1、作品の概要
『偶然の祝福』は、小川洋子の短編小説集。
2000年に角川書店より単行本が刊行されて、2004年に文庫化された。
全7編の連作短編小説。
文庫版で199ページ。
文庫版に川上弘美の解説が掲載されている。
やがて作家になる「私」が、その半生で触れ合った祝福すべき7つの偶然について語られる。

2、あらすじ
①失踪者たちの王国
小説家の「私」は、失踪者たちの物語に惹かれ続けている。
やがて偶然の失踪は、身内の叔母にも降りかかる。
②盗作
小説のデビュー作が実は「盗作」だったと気付かされた「私」。
そこには弟の死、自身の離職と交通事故、そして病んでしまった元スイマーの弟を持つ親切な女性との交流があった。
③キリコさんの失敗
「私」の子供の頃に家にいたお手伝いのキリコさん。
なくしものを取り戻す名人の彼女は、リコーダーも、万年筆も取り戻してくれたが、そこには大きな2つの偶然が重なっていた。
「私」の小説を溺愛していて、コートにポケットを縫い付けて持ち歩く奇妙な男。
彼は弟を自称し、「私」に付きまとうが・・・。
⑤涙腺水晶結石症
犬のアポロが急病になり、土砂降りの中赤ん坊と犬を連れて病院を目指す「私」。
そんな時に偶然、獣医を名乗る男性が車で通りがかる。
彼が「私」に告げた病名は・・・。
⑥時計工場
小説を書いている時に世界の縁の時計工場にいるように錯覚する「私」は、南の島で指揮者の彼と出会い、身体を重ねた。
そこには老人と果物の匂い、蝶の痣が導いた偶然があった。
⑦蘇生
息子と「私」は体の中に水が溜まり相次いで摘出手術を受け、「私」は言葉を失ってしまう。
蘇生へのきっかけをくれたのは、入院していた息子と相部屋だったアナスタシアだった。
彼女の名前の意味とは・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
小川洋子は定期的に読みたくなる好きな作家で、少しずつ彼女の著作を読んでいます。
『偶然の祝福』は、「あっ、これ読んでなかったや」って感じでブックオフの100円コーナーで何気なく手に取った1冊でした。
ふわっと読み始めたにも関わらず、安定の小川洋子ワールドが炸裂。
あっという間に彼女の物語の世界に引き込まれました。
連作短編小説と知らずに読み始めて、「あっ、これ連作短編だ」って気づくことが往々にしてあるのですが、いつも嬉しい驚きを感じます。
そんぐらい調べて読めや!!って、言われそうですが(笑)
4、感想(ネタバレあり)
①失踪者たちの王国
失踪者たちの王国があって・・・、みたいな小川洋子ワールドにぴったりな短編小説。
解説の川上弘美も言ってましたが、「失われたものの世界」という言葉がしっくり来ます。
そんなに人ってちょいちょい失踪するものではないと思うのですが、「私」の周りでは失踪した人の話がちょいちょい出てきています。
そして、ついに身内の叔母に失踪者が出るのですが、この人が失踪して然りなまさに正統的な失踪者で、子供の頃に誘拐されかけていたことで王国に半分足を突っ込んでいたような存在でした。
生活に困窮していたのもありますが、彼女の身の回りの物が少しずつ消えて、最後に自分が消えたというのも興味深いですね。
消えるべきして消えた。
失踪するべくして、失踪した。
スカンジナビア航空の嘔吐袋を持って。
作家である「私」にとって、失踪者たちは物語を紡ぎだすために寄り添ってくれるような存在なのでしょう。
物語の深い森の中、たった一人で暗い洞穴に迷い込んだ時に。
王国を想うことで物語を生み出せる「私」もまた、時が来れば失踪者として王国を目指す存在のように思いました。
②盗作
一番印象的な小説でした。
物語の仕掛けも面白かったですし、「私」の家庭環境、そして従順な弟の死。
両親にとっても自慢の弟だった一方で、「私」は母親の信仰に馴染めず。
父親は余所に女を作って家に寄り付かずで、弟が家族の要のような存在だったようにも感じました。
弟を失った「私」の転落ぶりは目を覆うばかりで、恋人が犯罪に手を染めていて、仕事もお金も住むところも失って、挙句の果てに交通事故で体までボロボロになってしまう・・・。
ちょっと読んでて辛くなるばかりの転落ぶりで・・・。
あれ、この本って『偶然の祝福』で、祝福があるんじゃなかったけか?って思いました。
祝福とかけ離れた強烈なアイロニーが込められたタイトルのように思います。
リハビリに行く途中で出会った女性は、精神を病んでいたのでしょうか?
