ヒロの本棚

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【本】中村文則『私の消滅』~この記事を読めば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない~

1、作品の概要

 

『私の消滅』は、中村文則の長編小説。

2016年6月に刊行された。

2019年7月に文庫化されている。

文學界』2016年6月号に掲載された。

第26回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

単行本で166ページ。

ある精神科医の倒錯した人生と、復讐を描いた。

装丁の絵は、塩田千春『Trauma/日常』が使われている。

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2、あらすじ

 

コテージの一室で謎めいた手記を読む一人の男。

「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」そう書かれた手記は、これから彼がなり替わろうとしている小塚亮大の半生を記したものだった。

母親の再婚による儀家族との軋轢、妹への悪意がある事件を引き起こし、母親と「私」

の人生を大きく損なうことになる。

そして、繰り返される暴力と性。

その混沌に飲み込まれた「私」の自我は暴発する。

男は、コテージから病院へと連れてこられて精神科の医師に治療を受けるが、記憶はねじれて現実は混乱のうちにぼやけていく・・・。

自我と無意識、記憶とトラウマ、脳と精神医学。

多様なテーマで語られながら、物語は何度も覆り、驚くべき結末へとたどり着く。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

大好きな作家・中村文則の新作だったので、読みました。

『教団X』『あなたが消えた夜に』で衝撃を受けまくって、その勢いのままに読んだ気がします。

中村文則の新作を発売日に買ったのは、『私の消滅』がはじめてだった気がします。

 

短いながらも、複雑に込み合ったミステリー調の作品。

精神医学、脳、自我についてと複数のテーマをぶち込みながらも、純文学的な自意識の葛藤と心の歪みと闇を描いていました。

 

「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」という印象的な書き出しと、黒い線が絡み合うような不穏な装丁。

こうした暗さと狂気に惹きつけられる自分に、苦笑いしながら読み進めていきました。

 

 

 

4、感想(ネタバレあり)

 

多くの文学作品は、別にネタバレしても関係ないというか、楽しめるというか、物語の本質に障りがないものが多いと思います。

人間失格』『金閣寺』『雪国』とか、いちおう「ネタバレあり」って注記しますが、「お前が最後に金閣寺が焼かれることをネタバレしたから、楽しめなかった!!どうしてくれるんだクソ眼鏡!!」とか言う人はあまりいないように思います。

ただ、『私の消滅』はネタバレなしで読んだほうが楽しめると思いますし、なおかつ再読にも耐え得る作品だと思うので、未読でこれから読んでみようかと思う方は、ここで一旦引き返して下さいませ。

 

中村文則があとがきで書いていた、デビュー作の『銃』から『私の消滅』まで続く一本のまたは複数の線。

使い古されて手垢にまみれているようだけど、生きづらさと、歪みというキーワード。

それは中村文則という作家がデビュー以来、試行錯誤しながら時には作風を大きく変えても、物語の根底に存在していた大事な要素だと思います。

 

いびつな家庭で育ったがゆえに刻み込まれてしまった「生き方」の歪み。

精神の髄にまで深く刻み込まれたそれを矯正するのは容易ではなく、中村文則の物語の主人公たちは時にその歪みに翻弄され、悩み苦しむこととなります。

彼・彼女らは、孤児であったり、壊れた家庭で生まれ育つことで、精神的に大きな問題を抱えている。

それが繰り返される中村文則の小説のモチーフで、彼はおそらくそんな歪んだ環境で育った人間ではないのに、大学で犯罪心理学を学んだためか、そのような人間の歪みと狂気を中心にした物語を書き続けています。

 

多種多様なテーマや、物語の展開の仕方を変えても、根底に抱えているものや、描きたいものは変わらない。

村上春樹も、「作家が一生で描くテーマは限られている」みたいなことを最近語っていましたが、なるほどそうんなんだろうなと思います。

 

