1、作品の概要
『こちらあみ子』は2010年に刊行された今村夏子のデビュー作の中編小説。
『こちらあみ子』『ピクニック』『チズさん』の3編が収録されている。
森井祐介監督で実写映画化され、2022年7月8日に公開された。
2、あらすじ
①こちらあみ子
自由奔放で純真な小学4年生のあみ子は、2つ上の兄と、書道教室をやっている母と、父の3人で暮らしていた。
授業もサボったり、破天荒な行動で周りを振り回すあみ子は問題児として周囲に認識されていたが、本人はどこ吹く風。
しかし、産まれてくるはずだった赤ちゃんが亡くなってしまい、家族の歯車が狂い始めてしまう。
②ピクニック
ローラースケートを履いてビキニを着た女性が接客する居酒屋「ローラーガーデン」の新人・七瀬さんは一風変わった女性だったが、優しく気が利いてあっという間に店の他のスタッフ・ルミたちに溶け込んでいた。
彼女が付き合っている売れっ子の芸人・春げんきの話は、ルミたちの興味を惹いたが・・・。
③チズさん
孫の名前の「みきお」しか話すことができない独居老人のチズさん。
「私」はチズさんの家に入り浸っていたが、ある時・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した今村夏子。
その時の読後感がとても独特で気になる作家の1人で、『あひる』『星の子』もとてもお気に入りでした。
デビュー作の『こちらあみ子』もツィッターで良かったと感想を書いている人が多く、また映画『花束みたいな恋をした』でも『ピクニック』が取り上げられたりしていて気になる1冊で。
今回読んでみました!!
読んだあとに読者の心に深い爪痕を残すタイプ(どんなタイプやねん!?)の作家さんだと思いますが、3編の物語にだいぶ心を抉られました。
4、感想・書評
①こちらあみ子
純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き・・・
って、本の裏に書いてあった。
別に感想はたくさんあっていいと思うけど、全然違うくね?
とか思って。
あんまネガティブなこと書きたくないんだけど。
物語の解釈は人それぞれだし。
でも、僕にとっての『こちらあみ子』はとてつもなくネガティブな作品で、あみ子の無垢さが周囲の全てを破壊していく物語だと感じたんです。
もう寒気がするぐらい徹底的に、取り返しがつかなくなるくらい。
でも、彼女の所為っていうのも少し違っている気がしていて、あみ子の奔放で無垢な視点からみると家族の崩壊もこんなふうに不可思議に見えるというか・・・。
この作品を読んだあとにベッドに寝転がって、今しがた飲み込んだ物語をウンウン唸りながら消化しようと試みていました。
しかし、なんだか喉や胃袋に何かが引っかかったような違和感。
そんなふうにざらざらとした物語だけど、何か強くその世界観に引き込まれて、その残滓のなかをのろりのろりと彷徨い続けるようなそんな物語でした。
そして、最近何度も使っている「一人称の罠」ですが、今村夏子ほどその罠を仕掛けるのが巧みな作家はいないような気がします。
一人称で語られる物語は圧倒的に主観で語られて、その世界の咀嚼の仕方は主観の持ち主に委ねられます。
しかし、自我が未成熟で精神が不安定な人間の視点で描き出される物語はどこか不穏でなんだか読んでいてモヤモヤしてきてそこがまたたまらないのです。
いや、まるで新手の変態のようですが(^_^;)
本来語られるべき、描写されるべき何かがすっぽりと抜け落ちてあみ子の興味と感情を糧に物語はグイグイと前に進んでいく、取り返しのつかないポイントをいくつもくぐり抜けて、本来語るべき何かを見落としながらあみ子はさらに進んでいく。
純粋さと愚直さ。
その怖さ。
あみ子はいくつかの大切な何かを壊して、または壊れてしまったことに気付かずに取り返しのつかないままに先に進んでしまいます。
現実的にあみ子のことを見ると間違いなく何かしらの発達障害があるように思われますし、両親が教師に相談して養護学級なり、外部の教室に通級するなりするべきだったのではないかなと思います。
以前、障害福祉の仕事をしていて、長男も知的にも障害がある疑いがあって保健所に相談したり、小学校の養護学級の先生と何回も面談したりとか色々しましたが、僕は別に普通級か養護学級かの選択にこだわりはなくて子供の能力と個性にあった選択をできれば良いと思っています。
あみ子はもうちょっとそのあたりのことを考えられるべきだったような気がして。
あみ子の破天荒な行動は読んでいて面白いのですが、でもね。
彼女が無自覚もうちにたくさんのものを傷つけて、たくさんたくさん失っていっているように思えて、僕はとても悲しい気分になりました。
あみ子は善意から彼女の義母を徹底的に傷つけて損なってしまいます。
もちろん、あみ子の行動だけが悪いのではないと思うのだけれど。
無自覚に善意で、ようやく築きかけていた義母との関係を、その愛情を永遠に損なってしまいます。
それは、家族が崩壊していくトリガーで兄もヤンキーになってしまい、父も家族に対して無関心な人間になってしまいます。
兄の非行にも無関心で、ほとんど家に寄り付かなくなってしまうとか、確実によそに愛人を作っちゃったりしているパターンですね(^_^;)
あみ子が知らないうちに彼女の義母は入院を繰り返していたり、幽霊だと思っていた物音はただの鳥だったり、知らないうちに自分だけ家から追い出されて祖母の家に預けられたり。
無自覚のうちに家族からも放逐されて、田舎で野菜を育てる日々を送るなんて。
なんとなく太宰『人間失格』のラストを彷彿とさせられたような気もして。
あみ子の視点から描かれているからオブラートに表現されているけど、何だか酷い話だと思いました。
それでも。
最後に田中先輩が。
兄が鳥を追い払って、鳥の巣を卵ごと空高く放り投げる場面は、とても酷いのだけれどあみ子をある種の呪いから開放すべくしたイニシエーションのような気がして、とても清々しく印象的な場面でした。
②ピクニック
不穏。
ええ、また不穏です。
今村夏子の作品の書評を書く時は不穏と言っておけば良いのです!!
っていうぐらいな徐々に深まっていく不穏さ。
彼女の作品のえげつないところは、最初はむしろええ話で展開しておきながら、徐々に違和感が増していき、いつのまにか初め思っていたのとは全く違う風景の場所に取り残されることではないでしょうか?
『ピクニック』もまさにそんな話で。
結局、七瀬さんの話が嘘だったのかどうか、ルミたちが七瀬さんの嘘を面白がってからかっていたのかどうかは不明確ですが、おそらくそういうことなのでしょうし、彼女たちが一緒に過ごしていた時間がどういうものだったのか疑わしくなってきます。
それでも途中の七瀬さんとルミたちの交流などの場面を読んでいると、そこに何かしらの心の交流があったのだと信じたくなるのです。
③チズさん
とても不気味な話で。
「私」の素性は明らかにされないまま、チズさんや、その家族の話が進んでいき、「私」は遁走します。
そして、彼女がなぜチズさんと一緒にいたのか。
なぜ逃げたしたのか。
何一つ明かされないまま、物語は終わってしまいます。
5、終わりに
あんまり不穏不穏というとワンパターンだけど、そんなワードが連想されてしまう作家で、今作でも困惑しつつ思ってもみなかったような場所へ連れて行かれる、独特な今村夏子ワールドを堪能することができました。
こんな作風を持った作家はなかなかいないし、一人称を最大限に利用した「一人称の罠」の破壊力は抜群だと思います。
読後のこのモヤモヤ感はやみつきになりそうですね。
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