ヒロの本棚

本、映画、音楽、写真などについて書きます!!

さだまさし『眉山』

さだまさしは、好きな作家の一人です。

最初は、芸能人が片手間に小説書いてんのか!?とか思いましたが、読んでみると深い内容でいっぺんに好きになりました。

解夏』がとても好きで読み始めたのですが、彼の作品は全て好きです。

人生に対する優しく暖かな視線が心地よいです。

 

1、作品の概要

2004年に刊行された、さだまさしの小説で、2007年に松嶋菜々子主演で映画化、2008年に常盤貴子主演でテレビドラマ化されています。 

 

 

眉山

眉山

 

 

 

 2、あらすじ

 東京に住む咲子の母・龍子は67歳の若さでパーキンソン病になり、ケアハウスに入所してしまう。

末期癌で数ヶ月の命と余命宣告されてから徳島で母を看取ろうとする咲子だったが、母のケアマネージャーを努める啓子、母とトラブルを起こし咲子に想いを寄せるようになる寺澤医師、母を恩人と崇めるまっちゃんらと関わりながら母の想い、父のことを知るようになる。

母・龍子が遺した想いとは?阿波踊りの謡い、三味線をBGMに送る感動の物語です。

 

 

 3、この作品に対する思い入れ

 解夏がとても良かったので、同じさだまさしさんの作品を読んでみたいと思って読みました。

僕は仕事が介護職なのですが、関わっていたご利用者さんの中に献体を希望されている方がいらっしゃいました。

家族に迷惑をかけたくない、医学の発展の役に立ちたいなどの想いはありましたが、家族との軋轢など複雑な想いをお持ちのようでした。

そんな葛藤を目の当たりにしてきたこともあって、龍子が献体を希望した理由はなんだろうと疑問に思いました。

そして、その理由を知った時には・・・。

涙が止まりませんでした。

 

 

4、感想・書評(ネタバレあり)

 

①母と娘の物語、咲子のとまどい

眉山母と娘の物語であり、自分のルーツを探りながら自分という存在の意義、母親の想いと愛に気づかされていく物語でもあると思います。

母と娘の物語は、僕にとって不可思議でとても魅力的です。

 

僕は既婚者で子供もいますが、二人共男の子で、母と娘の関係は想像できないし、不思議な距離感があると思っています。

江國香織の『神様のボート』、小川糸の『食堂かたつむり』も母と娘の物語ですが独特の距離感があり好きです。

 

 龍子と咲子の母娘関係もどことなく不思議な関係で、江戸っ子気質でちゃきちゃきの龍子と、おとなしい咲子なので、咲子は子供の頃からいつも置いてけぼりにされているように感じていました。龍子がパーキンソン病を発症して店を畳んだ時も咲子には何の相談もなく介護認定を受け、ケアマネージャーの啓子に介護の調整を頼み、入居するケアハウスまで決めてしまっていたのでした。

ああ、なんかこういう感じ、僕も覚えがありますね。親は子に心配をかけさせまいと何も言わずに動いてたりするんですが、それって子の立場からすると寂しいし、もっと頼って欲しいって思うんですよね。

咲子も龍子の言い分を聞いて、感情を爆発させます。

 

「私はお母さんの子供で、お母さんの面倒は私が見る。それで良ぇやん!?勿論、私には仕事もあるし、きっちりついてあげられへんかもしれんけど、今の言い方は冷たすぎるわ!?あたしは一体お母さんの何なんよ!?」 

 

最初は母がケアハウスに入るのも反対だった咲子ですが、ケアマネージャーの啓子の存在もあり徐々に受け入れていきました。

 

 

②龍子の人間としての魅力、取り巻く人々

「神田のお龍」の異名を持ち飲み屋の女将だった龍子ですが、誰にでもはっきりとした物言いをして、後腐れない性格から味方も敵も多かったようです。

 

入院した病院でも看護師の態度に一言物申し、咲子がと今日から呼び出される事態になりましたが、患者に対して誠意のない対応をする看護師に「あなたは少し間違ってます!!あなたの仕事は患者を見てないあなたの仕事はお医者を向いてます!!」と、ピシャリ。カッコイイですね~。なかなかここまでハッキリと物を言える人は少ないですよね。

 

龍子のまわりの人物も個性的で、愛嬌のある人物が多いです。

ケアマネージャーの啓子は仕事の範囲だけではなく、龍子の魅力に惹かれて咲子とも仲良く飲みに行ったりして、咲子の良い相談相手にもなります。

寺澤医師は一度は心無い言葉を龍子に浴びせてしまい、手痛い叱責を受けましたが本来は純朴な正確で龍子の言葉で改心しました。そして咲子に想いを寄せるようになります。

飲み屋「甚平」の大将のまっちゃんは、龍子に昔から世話になっていて心酔していて彼女に頭が上がりません。愛嬌があって、とぼけたキャラクターで彼の登場場面では笑いが起こることが多いです(笑)

 

龍子の人間性に惹かれて多くの人間が彼女の人生に関わっていきます。咲子は、病身の母に寄り添いながら自分の母親がどれだけ魅力的な人間でどれだけの人間を助けてきたかを知って、より深く理解するようになったのだと思います。

 

 

 ③病気の進行、明らかになる真実

相変わらずな気の強さを見せる龍子でしたが、膵臓がんにかかって肝臓にも肺にも転移していて、2~3ヶ月の命と余命宣告をされてしまいます。ショックを受ける咲子は龍子に病気のことは伝えませんでしたが、龍子のほうが上手で自分の余命が長くないことを悟られてしまいます。