それでも、同じモチーフを執拗なまでに様々な角度から書き続ける。

テーマや、物語の手法を変えながら書く。

偏執的であるように思いますが、そのような執念や怨念のような強い動機付けのような何かが、燃え盛る黒い太陽のような情念がないと、人を惹きつけるような物語は描けないように思います。

そんなことを『私の消滅』を読みながら感じました。

 

『教団X』の脳科学と自意識、『あなたが消えた夜に』の精神医学。

直近の2作での成果が生かされるように描かれた『私の消滅』は、人間の自我、「私とは何か」にギリギリまで踏み入った危険な作品でした。

まさに神の領域にまで。

 

純粋に物語としても楽しめる作品だと思います。

普段、あまりミステリー作品を読んでないので、こういう展開の仕方がミステリーファンにどう捉えられるのかわかりませんが、僕としては驚愕の連続でした。

主人公だと思っていた一人称の「僕」が実は物語の中では悪役で、罰せられるべき存在だったというのは衝撃の仕掛けでしたね。

 

そこで何が行われようとしていたのか。

逆算されていくかのように明かされいてく真実と、いくつかの人生、いくつかの不実。

渦の中心にいた小塚の生い立ちは、酷薄なもので、母親の再婚とその終焉にまつわるものでした。

彼らの運命を決定づけた、義妹の転落事故。

小塚が手を下したわけではないですが、まるで彼の悪意に触発されるかのように、現実が想像に浸蝕されていくように起こってしまった悲劇。

しかし、彼の無意識が。

義妹の転落を望んでいたとしたら?

 

暴力と性が小塚の中に歪みを生んでしまっていましたが、母親の暴力を受け入れるような性質、そして環境が彼の何かを壊してしまっていました。

その結果、施設に預けられて義両親に引き取られて、精神科のクリニックを引き継ぐようになった。

そこで出会ったゆかりとの出会いが、この物語の根幹をなしていると思いますが、ゆかりさんがまあヘンメラ女で。。

でも、生い立ちを考えたらしょうがないし、彼女を必死に支えようとする小塚を応援している自分がいました。

#小塚頑張れ、的な。

そこで為されていた脳に電圧を流す機械・ECTでの治療は、神ですら成し得ない過去を改変することに挑む行為でした。

あの時の僕のしていたことは治療だろうか。脳の構造そのものへの挑戦に似た治療。違うだろう。僕はこの人生というもの、そのものに抵抗していたのだと思う、人はもっと静かに生きられると。たとえ世界が残酷でも、僕たちはやっていけるのだと。人生で不幸に見舞われたとしても、そんなものは消すことができるのだと。

 

でも。

そんな小塚の行いも、ある面では過去の自分の母親を治そうとこころみた代替行為だった。

別にいいんじゃないって、思いましたけど。

発端が偽善であっても、行為が善なら、僕は評価されるべきだと思いますし、結果と行為が全てなのではないかと思うのですが?

 

ECTにより、完全に記憶を消し去ったゆかり。

彼女は小塚から離れて、和久井のもとへ。

彼女を幸福にするために、忌まわしき記憶を消し去るために行った行為が、愛する人を失うことになってしまう。

これほど皮肉なことはありません。

そして、せっかく忘れていたおぞましい過去を蘇らせてしまい、ゆかりを自死へと追いやった間宮と木田への憎しみはいかばかりだったでしょうか。

その復讐の方法が、ECTで記憶を消して、間宮と木田を小塚自身と認識させて、その苦しみで発狂させるという凄まじいものでした。

遺族の怒りと悲しみをわからせるたいとか言いますが、これはまさに精神科医にしか思いつかないような究極の復讐のように思えました。

彼らのこれまで生きてきた人生をすべて破壊し、その代わりに、私の人生そのものをその闇と共に彼らの中に埋め込むのだ。彼らは私となり、私の経験した悪夢を自らのこととして経験し、その悪夢に内面を潰されればいい。

 

再読して、興味深く感じた人物は吉見でした。

かつて、ゆかりを治療した老いた精神科医

今まで作品でも描かれていた「悪」としての存在に当たるでしょうか?