親切で美人だけれど、病的な虚言癖があって・・・と、想像が膨らみますが、細部は語られません。
子供の頃に観た『家なき子』のように、他の童話のようにある日、偶然の神秘が窮状を救ってくれる。
ジュディが足長おじさんと結婚してみたいに。
でも、「私」に訪れた偶然は、彼女が語った話、「私」がデビュー作として書いた本と同じ話が病院の待ち合いに置いてある本の内容と同じものであることを発見したことでした。
図らずもデビュー作が盗作になってしまったことを知ってしまった、憂鬱な偶然でした。
③キリコさんの失敗
グラマラスで魅力的な、お手伝いのキリコさん。
小学生だった「私」にとって、パフェを食べさせてくれたりして好ましい存在で、偏狭な母親との対比が陰影くっきりでした(;^ω^)
同姓同名の「ハットリヤスオ」がホテルにいたアンラッキーな偶然と、Y・Hと「私」と同じイニシャルの万年筆を持っていたラッキーな偶然。
アンラッキーな偶然で、数百万円の損失を出してしまったことはキリコさんにとってお気の毒でしたが、「私」にとっては奇跡的に万年筆を取り戻すことができたのは幸運でした。
「私」とキリコさんの交流が微笑ましくもありましたが、そこは小川洋子。
パン屋見習いの青年の自死など、死の影を感じさせられるような作品でもありました。
いや、ガッツリストーカーです。
本男(と勝手に命名)みたいなファンに付きまとわれるなんてガッカリですし、たまたま自分の本を読んでいる人に声を掛けたら、偏執狂のストーカーだったって、それどんな不幸な偶然でしょうか?
本日2回目の、タイトルの『偶然の祝福』って・・・、ですがきりがないのでやめましょう(笑)
「あなたの小説には僕が登場している」「あなたの弟です」とか言い出すのって、精神疾患の妄想っぽいですね。
僕がこのブログで彼のようなことを言い出したら、いい病院を紹介してください。
しかし、あれほど疎ましかった本男ですが、海外の恋人(不倫関係)からは手紙が来ず、彼の子供を妊娠した心細さからか「私」が本男に心を開く場面も描写されます。
遠くの想い人より、近くのぬくもりが必要なこともあるのでしょうか。
しかし、なんの前触れもなく消滅する本男。
簡潔で、ぞっとするような寂しい文章。
世界は春で、私は1人きりだった。
最後に親密だった頃の恋人からのメロディーつきの電報がエーデルワイスを不意に奏でる。
それは、本男がかつて歌ってくれた歌で・・・。
いや、もう抉られる。
どこが『偶然の祝福』やねん・・・。(3回目)
⑤涙腺水晶結石症
乳児と病気の犬を連れてずぶ濡れで歩いていた「私」の苦境を救ってくれた謎の男。
ちょっと幸運な偶然っぽいですが、「自称」獣医で得体が知れずに、タイトルの奇妙な病名を告げます。
そんな病気あるんですかね(;^ω^)
しかし、小さな結晶は残って、犬のアポロも元気になったのでめでたしなのかな?
