ヒロの本棚

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【本】平野啓一郎『空白を満たしなさい』

1、作品の概要

 

平野啓一郎による長編小説。

2012年に講談社より刊行された。

漫画雑誌「週刊モーニング」に2011年40号~2012年39号まで連載された。

2022年6月25日よりNHK土曜ドラマにて全5回で放送される。

柄本佑鈴木杏阿部サダヲらが出演。

3年前に死んだはずの土屋徹生は突然復生者として蘇り、自らの死の謎を解明すべく奔走する。

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2、あらすじ

 

3年前に会社の屋上か転落して死んだはずの土屋徹生は突然蘇り、周囲の人間を驚かせる。

世界中で、彼と同じように生き返る人々が増え始めていて、「復生者」と呼ばれていた。

死の直前の記憶がない彼は、自らの死因を調べ始める。

自殺だったのか?それとも他殺だったのか?

 

徹生につきまとい暴言を浴びせる警備員の佐伯との因縁。

家族と友人たちとの絆。

そして復生してから出会って影響を受けた人たち。

分人主義を通じて自らの心の動きを見つめ直した時、空白の時間が満たされて止まった時計が動き始める。

空白の時間に一体何が起きていたのか?

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

大好きな作家の一人、平野啓一郎

彼の作品にハマるキッカケになったのがこの『空白を満たしなさい』でした。

日蝕』『一月物語』などの重々しい初期作品の印象が強かったのですが、死んだ人間が生き返る「復生」というSF設定でスタートしながら、生きることの意味や、家族への愛について描いたとてもエモーショナルな作品で、強くひきこまれました。

ゴッホの自画像の表紙も良いですねぇ。

 

そして、まさかの漫画雑誌『モーニング』に連載(笑)

ジャイキリと一緒に連載されてたなんて・・・。

平野啓一郎自身が何かのインタビューで、「普段、本を読まない人たちにも読んで欲しかった」みたいなことを言っていたと思うのですが、純文学作家としてデビューした平野さんが漫画雑誌で連載するってかなり思い切ったことをされたと思います!!

 

今回、2度目の再読を経て感想を書きましたが、登場人物たちの想いが、平野啓一郎自身の想いが胸に突き刺さるようでした。

6月25日からNHKでドラマも始まるようなので、楽しみですね♪

www.nhk.jp

 

 

 

4、感想・書評(ネタバレあり)

①徹生の死の謎と復生者たち 

世界中で死者が突然生き返り、復生者として生前と変わりのない状態で戻ってくる。

そんなSF全開の設定で物語が始まりますが、とてもキャッチーで興味を唆られる展開で読者を惹きつけておいて、死生観、家族観、幸福の追求ゆえの不幸、「分人」の視点を通した個人の解釈など、人間が生きていく上で避けられない重要なテーマが散りばめられ、いつの間にか物語の深い渦の中に入り込んでいくような感触がありました。

会話も多く、文章も平易で完結な表現で書かれていて、読みやすさを意識して書かれているように僕には思えました。

描かれている内容はとてつもなく濃密なのですが(^_^;)

より多くの人にこの物語を届けたい、そんな平野啓一郎の願いを感じたように思います。

 

死んだ人間が突然生き返るという設定は、平野啓一郎自身が主人公の徹生と同じように父親を36歳の時に亡くしてしまったことに関係しているようで、病気や不慮の事故などで急逝してしまった人達に対して遺されたものがどういう願いを胸に抱くのか。

そのことを実感できる痛み・願いとして物語に反映させたのでしょう。

作中での復生者たちには共通点があり、高齢者ではないということと、事故などの突然死をしていることがありました。

どういった原理で復生するのかについては言及されていませんが、別れも告げることなく突然いなくなってしまった復生者たちが、もう一度家族や友人に会って、生前果たせなかったことを果たして、伝えられなかった想いを伝える、そんな機会だったのでしょうか。

 

徹生が生き返った理由は、自らの死の謎を解き明かすこと。

死の直前の記憶が抜け落ちている彼は、自分を知る周囲の人間に話を聞いたり、実際に屋上に行ってみて記憶を呼び覚まそうとしたりと色々な方法を試みます。

最初は頑なに「自分が自殺なんかするわけがない!!」と思い込んで、生前にトラブルがあった不気味な警備員の佐伯に殺されたのではないかと疑います。

工場長の権田も佐伯による他殺に賛同しますが、権田は周囲から徹生の自殺の原因が自分だと思われたくない為だし、徹生は自分自身の幸福を否定したくないために佐伯による他殺を信じていました。