人の運命を、記憶を、精神科医の立場を利用して改変する、悪意に満ちた男。

小塚も、吉見に存在しない母親と性交する記憶を埋め込まれて、性的不能者となってしまっていました。

ただの暇つぶしのように他人の運命を翻弄し続ける悪魔のような存在。

小塚は、そんな悪魔の力を借りて木田と間宮を地獄に落とす、自分を越えた何かへと変貌します。

「今私がそれをきみの中に復元したら、きみはもう、以前のきみではいられなくなるかもしれない。きみが好きだったもの、たとえば喫茶店で飲むコーヒー、音楽、初めて見る街の風景、そういったものを、以前のように温かな気持ちで体感できなくなるかもしれない。きみの中に復元される冷たい血と引き換えに。これは向こう側へ行く取引だ。願いを叶えるとは、他の何かを犠牲にすることだから」

『悪意の手記』で主人公が人を殺したあとに苦しみ続け、なにか温かいものに触れることができなくなる、今までの自分とは決定的に隔てられた別の世界の存在のようになってしまっていたことを思い起させられました。

小塚も同じように一線を越えて、別の何ものかになろうとしたのだと思います。

向こう側へ行くこと、その代償は大きく、取り返しのつかないものだったのですが・・・。

吉見のこれまでの行いに気付き、間宮と木田にゆかりの存在を教えたのが彼の仕業だったと気付いたとき、小塚が彼の命を絶つことも決意したのは必然だったのでしょう。

最後に吉見が吐いた呪詛の言葉が印象的でした。

「ああ、来たか。これでもう、きみはまともに生きられないな」

 

人間の悪意の象徴のように描かれている黒い線。

異常犯罪このような悪意の黒い線を社会に対して、無作為に撒き散らすかのような行為にも思えました。

装丁の塩田千春『Trauma/日常』は、作中で描かれていた黒い線の描写にピッタリの絵でしたね。

なにげに中村文則作品の中で一番好きな装丁かもしれないです。

 

「我思う、故に我あり」とはデカルトの言葉ですが、私たちが「私」と思っている自意識は実は脳によって作られたまやかしのような存在である可能性について触れたのが『教団X』でした。

いや、恐ろしい。

自意識がなくて、自己決定しているように思わされているだけだとしたら、だいぶゾッとしますね。

『私の消滅』でも、その自意識の曖昧さについて。

「私」の認識を消滅させて、別の何かに入れ替えるという恐ろしい発想を基に物語が展開していきます。

「私」とは何か。特定の方法下に置かれる時、それはもうわからなくなる。

確固たる存在だと思っている、私が私であるという意識。

実は、その認識は私たちが思っている以上に曖昧なものであるのかもしれません。

 

あまりにも救いのないような物語でしたが、最後に和久井が立ち直ろうとしていたところに希望を感じました。

小塚はたしかに彼が希望を持てるようになにかしらの治療を施したのでしょう。

そして、彼がまっとうに歩き出せるように、木田と間宮の殺害には直接的には関わらせなかった。

同じ女性を愛し、そして失ってしまった2人の男。

彼らの間に芽生えた奇妙な連帯、かすかな友情のようなものが物語の終末を少し明るいものにしていたように思います。

「あなたが死んでしまえば、もうゆかりを知る者がいなくなる。・・・ゆかりのことを、あなたの脳内にとどめておいてください」

 

 

 

5、終わりに

 

再読してみて、あらためて短いながらもとてつもなく濃い内容だなと思いました。

印象的な出だしから、複雑に絡んだ糸が少しずつほぐれていくような物語の展開の仕方も秀逸でした。

そこに描かれていたのはやはり深い闇や狂気だったのですが、最後に感じた仄かな希望は中村文則という作家ならではの描き方だったと思います。

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