 

失意の日々を送る咲子でしたが、まっちゃんから呼び出されて、龍子に預かった咲子宛の荷物を預かりました。本当は、必ず死後に渡すように言われていたものでしたがまっちゃんは今渡さないと後悔するのではと、龍子の言いつけにそむいて咲子に荷物を渡します。荷物は2重包装になっていて、一枚目の包装を破いたところで若かりし頃の母と、父と思われる人物の写真が出てきます。

今まで、何の手がかりもなかった父の姿に心を揺さぶられる咲子。この物語は、咲子が自分のルーツを探っていく物語でもあるのだな、と思いました。

 

最後に龍子に阿波踊りを見せるために咲子は主治医にかけあい強引に外出の許可を取ります。

 

「大好きな人」の故郷にそっと根を下ろして生きてきた母は、人生最後の阿波踊りに「大好きな人」の、一体何を刻もうとしているのだろう。

 

母娘で観られる最後の阿波踊り

咲子の胸に様々な想いが去来します。

「もう少し」と、なかなか帰りたがらなかった龍子が帰ろうとした時に奇跡が起きます。

こちらへ向かってくる車椅子の男性が写真の人ー咲子の父親だったのです。

 

三味線の音がずしりと鳴り、高い笛の音が切ない「よしこの囃子」を奏で太鼓が鳴ります。

車椅子の男性も龍子に気づき、傍らの咲子に気づき涙を流します。

おそらく咲子が自分の娘だと悟ったのでしょう。

2台の車椅子はゆっくり近づいていき父は龍子を見つめますが、龍子は毅然として「大好きな人」に一度も視線を送りませんでした。

人生最後の奇跡のような再会にも龍子は自分の行き方を貫いたのです。

 

無言の母に胸を打たれた。母は「一生をかけた大好きな人」と今、命懸けですれ違っている。

そうして”神田のお龍”は「大好きな人に」最後まで一切迷惑をかけずに死のうというのだ。

どれほど切なく、苦しく、愛おしいことだろう。 

 

母の傍に寄り添ってきた咲子にはその想いが痛いほどわかったのでしょう。とてもドラマチックなシーンで、何度読み返しても胸があつくなります。

そして、ラストシーン。龍子の死後に箱を開けた咲子は、遺言と一緒に追伸で父の住所を見つけます。

寺澤と一緒にその東京の住所を訪ねた咲子は、何故母が献体を希望したかその想いを知ります。住所には病院が建っていました。父は医者だったのです。

「大好きな人」の子供を身ごもり、たった一人で「大好きな人」の故郷の徳島で子供を育てながら一人で生きた龍子。彼女はずっと想いを捨て去れず、医者だった「大好きな人」のことを想い献体を希望したのでした。

 

さだまさしのこういった人生、行き方を壮大に描く作風が好きです。

徳島を舞台に阿波踊りの音楽をバックにとても情緒的に描いています。

この情感たっぷりな感じが堪りませんね。

咲子は龍子の死後「ようやく母にたどり着いた」と言います。

読み返すのは2回目でしたが、とても感動的な小説です。

村上 春樹『1973年のピンボール』

今回は、村上 春樹の『1973年のピンボール』を取り上げたいと思います。

ちょうど最近読み返しました。

この作品は秋になると読み返したくなります。

 

 

1、作品の概要

 

1973年のピンボール』は、1980年に出版された村上春樹の2作目の長編になります。

「僕」が主人公の初期3部作の2作目になります。

 

1969年から1973年の出来事を時系列をバラバラにして語った物語で、離れ離れに過ごしている「僕」と「鼠」の物語を描いています。

基本的には1人称で、リアリズムの物語ですが、「僕」の物語はポップで会話も多く軽快な印象がありますが、「鼠」の物語は内省的で重々しい感じがします。

 

芥川賞の候補にもなった作品でしたが、受賞は逃しています。

 

 

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 

 

 

 

2、あらすじ

 

「僕」は、東京で友人と翻訳事務所を設立し、翻訳の仕事をしながら繰り返しの毎日を送っていました。そんなある日、ひょんなことから双子の女の子と3人で暮らすようになり、奇妙だけど穏やかな日々を過ごしていました。

 

一方、鼠は大学を辞めて「街」で暮らしていました。

土曜日の夜の彼女との逢瀬、馴染みのジェイズバーで飲むビール。

繰り返しの日々の中で鼠の心は沈んでいき、変化を求めるようになります。

 

僕は、大学生の時に自殺してしまった彼女を思い、不要になった配電盤を弔い、過ぎ去った人々に想いを馳せます。結局全ては通り過ぎて、時代の流れの中に消え去っていく・・・。そんな中、1970年に僕を熱中させたピンボール台が自分を呼んでいるように感じ、そのピンボール台を探し始めます。

 

1973年という時代の流れが加速し始める時代に、自我の確立が覚束無い「僕」と「鼠」が閉塞感を打ち破ろうともがく物語です。(たぶん)

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

ノルウェイの森』、『風の歌を聴け』を読んでそのあとに『1973年のピンボール』を読みました。

大学1、2年生の時だったかな?1997年~1998年あたりです。

当時はファンタジー色が強い物語は敬遠していて、春樹のリアリズムの物語から読んでました。

そしてこの物語が持つ喪失感に深く心を奪われました。

 

 

4、感想・書評

 ①「時代」と「年齢」という2つのキーワード

前作の『風の歌を聴け』の続編ですが、「僕」と鼠の二人の視点から前作よりも二人の内面を深く描写しながら物語が展開していきます。

僕と、鼠が遠く離れた街で暮らしながら、お互いに繰り返す日々から抜け出せずに閉塞感を感じて、繰り返しの円環から抜け出そうと試みる物語。

 

