ヒロの本棚

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【本】今村夏子『あひる』

1、作品の概要

 

表題の『あひる』『おばあちゃんの家』『森の兄妹』の3編からなる短編集。

『あひる』は2016年に文学ムック『あべるのがおそい』に収録。第155回芥川賞の候補に上がる。

書き下ろしの『おばあちゃんの家』『森の兄妹』を加えて2016年11月に単行本が刊行されて第5回河合隼雄物語賞を受賞。

 

平凡な日常に潜む不穏さを描いた作品(たぶんw)

 

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2、あらすじ

 

『あひる』

主人公の『私』は父母と3人暮らしで静かな日常を送っていたが、諸事情で譲り受けたあひるの『のりたま』が来てから生活が一変する。

地元の子供たちが『私』の家に遊びに来るようになり、両親も喜んで歓待するすようになる。

しかし、『のりたま』は次第に元気がなくなり、父に病院に連れて行かれる。

しばらくして戻ってきた『のりたま』は元気になったが、以前と様子が違っていて・・・。

 

『おばあちゃんの家』

みのりの家のとなりの『インキョ』に住んでいるおばあちゃん。

ひいおばあちゃんの奥さんで誰とも血が繋がっていない。

みのりはおばあちゃん の家で過ごすのが好きだった。

おばあちゃんは、独り言を言ったり、少しずつ以前と様子が変わってきていた。

 

森の兄妹

母子家庭のモリオは、妹のモリコと貧しいながらも我慢したり、工夫したりしながら暮らしていた。

ある日、琵琶がなっている家を見つけ盗んで食べているところをおばあちゃんに見つかってしまう。

おばあちゃんは優しく、飴玉をたくさんくれる。

モリオは喜び、その後もおばあちゃんの家に遊びに行くが・・・。

 

 

 

3、この作品に対する思い入れ

 

『あひる』は、僕が読んだ今村夏子の2冊目の本です。

『星の子』も話題になっているので読んでみたいのですが、図書館にこの本がたまたまあったので借りてみました。

 

芥川賞を受賞した『むらさきのスカートの女』でも感じましたが、平凡な日常を描いていたはずの作品がいつのまにか不穏さを湛えていく。

滲み出てくるような狂気と不穏。

そんな片鱗のようなものを3つの短編から感じました。

 

読後は、???ってなりましたが(笑)

今村夏子の作品は、綺麗でシンプルな和音がなっている和音の曲に少しずつ不協和音がなっていくようなイメージがあります。

和音が綺麗であればあるほど、日常が平穏であればあるほど、不協和音や不穏さが引き立つのかもしれません。 

あひる (角川文庫)

あひる (角川文庫)

  • 作者:今村 夏子
  • 発売日: 2019/01/24
  • メディア: 文庫
 

 

 

4、感想・書評

 

『あひる』

『むらさきのスカートの女』でも感じましたが、主人公の『私』のバックボーンや感情があまり語られずに淡々と語られているところに独特の違和感を感じます。

もちろん良い意味ですが、語り手の私がちょっと得体が知れない存在というところに不穏さを感じます。

 

無職の実家暮らしで、医療系の資格の勉強をしていて30歳前後で未婚でしょうか?

あひるが来て、子供たちが押し寄せてと様々な変化にもどこか第3者のように淡々と語っている感じがちょっとズレた感じがします。

これは僕だけかもしれませんが(^-^;

正体不明な感じがすごくします。

 

両親は、そんな娘との3人の暮らしに物足りなさを感じていたのでしょうか?

結婚して弟も子供ができずにあまり寄り付かない。

あひるを飼うようになり、子供達が集まってくるようになると両親は生き生きとするようになり、おそらく病死した『のりたま』の代わりに別のあひるをこっそり連れて来て、そのあひるが死ぬとまた別のあひるを連れてきます。

 

そこまでして子供達の関心を引きたかった両親の心の空白と、執着に少しゾッとしました。

そして、あひるがいなくても子供が集まってくるとわかると過剰に子供たちを歓待するようになります。

名前も覚えていない子供達のために誕生会を開いたり、段々と常軌を逸していくようになっていきます。

 

ラスト付近のこの場面にゾクリとしました。

大人の事情に子供の真っ直ぐな視線が突き刺さります。

「この中にのりたまがいるの?」

と言って、女の子は石の置いている場所を指差した。

「そうよこの中で眠っているよ」

「三びきとも?」

と女の子が聞いた。

母は返事に詰まった。

「1ぴきめも、2ひきめもこの中にいるの」

「なぁに?」

「しんだの3びき目でしょ」

「お祈りしなくちゃね」

 

ねえねえ、のんちゃんね、1ぴき目が一番好きだったよ。ここにいないの?

