平野 啓一郎『マチネの終わりに』が映画化しました。
原作が好きで前から観たかったのですが、今日ようやく観に行ってきました。
去年、映画化の一報が飛び込んできた時に、福山 雅治と、石田 ゆり子が主演と聞いて心の中で、めっちゃガッツポーズしました!!
イメージ通りじゃァァァァァァァァ!!!!!!!!!
センシティブな感覚と気遣いを併せ持つ薪野と、芯の強さと優しさを併せ持つ洋子はそそれぞれ福山 雅治と石田 ゆり子にぴったりハマると思いました。
予告編は夏頃から流れ始めていて、『天気の子』『人間失格』を観に行った時にも『マチネの終わりに』の予告編が流れていて、短い映像で号泣してしまうという「マチネショック」とも言うべき謎の涙腺崩壊がありました。
いや、最近の映画の予告編はよくできてますね。今日は、岩井俊二監督の『LAST LETTER』の予告編でちょい泣きしました。
この映画も観に行きたいですね(^O^)
映画『「ラストレター」』予告【2020年1月17日(金)公開】
☆映画のあらすじ☆
世界的なクラシックギターの奏者・薪野と、フランスRFP通信のジャーナリスとして活躍する洋子が薪野のコンサートの後のに知り合いメールやスカイプで交流しながらお互いに惹かれあるようになります。
しかし、洋子には婚約者がいました。2度目にフランスで会った時に薪野は洋子に対して想いを告げます。
「もし、洋子さんが世界のどこかで死んだら、僕も死ぬよ」
今度、口説き文句で使ってみよう。
洋子は、薪野への返事をスペインでのコンサートの後に伝えることを約束します。
スペインでのコンサートで途中で演奏できなくなってしまうトラブルに見舞われる薪野。以後、ギターを演奏家として弾くことができなくなってしまいます。
失意の薪野は、洋子のアパートを訪ねて、洋子の同僚のジャリーラを料理とギター演奏で励まし3人で楽しい時間を過ごします。ジャリーラが寝静まった後に、洋子から想いを告げられ、日本で会うことを約束します。
お互いに深く愛し合い、このまま結ばれるように思えましたが、日本でアクシデントと、マネージャーの三谷の行動で二人は決定的にすれ違ってしまいます。
2人はこのまま会うこともなくすれ違っていくのか?
薪野は再び演奏できるようになるのか?
気になる結末は劇場で!!
以上、世界のヒロでしたw
☆映画の感想☆
このあとは、ネタバレもありですよ!!
薪野のギターの場面から始まりますが、そう言えば福山ってミュージシャンだしでギター上手いし、そういう意味でも薪野役にピッタリだなと納得(今更w)
観客もうっとりと薪野の演奏に聞き惚れますが、周囲の熱狂に反して薪野はステージ上で孤独と違和感を感じてました。
演奏終了後に、虚脱と失望に襲われる薪野でしたが、洋子と会って会話をすることで生気を取り戻します。
彼女は、するどい感性で薪野がステージ上で感じていた感覚の一部を感じ取っていました。
感受性豊かで、知性的な女性は魅力的ですね。
アラフォーになると、外見も大事ですが、感性・知性・品性などの人間性もしっかり見ながら恋愛するようになると思います。
演奏会の後の短い会話でもお互いの考え方、知性に徐々に惹かれ合います。
この世代の恋愛って、外見以上にお互いの内面や、人生観などに惹かれるのではないかと思います。
薪野は、洋子の祖母が、陽子自身が子供の頃に楽しく遊んでいたテーブルのような形の石に祖母が頭をぶつけてそれが原因で亡くなってしまったと聞いて、「未来が過去を変える」と洋子の想いを汲むように話します。
ここが、『マチネの終わりに』の良いところだと思うのですが、大人のラブストーリーらしくお互いの思想、人生観、生活歴を尊重し合う繊細な心理描写に溢れています。
この時、洋子が40歳で、薪野が38歳ですがこの年齢設定が絶妙でお互いを尊重しながら想い合えるようなラブストーリーの土台になっていると思います。
40代って、微妙な年齢で完成に近づいていく年齢だけど、心の奥底には誰かと分かり合いたい、気持ちを通じ合わせたいって思っている年代だと思います。
20~30代のような真っ直ぐに進める力強さ(良くも悪くも)もないけど、50代のような落ち着きもなく実は揺れ動いてる年代なのではないかと思います。
洋子の連絡先を聞いて連絡を取り合う薪野でしたが、フランスで起こったテロ(原作ではイラクですが)で一時連絡が途絶えます。
久しぶりにスカイプ?で会話する薪野と洋子。テロでの出来事から怯える洋子を薪野は冗談も言いながら勇気づけます。
そして、パリで陽子と食事をする約束をするのですが、レストランに向かう洋子(石田 ゆり子)の幸せそうな表情と言ったら!!