ここで重要なキーワードが2つあります。

1973年という「時代」と、20台中頃という「年齢」の2つです。

この物語を書いた時の村上春樹は31歳で、1980年に刊行しています。

つまり自分が実際に体験している・渦中にいることではなくて、少し前に起こったことを書いているのです。

それは、おそらく春樹自身も体験した20代半ばで感じた閉塞感と未来への不安。

そしてその閉塞感からの脱却。

徐々に変化が激しくなり、様々な物が過去になっていく時代の変化への戸惑いを喪失感という感情で表現したのではないかと思います。

 

「僕」が物語の冒頭で感じていたのは・・・。

違和感・・・。

そういった違和感を僕はしばしば感じる。断片が混じり合ってしまった2種類のパズルを同時に組み立てているような気分だ。とにかくそんな折にはウィスキーを飲んで寝る。朝起きると状況はもっとひどくなっている。繰り返しだ。

 と、こんな感じでした。

その後に双子が登場するのですが、双子との関わりが僕の違和感を取り去り、あまり良くない状況から抜け出すある種の触媒のような存在になっていったのかもしれません。

 

 

②鼠の焦燥と決断 

一方、鼠は。

鼠にとっての時の流れは、まるでどこかでプツンと断ち切られてしまったように見える。なぜそんなことになってしまったのか、鼠にはわからない。切り口をみつけることさえできない。死んだロープを手にしたまま彼は薄い秋の闇の中を彷徨った。 

 彼もまた、迷いを感じ彷徨っていました。

ただ、性格もあるかもしれないし、鼠には「僕」が出会った双子のような存在はいなくて、「僕」よりとまどいと悩みは深かったように思います。

 

ジェイズバーでビールを飲み、週末の土曜日だけは彼女と会う繰り返しの毎日。

とても孤独で、内省的な毎日を過ごし、昔のことを思い出したり、彼女の部屋の光を眺めたりして無為に時間を過ごしていきます。

 

さあ考えろ、と鼠は自らに言い聞かせる、逃げないで考えろよ、25歳・・・、少しは考えてもいい歳だ。12歳の男の子が2人寄った歳だぜ、お前にそれだけの値打ちもない。・・・よせよ、下らないメタフォルはもう沢山だ。何の役にも立たない。考えろ、お前はどこかで間違ったんだ。思い出せよ。・・・わかるもんか。

 

自分の年齢を意識して、自分の現状に焦りを感じる鼠。

やがて鼠は、彼女と連絡を断ち、ジェイに別れを告げ街を出ることを決意します。

 

 

③「僕」が心の中に宿した光

書きながら思いましたが、「時代」のタスクは「僕」に、「年齢」のタスクは鼠にそれぞれ割り振ったのではないかと思います。

僕は、双子との繰り返しの日々の中で自分の中を通り過ぎて去っていった過去の人・物に想いを馳せます。

ー配電盤、自殺したガールフレンド、同じアパートで電話を取り次いでいた女の子ー

そして、1970年に熱中していたピンボールマシン。3フリッパーのスペースシップが突然「僕」の意識を捉えて、呼び続けていました。

 

時代の波に埋もれてなくしていったものを通り戻そうとするかのように、僕はピンボールマシンを探し続けます。

しかし、探していたピンボールマシンをやっと見つけた「僕」はマシンをプレイすることなくその場を立ち去ってしまいます。

 

 ゲームはやらないの?と彼女が訊ねる。

 やらない、と僕は答える。

 何故?

 165000、というのが僕のベスト・スコアだった。覚えてる?

 覚えてるわ。私のベストスコアでもあったんだもの。

 それを汚したくないんだ、と僕はいう。

 

僕たちもう一度黙り込んだ。僕たちが共有しているものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった。それでもその暖かい想いの幾らかは、古い光のように僕の心の中を今もさまよいつづけていた。そして死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでのつかの間の時を、僕はその光とともに歩むだろう。

 

探していたピンボールマシンを見つけたことで、ずっと昔に死んでしまった時間の断片の暖かい古い光を自分の中に感じ、その光とともに歩んでいくことを決めた「僕」。

過ぎ去った過去と決別するのではなく、暖かく親密な形で自分の中に取り込んで、ようやく前に進んでいくことができると考えた瞬間だったのだと思います。

どうしても振り切れず囚われていた過去の想いを、決別するのではなく違った形に浄化するようにして共に歩んでいくことで新たな強さを獲得したのだと思います。

 

そして、自らの空白を埋めた「僕」の元から、まるで役目を終えたように双子たちは去っていきます。

双子の存在も、「僕」の心の中の古い光となってともに歩んでいくのでしょう。

芥川 龍之介『歯車』

まず最初に一言、この書評はとてつもなく暗くなります(笑)たぶん。

 

ツィッターの小説10選にこの小説を入れ忘れてしまったので、悔しいからブログで書評を書こうと思ったのですが、書こうとする内容がかなり陰鬱です。

でも、暗いのが何が悪いんだろうと昔から思ってしまうわけで、僕が昔から惹かれる文学も、音楽も、映画も、絵画も深い闇を抱いた作品が多いです。

日常はわりと明るい性格だし、仕事的にも前向きでいることが求められるので精神的にバランスをとりたくなって、暗いトーンの作品に惹かれるのかなと思います。

常に明るくて前向きで?そんなの反吐がでそうになる時もありますし、一人で深い闇の中に耽溺したくなる時もあります。あまり他の人を巻き込んだり、迷惑をかけたりしたくないので、他人が狂気と闇を表現した作品にどっぷり浸かるだけで良いのです。

