1、作品の概要
『ウィステリアと三人の女たち』は川上未映子の短編小説集。
『彼女と彼女の記憶について』『シャンデリア』『マリーの愛の証明』『ウィステリアと三人の女たち』4編からなる。
単行本で177ページ。
2018年3月30日に刊行された。
2、あらすじ
①彼女と彼女の記憶について
東京で女優をしている「わたし」は、引っ越して名前も覚えていないような街で開催された中学校の同窓会に参加する。
彼女が予想していた通り、名前も覚えていない元クラスメイトたちとの時間は退屈なものだった。
小学生の頃の友人・黒沢ごずえが30歳で餓死したことを聞くまでは・・・。
②シャンデリア
デパートで丸一日を過ごすわたしはブランドの服や宝石の店を今日も訪れる。
思いがけないことから大金が転がりこんできて、生活に困らずに高価なブランド品を買えるようになっていたが、彼女の心は空虚なままだった。
③マリーの愛の証明
マリーは父親のもとで不幸だった家での生活を離れて、ミア寮で生活していた。
カレンとはかつて恋仲にあったが、もう彼女に魅力を感じなくなったマリーは話し合って別れた。
しかし、マリーに未練があるカレンは彼女に問いかけるが・・・。
④ウィステリアと三人の女たち
3歳年上の夫と2人で暮らしている38歳のわたし。
なかなか妊娠できないことで、不妊治療を夫に提案するもすげなく断れた彼女。
ある日、老女がかつて住んでいた取り壊されつつある近所の広い家で、空き家に入るのが好きだという奇妙な女に出会う。
わたしは、彼女に触発されるようにある夜に老女が住んでいた家に入り込み、ウィステリアと名付けられた女の物語を思い浮かべる。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
『ヘヴン』『夏物語』『すべて真夜中の恋人たち』『黄色い家』など、どちらかというと長編小説の印象が強い川上未映子。
彼女の短編小説集は、『春のこわいもの』以来久々に読みましたがどれも深い闇を伴った蠱惑的な短編小説でした。
長編の時はあまり感じないのですが、川上未映子の短編はどことなく村上春樹の短編を彷彿させられます。
深い闇と、奇妙な邂逅、残された謎みたいな感じの読後感がたまらなく良いですね。
とくに『彼女と彼女の記憶について』と表題作の『ウィステリアと3人の女たち』がめっちゃ良かったです。
4、感想(ネタバレあり)
①彼女と彼女の記憶について
それほど売れている女優ではないだろう主人公のわたしが、卒業後に転校した中学校の同窓会に出席する。
単なる気まぐれで参加したはずだったが、不意に黒沢こずえが餓死したことを耳にして、忘れていたはずの自身の記憶と再会する。
冒頭の文章で記憶とは「箱」にたとえられると書かれているが、遠い過去から唐突に呼び覚まされた記憶は、遠い国から紆余曲折を経て届いた荷物みたいに忘れたころに出し抜けに突き付けられるのかもしれませんね。
そのときわたしに届けられた箱っていうのがどんなかたちをしたどんな大きさのものだったかはうまく言えないけれど、でも箱はちゃんと届けられた。
彼女にその事実を告げた女性もミステリアスで、トイレで黒沢こずえが餓死したことを話すと、姿を消してしまう。
その女性が黒沢こずえにとってどんな存在だったのか?
なぜ黒沢こずえが中学から不登校になって、30歳で餓死したのか?
一切は明らかにされずに物語が閉じていきますが、そのへんのモヤモヤぶりと、奇妙さがたまらなく良いです。
忘れたはずの記憶。
遠い過去からふいに届けられた箱には何が入っていたのでしょうか?
そして、届け主はなにを意図して彼女にその箱を届けたのか?