先にレストラン(カフェ?)の席に着いていて、窓の向こうに笑顔で手を振る洋子を見た時の薪野のドキドキ具合はヤバかったと思います♪
食事シーンも細かい表情の移り変わりや、薪野の想いの伝え方など素敵なシーンが多かったです。
レストランで想いを伝える薪野と、揺れる洋子。
でも、この時にどうするかは洋子の中で決まっていたのだと思います。
スペインでのコンサートの後に、ジャリーラも交えて洋子のアパートで楽しい時間を過ごしお互いの気持ちを確かめて、日本で再び会うことを約束します。洋子は、婚約者と別れて薪野と一緒になることを決めていました。
口づけをしてお互いに気持ちの高まりは感じますが、そのまま先には進まず。
何というか、この辺のSEXへの考え方というか、距離感というか無理にプラトニックは貫かないけど、しかるべき時が来るまでは時間を置くというか・・・。
原作でもそのあたりは感じましたが、一気に燃え上がって何もかも燃え尽きて破壊するのではなく、燠火のようにずっと熱を持ち続けるような、深く長い時間燃え続ける恋愛感情を感じました。
そして、日本でのすれ違い、マネージャー三谷のエゴと過ち。
別れ。
とても、苦しいシーンだし、三谷に対して憎しみを抱いた人も多かったと思います。
ただ、今回映画を観て僕が思ったのは一度この二人には決定的な別れ、距離ができるべきだったのだと思いました。
原作を読んだ時にこのすれ違いのシーンは本当に陳腐で、三谷がウザくて胸が悪くなりました。
でも、です。
僕が考えるには、この物語の主題は愛は時間と距離と運命を超えられるか、だと思います。
神が2人を試した。
これまで、時間(人生の中で40歳近くで初めて巡り合って、短い時間しか会えなかった)、距離(しかもフランスと日本で遠く離れていた)を超えてきた2人に与えられた試練は重く2人は離れていきます。
三谷ぃぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃ。。。。
この後2人は会うこともなく、薪野は三谷と結婚し子どもを授かり、洋子もリチャードと結婚して子供を産みました。
しかし、洋子とリチャードの結婚生活はほどなく破綻しました。
原因はリチャードの浮気でした。
リチャードに詰め寄る洋子に浴びせられた言葉は過去の薪野との関係をなじる言葉でした。
そうして2人は離婚しました。
洋子はその頃、薪野の復活コンサートのために渡米していた三谷から、2人がすれ違った真実について知らされます。
水をぶっかけるかとも思いましたが自制し、三谷と別れたあとに号泣する洋子。
過去に通わなかった想いがお互いの気持ち以外に阻害したものがあったとしたら?
薪野にも同じように三谷からメールが届き、真実を知って動揺する薪野。
水道の水をひねって水を汲もうとしますが、封印していた想いが強すぎて嗚咽しながら涙を流し続けます。
それから数ヶ月の時が流れて、薪野はNYでの復活コンサートに出かけます。
三谷は、薪野に対して「あなたの好きにしてください」と言って送り出します。
女子は「あざとい」と言うかもしれませんが、三谷は薪野に判断を委ねます。
三谷の行動によって時間と距離に加えて、「運命」の乖離を与えられた2人。
成功に終わったコンサートの最後、マチネの終わりに2人にとって特別な曲「幸福の硬貨」を洋子だけにわかるメッセージを添えて演奏します。
未来は過去を変える、と劇中何度も記されたメッセージを。
コンサートの後、2人が自然と惹かれあうように再び出会って、お互いの時間と距離と運命を超えて走り寄るシーンで終わります。
目が合ってから、お互いの姿を認めて、惹かれてもどかしくて求め合う。
こんな複雑で想いに満ちたシーンを表現した2人は素晴らしい役者だと思います。
改めて、この作品で伝えたかったことは、想いは時間を、距離を、運命を超えられるか、だと思います。
薪野と洋子は、時間を超えました。
それは、今まで人生の半分と言っていい時間を出会わずに過ごしたある意味での「空白」を。
距離を超えました。
日本とフランス。何万キロも超えてお互いを求め合って。
運命を超えました。
三谷の行動や、師匠が倒れたことなどによって起きたすれ違いを。
それは、真実の愛は全てを超える、ということなのではないでしょうか。
マチネの終わりの後にお互いの存在を確かめあった2人はもう2度と離れることはないのだと思います。
最後に、冒頭のシーンで走ってる洋子が足を止めて、平らな石を見つめて微笑むシーン。
ラスト近くに薪野の復活コンサートを観に行く途中のシーンだと思うのですが、ウキウキ感が全開ですね(笑)
そして、子供の頃にままごとをしていた自身の実家にある平らな石が、祖母を殺してしまったという「過去」を今ここで幸福な思い出(薪野に再び愛する人に会いに行ける)という「未来」で塗り替えることができたという象徴的なシーンだったのではないかと思います。
いやー、とてもいい映画でした!!
原作も久々に読み返してみたいと思います♪
劇中に流れる音楽もとても良くて、サントラも欲しくなりました☆
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