 

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

 

 

芥川龍之介『歯車』は発狂と死の狭間で描かれた文学史上最も狂った作品のひとつだと思います。

計算づくで狂気を「演出したり」、狂気を「描いたり」している作品とは違って、自分が発狂していく様子を克明に描いていっている小説なのです。

自分の足元から身体がゆっくりと砂のように崩れ落ちていく様を描写していく。

僕は、『歯車』を読むたびにいつもそんなイメージを抱きます。

全編に漂うのは死の予感と発狂への恐怖です。うつ病の典型的な症状で妄想から幻視、幻聴のオンパレードで強迫観念に囚われ神経をすり減らしていきます。

芥川の母親は、統合失調症を患った末に夭折しています。精神病は遺伝的要因も大きいですから、芥川が晩年に統合失調症の恐怖に怯えたのも無理はないことだったかと思います。

 

太宰治「死にたい死にたい」を連呼して「死にたがりの太宰」とか言われてある種のパフォーマンス的な部分もありましたが、芥川が囚われていた絶望は深く「死ぬしかない」だったように思います。

 

芥川が囚われていた死の影は、アメリカのロックバンド「NIRVANA」のカート・コバーンのそれとも共通しているように思います。

カートも、晩年は薬と精神症状に苛まされて「死ぬしかない」状態だったようで、妻のコートニーが語ることには例えばホテルに泊まって「俺は、この部屋にシミが99個あったら自殺する」などと言い出す状態だったと言います。

 

 

『歯車』は特にストーリーなどといったものはなく、どこに行って何をしてても常に発狂の恐怖に怯えながら死を予感する芥川の姿が描かれています。

この文庫本で50ページほどの短編が彼の最後の作品になりました。

 

「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るっていうんですが。」

「昼間でもね。」 

 

もう、冒頭から幽霊の話(笑)

スパゲッティ茹でながら、泥棒かささぎを口笛で吹いてれば良いのに。。

レエンコオトを着た幽霊、レエンコオトはこのあとも度々出てきますが、姉の夫の自死に繋がっています。

芥川も、カート・コバーンが天井のシミと自らの死を結びつけたように身の回りに起こる事柄全てに不吉な死の影を見つけ半狂乱になります。

復讐の神、黄色いタクシー、黒と白、もぐらもち(もぐら)、翼(飛行機)、火事、赤光など、様々な妄想が彼の神経を蝕みます。

右目の瞼の裏に透明の歯車がカタカタと廻る。不安神経症も患っていた芥川は薬の影響もあって幻視・幻聴に苛まされています。

 

が、ベッドをおりようとすると、スリッパアは不思議にも片っぽしかなかった。それはこの12年の間、いつも僕に恐怖だの不安だのを与える現象だった。

 

スリッパが片方見当たらなくて半狂乱。

それから姉の家まで歩く間も。

 

それもまた僕には深いよりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思いだし、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向こうを歩くことにした、

 

もう目に映る全て、起こる出来事の全てが芥川を追い詰めていきます。

そして、最後の場面。

 

「どうした?」

「いえ、どうもしないのです。・・・」

妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。

「どうもしたわけではないのですけれどもね、ただなんだかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。・・・」

 それは、僕の一生の中で最も恐ろしい経験だった。ー僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こういう気もちの中に生きているのはなんとも言われない苦痛である。だれか僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

 

こののち、芥川は服毒自殺を図ってこの世を去りました。

小説家として、表現者として持っていたすば抜けて鋭い感性が彼の神経を蝕み、死を選ばせたのかもしれません。

 

 

 

 

【映画】人間失格 太宰治と3人の女たち

○映画の紹介

 

少し前ですが、映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』を観てきました。

ツィッターのTLでこの作品が公開されることを知って、とても楽しみにしてました♪

監督が蜷川実花監督で、太宰治の『人間失格』の誕生秘話と、妻と2人の愛人との話を映画にしたもです。

 

キャストもめっちゃ豪華で、太宰役に小栗旬、妻の美和子役に宮沢りえ、斜陽の太田静子役に沢尻エリカ、山崎富栄役に二階堂ふみ

三島由紀夫役に高良健吾坂口安吾役に藤原竜也も面白かったです。

正直、陽キャ小栗旬が太宰役ってどうなの!?って思ってましたが、役作りのために減量したこともあっていい感じでした。

 


『人間失格 太宰治と3人の女たち』スポット ストーリー編

 

 

 

○あらすじ

 

物語は、『斜陽』の執筆前に太田静子との交際が始まる前から、『人間失格』を書き上げ、玉川上水にダイブするまでを3人の女性との関わりを中心に描いています。

太田静子からファンレター(恋文?)をもらった太宰は、直接会って静子を口説き落として、彼女の自宅で自らの小説の題材のために日記を見せてもらい『斜陽』を書き上げます。

斜陽が大ヒットして意気揚々の太宰でしたが、静子が太宰との子供を孕み、後のトラブルにつながります。その頃、未亡人の山崎富栄とも出会い、彼女の部屋に入り浸るようになります。

やがて経済的困窮、静子の子供の認知の問題、健康状態の悪化などが重なり太宰の肉体と精神を蝕んでいきます。

ギリギリの状態の中、妻の美和子より叱咤されて『人間失格』を書き上げます。

 

 

 

○感想・考察(ネタバレあり)