ねえどこにいるの。ねえねえねえ。

 

 

なんか、テレビ番組なんかで持ち上げられている動物なんかもこんな仕打ちを受けているのかなぁと感じました。

可愛がられて持ち上げられているうちは大事にされる。

でも、死んでも「スペア」がいて・・・。

存在が必要なくなれば、他の存在に取って代わられればあっと間に忘れ去られていく。

『のりたま』は最後には小屋まで壊されました。

両親に取って可愛い「孫」に取って代わられたのでしょう。

 

ある種の執着と冷酷さと、それらを生み出すゾッとするような両親の寂しさを感じました。

そして、そんな2人の精神的逸脱を淡々と受け入れていく娘である『私』。

歪んだ環境に依存し続ける家族の不穏さに背筋が冷たくなった作品でした。

 

こういう感じ方をしてしまう僕がどこかおかしいのかなとも思いましたが(^-^;

 

『おばあちゃんの家』

隣のインキョに住んでいるおばあちゃん。

ん、血が繋がっていない?

ん、ひいおじいさんの妻って、お歳はいくつなのかな?

と、謎めいた関係性のおばあちゃんですが、みのりはおばあちゃんの家で多くの時間を過ごします。

 

平凡な日常とおばあちゃんとの心温まるエピソードですが、次第に認知症(?)が進行しているのではないかと疑われ、独り言や、徘徊などの行動が増えていきます。

みのりが竹林で迷子になった時になぜかみのりの家におばあちゃんがいて、電話を取ります。

最後の場面で、勝手におばあちゃんがみのりの家に出入りするようになり、隠し扉(?)からも出入りするようになります。

んー、正直よくわからない不思議な作品だなと思いました。

 

森の兄妹

 モリオとモリコの兄妹と、『おばあちゃんの家』のおばあちゃんとの交流を描いた短編。

おばあちゃんが、独り言を言っていたのはモリオと喋っていたからなのかな?

にしても、知らないおばあちゃんが「ぼくちゃんにみぃんなあげる」と言ってたらちょっとしたホラーですね(笑)

 

『おばあちゃんの家』のみのりが見たくじゃくと、モリオが見たくじゃくは同じ鳥で実はキジだということがわかります。

子供の頃のちょっと不思議で印象的なエピソード。

貧しさから、満たされない想いを抱いていたモリオでしたが、母親が漫画を与えたことによって気持ちが満たされたのでしょう。

 

 

 

5、終わりに

 

『あひる』を読んで、5~6歳の頃にアヒルを飼っていたことを思い出しました。

親戚の家からもらってきて可愛がっていたのですが、大きくなりすぎて結局近所の川に逃がすことになってしまい大泣きしたことを覚えています。

ってか、飼えないなら最初から飼うなよ親!!って感じですが。。

 

多分、何十年後かに『アヒルを棄てる』とかいうエッセイを書いちゃうのかもしれませんね(笑)

あのアヒルは2度と戻ってこなかったけれど。

 

田舎だったので、他にも川に何匹かアヒルがいて、ちょくちょく見かけましたが自分が飼っていたアヒルがどのアヒルだったのかわからなくなってしまいました。

両親とも動物嫌いでしたが、何故かインコとか、ちゃぼも飼ったり鳥には縁がありましたね。

 

 そんな平凡な日常の中にどこか不可解な不穏な出来事がそっと挿入されている。

今村夏子はそのような作家のように思えます。

書評を書いていて、言葉にするのに悩む微妙なズレ、不協和音。

また、別の作品も読んでみたいです。

 

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