ヒロの本棚

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芥川 龍之介『歯車』

まず最初に一言、この書評はとてつもなく暗くなります(笑)たぶん。

 

ツィッターの小説10選にこの小説を入れ忘れてしまったので、悔しいからブログで書評を書こうと思ったのですが、書こうとする内容がかなり陰鬱です。

でも、暗いのが何が悪いんだろうと昔から思ってしまうわけで、僕が昔から惹かれる文学も、音楽も、映画も、絵画も深い闇を抱いた作品が多いです。

日常はわりと明るい性格だし、仕事的にも前向きでいることが求められるので精神的にバランスをとりたくなって、暗いトーンの作品に惹かれるのかなと思います。

常に明るくて前向きで?そんなの反吐がでそうになる時もありますし、一人で深い闇の中に耽溺したくなる時もあります。あまり他の人を巻き込んだり、迷惑をかけたりしたくないので、他人が狂気と闇を表現した作品にどっぷり浸かるだけで良いのです。

 

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

 

 

芥川龍之介『歯車』は発狂と死の狭間で描かれた文学史上最も狂った作品のひとつだと思います。

計算づくで狂気を「演出したり」、狂気を「描いたり」している作品とは違って、自分が発狂していく様子を克明に描いていっている小説なのです。

自分の足元から身体がゆっくりと砂のように崩れ落ちていく様を描写していく。

僕は、『歯車』を読むたびにいつもそんなイメージを抱きます。

全編に漂うのは死の予感と発狂への恐怖です。うつ病の典型的な症状で妄想から幻視、幻聴のオンパレードで強迫観念に囚われ神経をすり減らしていきます。

芥川の母親は、統合失調症を患った末に夭折しています。精神病は遺伝的要因も大きいですから、芥川が晩年に統合失調症の恐怖に怯えたのも無理はないことだったかと思います。

 

太宰治「死にたい死にたい」を連呼して「死にたがりの太宰」とか言われてある種のパフォーマンス的な部分もありましたが、芥川が囚われていた絶望は深く「死ぬしかない」だったように思います。

 

芥川が囚われていた死の影は、アメリカのロックバンド「NIRVANA」のカート・コバーンのそれとも共通しているように思います。

カートも、晩年は薬と精神症状に苛まされて「死ぬしかない」状態だったようで、妻のコートニーが語ることには例えばホテルに泊まって「俺は、この部屋にシミが99個あったら自殺する」などと言い出す状態だったと言います。

 

 

『歯車』は特にストーリーなどといったものはなく、どこに行って何をしてても常に発狂の恐怖に怯えながら死を予感する芥川の姿が描かれています。

この文庫本で50ページほどの短編が彼の最後の作品になりました。

 

「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るっていうんですが。」

「昼間でもね。」 

 

もう、冒頭から幽霊の話(笑)

スパゲッティ茹でながら、泥棒かささぎを口笛で吹いてれば良いのに。。

レエンコオトを着た幽霊、レエンコオトはこのあとも度々出てきますが、姉の夫の自死に繋がっています。

芥川も、カート・コバーンが天井のシミと自らの死を結びつけたように身の回りに起こる事柄全てに不吉な死の影を見つけ半狂乱になります。

復讐の神、黄色いタクシー、黒と白、もぐらもち(もぐら)、翼(飛行機)、火事、赤光など、様々な妄想が彼の神経を蝕みます。

右目の瞼の裏に透明の歯車がカタカタと廻る。不安神経症も患っていた芥川は薬の影響もあって幻視・幻聴に苛まされています。

 

が、ベッドをおりようとすると、スリッパアは不思議にも片っぽしかなかった。それはこの12年の間、いつも僕に恐怖だの不安だのを与える現象だった。

 

スリッパが片方見当たらなくて半狂乱。

それから姉の家まで歩く間も。

 

それもまた僕には深いよりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思いだし、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向こうを歩くことにした、

 

もう目に映る全て、起こる出来事の全てが芥川を追い詰めていきます。

そして、最後の場面。

 

「どうした?」

「いえ、どうもしないのです。・・・」

妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。

「どうもしたわけではないのですけれどもね、ただなんだかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。・・・」

 それは、僕の一生の中で最も恐ろしい経験だった。ー僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こういう気もちの中に生きているのはなんとも言われない苦痛である。だれか僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

 

こののち、芥川は服毒自殺を図ってこの世を去りました。

小説家として、表現者として持っていたすば抜けて鋭い感性が彼の神経を蝕み、死を選ばせたのかもしれません。