 

監督が蜷川実花さんだけあって、色彩の使い方が綺麗でハッとさせられるシーンが多かったです。

冒頭の太宰が子供達と土手を散歩するシーンも彼岸花と空のコントラストがとても綺麗でした。

ラスト付近の雪の中を歩くシーンも、一面雪の中太宰が吐血して雪が赤く染まっていくシーンなんかも美しかったです。

 

f:id:hiro0706chang:20191119090838j:plain

 

映画のポスターでも、3人の女性の服装と花の色がイメージと合わさってる感じで良かったです。

ただ、ポスターのキャッチコピー「死ぬほどの恋。ヤバすぎる実話。」はアカンですね(^_^;)

2人の愛人を口説くシーンなんかも花が出てくるシーンが多く、花の写真をよく撮られている蜷川実花さんらしいなと思いました。

 

f:id:hiro0706chang:20191119091353j:plain

 

主演の太宰役の小栗旬ですが、初めにキャストを聞いた時は「それはないわー」って思いました。太宰役は、ちょっと繊細で影のある感じが似合うと思っていたので、小栗旬はキャラ的にどうかなと(^_^;)銀魂のイメージが強すぎて。。

 

ただ、蜷川実花監督は「小栗旬しかいない」って思っていたようで、この作品の太宰は快活で自信家で口がうまい、どこか色気を持った魅力ある人物として描かれていたように思います。

もちろんダメっぽり、クズっぷりも十二分に描かれていて思ったよりハマり役だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

○『斜陽』の女、太田静子

 

太宰は手紙でのやり取りから親交を深めて、日記を見るために静子の住む下曽我(小田原辺り?)まで向かいます。

『斜陽』の創作のために自身のファンの太田静子に近づいて、ヤルだけヤって妊娠させておいて、日記を読んだらポイ。。

ク、クズすぎるぜ太宰!!

下曽我からわざわざ会いに来た静子を冷たくあしらう太宰はまさに「人間失格」でしたw

 

ただ、静子も斜陽のモデルになった女性だけあってタフで産まれてくる子供の認知をさせたり、『斜陽』に自分の名前を入れさせようとしたりタダでは転びません。そして、『斜陽日記』なる本まで出版しました。

 

 

 

○最後の女、山崎富栄

 

太宰が山崎富栄を口説くシーンでは、しだれ落ちる花の陰に隠れながら躊躇する富栄に対して「大丈夫。君は僕が好きだよ」などと、口説く小栗・太宰。

夜の闇に、白く浮かび上がる花(何の花やろ?)が妖しく幻想的です。

フツー、「僕は君が好きだよ」で口説くと思うんですが、自信満々の口説き文句ですね☆

才能に溢れてて、自信満々の男は魅力的ですね。

僕も今度このセリフ使ってみようかな。

 

富栄は、静子とのゴタゴタを目にして、ついに鉢合わせまでして傷つき,

ますます太宰との愛の深みにはまっていきます。

戦争で夫を失った未亡人だったこともあり、初めは控えめで慎ましかった富栄は太宰との愛にのめり込み、太宰の子供を欲しがり、ついには共に死にたいと願うようになります。

いや、二階堂ふみが女優としてとても好きなのですが、この辺のクレイジーな感じの演技はゾクゾクきます。

終盤の心中前のシーンなんか、もう目が完全にイっちゃてて怖いです。

 

 

○太宰を支えるヴィヨンの妻、美和子

 

静子とのトラブル、度重なる吐血、度が過ぎる飲酒で太宰の身も心もボロボロになっていきます。

また、富栄と抱き合う場面を子供と妻に見られてしまい罪の意識にも苛まされて家に帰る時もこそこそと帰るようになります。

そんな太宰に妻の美和子は「私たち(家族)を壊しても、あなたにしか書けない作品を書きなさい」と叱咤激励しました。

 

現代の視点からすると、妻子があるのに愛人を作ったりするのはクズかもしれませんが、時代を考えるとよくある話でだったのかもしれません。

余談ですが、以前90過ぎの女性と話す機会がありまして、その方の旦那様がとある企業の社長だったらしいのですが、両手両足の指で足りないくらい愛人がいたとのことでした(^_^;)

 

しかも太宰は作家だったわけで、遊びや恋愛を肥やしにして作品を生み出す原動力にする必要があったのでしょう。美和子もそんな太宰を支えたいといういじらしい想いがあったのではないでしょうか。

美和子が子供たちに、「お父ちゃんが原稿用紙に書いた字がきらきら光って見えた」と語るシーンがありましたが、太宰の才能をリスペクトしている気持ちが表現されていたと思います。

 

 

 

○ラストシーン、まとめ

 

美和子の叱咤激励によって吹っ切れた太宰は傑作『人間失格』を書き上げます。この作品は3人の女性との恋と葛藤を原動力に生み出されたのではないかと、蜷川実花監督は表現したかったのではないかと感じました。

 

そして、美和子あての遺書を残し富栄と玉川上水に入水するわけですが、ちょっと躊躇する太宰と、覚悟を決めている富栄が対照的でした(笑)ビビってる感じが出てましたね。

2人で川に飛び込んだあと、水中で一旦気を失いかけた太宰が、「ハッ!!」とした感じで目を覚ますラストシーンでしたが、僕には「えっ、俺死ぬの!?」って感じのニュアンスに取れました。

この入水にも諸説あるみたいですが、映画ではいまいち覚悟がないまま、富栄に引きづられるようにして入水してしまった太宰が表現されていたように思います。確かに、強く断れず流されるような薄弱さもありますものね(笑)

 

 

村上春樹について語ります~その参~

村上春樹について語るの続きです。

前回も書きましたが、時系列順に作品を追って紹介していく試みは色々な発見がありますね!!

