ヒロの本棚

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【本】三島由紀夫『美徳のよろめき』~倫理や道徳を超えて快楽に溺れていく~

1、作品の概要

 

美徳のよろめき』は三島由紀夫の長編小説。

『群像』1957年4月号~6月号に連載されて、同年に刊行された。

大衆向けに書かれたとも言われたこの小説のタイトル「よろめき」は、当時の流行語となった。

当時のベストセラーとなり、映画化もされた。

育ちが良い無垢な人妻である節子の婚外恋愛の顛末を描いた。

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2、あらすじ

 

上流階級に育ち、富裕層で優しい夫・倉越一郎と結婚し、男児も1人いた節子。

恵まれた境遇で何不自由なく暮らしていた節子はやがて暇を持て余して、結婚前にかつてぎこちない接吻を交わした男友達の土屋と逢瀬を繰り返すようになる。

初めはただの火遊びのつもりであったが、世間知らずで無垢な節子はやがて深みにはまっていき、これまでにない深い性的快楽を覚えるようになる。

夫を偽り、やがて息子の菊夫にも糾弾されることも夢想する節子は無邪気に道ならぬ恋に落ちていくが・・・。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

久しぶりに三島由紀夫の作品が読みたくなり、以前から気になっていた『美徳のよろめき』を手に取りました。

三島由紀夫の作品をそれほど多く読んでいるわけではないですが、読みやすく大衆的な内容に驚きながらページを繰りました。

「さほど難しい主題があるわけではない」と三島由紀夫本人も言っていますが、平易な文章と、人妻の節子の姦淫を描いたというわかりやすい内容の中にも繊細で奥行がある心理描写には感嘆しました。

 

 

 

4、感想・書評

 

「ただの不倫小説やないかいっ」って言われたら身も蓋もありませんが、まあ刊行当時も批判は多かったようですね。

金閣寺』のあとに『永すぎた春』が刊行されてそのあとに『美徳のよろめき』が刊行される。

だいぶ振れ幅が大きいので、余計に肩すかしをくらった読者や文壇の方々も多かったのでしょうね。

 

でも、まぁ全部『金閣寺』的な作品でもどうかと思いますし、どこか異国的でモダンな雰囲気でどこか作られた娯楽の世界のような洒脱な感じが良いと思います。

1957年で、ナイトクラブやら行ったり、カクテルドレス着てカフェやレストラン行ったりとか。

終戦後まだ10年ちょいしか経っていない時期にこんなお洒落な遊びかたとか、当時はうっとりと読まれていたのではないでしょうか?

 

人妻である身ながら、そんな遊び方ができるのも上流階級の富裕層であるからだと思いますし、子供を女中にみさせて遊び呆けている姿には現代の感覚からしたらだいぶ違和感と嫌悪感がありますが、当時ではどうだったのでしょうか(^_^;)

愛人との間にできた子もあっさりと堕胎し、実の息子の菊夫にも何ら罪悪感を抱かずに、「自分のことを許さないで欲しい」とまるで自己陶酔の道具のように扱う。

節子は徹頭徹尾、自分の物語の中の世界に酩酊しているような、そんなふわふわとした地に足がついていないような印象が強いです。

『ねえ、お母様を許してくれる?』

菊夫はただ笑っている。するとその笑っている澄んだ目の中に、節子はたえず次のような一語を読むのである。

『いいえ、許しません!!』

節子は戦慄する。戦慄すると同時に安心する。

『もしこの子が許すと云ったら、そのときすぐさま、私はこの子を殺すだろう』

 

恵まれて育ったゆえの無邪気さ。

こういった展開ではラストに破滅が待ち受けていて、報いを受けて何もかもなくしてしまうように思いますが、節子は傷つくことなく、夫にも自らの不実が露呈することなくぬけぬけと元の生活に何食わぬ顔をして戻っていきます。

何の葛藤もなく、家族に背を向けて1人の女として官能に身を任せて、男と遊び歩く。

この害意のなさ、無垢さはなんとしたことでしょう。

 

ちょっと薄気味悪くも感じますが、少女性すら感じる節子の屈託のなさをどこかポップに描いているように僕には思えました。

作中にも「聖女」という言葉が描かれていますが、不道徳な行い、人の道を外れているような行いを為していても、不思議と魂が穢れない無垢で無邪気な存在として節子を描いているのかもしれません。

 

そんな節子に比して、友人の与志子は世俗的でドロドロした不倫の泥沼にハマって、ストーカー化した飯田に追い掛け回されています。

飯田は現代なら、鬼ラインしてきそうなタイプですね(笑)

与志子のように泥沼の展開になるのが普通で、節子の無邪気さと対比させるために、同じように道ならぬ恋に落ちていく姿を描いたように思います。

 

潮騒』はどこかギリシャ神話のような、神話的な物語の世界のようでしたが、『美徳のよろめき』は欧米の物語のようにどこかきらびやかでお伽噺のようだと思いました。

しかし、そんなきらびやかなヨーロッパの恋愛小説のような世界に置いても、節子が感じる肉の喜びと、快楽に依存していく様は物語に微妙な陰影をもたらしているように感じます。

やがて、精神と肉体は分離して別々の動きを辿るようになっていきます。

自分の美しい肩はこうして孤立に満ち足りているのに、どうしてあのぞっとするような唇の動きが、肩の線をなぞって触れていなければ、自分の心にはこの美しい肩の存在が信じられないのか、納得がゆかない。自分の美しい方と自分の心とは別物のように思われる。肉体はこうして自足しているのに、けって心ばかりが乾いて、貪婪になっているように思われる。

 

不貞を働き、昏い肉の喜びに耽っていても、無垢さを失わない1人の女性を描いた三島由紀夫の真意とはどういったものだったのでしょうか?

それはもしかしたら、松木が語った習慣と道徳の話のように。

倫理や道徳や社会を超えていく、「もっと自分を追い詰めたところに生まれる力」を描きたかったのかもしれませんね。

 

 

 

5、終わりに

 

この時代の倫理観や道徳観がどういったものかはわかりませんが、現在からみたらかなりアウトな不倫ですね(^_^;)

『昼顔』なんて目じゃないっす。

 

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