ヒロの本棚

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【本】平野啓一郎『ある男』~2つの偽りの愛~

1、作品の概要

 

2018年6月の『文學界』に掲載され、同年刊行された長編小説。

事故死した夫が全くの別人だった事件を通して、「愛とは何か?」を問うた作品。

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2、あらすじ

次男の病死を契機に夫と別れて、長男と2人で郷里の宮崎県に戻った里枝は林業に携わる「谷口大祐」という男と知り合い愛し合うようになる。

やがて結婚した2人は新たに2人の間に生まれた長女の花と、前夫との間の子供の長男の悠人と4人で幸せに暮らしていた。

しかし、仕事中での事故で大祐が亡くなり、疎遠だった彼の兄から「この男は弟じゃない」 と告げられてからこれまで育んできた愛情と信頼が揺らぎ始める。

 

里枝は過去に離婚を担当していた弁護士・城戸に相談するが、この「谷口大祐」を騙っていた「X」の足取りを追ううちに城戸はその人生にのめり込んでいることになる。

彼の足取り、人生を辿ることが、やがて城戸自身の人生観、存在の不確かさ、家族への愛への思索に深く絡みついてくることとなる・・・。

絡まった糸を少しずつ解きほぐしていくうちに、物語はそれぞれの人生に深い問いをなげかける。

ある男

ある男

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3、この作品に対する思い入れ

『マチネの終わりに』で久々に平野啓一郎の作品を読んで、深い感銘を受けて『決壊』『空白を満たしなさい』『ドーン』『かたちだけの愛』などを読み、平野啓一郎の文学に深く惹かれました。

そんな折に、新刊として発売されていたのが『ある男』で、読み進めるごとにこの物語に引き込まれました。

今回、再読して最新作の『本心』にも繋がるような愛の本質や、存在の不確かさへの問いかけ、また愛する人が持つ自分が知らない別の顔(愛する人の他者性)をどう受け入れるかの問いかけをより深く感じました。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

4、感想・書評(ネタバレありまくり)

①純文学をアップデートする 

中村文則の書評でも書いたと思いますが、平野啓一郎もまた近作で純文学のアップデートを試みているように思います。

初期作品においてゴリゴリの純文学的な作品を書いて、芥川賞を受賞したという点においても2人の作家には何かしら近しいものも感じます。

まぁ、太宰と三島ぐらいテイストは違うと思いますが(笑)

 

純文学とは何かについての答えは様々だと思いますが、僕は物語そのものの娯楽性より情景描写や心理描写に重きを置いた「芸術としての文学」であり人間の根源に対する深い問いかけを持った作品が、純文学だと思っています。

平野啓一郎は、純文学の持つそれらの長所をそのままにして美しく読みやすい文章で、誰もが興味を持つようなエンターテインメントの高い物語に、難解かつ深遠な愛や人生に対してのテーマを盛り込んだ作品を作り出しているのだと思います。

それはまるで、ポップな見た目と曲とは裏腹に、複雑なコード展開と毒と謎かけを含んだ歌詞の曲を演奏するビートルズのように思えます。

 

そして、平野啓一郎の最大の魅力は、その文体にあると思います。

デビュー当時から三島由紀夫と比肩されるほどの美しく耽美的な文章が、作家として洗練されより多くの人々に物語を届けるためにとても読みやすく無駄のない文章になってきているように思います。

平易かつ、無駄がない、美しい文章。

 

それほどの読書家ではない僕ですが、平野啓一郎のような美しさと機能性わかりやすさを全て兼ね備えた文章を書ける作家はいないように思います。

まるで流れる水のような流麗な文章・・・。

例えば城戸がリビングで音楽を聴く以下の場面ですが、読んでいてため息すら漏れるような耽美的な文章です。

 また少し飲もうかと思ったが、菊池のピアノだけで演奏される破格の「All The Thing You Are」が始まったところで、しばらくその場から動きたくなくなった。

 時間が、ゆっくりと解体されてゆくようなテンポだった。旋律が、一滴ずつ、澄んだしずくとなってしたたり、静まり返った室内に、幾重にも波紋を広げていった。

城戸は、音楽そのものというより、その音の予感と余韻との融け合いの中で息を潜めて、クリスマス・ツリーの電飾が、一定のパターンで変化していく様を眺めた。

 

 

美しく流麗な文章で、先が読めない起伏に富んだ物語を描き、その中に深いテーマも盛り込んでいく。

それが現在の平野啓一郎の作家性だと思いますし、そこにうまく社会的なテーマも入れてきています。

 

今作『ある男』でもそのような平野啓一郎の真価が存分に発揮されていると思います。

 

②「X」の物語にのめり込んでいく城戸

主人公の城戸は、かつて離婚調停で関わった里枝から亡くなった夫が全くの別人だったことを彼の兄から明かされたことについて相談を受けます。

初めは仕事として「谷口大祐」を騙っていた男「X」の身元を辿っていきますが、やがて「X」追うことは城戸にとって仕事を超えた自分自身にとって大きな意味を持つ事件になっていきます。

 

「X」の持つ出生の秘密自体に惹かれたことも一つであったかとは思いますが、卑劣な行為だと理解しつつも全く自分のことを誰も知らない場所で、他人に成り代わって生きるという行為そのものにも興味を惹かれるようになったのではないでしょうか?