時代背景とか、同時期に出した短編集なんかとの関連も興味深かったです。 

 

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

 

ねじまき鳥クロニクル

 

国境の南、太陽の西』を発表してから2年ほど経ってから春樹の代表作のひとつの『ねじまき鳥クロニクル』の第一部、第二部が発表されました。

この作品は、春樹自身がこの時期よく言ってたように「デタッチメントからコミットメント」への萌芽がみられる作品となりました。

 

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 
ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

 

 

今までの春樹は、初期三部作、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のような社会との関わりのない部分で独自の物語を描いてきました。しかし、『ノルウェイの森』の大ヒットで一気に作家としての知名度が高まり、『ダンス・ダンス・ダンス』で今までの集大成のような物語を描いて、今度は社会とコミットメントする必要性を感じたのではなないでしょうか?

 

この作品では、突然第2次世界大戦末期のノモンハンでのソ連軍との戦争の話が出てきたり、残虐な拷問や、処刑の話が出てきます。今まで、現実に起こった戦争を物語に組み込んだのは初めてで、面食らったのを覚えています。

 

しかし、物語自体は今まで以上に個性的な登場人物が主人公の岡田享と関わりながら隠喩に満ちた複雑な展開をしていきます。

不吉な予兆があり、隠喩があり、ついに妻の久美子が主人公の前から消えてしまいます。

 

現実世界でも、非現実的な世界でも巨大な力をワタヤ・ノボルが「悪」として描かれて対決が描かれています。以降、『海辺のカフカ』や、『1Q84』でも「悪」が描かれますが、これだけはっきりとした「悪」を描いたのは『ねじまき鳥クロニクル』が最初だったと思います。

 

1、2部の発表から1年以上経ってから完結編の3部が発表されました。

 

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

 

 『みみずくは黄昏に飛びたつ』で春樹は「最初考えていたラストシーンでは、主人公は溺死するはずだった」らしいです。そんなラスト嫌すぎる。。考え直してくれて良かった。。

 

 

 

アンダーグラウンド』『約束された場所でーアンダーグラウンド2ー』

 

短編集『レキシントンの幽霊』を刊行後、春樹は突如地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集である『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者へのインタビュー集である『約束された場所でーアンダーグラウンド2ー』が刊行されました。

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 
約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

 

 

これまでもエッセイや、紀行文みたいなのも書いていて幅広い文筆活動はしていましたが、社会事件を取り扱ったシリアスなノンフィクションを発表したのは初めてで驚きをもって迎えられました。

 

ねじまき鳥からのコミットメントの動きはこの2冊で頂点に達し、時間をかけて消化されて『1Q84』に活かされました。

 

 

 

スプートニクの恋人

 

村上 春樹がいうところの「短めの長編」の一つで、春樹はこの「短めの長編」で文体に変化をつけたり、1人称を3人称に変えてみたり、様々な事件を試みて次の「長めの長編」に繋げているみたいです。

 

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
 

 自身が言っていることですが、この「短めの長編」は不人気なことが多いようですね。

僕は、『スプートニクの恋人』はわりと好きです。

ちょっと奇妙な恋愛の話ではありますが、あちら側とこちら側行き来して消えてしまった大事な人を取り戻しに行く話はオーソドックスな村上春樹の物語だと思います。

 

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。

 

とても、印象的で好きな序文です。

 

今日はここまでで、続きは四に続きます。

【音楽】坂本 龍一『Music For Yohji Yamamoto Collection 1995』~雨音と溶け合うピアノの音色~

音楽を聴く時に、今の自分の気分にベストの音は何なのか悩んで、何回もCDを入れ替えたり、何を聴くのか考え込んでしまうことがあります。

なんか、バカみたいですが、今の自分が求めている音、気分にしっかりあう音楽があるはずなのに見つからないというのがとても歯がゆいのです。

 

季節、時間、天候によっても合う音楽が違ってくると思います。

まぁ、単純に夏のこと歌ってる曲を夏に聴くとか、この曲は夜っぽいとか朝っぽいとかそんな感じです。

DJをやってるせい(最近は、たまーにしかやってませんが)もあるかもしれませんが、そういう音楽のチョイスの仕方をするのがなんとなく好きなのです。

完全に自己満足の世界ですっ(^_^;)

 

本を読む時も季節を意識することがあります。例えば村上春樹だと『ノルウェイの森』は春のイメージで、『風の歌を聴け』は夏、『1973年のピンボール』は秋で、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は冬に読み返すことが多いです。

 

あとは、ワインも、夏は白ワインとスパークリングが飲みたくなるし、秋は軽めの赤ワインで、冬はフルボディの重めの赤ワインが飲みたくなります。

 

 

前置きが長くなりましたが、今日は教授の最高傑作とも言われている坂本 龍『Music For Yohji Yamamoto Collection 1995』の紹介をしたいと思います。

 

Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 THE SHOW vol.7

Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 THE SHOW vol.7

 

 


Ryuichi Sakamoto - Music for Yohji Yamamoto (1995)

 

ヨウジ・ヤマモトのコレクションで使われた音楽らしいのですが、アンビエント+ピアノが果てしなく美しいです。

大学生の時に友達に教えてもらったのですが、以降ずっと好きな1枚です。

収録曲は「BRIDGE」1曲のみで、1曲が35分あります。

 

