☆中村俊輔が引退。ってか、44歳までよく頑張ったよな~。これまでのキャリアをザックリ振り返る☆
サッカー選手の中村俊輔が今シーズン限りで引退するというニュースが2日前に流れました。
若いサッカーファンの皆様は、えっ誰?って思われたかもしれませんが、若かりし頃は一時代を築いた偉大なサッカー選手であり、FKの名手でした。
横浜生まれの左利きのファンタジスタ中村俊輔は、1997年にデビューして25年のプロ生活を送りました。
横浜F・マリノスでデビューし、3年目のシーズンで10番を背負いベストイレブンを受賞、翌年にはJリーグMVPを受賞。
代表でもシドニーオリンピックに出場し、フル代表でも2000年のアジアカップでベストイレブンに選ばれました。
2002年の日韓ワールドカップではコンディション不良と、トルシエ監督の戦術の問題があり落選。
ワールドカップのメンバー選考にはドラマがありますが、この時は中村俊輔の落選が大きくクローズアップされました。
3-5-2のサイドでの起用は彼の能力を十分に生かすことはできませんでした。
初年度から7得点をあげてチームの残留に貢献し、3年プレイしたのちにスコットランドのセルティックに移籍しました。
セルティックでは中村俊輔のキャリアのハイライトとも言うべきCLでのマンU戦でのFKのゴールがあります。
当時プレミアで無敵を誇ったサー・アレックス・ファーガソン率いるマンU相手にグループリーグのホームとアウェイで1ゴールずつ決めるという偉業を成し遂げています。
これは、中田英寿のローマ時代のユーベ戦のミドルと並ぶぐらいの伝説的なゴールです。
ってか、映画にもなってたって知らんかったっす。
観たい!!
セルティックでは2006-2007シーズンにはリーグMVPに輝くなどキャリアの頂点を極めましたが、一方代表では10番を背負いながらも2006年のドイツワールドカップではグループリーグ敗退の憂き目にあいました。
2009年には自身の夢だったスペインリーグ「ラ・リーガ(当時はリーガ・エスパニョーラ)」のエスパニョールに移籍するもチームにフィットせず、半年で退団しました。
調子が上がらない中村俊輔は2010年のW杯でも主力として活躍することはできずに1試合で途中出場するにとどまりました。
2010年に横浜F・マリノスに復帰し、2013年には自身2度目のJリーグMVPを獲得。
活躍をみせますが、その後はジュビロ磐田、横浜FCに移籍し44歳での引退となりました。
☆僕と中村俊輔☆
この試合で桐光学園は敗れ、得点王の北嶋にスポットが当たりますが、中村俊輔のプレイは異次元とも言うべきレベルでこの試合を観ていた僕は一発で彼のファンになりました。
僕も神奈川に大学進学で行っていたので、彼のマリノスでの活躍に胸を躍らせ、マリノスの試合も何度か観に行きました!!
圧倒的なテクニックとパスセンス。
そして、正確無比なセットプレイの精度。
フィジカルはガリひょろでしたが、段々逞しくなっていき3シーズン目にはマリノスで10番を背負い、次のシーズンにリーグMVPを獲得。
ここまでは順風満帆でしたが、2002年にW杯メンバーを落選した時のショックは大きかったですね。
その後も浮き沈みが大きいキャリア。
プレイスタイルも独特で、今ではあまりお目にかかれない古典的なファンタジスタタイプで、その分一瞬のキラメキはどこまでも眩しかったです。
サッカー選手ではちょっといないような陰キャっぽさも魅力でしたね(๑≧౪≦)
何にせよ44歳になるまで頑張って現役を続けたのは本当に素晴らしいと思いますし、本当にサッカーを愛した選手だったのだなと思います。
シュンスケ本当にお疲れ様!!