ヒロの本棚

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【本】遠野遥『破局』~感情と欲望の希薄さと、カタストロフィに繋がる無自覚の不遜さ~

1、作品の概要

 

破局』は、2020年に刊行された遠野遥2作目の中編小説。

『文藝』2020年夏季号に掲載された。

第163回芥川賞を受賞。

 

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2、あらすじ

 

恵まれた肉体と頭脳を持ち、一流の大学で何不自由なく恋人との日々を送る陽介。

彼は恋人の麻衣子と別れて、友人・膝のお笑いライブに来ていた灯と付き合い始めるが、ほとんど感情のゆらぎを感じることなく日々を生きていた。

平穏でどこか完結していた彼の完璧な日常はある日突然変容する。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ

 

遠野遥の作品は、『改良』『教育』と読んで、何かとても複雑な読後感と鮮烈な印象を持っていました。

破局』は芥川賞を受賞した作品でもあり、以前から読んでみたいと思っていて、買おうかどうか悩んでいたのですが、図書館で貸出ししていたのでぬるっとゲット。

決して心躍る物語ではありませんが、脳内にちらついて引っかかり続けるような得体の知れない作品でした。

 

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4、感想・書評(ネタバレあり)

 ①欠落と感情の平坦さと

有名私立大に通って、明晰な頭脳と強靭な肉体を持ち、女性にもモテる陽介。

一言で言うとリア充ってやつですね。

いや、べっ別に羨ましくなんかないですよ。

 

しかしそんな彼の内面にはどこか欠けているところがあるように見えます。

一人称で語られている小説と言えば、主人公の感情や心理描写がふんだんに描かれるはずなのですが、『破局』では一切そういった箇所がなく、陽介の感情の平坦さが不気味なほど淡々とした文章で語られていきます。

戻ってきた彼女は、少し顔色が良くなったように見え、安心した。安心したというこはつまり、私は彼女の具合がよくなればいいと願っていたのだ。

私は私の声が弾んでいることを不思議に思い、少し考えてから肉を食っているためだとわかった。肉はやはり旨く、口に入れておくと気分がいい。ガムのような気軽さで肉をいつも噛んでいられたら、毎日がもっといいものになるだろう。

 

本来は「僕は戻ってきた彼女の顔色が良くなったのを見て、安心した」「僕は肉を食べるのは好きだし、毎日食べられたらご機嫌に違いない」とか何の害もない文章になるはずなのですが、この引用の文章の気持ち悪さと言ったら・・・。

一人称が「私」であることも相まって、乖離したもう1人の自分が中空から見ているような、その微細な心の動きを冷徹な目で観察しているようなそんな印象があります。

『シン・ウルトラマン』でハヤタ隊員の肉体に憑依したウルトラマンが人間の感情を観察している様子にも通ずる気がしました。

 

②欲望の希薄さ、カミュ『異邦人』との相関性

陽介はほとんど感情の揺れを感じることがない人間で、時おり遠くの水面に投げ込まれた小さな石ころが立てるさざ波のような、ほんのわずかな自らの心の動きを何か珍しいもののように取り扱っています。

そこには何か欠落したもの、空虚さを感じされるものがあり、生い立ちや彼自身の考え方はほとんど語られていませんが、彼をそうさせている何かがあるように思います。

陽介という人間を通して極端には描いていますが、現代を生きる若年世代の感情の希薄さや生きる実感の乏しさも表現しているのでしょうか?

 

感情が乏しいということは、欲望も希薄であるということで、相手の気持ちを慮って行動する彼はとても優しく人間的に優れているようにも思えますが、21~22歳の若者とは思えない淡白さです。

他者のことを考える余裕がないほどのエゴイズムや欲望。

10代後半~20代前半にかけてはそういった感情の暴走があるのが自然のことであると思うし、その失敗の中で徐々に自らをコントロール術を身につけるのが昭和世代のスタンダードであったように思います。

しかし陽介は不気味なくらいに素直で従順で、他者の願望や欲望を優先し自分の心の動きを抑え込んで生きているように僕には見えました。

そういった歪さが心の奥底に檻の溜まっていき、ラストのカタストロフィに繋がっていったという考えは飛躍させすぎでしょうか?