序盤、静かな立ち上がりでピアノと電子音が入り混じったアンビエントっぽい展開。

不協和音が多く不穏な感じがします。

7分頃からはピアノの音のみで繊細で美しい旋律が流れます。

同じメロディーの繰り返しですが、雨が降り注いでくるイメージがあります。

 

アンビエントっぽいパートと、ピアノの旋律のパートを繰り返しながら徐々に抑制から解き放たれるようにピアノの音色が力強く響いていきます。

 

ラスト付近の音の奔流とも言うべきピアノの音色が降り注いできます。

個人的には、雨の夜にピッタリの曲で、リビングで読書しながら聴いたりしてます(^-^)

オススメです♪

 

【映画】マチネの終わりに

平野 啓一郎『マチネの終わりに』が映画化しました。

原作が好きで前から観たかったのですが、今日ようやく観に行ってきました。

 

f:id:hiro0706chang:20191201235734j:image

 

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

 

 

去年、映画化の一報が飛び込んできた時に、福山 雅治と、石田 ゆり子が主演と聞いて心の中で、めっちゃガッツポーズしました!!

 

イメージ通りじゃァァァァァァァァ!!!!!!!!!

 

センシティブな感覚と気遣いを併せ持つ薪野と、芯の強さと優しさを併せ持つ洋子はそそれぞれ福山 雅治と石田 ゆり子にぴったりハマると思いました。

 

予告編は夏頃から流れ始めていて、『天気の子』『人間失格』を観に行った時にも『マチネの終わりに』の予告編が流れていて、短い映像で号泣してしまうという「マチネショック」とも言うべき謎の涙腺崩壊がありました。

 

いや、最近の映画の予告編はよくできてますね。今日は、岩井俊二監督の『LAST LETTER』の予告編でちょい泣きしました。

この映画も観に行きたいですね(^O^)

 


映画『「ラストレター」』予告【2020年1月17日(金)公開】

 

 

☆映画のあらすじ☆

 

世界的なクラシックギターの奏者・薪野と、フランスRFP通信のジャーナリスとして活躍する洋子が薪野のコンサートの後のに知り合いメールやスカイプで交流しながらお互いに惹かれあるようになります。

 

しかし、洋子には婚約者がいました。2度目にフランスで会った時に薪野は洋子に対して想いを告げます。

「もし、洋子さんが世界のどこかで死んだら、僕も死ぬよ」

今度、口説き文句で使ってみよう。

洋子は、薪野への返事をスペインでのコンサートの後に伝えることを約束します。

 

スペインでのコンサートで途中で演奏できなくなってしまうトラブルに見舞われる薪野。以後、ギターを演奏家として弾くことができなくなってしまいます。

失意の薪野は、洋子のアパートを訪ねて、洋子の同僚のジャリーラを料理とギター演奏で励まし3人で楽しい時間を過ごします。ジャリーラが寝静まった後に、洋子から想いを告げられ、日本で会うことを約束します。

 

お互いに深く愛し合い、このまま結ばれるように思えましたが、日本でアクシデントと、マネージャーの三谷の行動で二人は決定的にすれ違ってしまいます。

 

2人はこのまま会うこともなくすれ違っていくのか?

薪野は再び演奏できるようになるのか?

気になる結末は劇場で!!

 

以上、世界のヒロでしたw

 

 

☆映画の感想☆

 

このあとは、ネタバレもありですよ!!

薪野のギターの場面から始まりますが、そう言えば福山ってミュージシャンだしでギター上手いし、そういう意味でも薪野役にピッタリだなと納得(今更w)

観客もうっとりと薪野の演奏に聞き惚れますが、周囲の熱狂に反して薪野はステージ上で孤独と違和感を感じてました。

演奏終了後に、虚脱と失望に襲われる薪野でしたが、洋子と会って会話をすることで生気を取り戻します。

彼女は、するどい感性で薪野がステージ上で感じていた感覚の一部を感じ取っていました。

感受性豊かで、知性的な女性は魅力的ですね。

アラフォーになると、外見も大事ですが、感性・知性・品性などの人間性もしっかり見ながら恋愛するようになると思います。

 

演奏会の後の短い会話でもお互いの考え方、知性に徐々に惹かれ合います。

この世代の恋愛って、外見以上にお互いの内面や、人生観などに惹かれるのではないかと思います。

薪野は、洋子の祖母が、陽子自身が子供の頃に楽しく遊んでいたテーブルのような形の石に祖母が頭をぶつけてそれが原因で亡くなってしまったと聞いて、「未来が過去を変える」と洋子の想いを汲むように話します。

ここが、『マチネの終わりに』の良いところだと思うのですが、大人のラブストーリーらしくお互いの思想、人生観、生活歴を尊重し合う繊細な心理描写に溢れています。

 

この時、洋子が40歳で、薪野が38歳ですがこの年齢設定が絶妙でお互いを尊重しながら想い合えるようなラブストーリーの土台になっていると思います。

40代って、微妙な年齢で完成に近づいていく年齢だけど、心の奥底には誰かと分かり合いたい、気持ちを通じ合わせたいって思っている年代だと思います。

20~30代のような真っ直ぐに進める力強さ(良くも悪くも)もないけど、50代のような落ち着きもなく実は揺れ動いてる年代なのではないかと思います。

 

洋子の連絡先を聞いて連絡を取り合う薪野でしたが、フランスで起こったテロ(原作ではイラクですが)で一時連絡が途絶えます。

久しぶりにスカイプ?で会話する薪野と洋子。テロでの出来事から怯える洋子を薪野は冗談も言いながら勇気づけます。

そして、パリで陽子と食事をする約束をするのですが、レストランに向かう洋子(石田 ゆり子)の幸せそうな表情と言ったら!!

