1、作品の概要
『妊娠カレンダー』は小川洋子の中編小説。
1991年に文藝春秋より刊行された。
『妊娠カレンダー』『ドミトリィ』『夕暮れの給食室と雨のプール』の3編が収録された。
単行本で189ページ。
1990年に『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞した。
アメリカの「ザ・ニューヨーカー」に『妊娠カレンダー』『夕暮れの給食室と雨のプール』が掲載された。
2、あらすじ
①妊娠カレンダー
子どものころに忍び込んで遊んでいた産婦人科のM病院。
姉は、赤子を身籠ると当然のようにM病院で診察を受けるようになった。
もともと精神的に問題を抱えて二階堂先生のところで治療を受けていた姉。
つわりに、その後の過食。
ジェットコースターのように変化する状況に過剰に反応し、義兄と妹のわたしを振り回す。
そしてわたしは、胎児の染色体を破壊すべく、姉に有害物質PWHたっぷりのグレープフルーツのジャムを食べさせる。
②ドミトリイ
結婚して近く夫が赴任してたスウェーデンへと旅立つ予定のわたし。
彼女が懐かしく思い出すのは、6年前まで入寮していた学生寮(ドミトリイ)だった。
15年ぶりに連絡してきたいとこは、その学生寮を紹介して欲しいとわたしに連絡してくるが、学生寮の成り立ちは昔とは大きく変化していた。
いとこの入寮手続きに同行したわたしは、学生寮の管理人である先生に再会する。
両手と左足を失っている先生は昔のように器用に身の回りのことをしていたが、徐々に体調を崩し始めていて・・・。
③夕暮れの給食室と雨のプール
年上でバツイチでおまけに貧乏な彼と結婚を決めたわたしは、犬のジュジュと一緒に先に新居に引っ越しをして、彼を待ちながら新居の整理をしていた。
ある雨の日に三歳くらいの男の子と父親が家を訪れて「あなたは難儀に苦しんでいらっしゃいませんか」と問いかけをしてきた。
なにかの勧誘のようだったが、2人はあっけなく去り、わたしは数日後に小学校の裏門で偶然2人と再会する。
そこで、父親が語った自身の過去の話とは・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
以前から読んでみたいと感じていました。
それと近作の圧倒的に完成された物語の世界観と比して、初期作品の淡さや不確かさに違った魅力を感じていたのもありました。
本屋で買おうかと思っていたらブックオフで110円で売っていてGET!!
『妊娠カレンダー』も良かったですが、個人的に『ドミトリイ』が白眉でした。
4、感想
①妊娠カレンダー
小川洋子の物語って、両親が死んでたり、不在だったり、疎遠だったりする率がわりと高いような気がします。
『妊娠カレンダー』でも、両親は他界していて、実家で妹と姉夫婦が3人で暮らしているという奇妙な生活。
これで、子どもでも産まれたら出ていくのは・・・。
そんな思いが後半の不穏な展開に繋がっているように思います。
わたし(妹)の視点で一人称で語られる物語ですが、わたしはまるでオブザーバー(監視者)のようです。
姉の一喜一憂を奇抜な行為をじっと観察している。
妊娠2か月半とわかった12月29日から出産間近になる8月11日までの日記として綴られている物語。
わたしも義兄も、日常に大きな変化はなく、妊娠という大事件は姉の身の上に起こり、元来神経質な姉を根底からブンブン揺さぶる。
つわりでまったくといって何も食べられなくなったと思ったら、手当たり次第にものを食べまくって医者に注意されるほ太ってしまったり。
わたしは、ただただ冷徹に姉の様子を観察する。
夏休みの絵日記を書いてるみたいに。
そこにはなんの感情も込められていなように思えて、少しぞっとする。
グレープフルーツのジャムを、PWHたっぷりの毒のジャムを姉に食べさせ続けるのも悪意は感じない。
そもそもグレープフルーツのジャムを食べたからといって人体に、胎児にどれだけの悪影響が出るかはわからない。
子どものいたずらみたい。
線路に石を置いてみたり、蟻を踏みつぶしてみたり、悪意がない分なにか怖いと感じました。
「どんな赤ん坊が生まれてくるか、楽しみね」
わたしがつぶやくと、姉はほんの一瞬手を止めてゆっくりまばたきをし、何も答えずまた食べ始める。わたしは傷ついた染色体の形について、思いを巡らせる。
②ドミトリィ
この本に収録されている3編の中で唯一「ザ・ニューヨーカー」に掲載されていない作品なのですが、僕は一番好きです。
NYなんぼのもんじゃい!!