まぁ、佐伯も疑われてもしょうがないようなヤバい奴だったのですが・・・。

 

徹生は妻も子供もいて、仕事も上手くいっていて、幸福だった自分を否定したくなかったのでしょう。

自殺したことを認めてしまえば、自分が幸福でなかったことになってしまう。

そんなはずはない!!

この堂々巡りから抜け出すことで徹生は真相に近づいていきますが、それは勇気のいることで、痛みを伴うことでもありました。

自分の内面を深いところから見つめ直すという行為は、時にとてもキツいもで、正視に耐えないようなおぞましいものが出てきたり、自分が「こうありたい」と願った姿からかけ離れたものが出てきたりもします。

様々な出来事、色んな人との出会いを通して少しずつ徹生変化していきしっかりと自分と向き合うことで、空白を満たすことができたのでした。

 

②佐伯、幸福の追求ゆえの不幸、光と影

徹生が自らの死の謎の真相に近づくキッカケを与えたのは皮肉なことに憎悪してやまない、消してしまいたいとさえ願っている佐伯でした。

最初『空白を満たしなさい』を読んだ時は、佐伯について「気持ち悪くてなんかムカつく奴」くらいの印象しかなかったのですが、今回再読して一番印象深い登場人物になりました。

佐伯はまるで徹生自身の暗い影のようにつきまとうようになります。

 

お互いに「消えて欲しい」ほど忌み嫌っていながら、何故佐伯は徹生に付きまとっていたのでしょうか?

佐伯は自分と正反対の考え方、生き方を前面に押し出して生きる徹生が煩わしく、彼の生そのものが自分の存在を脅かし、惨めさを際立たせているように思えたのでは?

佐伯は生に絶望することで不遇な自分を慰め正当化しようとしていて、生きることに希望を抱いて幸福を肯定しようとする徹生を認めてしまうことで自らのアイデンティティが崩壊してしまうように感じていたように思えます。

 

しかし、そんな佐伯だったからこそ光を浴びて生きる徹生の暗い影に、「幸福を追求することで生じる不幸」の存在をまるで同類を嗅ぎ分ける野生動物のような本能的な嗅覚で気づいたのだと思います。

徹生は幸福な自分を肯定して、どこかに疲労や虚無感を抱えている自分を認めないようにしていました。

幸福をどこまでも追求して、不幸や後ろ向きなことは見て見ぬふりをする。

そうした人間誰しも当たり前な、むしろ賞賛されてしかるべき「幸福の追求」がやがて大きな不幸へと変化してしまうのは皮肉な話です。

本当は土屋さんだって、疑っているんでしょう?なんて俺はこんなに必死で働いてるんだ?こんなに疲れ果てて、大した見返りもなく。ーいいや、そんなことは考えてはいけない。働けるだけ、幸せなんだから。世の中にはもっと不幸な人間もいる。・・・」

 

徹生の死後に妻の千佳にもつきまとう佐伯。

彼は千佳を寝取ることで、徹生の幸福を踏みにじることで彼の考えを、幸福の追求の空虚さを証明しようとしたのではないでしょうか?

おぞましいことですが(^_^;)

佐伯はこんな気持ち悪いことも言っています。

「夜になると、私の遺伝子たちが、しくしく、体中で泣き始めるんですよ。今だって、ほら、聞こえませんか?誰でもいいから、早くどっかの女の遺伝子と合体させてくれ、こんなところで滅んでしまいたくない、とね。・・・」

 

しかし、佐伯はわざわざ復生者の会からの手紙を偽造してまで復生者の会の存在を徹生に知らせて、会合があるホテルまで来させたりもしていて。

徹生を絶望させるためかもしれませんが、監視カメラの映像のDVDを渡したりと、謎の行動が多いですね。

佐伯は復生した徹生の目の前で幸福の追求を生きることそのものを否定して、自分が棲んでいる闇の領域まで引きずり込みたかったのかもしれませんね。

最後まで徹生のことを愚弄し、否定した佐伯は死を選ぶことで自らを貫き通します。

徹生の目の前で、彼がかつてしたのと同じやり方で死んでみせることが佐伯にとっての最後の反発だったのかもしれませんね。

「私だって実際に、生きてみましたよ。ーで、これの何が面白いんですか?私には結局、さっぱりわかりませんでした。もう止めます。ただ気持ち悪いだけです。」

 

