1、作品の概要
1947年8月5日に刊行された。
新潮文庫版の短編小説集『ヴィヨンの妻』は8編の短編が収録され、1950年12月22日に刊行された。
親友交歓、トカトントン、父、母、ヴィヨンの妻、おさん、家庭の幸福、桜桃の後期の短編小説が収録されている。
200ページ。
『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』で2009年に映画化された。

2、あらすじ
①親友交歓
津軽の生家に疎開していた「私」はかつての親友を名乗る男の訪問を受ける。
酒を酌み交わす2人だったが、「親友」は酔いながら荒れた行動をし始め・・・。
26歳の青森在住の男性から送られてきた手紙。
彼は、なにか感情を動かされそうな場面に直面すると「トカトントン」という幻聴が聴こえてきて、すべて台無しになってしまうという悩みを抱えていた。
③父
創世期に記されている、義のために我が子を犠牲にするという事。
炉辺の幸福をおそれて、義のために子と別れて遊ぶ父の苦悩。
④母
疎開していた「私」は復員していた旅館の息子・小川新太郎と交流を持つようになる。
港町の彼の旅館に遊びに行った「私」は、奇妙な事件に遭遇する。
詩人の夫・大谷の妻の「私」は、毎夜飲み歩く夫からほとんど金を受け取れずに、幼い子供と一緒に貧乏暮らしを強いられていた。
ある夜、入り浸っている中野の小料理屋から金を盗んだ夫は、家に逃げ帰り、彼を追ってきた店の主人や女将にナイフを突きつけてどこかに逃げ出してしまう。
事情を知った「私」は夫の借金を返すために、その小料理屋で働くことを決意する。
⑥おさん
雑誌社に勤めていた夫は戦争を経て、仕事も失い、家族が疎開している間に余所に女を作って入り浸るようになっていた。
子供と貧しい生活を強いられながら、悲しく、くるしい生活を続ける妻。
そして、夫は・・・。
⑦家庭の幸福
ラジオから聞こえてきた街頭討論放送。
その放送を家族で幸せに聴いている官僚の姿を想像した彼は、一編の短編小説のあらすじを思いつく。
⑧桜桃
仕事もろくにせずに大酒を飲んで遊びまわっている父と、そんな父を慮りながらもつい母が漏らした「涙の谷」の一言が夫婦間の不穏を生じさせる。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
表題作の『ヴィヨンの妻』は太宰の十八番である女性の告白体を用いて書かれた佳作で、好きな作品のひとつです。
ひさびさに再読したくなり、ブックオフで110円でゲットしたのですが、家に帰って本棚を見たらもう1冊『ヴィヨンの妻』があったなのに驚愕した『バカンの夫』は私です。
まあ、僕が持っていたのは新潮文庫版の旧装丁なので、いいかな(涙)
新装丁版の鳥の絵の装丁なんか好きです。
太宰の晩年に書かれた名作短編群。
時系列に読み進めていくと、彼の精神が暗黒へと転がり落ちていった経緯が見て取れるように感じました。
4、感想(ネタバレあり)
太宰治の作家人生をザックリ分けると、前期、中期、後期に分けられると思います。
自殺未遂を繰り返し、「死にたがりの太宰」のあだ名を拝命し、心中事件を起こして、女性は死んで自分だけ生き残って、結婚したけど、ヤク中になって、妻の不貞から離婚したという怒涛の前期。
『道化の華』『ダス・ゲマイネ』などの名作もありますが、生活が乱れまくって創作どころではない時期が前期でした。
美知子と結婚し、三鷹に移り住んでからは旺盛な創作意欲をみせ、体調も安定していて、芸術性の高い作品を次々に生み出します。
『女生徒』『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』などを書き、作家として不動の地位を築いた中期。
『女生徒』は怨敵の川端康成も激賞したほどでした。
そして、後期。
『パンドラの匣』『斜陽』『ヴィヨンの妻』『人間失格』とこれまた名作が並びます。
酒に溺れて困窮し、健康状態も悪化し、女性関係も錯綜していて太田静子との間に私生児をもうけたり、山崎冨栄と心中に至るさなかにこれだけの名作を連発している。
騙されてはいけないと思うのですが、実は太宰治という作家はとてつもなく勤勉で仕事量の多い作家でもあると思います。
『ヴィヨンの妻』の1947年8月に刊行し、『斜陽』を1947年12月に刊行し、『人間失格』を1948年7月に刊行していることを見ても彼の創作スピードの凄まじさがわかると思います。
『斜陽』が発売された半年後には『人間失格』が発売されてるとかってどんだけっすか(笑)
全然、書けてないとか作中で呟いているのですが、騙されちゃあいけませんよ。
短編小説集『ヴィヨンの妻』は、単行本では筑摩書房から刊行されていますが、新潮文庫版では収録する作品を変更して刊行されました。
あとがきから察するに、文芸評論家である亀井勝一郎が収録される作品を選んだんですかね?