こちとらEHMやど!?
あんまり注目されていないシングルのB面をなぜかめっちゃ好きになる現象みたいな感じでしょうか。
どこか『薬指の標本』を彷彿とさせるような妖しげな感じ。
禍々しい何かが物事の裏側で進行して行っていて、逃れようもなく自分も絡めとられていく。
ふたつの消失。
小川洋子は『からだの美』というアスリートや動物たちの美しさ、しなやかさについて語ったエッセイを刊行しているだけあって、時々肉体についてフェチっぽい文章を描いたりしていますが、『ドミトリイ』でもいとこの美しく逞しい体についてたびたび描写されています。
先生が顔などはまったく関心なく、肉体の器官のみ注視していたというのもどこか歪でフェチシズムを感じさせられます。
もちろん先生の欠損によるものかもしれませんが、時にフェチシズムとは欠損やコンプレックスがもたらすものなのかもしれませんね。
「わたしは誰かと初めて会う時、その人の身なりや人柄には全然神経が行き届かないのです。わたしがただ一つ興味を持つのは、器官としての身体です。あくまでも、器官としての」
先生と学生寮の奇妙さや、消えた寮生についてが物語の核かもしれませんが、夫の赴任先であるスウェーデンに旅立つ前のわたしの複雑な心理も物語の重要な因子であるように感じました。
遠い異国の未知な生活の未来と、6年前に住んでいた学生寮と15年ぶりに再会したいとこという過去。
不安だらけの未来より、親しく懐かしい過去に逃避したいというわたしの心理。
この突然に訪れた真空の時間の中に、わたしはかいこのように閉じこもっている。
対して、学生寮も先生も変性している。
抽象的で村上春樹的です。
とても良いです。
こんなふうに抽象的で、答えが出ない物語にどうしようもなく惹かれてはまりこんでしまいます。
赤い靴を履いて踊りながら森へ迷い込んでいってしまった少女のように。
「前にもお話ししましたが、学生寮は果てしもなく絶対的な地点に向かって変性しているのです。今はその途中です。変性にはしばらくの時間が必要なのです。スイッチを切り換えるような訳にはいきません。学生寮の空気はどんどんゆがんでいます。あたなにはきっと感じ取れないでしょう。そのゆがみに飲み込まれた人間だけにしか分からないのです。自分がどこに向かっているのか。気付いた時にはもう、どうしようもない所まで来ています。あともどりは、できません」
わたしは血なまぐさい何かを、行方不明になった学生といとこを先生が殺害したのではないかと思いますが、真相は判明しないまま物語は閉じます。
天井から垂れてきたのは蜂蜜でしたが・・・。
どこかで流れた血のメタファーであったかもしれません。
③夕暮れの給食室と雨のプール
3作連続、新婚ほやほやな夫婦の話が出てきますが、新婚のラブラブ感がゼロどころかマイナスな作品を書いてくるのはさすが小川洋子先生です。
でも、「おやすみ」の電報はちょっとラブリーで良かったですよ。
宗教勧誘?(のようなもの)に突然訪れた親子との交流を描いた作品ですが、最後まで何を勧誘してなんのために活動していたのかよくわからないのがとても良いです。
初期から、しっかりと小川が洋子しています。
こういうところが大好きです。
父親が語る過去の給食とプールの話。
ほろ苦くて良いですね。
最後の突き放されたような感じも秀逸。
物語と一瞬の邂逅。
一期一会を感じさせるような話でした。
5、終わりに
定期的な小川洋子の物語の摂取は僕の精神にとって必要なのですが、安定のためというよりむしろ逸脱のための行為のように思います。
ARのように現実を物語に変換している彼女の想像力は本当に凄まじく、物語の世界に引き込まれていくような強烈な引力を感じます。
最近の成熟した作品も好きですが、初期の作品である『妊娠カレンダー』も一癖ある物語ばかりで興味深く読ませていただきました。
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