ヒロの本棚

本、映画、音楽、写真などについて書きます!!

【ドラマ】『地震のあとで』~神の子どもたちはみな踊る~

1、作品の概要

 

ドラマ『地震のあとで』は2025年4月に放送されたドラマ。

全4回。

毎週土曜日22:00~22:45にNHKで放送された。

村上春樹神の子どもたちはみな踊る』が原作。

第3話は『神の子どもたちはみな踊る』で、同名の短編小説が原作。

映画『ドライブ・マイ・カー』の大江崇允が脚本を担当している。

渡辺大知、渋川清彦、井川遥、黒川想矢らが出演している。



 

2、あらすじ

 

父親がおらずとある宗教にのめり込んでいた母親(井川遥)から神である「お方」が自分の父親であると言われていた善也(渡辺大知)。

善也が成長してから、彼の出生時の右の耳たぶが欠けている産婦人科医とのエピソードを語られる。

善也が棄教を決意したことで母親と揉め、懇意にしていた同じ宗教信者の田端さんからは説得されたが、神に対する不信を拭えずに教えを棄てることになった。

2021年3月、電車内で右の耳たぶが欠けた男の姿を見かけた善也は、彼のあとを追うが・・・。

hiro0706chang.hatenablog.com

 

 

 

3、感想

 

村上春樹原作の『神の子どもたちはみな踊る』は、1995年1月の阪神淡路大震災と、1995年3月に起こった地下鉄サリン事件の間の1995年2月に起こった6つの物語が描かれています。

いわば横の時間軸で繋がっている物語なのですが、『地震のあとで』の4つの物語は、1995年~2025年の縦の時間軸で繋がり合っている物語になっています。

1995年阪神淡路大震→2011年東日本大震災→2021年コロナ渦→2025年以降次の災厄というふうに、災害(災厄)の間の出来事が描かれていて、第2話『アイロンのある風景』では2011年3月11日の早朝で物語が終わり、東日本大震災の前が描かれていましたが、第3話『神の子どもたちはみな踊る』では2021年3月で東日本大震災から10年後であり、コロナ渦の世界的パンデミックの始まりが描かれています。

2つの災厄に挟まれている不安定な状況。

 

思えば、1話の『UFOが釧路に降りる』でのシマオの「まだ始まったばかりなのよ」という言葉は、ドラマ『地震のあとで』においてはこれから始まる災厄の連鎖への予言のようにも取れてきます。

神の子どもたちはみな踊る』でも、冒頭の場面で善也が母親と電話で話す場面で唐突に「これから大変なことになる」と言われて、会社でもミトミから同じようなことを言われたのもどこかこれから起こる災厄への予言的な感じがします。

ただ単にコロナ渦のことを言っていただけかもですが。

 

原作を読んだ時に、善也が綺麗で無防備な母親に対して性的欲望を持ってしまうことを恐れて、他に性欲を向ける対象を無理にでも作っていたというエピソードは、『海辺のカフカ』でも語られていたオイディプス王のエピソードにも通ずるものだと思いましたが、ドラマではさすがに生々しすぎて直接的には語られていませんでしたね。

NHKだし、しゃーない。

しかし、ネグリジェ姿の井川遥が善也の布団にもぐりこんでくるシーンはあって、母親が井川遥だったら性的欲望を持ちそうになるのも無理もないと思いました。

 

「僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません」

ドラマでよりクローズアップされていたのは、田端さんと善也とのやり取りの場面で「神様を信じていてもなにもしてくれない」「神が人を試すなら、人が神を試すのはダメなのか?」みたいな問いかけがあって印象的でした。

神の不在、あるいはよそ見についての問題は遠藤周作『沈黙』でも深く語られていましたが、様々な宗教で語られている問題なんでしょうね。

特に某宗教で問題になった宗教2世の問題とも深く関わってくるのだと思います。

僕らの心は石ではないという言葉は、ドラマでは善也が田端さんに向かってセリフとして言っていて良い場面でした。

2人が離す、デッキみたいなところに石が飾られてるシチュエーションもいい感じでした。

 

コロナ渦だからなのか、右の耳たぶが欠けた男との遭遇の場面は電車に2人しか乗っておらずなんとも不気味に描写されていて印象的でした。

地下を蛇行しながら走る電車。

『かえるくん東京を救う』のみみずくんみたいだと思いました。

村上春樹の作品で、地下、地底に存在するものっておぞましい存在と相場が決まっていますし、地下鉄サリン事件も想起させられます。

 

僕が追い回していたのはたぶん、僕自身が抱えている暗闇の尻尾のようなものだったんだ。僕はたまたまそれを目にして、追跡し、すがりつき、そして最後により深い暗闇の中に放ったのだ。僕がそれを目にすることはもう二度とあるまい。

全体的にいいドラマだったと思うのですが、自分の父親かもしれない男を追いかけて、最後に野球場で善也が躍る場面はなかなか表現が難しかったのだろうなと思います。

彼の内面でどのような変化が起こっていたのか?

結局、善也の(生物学的な)父親が誰なのかという謎は解決しないままですが、彼はその「暗闇の尻尾」のような呪縛から解かれたことができたのではないでしょうか?

独りぼっちでの野球場でのダンスは、なにか儀式的な意味合いを帯びていたように感じました。

hiro0706chang.hatenablog.com

hiro0706chang.hatenablog.com

hiro0706chang.hatenablog.com

ブログランキング参加中!!良かったらクリックよろしくお願いします!!

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村