亀井勝一郎氏の全集がなぜか実家にあったので、今度パラパラめくってみたいと思います。
亀井勝一郎のあとがきもとても良くて、2回読みました。
いまいち「アフォリズム」というのがよくわらかないのですが、「バカリズム」とどう違うのか誰か教えて頂きたいです。
晩年の短編を時系列的に並べて、太宰の精神が追い詰められていくさまを炙り出したチョイスはとても良かったと思います。
悲しく、やるせないことではありますが。
芸術は長く、人生は短し。
私小説風の太宰の作品の全てが、彼の内面と真実を語ったものではないことを語っているのも良かったですね。
太宰治という作家は、私小説風の作品で読者に自らを卑下させておきながら、ペルソナの向こうで舌を出して笑っているような、どこか飄々としたトリックスター的な印象もあるのですよね。
いっそ、本物の鬼畜に家庭破壊者になれれば良かったのに。
そうはできない精神の弱さ、やさしさ、繊細さを感じさせられるような短編小説集でした。
『親友交歓』でのユーモラスから、『父』『ヴィヨンの妻』『おさん』『家庭の幸福』『桜桃』の家庭破壊者としての苦悩と罪悪感が感じられるような短編小説集でした。
①親友交歓
太宰治はサービス精神旺盛な作家で、実は読者の笑いを取るのが好きな作家だと思います。
文体もリズミカルで、まるで落語を聞いているような感覚にさえ陥るような作品もあり、『親友交歓』もそのような作品のひとつだと思います。
ヒロ氏もブログのお笑い記事を書く時に文章のリズム、自虐ネタが十八番なのですが、(恐れ多いですが)ちょっとシンパシーを感じる時があります。
『畜犬談』などもこの類の作品だと思いますし、太宰という作家が決して暗い私小説的なものばかり書いていたのではないと思わせられる作品のひとつだと思います。
手紙形式で書かれた書簡体の小説。
除隊後に、なにかしようとすると「トカトントン」という幻聴が聞こえてきて、すべてにやる気がなくなってしまうという26歳の男性の話ですが、敗戦後の虚無感を象徴としているようなエピソードのように思えました。
しかし、最後には手紙がほとんど噓であったことも明かされ、精神の荒廃も描かれていました。
③父
義?
義とは。
太宰はよく聖書の引用をしたりするのですが、なにか珍妙な解釈をしたりして、敬虔なクリスチャンの失笑する姿が浮かぶようであります。
父と子の別れの場面がテーマですが、家を出て遊びに行く、大酒を飲んで、女と遊ぶ罪悪感を感じながらも、子供と別れていく場面が描かれていました。
④母
なかなか味わい深い短編。
売春した相手が自分の子どもほどの年齢だったら、ってなにか「あっ」と声が出そうになりますね。
現在のパパ活にも通じそうですが、自分の子供ほどの少女を金で買っているオッサンはこの短編を読んだ方がよい。
後期の昏い作品群の中での、一条の光明のような作品。
太宰の願望のようにも感じられる。
自分の不義を赦してほしい受け入れて欲しいというような願い。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」という言葉には、そんな太宰の家族への罪悪感と赦しを求める気持ちを強く感じました。
冒頭から剣呑としていて、夫の大谷が中野の居酒屋からお金を盗んで、追いかけてきた店主と女将に刃物を突き付けて逃走するというめちゃくちゃな展開なのですが、妻が店主と女将と話をしていて、大谷のめちゃくちゃな所業に不謹慎にも思わず笑ってしまう場面にはクスっとなってしまいました。
なんだろう。
いろいろ、迷惑をかけてしまっているけど、愛され上手でお坊ちゃん育ちの太宰がこんなめちゃくちゃやってるけど、赦してね?みたいに書いているようにも取れましたが。
太宰版、西野カナの『トリセツ』なんか?
急に外に出て大酒喰らってしばらく帰らない時があります。
外で女も作ります。
それでいて、急に不機嫌になって、行きつけの店のお金を盗んだりします。
これからもどうぞよろしくね。
こんな太宰だけど笑って許してね。
いや、許せるかっ(笑)
でも、きびきびと働いて朗らかに笑う、さっちゃん(この名前も山崎冨栄のあだ名であれですが)の大活躍を読んでいると、まあ許してやろうかって気分になる?
ここが地獄の1丁目だったのでしょうか?
ここで引き返せていれば良かったのに。
あとは、ゲヘナ(地獄)へと一直線。
⑥おさん
たましいの、抜けたひとのように、足音も無く、玄関から出て行きます。
って、書き出しが秀逸で印象的ですね。
後期お馴染みの家庭破壊者シリーズの開幕です。
まるで自身の玉川入水を予見するような心中事件。
いっそ、本物の悪魔であったら良かったのだと改めて思いました。
⑦家庭の幸福
なにか尻切れトンボのような半端な印象もある作品ですが、後期の太宰はとかく家族のことについて書いています。
家庭の幸福は諸悪の本。
⑧桜桃
夫婦喧嘩の小説である、とか言いながらも衝突を避けて罪悪感に悶々としている。
子供よりも親が大事と嘯きながら、人非人としての自分に絶望している。
断罪と自己嫌悪の小説であると思います。
いっそのこと極悪人になればいい。
でも、そうはできずに半端な偽悪を感じさせられるような小説。
でも、これだってどこまでが真実なのかわらかないのでけれども。
創作である以上、何をどう語ろうと許される。
じつは、桜桃を子供たちに食わせていたのだとしても。
子供がこれほど大事になったのは実は最近のことで、子は枝葉とか言われていたこともあり、まあそこまで罪悪感を抱かなくてもいいと思うし、罪悪感を抱くのなら遊ぶなよとか思うのですが、そうもできなかったのでしょうね。
わかります。
しかし、作中に感じる余裕のなさはいけない。
5、終わりに
後期の救いのなさ。
死に向かって一直線に進んでいくような絶望感。
家庭破壊者としての罪悪感。
そんな、素敵なアレコレを感じさせられるような短編小説集でした。
後期も生活が破綻していたのですが、この仕事量はどゆこと?ってなりました。
そもそも、太宰治は作家生活が10年ちょいぐらいなのに、とんでもない仕事量なんですよね。
真面目なのか不真面目なのかわからない作家ですねぇ。
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