抱えている「存在の不安」や過去からも解き放たれて他人の人生を生きる・・・。

他人を、特に愛する人を騙す罪悪感はあったのでしょうが、城戸自らも在日3世であるというルーツから感じるそこはかとない存在の不安や、妻とのすれ違いによる現在の生活と幸福の崩壊の予感を抱えていて、他人の人生を生きることへの魅力を感じたのかもしれません。

 城戸は、横浜に戻ってからも、「X」になりすましたあの数時間の、言い知れぬ悦びが忘れられなかった。彼は緊張し、興奮し、眩暈を感じていた。人はそれを、普通、悲劇の効能として知っているのだったが、映画を見たり、本を読んだりするのではなく、肉声を以て他人の人生と同化し、それを内側から体感するというのは、なるほど、趣味的な何かになり得るのかもしれない。苦い後味の、破廉恥な遊びだったが・・・。

 

 自己・自我というものはある意味では精神の牢獄で、誰しもがそのような軛に魂をつながれて囚われているのかもしれません。

現代社会のように高度に国や社会にその存在を管理されているような世の中ならなおさら・・・。

ナンバーカードや、監視カメラの存在で今後ますます個人の存在は社会に把握され、管理されていくのでしょう。

 

自分がどういったルーツの中で生まれ育って、どう生きてきたか?

その全てが白日の下に曝されているとして。

それが誇れるものでなかった時に私たちは何を願うのでしょうか?

 

ただ、城戸が持つ「在日」というルーツ。

それは、この国が抱える歴史の闇の部分や、民族としての至らなさを象徴していると思いますし、日本がより成熟した国家になるために精算して進んでいくべき問題なのではないでしょうか?

欧米には強いコンプレックスを持っている割には、アジア諸国(特に韓国、中国、北朝鮮)には強い優越感と侮蔑を感じます。

 

そのような日本国民の世論・感情と、有事には関東大震災の時の虐殺のような得体の知れない悪意が自分に対しても解き放たれるのではないかという恐怖が城戸を苦しめ続けているように思います。

実際にヘイトスピーチや、ネットの極右など社会の鬱憤はその矛先をいつ自分に向けるかわからない・・・。

日本で生まれ育って、日本語しか話せないとしても。

 

僕の友人にも韓国にルーツを持つ日系3世のナイスガイがいます。

彼とはサークルで知り合って、4年間密に一緒にいて、サークル活動以外にも飲み会をしたり、サッカーをしたり、うちにも何度も泊まりに来て語り合ったりしました。

とても思慮深く穏やかなのですが、どこか芯の強さを感じさせる男で、この物語を読みながら彼のことを思い出さないわけにはいけませんでした。

彼はクリスチャンでもあり、お互いの心の深い部分にまで踏み込んで生き方や考え方など語り合ったように思います。

 

そんな彼に20年以上前に言われて忘れられない一言があります。

それは、「どうして僕がここにいるのか考えて欲しい」という言葉です。

第2次世界大戦、太平洋戦争の時にこの国がアジア諸国に対して何をしたのか?

東南アジアでは、欧米の支配から独立させてくれた英雄のような扱いもされているかもしれませんが、東アジアに対しては侵略を行い、「日韓併合」を経て韓国の人々は文化的な損失を被りその流れの中で意志に反して日本に連れてこられた韓国人もいた。

その子孫が僕の友人であり、城戸だったのでしょう。

 

僕のざっくりとした歴史観は、詳しい方からしたら笑いの種かもしれませんが(>_<)

とにかく、彼の言葉を受けて僕はあの時代の日本がどういう立ち位置で戦争をしてどのように他の国に干渉していったのかを調べました。

僕は、その当時彼のルーツから目を背けるようにして生きていました。

「君が何者であっても、どんなルーツを持っていても気にしないよ。これまで通り一緒にいよう」

これは、城戸の妻・香織の態度にも通ずるものがあったと思います。 

自分の近しい人間、愛する人のルーツを見ないように蓋をして生きることが果たして真実の愛と呼べるのでしょうか?

彼・彼女はそのような形の愛に喜びを感じるのでしょうか?

 

僕の友人は、きっと僕のことを友達と思ってくれていたからこそ、自分のルーツをしっかりと見て欲しいと願ったのだと思います。

別に日本人と、日本軍の行いを否定しようとしたのではなく、自分のルーツと両国の歴史を理解してそこも飲み込んで一緒にいてほしいと思ったのではないでしょうか?