③分人の概念、死生観

佐伯から渡されたDVDで、自身の死の理由が自殺だったということを理解した徹生。

認めたくなかった死因でしたが、はっきりとした証拠もあり事実を受け入れるしかない。

それでも依然記憶が完全に戻ってない彼は、次に自殺の理由を考え始めます。

幸福だったはずの自分がなぜ自殺をしてしまったのか?

 

認めたくなかった事実を認めて、自分の内面と再び向き合うために徹生の力になったのは復生者の会で出会った木下とラデック、そして「ふろっぐ」の池端で、復生後に出会った人たちとの関わりの中で徹生の内面は大きく変化していきます。

特に池端との関わりでは「分人」の考え方を提案されることで、今までと違った物事の捉え方をするようになり、徹生は大きく成長して「分人」の考え方を通して自らの死の真実にやっと辿り着くことができました。

最愛の息子との璃玖との分人がその愛ゆえに他の分人を消そうとして、その結果生きたいと強く願いながらも、徹生を自死に導いてしまったなんて、とても皮肉ですし複雑ですね。

僕も仕事でこうあらなければならない、こう振舞うべきという強迫観念に囚われてしまうことがあり、少し徹生の気持ちがわかる気がします。

最も愛する人との分人が、その愛の故に、自分の他の分人を殺そうとする。自分を丸ごと傷つける。消そうとする。それは本当に、悲しいことです。

 

最愛の璃玖との分人はひょっとしたら他の分人と比しても取り分け自分自身に多くを求めて、高みを目指すような自身にとっては厳しい分人で、父親としても会社員としても弱さを見せたり、疲れた自分を認めたりすることを許せなかったのでしょう。

子供の前では弱い自分を見せられない、父親として尊敬される存在で在り続けなくてはならない。

そうやって自分を追い詰め続けたのが、徹生の自殺の真相だったのでしょう。

 

もしかしたら、徹生の父親が生きていたら徹生自身の父親像がまた違ったものになっていて、もっと肩の力を抜いて生きることができていたのかもしれませんね。

僕も身に覚えがありますが、そんなに完璧な父親なんてこなせませんし、子供たちに時には幻滅もされながら何とかかんとかやっていくものだと思います(^_^;)

そういった具体的な父親像をイメージする機会が持てず、頑張りすぎてしまったことが悲劇の元ではあっただと思いますが、自分なりに必死に息子を愛して良い父親でいたいと願ったことは素晴らしいことだと思います。

だからこそ読んでいてとてもやるせなかったですね。

 

幸福の追求が不幸を呼び寄せて、生きたいと願いながら自ら命を絶つ。

自分の最も愛している者との分人が、結果的に自分自身を傷つけてしまう。

『空白を満たしなさい』はそんなパラドックスが散りばめられた物語で、とても不条理に感じますが物語に深みを与えているように感じました。

 

一度死んで生き返ったことによって、復生者とそのまわりの人たちはより深く死生観について考えさせられることになります。

生き様と死に様。

同じ復生者でもどのような死に方をしたかによって、周囲の反応も変化している。

火事で燃え盛る炎の中に飛び込んで大家さんを救出しようとしたラデックは、英雄となり聖人のように崇められますが、会社の屋上から飛び降りて自殺した徹生はどこか後暗いような思い出過ごしています。

しかし、ラデックは徹生にこう言います。

「死は傲慢に、人生を染めます。私たちは、自分の人生を彩るための様々なインク壺を持っています。丹念にいろんな色を重ねていきます。たまたま、最後に倒してしまったインク壺の色が、全部を一色に染めてします。そんなことは間違っています。」

 

いや、ラデックさんマジで聖人ですね!!

