1、作品の概要
2017年6月に刊行された今村夏子初の長編小説で、3冊目の作品。
本屋大賞にもノミネートされた。
2020年に芦田愛菜主演で映画化。
新興宗教にのめり込んでいく両親と家族の人間模様を描いた。
2、あらすじ
幼い頃に病弱だった「ちひろ」の病気を治す為に両親はあやしげな宗教にのめり込んでいった。
姉のまーちゃんは、そんな両親に反発して家出を繰り返し、遂に消息を絶ってしまう。
ちひろは、小学生になると病気もなくなり、健やかに成長していく。
奇妙な家庭環境のため周りからの奇異の目にさらされながらも、屈折せずに中学生になったちひろだったが・・・。
恋愛と失恋の経験から両親との関係に変化が生じる。
3、この作品に対する思い入れ
僕が読んだ3冊目の今村夏子の作品になります。
初めて読んだのは『むらさきのスカートの女』で、次に『あひる』を読んで、前から気になっていた『星の子』を読みました。
例えば村田沙耶香ほどの強烈さはないのですが、現実世界に楔を打ち込んでそこから世界が少しずつひび割れて変容していくような不確かな不穏さを持った作家だと思います。
会話が多くて、とても読みやすい作品なのですが、非常に引っかかる作品というか強く印象に残りました。
4、感想・書評
①ちひろと家族
両親とも、善良で真面目な人で、宗教さえやらなかったら普通のいい家庭だったんだろうなと思います。
でも、普通のいい家庭って何よ?ってな問いかけもあるかと思いますし、そのへんもこの小説のテーマなのかなと思います。
病弱なちひろの体を治す為に、両親とも愚直なまでに『金星のめぐみ』の効能を盲信してあやしい宗教にハマっていきます。
それまで自分に一心に注がれていた愛情が、産まれてきた弟や妹に注がれて、周りの関心がそちらに移ってしまう・・・。
そのことが原因で上の子が赤ちゃん返りして両親の興味をひこうとしたりすることがよくありますが、林家の場合ちひろが病弱で両親がかかりきりになってしまい、あげくの果てに宗教にハマってしまったのですから、姉のまーちゃんが感じた寂しさはいかなるものだったのでしょうか?
ちひろと両親の関係だけだったらある種平穏にすんでいたのでしょうが、まーちゃんはその歪みと変化に耐え切れず結局高校を中退して、行方をくらましてしまいます。
物心ついてから両親の関心が妹に注がれて、尚且つおかしな宗教に両親がハマってしまい、まーちゃんが家を出て行った時点で家族は壊れてしまっていると言っていいでしょう。
ちひろはちょっと不自然なぐらいしなやかに宗教にハマっておかしくなる両親と、どんどん劣悪になっていく家庭環境、宗教活動を受け入れています。
中学生になって南先生とのいざこざがあるまでは。
②ちひろの恋と宗教
ターミネーター2でエドワード・ファーロングに恋してから、ちひろは次々と男の子に片思いをします。
そして、清々しいまでの「めんくい」でカッコイイ男性に夢中になり、中学生の時に恋をしたのが南先生でした。
南先生との失恋は、ただ振られるだけじゃなくてとても辛辣な体験で、自分の両親の宗教的な振る舞いが周囲にとってどれだけ奇異なものなのかを思い知らされるものだったのだと思います。
ここで周囲の視線や振る舞いに無頓着にも見えて、特異な環境にもしなやかに適応していたかのように見えたちひろの心の揺らぎが描かれます。
「あんたも?」となべちゃんにきかれた。「信じてるの?」
「わらかない」
とわたしはこたえた。
「わからないけど、お父さんもお母さんも全然風邪ひかないの。わたしもたまにやってみるんだけど、まだわからないんだ」
「ほんどだったらすごいと思うけど」
となべちゃんはいった。
わたしはうなずいた。「そうだね。ほんとだったらほんとにすごいんだけど」
物語も後半になって初めて、ちひろが宗教に対してどうかんじているかについて触れられています。
何かとても曖昧なスタンスで、ある意味醒め切っているようにも見えてきます。
③平易な文章と不穏な物語
今村夏子の作品は、会話中心でひらがなも多く読みやすく平易な文章だと思います。
ただ、描かれている物語はあまり平易なものではなくて、彼女の文章を読んでいると僕は何か重要なものを見落としているような、どこか見当違いな場所に置き去りにされているような、とても頼りなく不穏な気持ちになります。
アメリカの伝説的なロックバンドのカリスマ「カート・コヴァーン」が「平易でキャッチーで耳障りがいいメロディに、悪意がこもったダークな歌詞を乗せて聴いている人間を陥れる」的なニュアンスのことを言っていましたが、今村夏子も文章でそれに近いことをやっている気がします。
『むらさきのスカートの女』や『あひる』もそうでしたが、『星の子』も読み進めているうちにザワザワとした落ち着かない気持ちになりました。
とても読みやすく、キャッチーな物語に騙されて何かを見過ごしているような・・・。
とても重要な間違いをしているような感覚。
文章を読んでいて、こんな二律背反する気持ちを同時に感じたことは初めてだし、今村夏子の描く物語が持つ独特の魅力だと思います。
④ちひろの自我の萌芽の予感
最後にちひろと両親は宗教の研修旅行に参加します。
楽しげに振る舞いながらも、どこかこの後宗教とも、両親とも距離を置くんじゃないかって思えるような描写が続きます。
バスが両親と違うバスになったり、合宿所に着いてなかなか両親に会うことができずにすれ違いになったり、流れ星を一緒に見る場面でもすれ違いは続きます。
あとがきでもありましたが、この場面はザワザワ感がマックスで、ラストシーンで何か良くないことが起こるのでは、もしくはちひろが両親と決別するのではという予感がふつふつと起こりますが、物語は両親とちひろが仲良く星を見て終わります。
めでたしめでたし。
両親と仲良しで良かったね!!
・・・。
えっ、こんだけザワザワさせておいて?
このラスト?
でも、一連の描写はちひろの自我の萌芽を予感させるものだと思いますし、ちょっとずつその予感のような微かなしるしが描かれているように思います。
僕の思い違いかな?
今村夏子はその当たりの感情の動きをあまりハッキリと描かず、行間に託しているように感じます。
美しいラストですが、ちひろの姉のまーちゃんは失踪していて家族は崩壊しています。
でも、そこには全く触れずに振舞っている3人の姿にも何か違和感を感じます。
このすっきりしない読後感と、行間から滲み出てくるような不穏さ。
物語に漂う、この独特な雰囲気が今村夏子の小説の唯一無二の魅力なのだと思います。
5、終わりに
すっきりしねぇぇぇぇーーーーーー。
ってのが、偽らざる僕の感想で、このすっきりしなさ加減を求めてまた今村夏子の作品を読んでしまうのだと思います。
僕の考えすぎなのでしょうか?
何だか書評を書き終えても、何か致命的な見落としをしているような・・・。
何か落ち着かない気持ちにさせられます。
こんなタイプの読後感は初めてですね。
本を読む人って減っていってるように聞きますが、独自の世界観を持った素晴らしい作家は増えていっているように思います。
また好きな作家が1人増えて読むのが追いつかないし、ブログの書評も追いつかないなぁ。。
1週間ぐらい、無人島にこもりたいですねぇ(>_<)