1、作品の概要
遠野遥3作目の作品にして、初の長編小説。
第43回野間文芸新人賞候補になった。
2021年『文藝』秋号に掲載。
2022年1月に刊行された。
少しだけ先の未来の閉鎖的な学園での生活を描いた。
2、あらすじ
佐藤勇人は、全寮制の学校で超能力を開花させる為に校則を忠実に守りながら、テストでいい成績を取って少しでも上のクラスへと進めるように日夜研鑽を積んでいた。
1日に3度のオーガズムを迎えること、栄養のバランスの良い食事を摂り、適度に体を鍛えることなど、彼は忠実に学校の指導に従っていた。
クラスメイトの真夏とは仲が良く時おりセックスをする有人関係だったが、彼女から演劇部の樋口部長から告白されたことを告げられて2人は付き合い始めてしまう。
寂しさを感じながらも誰とも付き合う気もない佐藤は、同じ翻訳部の海、催眠部の未来と距離を縮めながらも心を動かされることはなかった。
翻訳部の部長・高木から学校の閉鎖を聞かされた佐藤は動揺し、彼の周りの世界は少しずつ変容をきたしていく・・・。
3、この作品に対する思い入れ、読んだキッカケ
以前からツィッターで高評価を目にしていた遠野遥。
デビュー作『改良』で文藝賞を受賞し、続く第2作『破局』で芥川賞も受賞し名前はよく見かけていました。
僕の好きな作家・平野啓一郎も彼の作品について好ましい評価をしていたこともあり、一度は読んでみたいと気になっていたのです。
今回の『教育』の刊行で初めて彼の作品を読みましたが、何というか異質な感触・・・。
今後、他の作品も読んでみたいですね!!
4、感想・書評
①悪意でも狂気でも毒ではない、限りなく透明に近い有害物質
帯のハレンチ×超能力×ディストピアって(笑)
破廉恥大好きなヒロ中年は『教育』を書店で見かけた時に心が躍りました。
遠野遥は、初読の作家でしたしちょっと面食らいながらも気づくとページを繰る手が止まらなくなりあっという間に読み終わってしまいました。
でも、何だろうこの感覚は?
何かとてつもない何かを通り抜けてしまったのに、何一つ明確に表現できないみたいな。
「なにかすげー長い夢をみてた気がする」とか言って、泣きながら目覚めるエレン・イエーガー(進撃の巨人)みたいな。
みたいな。
へっぽこ読書家のヒロ氏にはよくありますが、読後感の途方に暮れる感じ。
村田沙耶香、今村夏子の読後感にも相通ずるものがありますが、突然夕暮れの原っぱに1人で放り出されたような感覚。
現実なのに夕闇の中から現実を破壊しようとする得体の知れない「何か」が滲み出してこようとするような感覚。
明確に狂気とか、闇とか、名前がつけられればどれだけ心が安らぐでしょう。
でも、その「何か」はそうやって名前をつけてカテゴライズすることすら否定し、意識の死角とも言うべき微妙な場所から毒蛇のように鎌首をもたげて舌を出しています。
言葉にならない。
はじめての遠野遥作品『教育』を読んだあとの印象はそのようなものでした。
悪が悪であると高らかに宣言して(何なら地球征服とか、宇宙爆発とか何とか)、狂気が狂気であると明確に定義されていて、毒が毒であり触れた人間を骨まで溶かそうとしていて。
そんなふうだったらどんなに良かっただろうか。
遠野遥が『教育』でこの物語の中で混ぜ込んでいたのは、悪や狂気や毒に近い何か。
でも、無味無臭で僕たちが日常的に取り込んでしまっているモノだったのだと僕には感じられました。
この作品を読みながら感じていた違和感。
そんなモノを無自覚に摂取させられ続けている。
気持ち悪さはそういう明確に知覚できない何か=有害なのだけれど無味無臭でその有害さを知覚することができないモノ。
もしかしたら、文学的な悪意と言っていいモノが混ぜ込まれていたからなのかなと思いました。
②愛なき世界
ポルノビデオ、翻訳された小説、未来がかける催眠、真夏が書いた演劇。
ってなぐらいの幻想的怪奇的白昼夢的なサイドストーリーがたくさん出てくるのも今作の特徴でしょう。
しかも、わりと尺が長くて繰り返し出てくるんで読んでいる時はちょっと理解に苦しみましたが、その不協和音に満ちた世界観を読んでいるうちにある共通点に思い至りました。
「愛がない」
そうなんです。
西加奈子の『i』じゃないけどこの世界に「i」はありませんとか言い出しちゃうくらいに愛が皆無でした。
