1、作品の概要
2001年6月に刊行された。
『太陽』に1999年7月号~2000年12月号に連載された。
文庫本で289ページ。
第37回谷崎潤一郎賞を受賞した。
2003年にWOWOWの「ドラマW」の第1作としてドラマ化され、ツキコ役を小泉今日子、センセイ役を柄本明が務めた。
30代の独身女性が、かつて高校で国語を教えていた30歳離れた教師に偶然再会し、少しずつ距離を縮めていく。
2、あらすじ
37歳の独身女性・大町月子は、行きつけの居酒屋で高校生の時に国語を教わっていた松本春綱先生と再会する。
30歳年上の先生は、折り目正しく真面目な人ながら、どこかに稚気を湛えた味わいの深い魅力を持った男性だった。
街角で、サトルさんの居酒屋で、時にいさかいや空白もありながら不思議に隣り合わせて距離を縮めていく2人。
やがてツキコは、センセイに対して淡く、しかし深い恋情を抱くようになる。
春の夜の幻のような淡く不確かな触れ合い。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
初読したのは10年ほど前でしょうか?
『溺レる』の次に読んだ川上弘美の作品だったかと思います。
ただの歳の差恋愛小説を越えた何かがあって、彼女の作品の中で一番好きです。
センセイとツキコさんの間に流れる独特の優しい空気。
39℃くらいの生温いお風呂みたいな。
ずっと浸っていたい物語でした。
ちなみにワタクシは42℃くらいの熱湯が好きですよ。
4、感想(ネタバレあり)
春の夜。
生暖かい夜気に触れながら、あてどなく夜を歩む。
湿気を孕んだ空気に、腐乱しかけた甘い香りが蠱惑的に漂う。
闇の中にツツジの花が道々に咲いて。
夜はどこまでも伸びていく。
空には春の月。
水蒸気が月をぼやけさせて、朧に、笑う。
夜はどこまでも続いていく。
のっけから紡いじゃったyoな感じですが、僕にとっての『センセイの鞄』のイメージはこんな感じです。
春の夜。
四季の夜の中で春の夜が妖しく、蠱惑的で、どこか死を想わせるようで一番好きです。
昔は中村文則バリに夜のお散歩をしていましたが、春の夜は幻想的で一番好きでした。
月も春が一番いい。
朧月は現実と夢想の境を漂っているようで、眺めているだけで意識が酩酊していくような魔力を帯びているように思います。
『センセイの鞄』を読みながら、そんな春の夜のお散歩を思い出しました。
春綱と月子。
春の月。
安易かもしれませんが、2人の交わりには春の月のような儚く幻想的な感覚があります。
恋愛小説かもしれませんが、恋愛っていうカテゴライズをしてしまうのに躊躇してしまいます。
2人の間に漂う空気感や、親密で温かなやり取りが、恋愛を越えたもっとかけがえのないもののように思えてしまうから。
恋愛体質で、性的人間の僕が言うのもアレですが、名前のついていない感情、名前のついていない関係性が、とてつもなく尊く愛おしいのです。
センセイ、とつぶやいた。センセイ、帰り道がわかりません。
しかしセンセイはいなかった。この夜の、どこに、センセイはいるのだろう。
なにか川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』のような作品(センセイの鞄が先ですが)だなと思いましたし、「夜」を想起させる物語だと思います。
「この夜の、どこに、センセイはいるのだろう」という文章は頼りなくて、とても甘やかで好きです。
ツキコさんは甘ったれで頼りなくて、それでいて意地っ張りですね。
センセイが頭を何度も撫でている気持ちが初老のヒロ氏にはよくわかります。
いつの間にやら、センセイの傍によると、わたしはセンセイの体から放射されるあたたかみを感じるようになっていた。糊のきいたシャツ越しに、センセイの気配がやってくる。慕わしい気配。センセイの気配は、センセイの形をしている。凛とした、しかし柔らかな、センセイのかたち。わたしはその気配をしっかりと捕まえることがいあまだにできない。摑もうとすると逃げる。逃げたかと思うと、また寄り添ってくる。
センセイとツキコの関係性を表したような文章。
雲を掴むような茫漠とした恋情。
2人の距離感はなんともえいない淡い希求を感じさせるが、お互いの重ねてきた時間や、生まれながらの性質を感じさせるような迂遠も、またある。
しかし、2人はどこかゆったりとした時間軸の中で寄り添い合っているように思うし、そんな迂遠すらどこかかけがえのない時間のように思えてきます。
ラストで死別するセンセイとツキコ。
結ばれて幸せなところで終わらせていればいいのに、酷薄に最後が描かれていて、センセイはあっという間にこの世界から去ってしまいます。
空っぽなセンセイの鞄を眺めるツキコ。
結婚適齢期を逃しても、未来を共に歩めない男性と共に過ごした日々にどんな意味があったのでしょうか?
意味や打算を越えて、ただ春の陽だまりのような温かな日々に、凪いだ海のような心安らかな静寂にツキコは身を寄せたのではないかと思います。
5、終わりに
友人が教えてくれたのですが、2人が時を重ねたサトルさんのお店はモデルがあるみたいですね。
「闇太郎」という、ちょっとこわい名前のお店ですがめっちゃ行ってみたいです。
店主は怖い感じみたいですが(笑)
食べたり飲んだりする趣味が同じというのも自然に親近感が湧くものだなと思いました。
2人とも、よく飲んで食べたりしているし、そういう話を読むのは好きですね。
恋愛って形もさまざまだし、市井のイメージだけで行われるものではない。
いろんな成り立ちがあっていいのだと思わせられました。
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