名士たちとの交流はまさに晴れ舞台であったのでしょう。
こちらも1940年に発表された作品で、憎き川端康成に激賞された『女生徒』がキッカケで作家としての評判が上がり、原稿の依頼が急増。
生活も豊かになっていた時期で、『きりぎりす』もそうですが、自らの戒めのように会合での失敗を描いているように思います。
たぶん、太宰って盛りグセがある作家だと思っていて、自らの失敗や恥辱に関しては何倍も大げさに書いているのではないでしょうか?
恥に関して敏感であったこともひとつあると思いますが。
そうして会合で失敗をして帰宅したDでしたが、彼は失意の中に希望を見い出します。
無抵抗に騙されて買った薔薇が実はよいものであったとわかったのです。
見よ無抵抗主義の成果を。
『黄金風景』でもそうでしたが、ここで描かれたのは失望の果ての希望でした。
⑨きりぎりす
表題作。
書き出しが秀逸です。
「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました」
なんでしょう。
筆がノッている感じがして、文章がイキイキと走っているように感じました。
妻である「私」が、画家の夫「あなた」に対して語りかける女性の告白体の物語。
言葉がよどみなく流れて、紡がれていって、ああこの書き方、文体が太宰にとって書きやすかったのだなと思いました。
粗野で不器用な芸術家だった「あなた」が売れっ子の画家になり、経済的には豊かになったけどどうしようもない俗物に成り果ててしまった悲しみ。
普通なら、めでたしめでたしな話ですが、「私」が愛したのは俗世間に汚されずに清らかに生きていくはずだった誠実な「あなた」でした。
まあ、「私」の感覚もとても珍妙で、そんな誰からも相手にされずに不器用に清らかに生きていく夫を愛していました。
自己犠牲。
殉教。
そんな不自由さの中に感じる悦楽。
実は、夫以上に歪な妻。
2枚舌で、世渡り上手になっていく「あなた」、清貧、高潔な精神、よいとこさ。
しかし、それはこの時期に名声を得て急速に生活が変わっていった太宰自身に向けた戒めであり、自己批判であったように思います。
しかし、結局は富と色に飲み込まれて行ってしまうのだと思いますが・・・。
⑩佐渡
いや、佐渡の人が読んだら怒るんちゃうん!?
っていう、現代で言うと『翔んで埼玉』レベルの佐渡ディスですね。
佐渡の人がどんな気持ちで読んでて、この作品が佐渡でどういう扱いをされているのかを思うと胸が変にドキドキしながら読み進めました。
人生でこれだけ佐渡って言ったことないなぁ。
紀行文ですが、とても侘しく寂しいもので、後出ですが、つげ義春の紀行漫画を彷彿とさせられるようでした。
でも、この淋しくてちぐはぐで無益な感じがなんとも言えずに良いです。
そして、それをあえて求めてきたドM作家の太宰治氏。
謂わば「死ぬほど淋しいところ」の酷烈な孤独感をやっと捕まえた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。
紀行文+滑稽譚のハイブリットのような作品が『佐渡』であったのかなと思います。
もうひとつワッサーマン『四十の男』で描かれているような「しなかった悔い」について触れています。
あー、これめっちゃわかるなと思いますし、僕は何度もしなかったこと、参加しなかったイベントを思って歯噛みしたことが多々ありました。
「しなかった悔い」の苦さが太宰を不意な旅へと駆り立てたのでしょうか。
⑪千代女
これも秀逸な女性の告白体の作品であります。
幼いころに一時認められた文才のために家族関係に亀裂が入り、やがて「私」の人生も駄目になっていきます。
書き出しがまた白眉。
女はやっぱり駄目なものなのね。
⑫風の便り
架空の作家・木戸一郎が、憧れの架空の作家・井原退蔵にあてた手紙。
そこから始まる往復書簡を通じて、おずおずと開示される太宰自身の芸術観、人生観。
木戸一郎が太宰で、井原退蔵が井伏鱒二でしょうか?
それとも象徴的に世代間の闘争を顕したのか?
でも、なんとなく2人とも太宰自身の投影なのではないかというふうに僕は思いました。
自分を二つに分けてディベートし合う。
世代もありますが、世間に受け入れられた自分と、何者でもなかったころの自分。
その分水嶺に立ち二つの立場を描いたように感じました。
⑬水仙
幾重にも積み重なった物語。
多層的に表現され、草田静子の画材がいかがなものだったのかも不明で、とても良い。
どこかしら太宰が敬愛していた芥川龍之介のような作品のように思えます。
古臭さと説教臭さ。
でもそんな黴臭さが馥郁として香るような。
⑭日の出前
実在の事件に沿って書かれたと目される小説。
『水仙』とどこか印象がかぶるが、実在の身内による殺人事件とありとても生々しい。
しかし、太宰が描きたかったものは最後の妹の言葉に集約されているように思います。
一瞬を描くために言葉と表現を費やす。
そんな芸術に昇華された小説を、純文学というのだと思います。
どこかしら、フランツ・カフカ『変身』にも触れあうものがあるような。
かつて兄だった巨大な虫の死後に希望の未来が示唆されているラストに重なるように思いました。
家族にとって勝治郎は、醜悪な化け物へと変身してしまったのかもしれません。
純粋で従順な妹・節子。
そんな彼女の一言に向かって物語が集約していっている印象でした。
「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました」
5、終わりに
いやー、良かった。
率直な感想がこれです。
秋の稲穂揺れる光景を思わせるような、実り豊かな太宰治の文学。
再起の時期と重なったこともあり、希望を感じさせるような作品も多かったかと思います。
作家としての活動において最も精神的に安定していたこの時期に太宰は多くの傑作を生みだしました。
時代背景、太宰の人生と照らし合わせながら再読し、またその文章の生き生きとしたリズムを感じるにつけ、改めて彼の作品を好ましいと感じました。
こんなにも多彩な表現できる作家だったのだなと改めて思いました。
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