先にレストラン(カフェ?)の席に着いていて、窓の向こうに笑顔で手を振る洋子を見た時の薪野のドキドキ具合はヤバかったと思います♪

食事シーンも細かい表情の移り変わりや、薪野の想いの伝え方など素敵なシーンが多かったです。

 レストランで想いを伝える薪野と、揺れる洋子。

でも、この時にどうするかは洋子の中で決まっていたのだと思います。

 

スペインでのコンサートの後に、ジャリーラも交えて洋子のアパートで楽しい時間を過ごしお互いの気持ちを確かめて、日本で再び会うことを約束します。洋子は、婚約者と別れて薪野と一緒になることを決めていました。

口づけをしてお互いに気持ちの高まりは感じますが、そのまま先には進まず。

何というか、この辺のSEXへの考え方というか、距離感というか無理にプラトニックは貫かないけど、しかるべき時が来るまでは時間を置くというか・・・。

原作でもそのあたりは感じましたが、一気に燃え上がって何もかも燃え尽きて破壊するのではなく、燠火のようにずっと熱を持ち続けるような、深く長い時間燃え続ける恋愛感情を感じました。

 

そして、日本でのすれ違い、マネージャー三谷のエゴと過ち。

別れ。

とても、苦しいシーンだし、三谷に対して憎しみを抱いた人も多かったと思います。

ただ、今回映画を観て僕が思ったのは一度この二人には決定的な別れ、距離ができるべきだったのだと思いました。

原作を読んだ時にこのすれ違いのシーンは本当に陳腐で、三谷がウザくて胸が悪くなりました。

 

でも、です。

 

僕が考えるには、この物語の主題は愛は時間と距離と運命を超えられるか、だと思います。

神が2人を試した。

これまで、時間(人生の中で40歳近くで初めて巡り合って、短い時間しか会えなかった)、距離(しかもフランスと日本で遠く離れていた)を超えてきた2人に与えられた試練は重く2人は離れていきます。

 

三谷ぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃ。。。。

 

この後2人は会うこともなく、薪野は三谷と結婚し子どもを授かり、洋子もリチャードと結婚して子供を産みました。

 

 

しかし、洋子とリチャードの結婚生活はほどなく破綻しました。

原因はリチャードの浮気でした。

リチャードに詰め寄る洋子に浴びせられた言葉は過去の薪野との関係をなじる言葉でした。

そうして2人は離婚しました。

洋子はその頃、薪野の復活コンサートのために渡米していた三谷から、2人がすれ違った真実について知らされます。

水をぶっかけるかとも思いましたが自制し、三谷と別れたあとに号泣する洋子。

過去に通わなかった想いがお互いの気持ち以外に阻害したものがあったとしたら?

 

薪野にも同じように三谷からメールが届き、真実を知って動揺する薪野。

水道の水をひねって水を汲もうとしますが、封印していた想いが強すぎて嗚咽しながら涙を流し続けます。

 

それから数ヶ月の時が流れて、薪野はNYでの復活コンサートに出かけます。

三谷は、薪野に対して「あなたの好きにしてください」と言って送り出します。

女子は「あざとい」と言うかもしれませんが、三谷は薪野に判断を委ねます。

 

三谷の行動によって時間と距離に加えて、「運命」の乖離を与えられた2人。

成功に終わったコンサートの最後、マチネの終わりに2人にとって特別な曲「幸福の硬貨」を洋子だけにわかるメッセージを添えて演奏します。

未来は過去を変える、と劇中何度も記されたメッセージを。

 

コンサートの後、2人が自然と惹かれあうように再び出会って、お互いの時間と距離と運命を超えて走り寄るシーンで終わります。

目が合ってから、お互いの姿を認めて、惹かれてもどかしくて求め合う。

こんな複雑で想いに満ちたシーンを表現した2人は素晴らしい役者だと思います。

 

改めて、この作品で伝えたかったことは、想いは時間を、距離を、運命を超えられるか、だと思います。

薪野と洋子は、時間を超えました。

それは、今まで人生の半分と言っていい時間を出会わずに過ごしたある意味での「空白」を。

 

距離を超えました。

日本とフランス。何万キロも超えてお互いを求め合って。

 

運命を超えました。

三谷の行動や、師匠が倒れたことなどによって起きたすれ違いを。

 

それは、真実の愛は全てを超える、ということなのではないでしょうか。

 

マチネの終わりの後にお互いの存在を確かめあった2人はもう2度と離れることはないのだと思います。

 

 

最後に、冒頭のシーンで走ってる洋子が足を止めて、平らな石を見つめて微笑むシーン。

ラスト近くに薪野の復活コンサートを観に行く途中のシーンだと思うのですが、ウキウキ感が全開ですね(笑)

そして、子供の頃にままごとをしていた自身の実家にある平らな石が、祖母を殺してしまったという「過去」を今ここで幸福な思い出(薪野に再び愛する人に会いに行ける)という「未来」で塗り替えることができたという象徴的なシーンだったのではないかと思います。

 

いやー、とてもいい映画でした!!

原作も久々に読み返してみたいと思います♪

劇中に流れる音楽もとても良くて、サントラも欲しくなりました☆

 

 

映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック

映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

hiro0706chang.hatenablog.com

hiro0706chang.hatenablog.com

hiro0706chang.hatenablog.com

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

ブログランキング参加中!!良かったらクリックよろしくお願いします!!

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村