1、作品の概要
西加奈子の8作目の長編小説。
温泉宿に泊まった数時間の出来事を、4人の男女の視点から描いた小説です。
2、あらすじ
ナツ、トウヤマ、ハルナ、アキオの4人の男女で、宿の内湯がガラス越しに庭園の池になっていて、泳いでいる錦鯉が見える一風変わった温泉宿に泊まりに来ていた。
一見どこにでもいる20代後半の2組のカップルだが、それぞれの心の奥底に隠している秘められた想いがあり、生きにくさを抱えていた。
温泉に入って、一緒に夕食を食べるだけの何の変哲もない一瞬一瞬に、お互いに対する思いや、欠落が見え隠れする。
夜が明けた時に4人の関係はどんなふうな変化があるのか?
池に浮かんだ女性の遺体は誰なのか?
3、この作品に対する思い入れ
西加奈子の『さくら』『ふくわらい』が良かったので、もっと読んでみたいと思い、図書館で借りてきたのが『窓の魚』でした。
一見普通の若者たちの歪さを上手に描いていて、特にアキオの章の不穏さが印象に残っていて再読してみました。
4、感想・書評
この物語は、4人の視点で同じ時間を語ることで、一見何気ない振る舞いに隠された暗い内面を描いた物語だと思います。
冒頭のバスに乗ってるシーンでは、どこにでもいる2組の若いカップルが描かれていて、山奥の美しい緑の情景とともにこれから始まる物語が、ポップなラブストーリーであるかのように思えます。
ちょっとぼんやりとしたナツ、明るく無邪気で優しいアキオ、明るく可愛いハルナ、ぶっきらぼうでそっけないトオヤマ。
遠くからパッと見た感じでは、この4人が無邪気に温泉旅行を楽しんでいるように見えますが、物語はひとりひとりの暗い内面と、歪みをあらわにして不穏に進行していきます。
「遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える」
村上春樹の『1973年のピンボール』の言葉ですが、この物語も遠くから見れば綺麗に見えますが、近づいて内面を掘り下げるとそうでないものがたくさん湧き出してきています。
解説で中村文則パイセンも書いてましたが、同じ場面を複数の視点で捉えることで、それぞれの印象が違ったり、さりげない動作に深い意味が込められていたりして奥が深いです。
飽きたところで顔を話すと、鏡にアキオが映った。俺の、すぐ 後ろに立っている。
「おい、なんだよ」
「え?」
「驚かすなよ」
ートウヤマー
トウヤマの章では何てことないシーンです。これがアキオの視点になると・・・。
もしあれが、熱湯だったら。頭から熱い湯をかぶったら、トウヤマの皮膚はどうなるのだろうか。ぐらぐらと沸騰した湯をかけたら、トウヤマは、熱い、熱いと、泣き叫ぶだろうか。それを見たいと思った。それを切実に望んだ。
「おい、なんだよ」
気がつくと僕は、トウヤマの後ろに立っていた。ほとんど無意識だった。
ーアキオー
あと、数秒気づくのが遅かったら・・・。
熱湯ぶっかけてたのか??
アキオの狂気を感じるシーンです。
ナツ→トウヤマ→ハルナ→アキオの順で物語が展開していくのですが、物語が進んで行く毎に登場人物の印象は変わっていき、不穏な空気になっていきます。
2組のカップルの印象も変化します。初めはメンヘラなナツに振り回される優しいアキオがかわいそうだなとか思ってたら、記憶が飛んでぼんやりする薬をナツにこっそり飲ませていたり。傍若無人で、ぶっきらぼうな、トウヤマに尽くしている一途なハルナの印象が、ただトウヤマのルックスに興味があるだけで、自分は整形手術で身体中をいじっていて、旅行が終わったら別れようと思っていたり。。
物語が進むにつれて登場人物の印象がどんどん変わっていきます。
この複数の視点で、同じ場面を書く手法は面白いですね。
ナツ→トウヤマ→ハルナ→アキオの順で物語が展開していくのも確信犯でしょう。
最初は透明に近い色が、グラデーションして深い闇に染まっていくような印象があります。
秋の夕暮れのようです。
それぞれが抱えている闇が深くなっていきます。
ナツは記憶が飛んで、かつて自分が愛していた人でさえ思い出せなくなって、自分は狂っていると慄然とします。突発的な行動で、アキオを傷つけているのも申し訳なく思いますが、実はアキオのせいで壊れていっています。でも、そういったアキオの静かな狂気をナツは本能的に感じ取っています。
でも、アキオが優しい言葉をかけてくれればくれるほど、柔らかく抱きしめてくれればくれるほど、アキオの中からとても冷たい、ぞっとするような静かな感情が押し寄せてくる。私はそれに怯えた。
トウヤマは、かつて祖母に愛された記憶と、垣間見えた白い太腿に愛情と性欲が綯い交ぜになった昂ぶりを忘れられず、心に歪みを持って生きています。
過去に付き合っていた女、「あいつ」のことが心にひっかかっています。
ナツが露天風呂であった、太腿に牡丹の刺青をした女が「あいつ」なのでしょう。
祖母の太腿の白さと、「あいつ」の太腿の牡丹。
そこはかとなくフェティシズムを感じますよね。
ハルナは可愛く、トウヤマに尽くしている女に見えますが、大きなコンプレックスと闇を抱えています。
容姿端麗で、水商売もしていますが、実は母親からせびったお金で身体中を美容整形で手術していたのです。
高校生時代に見た母親の醜い姿が何度も脳裏に浮かびますが、最後は母親の愛情を受け入れて自分を受け入れて、ナツと距離を縮めてみようと思い立ちます。
最後にアキオですが、こいつはサイコパスです(笑)
ナツに薬を飲ませて弱っていく様を愛でたり、死産した弟に重ね合わせたりしています。そして不能者です。
歪みまくってますなぁ。
でも、本人は淡々と周囲には優しく、無邪気に振る舞います。
幼い頃に病気して身体が弱いせいもあり色白で小柄で、でも顔と肉体は美しい青年です。
そんな人間が悪びれもなくこういった逸脱した行為をしている・・・。
こういうタイプが一番怖いですね。
さて、この小説の登場人物の名前は全員カタカタ表記ですが、名前の中に季節を隠しています。
ハルナ=春、ナツ=夏、、アキオ=秋、トウヤマ=冬ですね。
ここで引っかかるのが、ナツの章の表現。
ここは紅葉などせず、もしかしたら秋よりも早く、冬がやってくるのかもしれない。
文庫版P8
ここは、秋より先に冬が来る。
文庫版P44
秋より先に冬が来る?
アキオより先にトウヤマ(冬山)?
やはり、温泉宿に一緒に来ていたのはトウヤマだったのでしょうか?
ナツの部屋で関係を持っていたのも?
池に飛び込んで死んでいたのは、おそらくトウヤマの昔の女の「あいつ」なのでしょう。アキオの章の最後でもわかります。
まぁ、2人とも常軌を逸した行動をしますね(笑)
折に触れて出てくる猫の存在は謎です。
もしかしたら、「ねじまき鳥クロニクル」のねじまき鳥のような姿の見えないメタファーとしての存在なのでしょうか?
「あいつ」だけ猫の姿を認識した理由は?
ある種、死神のような存在だったのでしょうか?
答えは、『藪の中』です。
物語の視点を増やすと真実がぼやけて滲んでいく。
そんな、謎が多い不思議な感触の物語だと思います。