それは、まさに城戸のためにヘイトスピーチに参加した美鈴の行動を想起されられます。

 

③偽りさえも愛することができるか?それぞれが抱える存在の不確かさ

里枝が愛した「谷口大祐」は本当は「谷口大祐」ではなかった。

その事実を愛した「ある男=X」から告げられなかった里枝の悲しみと戸惑いはいかほどのものだったのでしょうか。

気持ちをぶつけようにも、その相手はすでにこの世を去っていてあとに残ったのは思い出と、2人の子供の花だけ。

 

でも、果たして二人が一緒にいた時間。

家族として皆で過ごした時間まで泡のように消え去ってしまうのでしょうか?

それでは果たして愛とは何なのでしょうか?

 

最終的に里枝は悠人との葛藤や、花の存在に後押しされながら「原誠」という名前と、人に言えない生い立ちと過去を持っていた「ある男」の存在にたどり着きます。

容易には受け入れられなくても、やはり一緒に過ごした思い出や時間は変わらずに存在していて、たとえ死の闇が二人を分かちようとも光輝を放ち続けるではないでしょうか。

里枝と「原誠」の愛の物語は「全てを共有できなくても、たとえ偽りがあったとしてもお互いが深く愛し合っていていれば全て赦される」と語られてます。

全ての愛がそのよのように寛容なものなのであったらどれだけ良かったのでしょうか。

城戸にまつわる愛の物語は、全く逆の展開を辿ります。

 

里枝と「原誠」の愛の物語が最後に真実にたどり着いたものであったとして、その物語を追っていた城戸は彼らの愛の物語と逆の選択をします。

「偽りの愛を生きる」

 それが、城戸の下した選択であったのではないかと思います。

妻・香織が自分の在日というルーツから目を背けて生きていこうとする偽りの愛。

美鈴がヘイトスピーチに参加して、彼のルーツに寄り添って痛みを分かち合いながら生きようとする真実の愛。

 

しかし、ここに真実の愛=美鈴を選べば社会的な倫理を踏み外してしまい、偽りの愛=香織の愛を選べば倫理的には正しいが偽りの愛を生き続けてしまうという選択が突きつけられます。

頭が良くて、穏やかな性格を持つ城戸は香織に自分のルーツを受け入れながら生きていく強さはないと理解したのでしょう。

そして、香織との愛は可愛い一人息子である颯太に繋がっています。

結果的に香織との偽りの愛を選んだのは、颯太の存在と家庭の平穏を彼が選んだからなのではないか?

 

城戸が、香織が不倫しているLINEをたまたま読んでしまうが、見なかったふりをして家族の時間を過ごす場面。

少し前の香織の出張の場面も怪しかったですが、彼は以前から香織の不実に気付いていたのかもしれません。

それでも不問にしたのは。

香織が城戸のルーツ=暗部(少なくとも香織にとっては)を見ないようにしたように、城戸も香織の暗部を見ないようにして彼女を愛することを決めたのでしょう。

これは、ある種のバッドエンドとも言える後味の悪い結末かもしれませんが、それだけ愛するということは相手の虚実をどう向き合っていくのか、余人には理解し得ぬような深い感情的な「ほつれ」と「からまり」が存在するのだと思います。

このような愛する者の自分の知らない部分、偽りという要素は次作『別人』にも引き継がれたテーマであったのだと思います。

 

城戸自身は、この欺瞞のような愛を、家庭を維持し続けることに何の葛藤もなかったのでしょうか?

その答えは冒頭の文章にあると思います。

彼は、常習的に自分の名前と身分を偽りバーで他者と交流するようになっていた・・・。

宮崎のバーで「谷口大祐」の人生を騙っていたように。

 

偽りによって生じた歪みは彼をどこに導いていくのでしょうか?

 

 

5、終わりに

里枝と原誠、城戸と香織の2つの偽りの愛の物語。

本質的に偽りだったのは、どちらの愛だったのでしょうか・・・。

真の愛とは?

そもそも果たしてそのような愛が存在するのでしょうか?

 

再読して、この作品が様々な問題提起をしているように感じました。

そして、平野啓一郎が物語を通して人間の愛や生き方に対して何かを問おうとしているようにも・・・。

おそらく彼の中でも答えが出ていないような疑問を物語として世の中に問いかけているのではないかと感じています。

 

この物語の書評を書くのに少し時間がかかりましたが、その間に僕の日常生活の中に『ある男』の物語が染み出していき、僕の物語と人生観と思考と深く結びついて熟成していくような感覚を覚えました。

小説に限りませんが、優れた芸術かそうでないかの判断の一つはそういった化学反応を起こせるかどうかだと思っています。

もちろんあくまで主観ではありますが。

 

この物語は、僕の中の古くて温かい記憶と結びついて、いくつかの問題に対して考え続けることを求めました。

それは40歳を過ぎたくたびれたオッサンにとっていささかしんどい作業でもありましたが、同時に無上の喜びを伴った時間でもありました。

こうやって自分の考察を発表できる場があって、ともすれば誰かのリアクション頂けたりするのは幸せです。

憂鬱な希望だったとしても、インターネットはある種の光で、文学、音楽、映画、絵画が自分の精神にとってどれだけ大きな悦びをもたらしてくれているか・・・。

そんなことを改めて実感しました。

 

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