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【映画】『ディア・ドクター』~その嘘は、罪ですか?~

1、作品の概要

 

『ディア・ドクター』は日本の映画。

2009年6月27日に公開された。

『ゆれる』『すばらしき世界』の西川美和監督作品。

脚本、原作も西川美和

主演は笑福亭鶴瓶

瑛太余貴美子井川遥香川照之松重豊らが出演している。

音楽はモアリズムが担当。

エンディング曲はモアリズム『笑う花』

上映時間は127分。

第33回日本アカデミー賞で優秀作品賞、最優秀脚本賞、優秀監督賞、最優秀助演女優賞余貴美子)をはじめ10部門で受賞。

2024年2月現在、アマゾンプライムビデオで配信中。

無医村だった神和田村で、診療所の医師として勤めていた伊野治がある日失踪する。



 

2、あらすじ

 

人口1000人余りの神和田村。

村で唯一の診療所に3年半勤務していた医師の伊野治(笑福亭鶴瓶)が突如失踪し、村人と警察が捜索していた。

住民に慕われて頼られていた伊野だったが、彼の本当の経歴は誰も知らなかった。

 

時は遡って2か月前、研修医として神和田村に派遣された相馬啓介(瑛太)は、伊野とベテラン看護師・大竹朱美(余貴美子)と一緒に診療に当たるようになる。

はじめはろくな設備もない診療所に呆れる瑛太だったが、伊野の患者に向き合う真摯な姿勢に共感を覚え、いつか自分も神和田村で医師として働きたいとまで思うようになる。

しかし、鳥飼かづ子(八千草薫)という一人暮らしの女性を診察し、彼女が末期がんであることに気付いた伊野は、鳥飼から家族や周囲の人間にはこのことを言わずに嘘をついてほしいと頼まれて承諾する。

そして鳥飼の東京で働く医師である三女のりつ子(井川遥)が帰省し、伊野の診療所を訪れるが・・・。


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3、この作品に対する思い入れ、観たキッカケ

 

『ゆれる』『永い言い訳』『すばらしき世界』など、人間のエゴを描き出し、心に突き刺さるような映画作品を創り出している西川美和監督。

『ディア・ドクター』は、Xでフォローさせて頂いているかたからも以前におすすめされた映画で、いつか観てみたいなと思っていました。

期待に違わぬすばらしい作品でした。


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4、感想(ネタバレあり)

 

長編映画で3本目の作品だった西川美和監督。

前作の『ゆれる』がヒットして好評価を受けたことで、「自分にはそんな力はないのに、みんな騙されている」と思ったことから無資格のニセ医師の話を思いついたそうですね。

優れたクリエイターって、自分が置かれた状況も作品に反映して新しい何かを生み出すことができるのだなと、改めて彼女の才能に感服したエピソードでした。

 

そんな戸惑いは序盤で寿司をのどに詰まらせた高齢の男性を助けて、村人たちに感謝喝采を浴びるシーンでのなんとも言えない伊野の表情に表現されていたように思います。

周囲に評価されるたびに、信頼されるほど伊野の戸惑いや苦悩は大きくなっていったのでしょう。

普段、気さくで明るい伊野の表情が翳るシーン。

その絶妙な陰影を笑福亭鶴瓶がうまく演じていたように思います。

 

かつて無医村だった神和田村に来て、村に溶け込み真摯に住民の声に耳を傾けながらできる限りの医療を提供する伊野。

村人たちはそんな伊野をまるで神様でも崇めるかのように慕い、信頼します。

その姿は過剰なようにも見えますが、なにかを信じること、すがることが時には人間が生きていくうえで必要なことだという作品のひとつのテーマでもあったように感じました。

 

そういった意味で、伊野の存在は村人たちにとってただの医師を越えた特別な存在だったのだと思います。

しかし、本当の医師ではない伊野はそんなふうに村人に慕われるたびに自らがついている嘘がどんどん重くなっていく・・・。

研修医の相馬に「資格がないんや」と訴えた痛切な伊野の表情が脳裏に焼き付いて離れません。

 