あっ、ってかこの物語自体に「愛」がないですよね。
僕が考える『教育』の物語の本質は「愛」の不在だと思います。
そして、この物語の主人公は世界を変えないように生きている体制側の人間でした。
繰り返し、挿入される物語たち全てに愛がなくて。
あるのは支配と打算でした。
愛がないというか、もはやここまで来たら「愛の排除」とも言うべき徹底ぶりでした。
だいぶ気持ち悪い小さな物語達の中からは、サンマの塩焼きから小骨を取り除くA型男子のように丹念に「愛」が取り除かれていました。
*ちなみにヒロ氏は小骨とかバリバリ食べるO型男子
ポルノビデオのセックスシーンは支配的で愛があるセックスではなくて、翻訳された小説の結婚は打算に満ちたもので、未来がかける催眠は関係性が先に来ていて愛の意味を考えさせられるようなもので、真夏が作った演劇の内容は冷めた家庭の(コーギーへの愛情が覚めていく)物語でした。
そして、もちろん本筋の勇人と真夏の物語も「愛なき世界」が描かれていて。
ラストシーンの対立の根幹は、愛の存在の有無に関するものであったのだと思います。
学校で奨励されているセックスは日に三度オーガズムを迎えると能力が向上するという根拠があるのか無いのかよくわからないものの結果でした。
そこに愛は存在せず、生徒たちは成績を上げるためにセックスをし続ける。
愛は必要なかったのです。
③体制と非体制
学校には歪んだ秩序が敷かれていて、外界では決して通じないような常識がまかり通っています。
介護施設で虐待が起こる原因や、独裁国家で目を覆うような虐殺が起こる原因。
それは外界との隔絶と支配にあると思います。
その支配の厄介さは、時に支配する側もされる側もそれが支配と感じないことではないでしょうか。
外界から隔絶された介護施設ではよく「施設内常識」などという言葉が使われ、その閉鎖された空間でしか通用しない歪んだ常識の話が言及されます。
勇人が通う学校でもそのような歪んだ規律が存在し、学生たちはそのような外界とは異なるおかしなルールが存在するともわからずその世界の歪みを受け入れて生きています。
勇人はむしろ体制側の人間で、後半では学校存続のために署名を集めるなど体制の維持のために尽力しようとします。
真夏と勇人の分断は体制側か非体制側か、愛があるかないかによって引き起こされたのだと思います。
ラストで真夏の憎しみを勇人は理解することができませんでした。
真夏が憎んだのは何だったのでしょうか?
それは、勇人ではなはくて勇人を愛から遠ざけた学校の支配。
ひいてはそのシステムそのものだったのではないでしょうか。
学校からなされた教育はじわじわと勇人を変質させてしまっていて、彼の心の中に仄かに灯っていたはずの愛の光さえ吹き消してしまいました。
真夏は勇人を愛していた。
そして、無自覚かもしれないけどいつかはその愛が成就されると信じていた。
けれどその想いは最も残酷な形で絶たれてしまいます。
彼女の憎しみは二人を分かってしまった全てに対して向けられていたのでしょう。
勇人を憎悪したのではなくて、彼をそう変貌させてしまった何か、その全てを憎んだのでしょう。
We hope that you choke.(お前らなんて窒息してしまえばいい)
映画『ロミオ&ジュリエット』でジュリエットが自死する前の表情にインスパイアされたRADIOHEADのトム・ヨークが映画のエンディングの楽曲『EXIT MUSIC』の作詞をする時にとらわれたのはそのような感情だったのではないでしょうか。
2人を引き裂いた全てが憎い。
5、終わりに
ある意味では、真夏のほうが主人公的で体制の歪みに気づいて自分の頭で考え始めるのですが、体制側にとってそのような人間は厄介で排除する対象になってしまいます。
太平洋戦争中の日本や、ファシズムが吹き荒れたかの国や、将軍様が活躍されているあの国の現状もそういったものかもしれません。
遠野遥は、そういった支配の歪さや巧妙さ、そしてそういった社会の愛の希薄さについて説いた、の、かもしれません(笑)
1日で読了して、他の方の書評を読まずに書いたので(まぁいつも他人の書評は読んでませんが)大外れかもしれませんが、まぁ僕の個人的な感想ということでご容赦下さいませ。
今後も遠野遥の作品が楽しみです。
とりあえず既刊を読みふけろうと思います♪