⑥時計工場
私が指揮者の恋人と出会うまでのエピソードですが、果物を背負った謎の老人の首筋にあった黄色い蝶形の痣が、奇妙な偶然と出会いをもたらします。
恋人に同じ痣がなかったら・・・、深い仲になることもなかったのでしょう。
幸福かどうかは不明ですが、奇妙な偶然が2人を結びつけます。
長編小説を書いている時に、なぜか時計工場にいるように感じる「私」。
『失踪者たちの王国』でも感じましたが、小川洋子自身の創作時の心象風景が投影されているのでしょうか?
そんな安易なもんじゃないですかね(;^ω^)
しかし、暗い森の奥に隠れたレンガ造りの工場でたった1人で生み出された物語たちが、『ホテルアイリス』『密やかな結晶』『薬指の標本』だったりしたらどこか納得がいくように思えます。
工場を訪れたと描写されるくだんの果物を背負った老人は何を象徴しているのでしょうか?
物語を生み出すためのイマジナリーな贄のようにも感じました。
このブログのタイトル横っちょにも書いた印象的な一文から、そんなふうに思いました。
あくまでイメージですが、時計工場で失われた何かが物語への供物となっているような
そんな魔女の黒魔術のようなおどろおどろしい儀式みたいなものを感じました。
また今晩も、遠い森のどこかで、病んだ鳥が一羽枝から落ちる。
恋人に棄てられ、ただ1人時計工場に舞い戻る。
ぞっとするような寂しさ・・・。
⑦蘇生
アナスタシアお婆さん、なかなか強烈なキャラですね(笑)
これは認知症なのでしょうか?
はたまた元々妄想癖のある、変人さんいらっしゃいなのか?
しかし、そんな彼女にまつわる「アナスタシア=蘇生」という偶然は、この作品中唯一の福音のように感じました。
最後に希望があるってパンドラの匣みたいっすね。
もうひとつの偶然は、息子と「私」が相次いで水が溜まった袋を摘出する手術を受けて、そのあとに「私」が言葉を失ってしまったこと。
偶然だけど、「私」はふたつの出来事に相関性を感じます。
そして、体外から摘出された2つの袋を飲むことで再び言葉が戻ってきて「蘇生」する。
これも何かの儀式のようで、なんか胎盤を食べるとかそんな生々しい「生」を感じました。
どうしても私は、壁の内側へ戻らなければならない。身体を温めてくれる繭としての、死への導きを完結させてくれる棺としての壁を、取り返さなくてはならない。
私は二つの袋を飲み込んだ。
5、終わりに
昭和世代の人は、日曜日の夜にやっていたアニメ「ハウス食品・世界名作劇場」をご存じですよね?
『小公女セーラ』『トラップ一家物語』『私のあしながおじさん』『家なき子レミ』『小公子セディ』などなど。
海外の名作を中心に放送していましたが、とんでもなくかわいそうな目にあってしまう主人公たちが、笑顔を忘れずに耐えた先に、信じられないような幸運に巡り合ってめでたしめでたしの物語が中心でした。
「辛くても頑張っていればいいことがあるさ」っていうメッセージ。
まさに『偶然の祝福』に見舞われる主人公たち。
小川洋子は、海外の文学がお好きですし、幼少の頃にはこういった物語に触れて育ったんではないでしょうか?
しかし、この『偶然の祝福』の「私」はかわいそうな目にあって不幸に見舞われながら、孤独で報われることがありません。
この短編小説集は、「実は残酷なグリム童話」ばりに、酷薄な現実を突きつけてきます。
「私」は、あしながおじさんに出会えなかったジュディです。
残酷ですが、現実は冷たく、ままならないもの。
タイトルは、正確には『偶然の祝福(を受けられなかった者)』じゃないでしょうか?
憂鬱な偶然に、運命を翻弄される『私』の姿に心を抉られながらも、ページをめくる手が止まりませんでした。
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