時を経ると何もかもすべて覚えていることはできない。
僕自身も46歳になって半生を振り返ってみてもう20代、10代の記憶は遠くなりにけり。
膨大な記憶の堆積の中から現在進行形でたくさんのモノがこぼれ落ちて失われ続けています。
忘れているその多くは自分にとってどうでもいいものか、好ましくないなにかなのかもしれない。
人は自分にとって都合がよく、美しい記憶は忘れないものなのだから。
忘却の彼岸から届く古い記憶の箱の多くは自分にとって望ましいものではないことが多いように思います。
届けられた箱を両手でしっかりとつかみ、そこから何が失われ、何が残されているのかを見なければならないのに、どれだけ見つめても、何も現れてこないのだった。
②シャンデリア
主人公のわたしは朝から晩までデパートにいて、高いブランドの衣服や、装飾品を買い漁っています。
昔作曲した仕事のおかげで大金が転がり込んできていて、お金に困ることなく毎日面白おかしく生きていける。
いや、最高じゃないっすか!!とか思うのですが、彼女自身はそんな自身の生活に何かしら空虚さを覚えているようです。
元々は父親に捨てられて、母子二人で生活していて、その母親も彼女を捨てて男と一緒になって・・・。
派遣社員でギリギリの生活をしていた彼女にとって今の生活は夢のようなものであるはずだと思うのですが、どこか現実感がなく、こんなことがいつまでも続くわけがないとどこか不吉な呪いに怯えながら日々を過ごしている。
いつか落下してしまうシャンデリアはそんな彼女の豊かな生活のメタファーで、どこにいてもシャンデリアは自分をめがけて落ちてくると不吉な予言のように自らの運命を悲観しているように思えます。
シャンデリアが落下する瞬間ーきっとその瞬間にわたしはどこにいたってその真下にいるはずで、わたしは目を見ひらいて、ものすごく見ひらいて、その落下のすべてを目に入れる。
デパートでブランド品を買い漁って消費しても精神的には空虚なままで、金持ちのばあさんに悪態をついたり、タクシーの中で泣き出したり情緒不安定なわたし。
46歳という年齢(僕と同い年!!)ですが、金持ちばあさんの甘やかされた娘や、タクシー運転手の若い女の子の母親とも同年代で、その2人は家族と繋がっていて(たぶん)幸せに生きているのに、自分は誰とも繋がりを持てないままいつか来るはずの終わりを思いながら、消費することで着飾ることでなにかを紛らわしている。
現在、経済的に恵まれていても、過去に与えられるべきだった愛情や温もりは取り返せない。
デパートに入り浸ることで、消費することで空っぽな心のうちを埋めようとしてもうまくいかない。
彼女の声なき叫びは、夕焼けに溶けていくようでした。
そんなことありえるわけもないのに、でもいつか誰かがこんなことはぜんぶ嘘だったんだよと言いながら、すべてが元に戻るんじゃないかという気がしていて、でも、そんな都合のいいことは、今日もやっぱり起きないみたいだった。
③マリーの愛の証明
正直あんまりピンとこなかった短編ですが、子供を失ったアンナが女の子たちの人生を俯瞰したように感じて、自らの子供が成長した姿を重ね合わせる場面には心を動かされました。
考えすぎかもしれませんが、『ウィステリアと3人の女たち』の外国語教師の女性がアンナだったりして・・・なんてことも思ったりしました。
④ウィステリアと三人の女たち
一番好きな短編、ですね。
夜や暗闇は、川上未映子の小説にとって重要なテーマで(だからキラキラした明るい話はあまりない)『ウィステリアと三人の女たち』でも大きく関わってきます。
主人公の38歳の女性はモラハラ気味の高圧的な旦那と2人暮らし。
妊活してもうまくいかず、不妊治療をすすめますがにべもなく断られます。
不妊治療は夫婦2人が向き合わないと進展していきません。
どちらの何に問題があるか特定してから、治療をはじめる必要がありますしね。
