1、作品の概要
『火花』は2015年に刊行された又吉直樹のデビュー作。
『文學界』2015年2月号に掲載された。
単行本の累計発行部数が239万部を突破し、芥川賞受賞作品として歴代で一番売れた作品となった。
2016年にネット配信ドラマ化。
2017年には板尾創路監督、菅田将暉、桐谷健太のW主演で映画化された。
売れない若手芸人の徳永が、個性的でカリスマ性がある先輩芸人・神谷に出会い。
その交流と葛藤の日々を描いた。
2、あらすじ
売れない若手芸人の徳永は、熱海の花火大会で一緒のイベントに出演した先輩芸人の神谷の言動に衝撃を受けて弟子入りする。
奔放で天才的な才能を持つ神谷に憧れる徳永だったが、自分の漫才には葛藤を持ち悩んでいた。
神谷は同棲していた彼女の真樹と別れたことで荒れ始めて、借金の額が膨らみ続けていた。
一方、徳永は徐々にTVに出始めて少しずつ人気が出ていたが・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
お笑い芸人ピースの又吉直樹が書いたデビュー作ということで、発売当初から話題になり、芥川賞を受賞したことで社会現象にもなっていました。
又吉直樹のことはアメトーークの読書芸人などで観て好きだったので、いつかは読もうと思いつつ、あまりにも騒がれすぎていてちょっと乗り遅れた感じになってしまいました。
ってか、刊行されてもう7年も経ってたんですねぇ。
どんだけ乗り遅れとんねん!!
先に『人間』のほうを読みましたが、これがめっちゃ良かったのもあって今更ながら『火花』も読んでみました。
4、感想・書評(ネタバレあり)
①すれ違う生き様と人生が火花を散らすみたいに一瞬の光と放熱を残して消え去っていく
『火花』は映画化していたこともあって、何だか芸人の青春物語っぽい印象が僕の中で定着してしまっていました。
ただやはりそこは純文学好きな又吉直樹で、徳永の視点で漫才をすること、人を笑わせることはどういうことなのか、その葛藤と喜びが深く掘り下げられていました。
漫才に青春を捧げて、人生をかける徳永は自らの殻を破るべく憧れの神谷にあやかって自分を変えたいともがいています。
しかし、徳永が尊敬してやまない神谷も売れて世間に受け入れられていわけではなく、自らが持っている天才的な感覚をうまく漫才に落とし込んで、社会とコミットすることができていませんでした。
そういうセルフプロデュースみたいな部分がとても下手くそで、コンビを組んでいる大林も合わせてうまく周囲に溶け込めずに尖り続けている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
著者の又吉直樹は芸人としても、作家としても成功者の部類に入ると思うのですが、芸人として売れたいと願いながら惨めに燻っている徳永と神谷の燻ってやるせない気持ちを描いています。
そのあたりに、又吉の感覚の繊細さと人生を見つめる視線の優しさ感じますし、彼自身がずっと感じている表現者としての葛藤や舞台に立つ怖さと喜びが描かれているように感じました。
また『火花』で描かれている20代前半という時期は、ものすごいスピードで自分も周囲も動き続けている人生でも稀有な時期だと思います。
たくさんのものが、人が出会いと別れを繰り返し、自らの立ち位置も劇的な速さで変化していく。
僕自身、20代の10年間を思い出すととてつもなく濃密で本当に自分の身に起こった出来事なのか判然としないことがありますし、まるで他人の人生を俯瞰で見ているような気分になることがあります。
そんな特別な時期に起こる一期一会とも言うべき出会いたちと、すれ違う人たちとの一瞬の交歓と発光。
まるで火花を散らすように激しく人生は交じり合って、そして何事もなかったかのように分かれていく。
広大な宇宙を横切る幾多の小惑星みたいに。
②神谷というと男
神谷は特別な何かを、スペシャルな才能を持っているのかもしれないけど、それをうまく発揮できずに周囲に撒き散らしながら徐々に輝きを失っていくダメ人間なんだと思います。
又吉直樹の2作目『劇場』の主人公・永田とも共通していると思いますが、強烈な自意識と才能のきらめきを持ちながら、うまくセルフプロデュースして社会が大衆が求める形に落とし込むことができずに燻っているような感じがします。