『ディア・ドクター』のテーマのひとつに「ケアとキュア」の違いがあったかと思います。

現在、保健医療の分野でも「キュアからケア」へといったことが言われているようですが、「キュア」は純粋な治療をあらわす言葉なのに対して、「ケア」は介護やお世話も含めたもっと幅広い意味で使われています。

相馬が大学病院などで経験したのは「キュア」のほうで、伊野が神和田村で実践していた温かみのある「ケア」に感銘を受けたのだと思います。

どちらがいいか悪いかという単純な二元論ではなくて、病気や環境などによって必要とされる医療の形も変わってくるというような問題提起のように感じました。

以前読んだ田口ランディ『キュア』でも同じような問題提起がなされていたことを思い出しました。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

キャッチコピーにもなっていた「その嘘は、罪ですか?」という言葉。

無資格で医師を名乗るなんてもちろん罪なんですが、本当は医師でないという伊野の嘘を看護師の大竹や、薬屋の斎門なんかは気付きながら容認していたような雰囲気がありました。

斎門が刑事に事情聴取をされている最中に、おもむろに椅子ごと後ろに倒れこみ、とっさに手を差し出して助けた刑事に対して投げかけた言葉。

「倒れそうになっている人間に手を差し伸べるでしょう?」みたいなニュアンスだったかと思いますが、転じて無資格だろうと目の前で困っている人間に手を差し伸べた伊野をかばうような言葉でした。

 

一番側にいて、一緒に診察していたベテラン看護師の大竹は当然気付いていたのではないでしょうか?

それでも真摯な姿勢で患者に向き合う伊野をみて支えたくなったのではないかと感じました。

気胸のシーンとか観てその思いを強めましたし、「あれ?これっていつもこんな感じで大竹がフォローしてたってことなんじゃ・・・」とも想像させられましたね。

大竹役の余貴美子の演技はとても印象的でした。

 

夫を亡くし、一人暮らしの鳥飼かづ子の病気のことを家族に嘘をついて軽い胃潰瘍だと思わせたことも決して許されない嘘ではあるのですが、患者にとことん寄り添った結果ではありました。

医療の倫理に反していて、決して許されないことではあるのですが・・・。

医者である娘をわずらわせたくないというかづ子の親心と、夫が亡くなった時のような(はっきりとは言及されていませんでしたが、おそらく色んな治療を試して嫌な思いもしたのでしょう)ことはたくさんで、どんな治療もしたくないという願いにから生まれた伊野の優しく罪深い嘘でもありました。

 

序盤に伊野が思いがけず命を救った高齢の男性も、家族の介護負担を考えてそのまま看取ろうとしていましたね。

相馬が挿管しようとしたのを制止して。

病気や老衰で苦しんでいる人を医療で可能な限り生かすのが本当に正しいことなのか?

終末期医療の考え方というのも、この映画のひとつのテーマであったように思います。

欧米ではだいぶ自然な看取りが進んでいて、日本でも胃ろうなど口から食べられなくなったらそのまま看取る流れが少しずつ出てきているようですね。

医療費の増大もあり、本人が望まない延命治療は少しずつ考え直されるように思います。

 

本当に多様なテーマを詰め込んだ『ディア・ドクター』ですが、村人と伊野の交流の場面や、大竹とのやり取りなどほっこりする場面も多くて、気軽に観られるけど深みもある良い映画でした!!

ラストシーンで伊野が病院にスタッフとして侵入してくる場面もくすりと笑えました。

 

 

 

5、終わりに

 

詳細には語られませんでしたが、伊野は医者の息子として生まれながら父親のように医者になれずに薬関係の仕事について医療従事者として働いて、それでも医者になる夢をあきらめられなかったのでしょうか。

あのペンライトは伊野にとって宝物だったのでしょう。

認知症になってしまった父親に電話をかけるシーンは切なかったです。

いや、でもさすが西川美和監督ですね~。

期待以上のすばらしい映画でした!!

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