ちなみにヒロ家では2人目不妊で2人目がなかなか授かれずに不妊治療(というかその前段階?)に踏み切りました。
僕も一緒に病院に通いましたし、生々しい話ですが精子も調べたりしました。
まぁ、なんやかんやあって本格的な不妊治療を始める前に卵管の狭窄がわかって無事に2人目誕生と相成りましたが、時間もかかりますし夫も当然当事者として痛飲する必要があります。
しかし、夫の理解は得られずにわたしは暗闇の中、自らの想いに蓋をします。
いつものことだ。夫の声が空気を震わせるたびに、わたしの体は外側から少しずつ削られるようにして硬く縮まってゆく。
近所の豪邸が取り壊されていて、そこに住んでいた老女に思いを馳せますが、老女とは直接的な関わりはありませんでした。
3分の1ほど残して取り壊しが終わってしまった空き家の前で、空き家に入ることが趣味の奇妙な女性と邂逅するわたし。
なんとなく村上春樹の『納屋を焼く』を思い出しました。
空き家とはいえ、他人の私有地に入るのは違法行為。
しかし、両手が長いその奇妙な女性の狂気に触発されるかのようにある夜にわたしはその空き家に入り込んでしまいます。
伝染する狂気。
なにが彼女をそうさせたのでしょうか?
心の空白。
夫との生活で満たされないなにかが、その家の暗闇と物語に呼応したのかもしれません。
暗闇と物語。
そこで、その暗闇で彼女はかつてここに住んでいた老女の物語を紡ぎます。
とても詳細に。
ウィステリアが子供を産むことがなかったとはじめて言葉にしたのが38歳。
モラハラ夫との生活で子供を授かれずにいるわたしの現在の年齢も38歳。
呼応して、繋がっている。
暗闇で、彼女がウィステリアと名付けた女性の物語を産みだしたわたし。
物語を産み出し、暗闇を通過した彼女は、かつての彼女ではありませんでした。
She is not what she was.
太宰の小説でそんなのがありましたね。
ウィステリアの物語も、まるで見てきたかのようにリアルで生き生きしたもので、もはやそれがここで本当にあったことなのかどうかは問題にならないほど鮮やかで。
物語が現実を越えて何かを変革していく瞬間がそこには描かれていました。
鐘を打つように軋みつづける痛みの中で、わたしは必死に耳を澄ます。鐘を打つように軋み続ける痛みの中でわたしは必死に耳を澄ます。細い糸のように震えながら、途切れながらわたしを求めているそれは、どこか遠くにありながら、しかしすぐそばから聞こえてくる音なのかもしれなかった。
最後に夫の支配から逃れて、本当の彼女自身になったかのようなラストはとても爽快で感慨深いものでした。
自分が自分らしくある。
そんな当たり前のことが時には難しい時があるのかもしれませんが、彼女は多くのものの力を借りてそれを為すことができました。
ウィステリアと彼女にまつわる三人の女の物語と、なにかたくさんの古代からのメッセージを湛えたような深い闇と。
闇が終わり、朝日が昇る時、彼女はいったいどのような光を目にしたのでしょうか?
5、終わりに
いや、この短編集めっちゃ良かったです。
それに長編では全く感じなかった村上春樹的なアレと繋がる何かを(個人的に)感じられたのは興味深かったですね。
そして、川上未映子の作家性。
夜の闇との親和性。
闇というと暗いイメージかもしれないけど、時には深い闇の中に身を沈めるのは癒しでもある。
闇は傷や痛みも覆い隠して優しく包んでくれるから。
だから村上春樹の描く闇は危険で攻撃的なものな印象もあるけど、川上未映子の描く闇は優しく包み込むような安寧だったりするように思う。
何もかも白日の下に晒しだして生きていくことはできない。
後ろ暗い秘密があって、光の下を歩けないように思える時に光の射さないような深い闇は優しく慈愛に満ちているように思える。
川上未映子の作品を読んでいるとそんなふうにいつも感じるのです。
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