神谷さんは振り続ける雨を背景に、「美しい世界を、鮮やかな世界をいかに台無しにするかが肝心なんや」と言った。
そうすえれば、おのずと現実を超越した圧倒的に美しい世界があらわれると迷いのない言葉で語った。
真樹という理解者がいて、彼女は神谷を支えるために風俗の仕事までするのですが、結局支えきれずに彼の元を去ってしまいます。
おそらく又吉直樹のまわりにもこういったタイプの芸人がいたのかもしれませんし、どこか前時代的な昭和の香りがしますが、芸人の男を支えるために付き合っている女性が自らを犠牲にして尽くす。
そこはかとなく太宰治の作品の影響もしますし、『ヴィヨンの妻』なんかも思い出しました。
残念ながら「人非人でもいいじゃない、生きてさえいれば」などと言ってくれるような女性は現代には存在しませんよね。
しかし、又吉自身が神谷のようなダメ人間が好きなんだろうなと思います。
いかに周囲から孤立しようとも、TVに出られずに徳永に追い越されようとも、神谷は神谷で在り続け、徳永の憧れの存在でした。
自分にはない、強烈な個性と、独自の考え方を持つ神谷にも徳永という自分を慕ってくれる人間は必要な存在だったのでした。
はじめはある種の化学反応を生むことを期待させるような交流でしたが、徐々に二人の関係は共依存のようにお互いが何事も成せていないそのフラストレーションを癒し合う存在であったのかもしれません。
神谷さんと濃密な時間を過ごすことによって、僕は芸人の世界を知ろうとした。だが神谷さん自身も僕をキャンバスにして自分の理論を塗り続けていったのかもしれない。
③徳永の葛藤とこれから
徳永はいわゆる芸人っぽいキャラじゃなくて、まくし立てるように早口で喋ったりとか、陽キャで誰とでも打ち解けたりとか、そういう感じでは全くありません。
そのあたりが、又吉本人の体験や想いともリンクするのかなとも思います。
徳永はどこかでこのままじゃダメで、自分を変えたいって思っているようにみえますし、自分に変化を与えてくれる化学反応を期待して、神谷に弟子入りしたんだと思います。
僕は面白い芸人になりたかった。僕が思う面白い芸人とは、どんな状況でも、どんな瞬間でも面白い芸人のことだ。神谷さんは僕と一緒にいる時はいつも面白かったし、一緒に舞台に立った時は、少なくとも、常に面白くあろうとした。神谷さんは、僕の面白いを体現してくれる人だった。
しかし10年の月日が流れて、芸人として大成することはなく、相方の結婚を機にコンビは解散、徳永自身も芸人を辞めることを決意します。
最後のステージのシーンはとても温かくて印象的でした。
徳永の最後の才能のきらめきだったのでしょうか?
売れっ子芸人になることを目指して、必死で頑張ってきたけど叶わずに夢やぶれてアラサー。
徳永の20代は、芸人として常に誰かを笑わせることを考えながら生きた10年間は無駄だったのでしょうか?
そんなことは決してなくて、就職した不動産屋でも芸人時代に培った話術が生きていますし、何より神谷さんからかけられた言葉が胸に響きます。
「それは、とてつもない特殊能力を身につけたということやで。ボクサーのパンチと一緒やな。無名でもあいつら簡単に人を殺せるやろ。芸人も一緒や。ただし、芸人のパンチは殴れば殴るほど人を幸せに出来るねん。だから、事務所やめて、ほかの仕事で飯食うようになっても、笑いで、どつきまくったれ。お前みたいなパンチ持ってる奴どこにもいてへんねんから」
無駄じゃなかった。
売れなくて、芸人も辞めてしまうけど徳永の10年は絶対に無駄じゃなかった。
それは、夢半ばにして消えていった芸人の仲間たちに伝えたい、又吉からの祈りをこめたメッセージのように思いました。
5、終わりに
読み終わって、やっぱ青春小説の要素もあるやないかーい、って思いましたがな。
北野武『キッズリターン』のラストシーンでの「俺たち終わったんすかね?」「バカ野郎。まだ始まってもねぇよ」のやりとり的な。
20代での試行錯誤、本気で何かを目指して悩みながら過ごした日々が無駄であってほしくない。
僕もそう願います。
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