特に面白かったわけではないけど、私は少し笑った。こちらが笑うのを期待しているような話しぶりだったから、笑うのが礼儀だと思った。彼女も笑顔を見せてくれたから、笑ってみてよかった。

最後にセックスをしたのは、一ヶ月以上前だったか。付き合っているのだから、私は麻衣子ともっとセックスをしたい。本当なら毎日したいけれど、勉強もしたいから、二日に一度くらいが適当だろうか。しかし麻衣子がしたくないなら、無理にセックスをすることはできない、無理にしようとすれば、それは強姦で、私は犯罪者として法の裁きを受けるだろう。それに、私は麻衣子の彼氏だ。麻衣子の嫌がることはできない。麻衣子が目標に向かって頑張っているなら、それを応援するのが私の役目だろう。

 

あまり熱心なカミュの読者ではないのですが、どことなく陽介の人間性の欠如が『異邦人』のムルソーに重なりました。

母親の死後、同日に女性と砂浜でキャッキャして、殺人を犯しながら法廷で「太陽のせい」とのたまう・・・。

感情の希薄さ、行動の不条理さがどことなく『破局』の主題に繋がるような気がします。

 

③神への冒涜とカタストロフィ

私は突然、他人のために祈りたくなった。こんな気持ちは、今までに経験がない。この機会を逃したら、もう二度とこんなふうに思わないかもしれない。

急いでもう一度ベッドに戻った。仰向けになり、胸の上で両手の指をしっかりと組み合わせ、交通事故で死ぬ人間がいなくなればいいと思った。誰も認知症で子供の顔や名前を忘れたりしなくなればいいと思った。何かの夢に向けて努力している人間がいるなら、その夢が今日にでもまとめて叶えばいい。しかし祈ったあとで気づいたが、私は神を信じていない。私の願いなど、誰も聞いてはくれないだろう。

この文章を読んで僕は強い生理的嫌悪を感じましたし、神や祈りへの冒涜だと思いました。

彼は嘘を言っているのではないのですし、そういうふうに祈りたいという気持ちになったのでしょうが、そこには願いや彼自身の心の揺れは微塵もなく、ただそうしたほうが良いのだろうから試しにそうしてみたといった類の行動であったように感じます。

そういったある種の無自覚の不遜さ、不誠実さがラストのカタストロフィにつながっていたように思えてならないのです。

 

ラストで灯とのやり取りが見知らぬ屈強な男性とのトラブルに繋がり、重傷を負わせてしまい(あるいは殺してしまった?)警察に取り押さえられる場面。

そんな時でも陽介はフラットで全く緊迫感のない普段通りの思考で自分の状況を俯瞰で見ています。

タイトル通り今まさに事が破れている局面で、彼自身の人生が破局してしまった瞬間であるかにも関わらず。

有名私立大も、公務員試験も、内定も全てが消え去ってしまったかもしれないのに。

 私がかわしたほうの警官がやってきて、一緒になって私の体を押さえた。警官たちは私ばかりを見て、空を見ない。私は彼らにもこの空を見て欲しかった。私の願望というよりは、そのほうが彼らにとっていいと思ったからだ。空を指さそうと右腕を持ち上げたが、警官たちはそれを許さなかった。私の腕は地面に押さえつけられた。

 

 

 

5、終わり

 

今日、図書館で借りてきて一気読みしましたが、「なんじゃこりゃー」な作品でした。

気持ち悪い感じがずっと続きながら目が離せずに読了して、読後も何かモヤモヤしながらも心に刺さったトゲが抜けずにずっととらわれ続けるような。

そんな魔力を感じるような物語でした。

 

遠野遥という作家の作品を読むことは僕にとって全く楽しいことではないのですが、読後も彼の物語の世界に魂の一部が囚われ続けて帰ってこなかったりします。

遠野遥の作品を読むことは異界に潜るような感覚で、心地よいものではないのですが、今後も彼の作品を素通りすることは到底できないと思います。

宇佐美りんと同期デビューの「新世代の旗手」とも言うべきR世代の作家。

新しい形の彼の文学を今後も追い続けたいです。

 

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