しかし、それでも徹生の「自死」という死は多くの人間の心に影を落とします。

千佳のように身近にいた人間にとってはもしかしたら自分の存在が徹生を死に追いやったのではとか、何故自分に心を開いて辛い胸のうちを明かしてくれなかったのかなど、心に大きなしこりを残す出来事となります。

千佳ほどの衝撃ではないにせよ、権田と秋吉も同じように感じていたのでしょう。

 

④家族の物語

平野啓一郎の最新作『本心』でも家族について深く掘り下げられていますが、『空白を満たしなさい』も家族を中心にした物語で、家族の愛情や、その愛情ゆえの深い葛藤が描かれています。

家族を愛しているが故に追い詰められてしまった徹生ですが、自らが父親を早くに亡くしてしまったこともあり、良い父親でいたいと頑張りすぎてしまったのでしょうか?

『空白を満たしなさい』は平野啓一郎の作品の中でも最もエモーショナルな作品で、徹生の家族への愛情が強く感じられ、登場人物たちが強い気持ちをぶつけ合っているように思います。

 

もうこの文章を読んで涙腺のダムが決壊しましたよ・・・。

生きたかった!!

徹生の願いと、後悔と、璃玖への家族への愛情が奔流となって文面に満ちていくようで・・・。

身につまされました。

僕もこの作品を読んだ頃2児の父になっていて、徹生みたいに夫としても父親としても真摯ではなかったかもしれませんが、心を動かされました。

徹生の叫びが魂の慟哭が文章から聞こえてくるように感じて・・・。

『やっと思い出した。思い出したよ、璃玖。・・・最後にお父さんが、何を思いながら死んだかを。ー生きたい!!そう思ったんだ。生きたい!!・・・おかしい?でも、本当にそうなんだよ。・・・死にたい、じゃなくて、生きたい。・・・逆だったんだ。・・・お父さんは自殺した。自分で自分を殺してしまった。・・・なぜなら、間違ってしまってる自分を消したかったから。まともになって、璃玖たちと一緒に、幸せに生きたかったから。・・・そう、生きたかったんだよ、璃玖。・・・生きたかった・・・』

 

千佳は母親に虐待されていて、彼女も徹生とは違った意味で家族を一般的な意味で理解していない、その愛情を享受していないようにみえます。

徹生との結婚はだからこそ不完全な2人が寄り添いあって何かを築き上げようとする行為だったのかもしれません。

それはある意味では砂上の楼閣のような危うい家庭であり、徹生の死によって脆く崩れ去ってしまったのでした。

物語の終盤ではそんな千佳のために彼女の両親に対して「千佳は僕が出会った中でもん一番善い人間なんです」と彼女の存在を全肯定し、一番言って欲しかった言葉を贈ります。

千佳の心の闇は徹生の真っ直ぐな言葉と心で雲散霧消しました。

彼が復生した意味はそうやって彼女の心を救うことでもあったのかもしれません。

 

しかし、復生は一時的なものでやがて自らの命が再び消えてしまうことを徹生は知ります。

復生してから多くの出会いを通じて新たに身につけた分人という考え方、その出会いを活かして思いついた新しいビジネス。

何もかも上手くいくように希望を持ち始めた矢先に突きつけられた残酷な現実。

 

それでも徹生が復生して、たくさんの触れ合いの中で感じたこと、家族に伝えたことは決して無駄ではなかったのだと思います。

最後の文章に涙が止まりませんでした。

たぶん、このあとに徹生は消滅してしまったんだろうな。

そう思わせられるような文章でしたし、世界の美しさと愛情が迸るような名文だと思います。

 世界が一斉に、目も開けていらないほどに眩しく輝いてゆく。永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。

 璃玖が駆け寄ってくる。抱きしめるまでは、もうあと少しだった。

 

 

 

5、終わりに

 

個人的にいうと子供たちへの想いが、作品と重なって強い感情として感じられた作品で。

本当に強い共感と、表現し得ない感情とがぶつかり合って、激しい混沌のように感じられた作品でした。

 

これは父親の物語だと思います。

この物語を僕自身が父親となってから読めたことを僥倖のように感じていますし、家族への想い、生への強い願いを感じさせるようなとても感情的な物語でした。

それだけに強く心を揺さぶられて、感情移入をしたのですが、家族への強い想い、生きることの尊さを再認識させられた物語でもありました。

 

 

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